焼け付く喉越し2

 結局、ネロさんは引き継ぎなしで、引き続きあたしたちが警護することとなった。


 レットが仕事を続けたがってたのはらしくないけど、それは単純にネロさんのファンだからだろう。無理矢理納得して心の平穏を保つ。


 それで、会場に入る。


 簡単な木の枠で区切られただけの会場には既に沢山の人で溢れていた。


 その殆どが若くて、綺麗な服を着ていて、都会な感じだった。こういう人をあか抜けてるって呼ぶのだろう。ネロさんが言うにはオールパスを買ったセレブや貴族らしい。


 みんな変にテンションが高くて、目の下にクマを作ってる。このテンションも不眠の症状もチョコレートのカフェインの効能らしい。当然と言うか、当たり前のようにその目は血走っていた。


 そんな人混みの向こうにはずらりと奥まで、屋根だけのテントが何列も並んでいた。その一つ一つに看板があって、お店になっているみたいだ。


 その間をまた沢山の人が犇めいていた。


 その間をあたしたちは割り込んで行くのだ。


「お待たせしました」


 武器を預けに行っていたリバーブとブラーが戻ってきた。代わりに何故かリバーブは中身の詰まった大きな革袋を首から前に吊るして、ブラーはなんかバケツを抱えて、戻ってきた。


 何ですかそれ、と訪ねる前にリバーブが口を開いた。


「で、早速フォーメーションなんですが、先頭にブラーとレットが先行して人混みを掻き分ける。その後ろをネロさんがついていって、最後を私とトルートが固める、でどうでしょう?」


「細かいことはお任せするよ」


 ネロさんは両手を上げてリバーブにそう言った。外でのことが効いてるのか、口数はかなり減っていた。


「そうなるとさ、これどうしょう?」


 そう言ってブラーは持ってきたバケツを掲げる。


「先頭行くなら僕は、これを持たない方がいいと思うんだ」


「俺がもつ」


「「レットはダメ!」」


 リバーブとブラーが即答した。


「じゃー、新入りに持たせるしかないな」


 却下されるのを見越してたみたいにレットが言う。


「ネロさんは論外、俺とお前は掻き分けて忙しい、ならばだ」


「私と交換してもいいのよ」


「そうだなリバーブ、だがお前はあの時に前に出たよな?」


 あの時、とはあの一触即発の時だろう。


「仕事してないやつに一番きつい仕事させるのは自然だろ?」


 確かに、あたしは突っ立ってるだけだった。


「でもさ」


「やります!」


 レットからブラーに庇われる前に、あたしは手を上げた。


「でもこれって」


「やらせてください」


 半ば無理矢理な感じでブラーの前に出る。


 悔しいけど、レットの言う通りあたしはまだ仕事してない。


 そんなのは、嫌だった。だから、きつい仕事なら望むところだった。


 そんなあたしを前に、ブラーはリバーブを見て、リバーブは頷いて、そしてブラーはあたしにバケツを渡してくれた。


 受け取ったバケツは鉛色で、あたしの頭なんか余裕で入りそうな大きさだった。横には立派な持ち手が、上には密閉性の高そうな蓋が乗ってる。受けとると見た目よりかは軽かった。中は空みたいだ。


「それで、これは何に使うんですか?」


「スティープチョコ、ラスト十個でーす!」


「いかん!」


 あたしを遮るように急に聞こえた売り子さんの声にネロさんが慌てる。


 それにレットとブラーが先立ち声の方へ。その後ろをネロさんが、リバーブと続いて、あたしも急いでついていった。


 まぁ、いずれわかるだろう。



 辺りには独特の、何か苦そうな香りが漂っていた。


 犇めく人を切り裂くようにフォーメーションで掻き分けてスティープチョコの前に、どさくさに紛れて割り込む。


「はいここの全部をお願いします」


 向こうがとやかく言う前にリバーブは小さな本を開いて差し出した。


 少しためらった売り子さんだったけど、リバーブの勢いに負けたみたいに小さな本を受けとると、トントントントン、と続けて四回判子を押した。


 そして別の売り子さんがお皿を乗せたお盆を差し出した。


 お皿に乗るのは、親指の先ぐらいの大きさの茶色い塊が四つ、微妙に形が違うのが乗っていた。このよく磨かれた土団子みたいなのがチョコレートらしい。


 どうやらスタンプと引き換えにチョコレートが貰えるらしい。


 その一つをネロさんは摘まんで口に入れた。それをよく噛んで味わうネロさんの表情は何故だか苦しそうな顔をしていた。


 そのネロさんがあたしを手招きする。


 よくわからないまま手招きに従い前に行くと、ネロさんはバケツの蓋を取った。


 そして、ベッ、と口の中のチョコレートをバケツの中に吐き捨てた。


 その分、重くなるバケツ。


 ……いきなりのことに声もでない。


 それからネロさんはリバーブから、革袋から水を注いだコップを受け取って口を濯ぐと、それもまたベッ、とバケツに吐き捨てた。そして蓋を閉じてコップをリバーブに返してから自分の脇の臭いを嗅ぐと、ポケットから取り出した手帳に何かを書き出した。


 その作業に淀みはない。試食とは、こういうものなのだろう。


 しかし吐き出すのは、度肝を抜かされる。


 ふと、あたしは漠然とチョコレートには毒が云々の話を思い出していた。


 これから先、食べなきゃいけない量を考えれば、呑み込み食べきるのは体に悪いのだろうから、その予防なのだろう。


 そうこう考えているうちに書き終わるとネロさんは直ぐ様次のを口に入れた。


 こうして試食が始まった。



 ……完全な流れ作業だった。


 人混みを掻き分け、最短最適のルートで店を回り、もらって、口に入れ、バケツに吐き捨てる。


 間近で見てて気持ちのいいものじゃないし、光景だけでなく立ち上る臭いからも食欲も失せる。あの微妙な感じはこういうことなんだろう。そして、確かに、こんな危険なものはレットに持たせておけない。面子としてあたししかやれなのも納得できる。


 ……それでも、ベッ、の度に一々見せてくるレットの『だから言っただろう』なにやけ面に、バケツの中身をぶっかけないでいるのには、かなりの忍耐が必要だった。


 そんな感じで次々に店を回っていった。


 人混みは世話しなく、切り込むレットとブラーの真後ろでも直ぐ様もみくちゃにされてはぐれそうになる。それでも必死に後をついていった。


 バケツは店を回る度に重くなる。


 でも一応、試食のために立ち止まる間は休むことができた。むしろやることなくて、どうしても店の人の様子をありありと見てしまった。


 大抵のお店はネロさんを知っているみたいだった。


 ただ例え知らなくても、スタンプを押す本にそう書かれているのか、見せると露骨に態度が変わった。そして期待をこめてチョコレートを差し出すまでは、どのお店も一緒だった。


 ただ、ベッ、には反応が別れた。


 大半のお店は戸惑う表情を見せた。


 畳み掛けるようなセールストークも露骨に減って、呆然とした感じで、ネロさんを見つめていた。そのうちに苦笑いを浮かべる人も多かった。


 店でも規模が大きかったり、歴史が古そうな肩書きのお店は、こういうのをわかってるみたいだった。だから、ベッ、にも態度にとりとめてに変化はなかった。


 一方で辛かったのが、小さくて、真新しくて、いかにも頑張って参加してるとわかるようなお店だ。そうしたお店は軒並み、ベッ、を知らなかったみたいだった。だから、ベッ、とされる度に泣きそうな顔になっていった。


 その表情に、しかしネロさんは気にかける風もなく、ただ黙々と試食を続けていった。


 その中で特に忘れられないのは、親父さんが一人でやってる小さなお店でのことだった。


 親父さんはいかにも頑固そうなドワーフで、怖そうだった。それでも構わずネロさんが、ベッ、とやったら当然の如く親父さんがぶちきれた。


 顔を真っ赤にして飛びかかったのをブラーとレットが直ぐ様取り押さえた。それでも暴れる親父さんに黄色い鎧の人々も来て、更に野次馬が集まると、親父さんは顔を真っ赤なままで泣き出した。


 「うちのチョコレートは喉ごしで勝負してんだ。それを、それを、あんまりじゃねぇか」


 泣きながら連れてかれていく親父さんが残した台詞が未だに耳に残った。



 そうこうして七つのバケツを満杯にした。


 この量は、やはり異常らしく、というかバケツの交換所にはあたしたちのバケツ以外に一つも置かれてなかった。


「人は満腹になると味覚も変わる。だから吐き戻すのは普通のことなんだがね。現に向こうもこうしてバケツを用意してあるが、今時そこまで真面目にやるやつは少ない。良くて専門化して絞るか、分散するか、本当の一流は日を改める。中には他の前評判で書類審査するものもいる。それでも実食してればましだ。有名どころともなると、取材料と言う名の賄賂を貰って言われるままに駄文を垂れ流す。皮肉にもそういうやつに限って売れっ子になる、なんてのがこの世界なんだよ」


 そう説明するネロさんはぐったりとして地べたに座り込んでいた。あれだけの量だ、食べずに吐き出すだけでも体力を消耗してもおかしくない。


 見上げれば日は傾いてもうすぐ赤く染まるだろう。


 途中で昼食など、話題にも出なかったけど、少なくとも今のあたしに食欲はなかった。


「これで全部、今日の出展している全てのお店の全ての商品を回ったことになりますね」


 スタンプの本をめくりながら確認するリバーブに、ネロさんは頷いた。


「ただ、最後に見ておきたい場所がある。そこまで付き合ってもらえないかね?」


「それは、構いませんが」


「なら早く行くとしよう。君たちも早く終わらせて飯にしたいだろ?」


 そう言って立とうとして、ふらついたネロさんをブラーが助け起こす。何だかんだで消耗しているらしい。


「すまんな。じゃあ行こうか」


 そう言ってネロさんは先へと進んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る