焼け付く喉越し

焼け付く喉越し1

 朝日に照らされてるのは、見るからに安宿だった。


 隙間だらけの木の板の壁、ガタガタのドア、民家みたいな鉢植え、それでも看板には『サブライム・ホテル』とあるから、ここは崇高なホテルなんだろう。


 そこの前にあたしたちは並ぶ。


 最初に口を開いたのはリバーブだった。


「今回はまぁ、正直、割りに合わないのよね」


「割りに、ですか?」


「そうなのよ」


 あたしの質問にリバーブはため息を吐く。


「内容は普通って言っちゃあなんだけど普通の、スケジュール管理みたいなものよ。日程は今日半日、ハードってわけでもないわ。問題は、依頼人がネロ・ブロックってことよ。名前を聞いたことない?」


「ないです」


「バーカ」


「レット」


「そうだろリバーブ、ネロってったら有名人だ。それを知らないのは字が読めないやつだけだろが」


「あの、僕も知らないんだけど」


「ブラーもバーカ」


「レット!」


「そう言ってるお前は知ってんのかよリバーブ」


「仕事をとってきたのは私よ。あんたこそ人を馬鹿にする暇があるなら説明してみなさいよ」


「あーしてやるよ。あれだあれ、知っての通りあれだ、有名だぞバーカバーカ」


「……ネロ・ブロック、フリーの美食評論家で、全てを自腹で食らうが故に下される公明正大なレポートと、怖いもの知らずな批評でファンと敵を作り続けている、別名悪魔舌のネロ、というのが先週の新聞での紹介だったかな」


 そう説明しながらホテルから出てきたのは、小太りの男だった。


 茶色い髪に丸々としか表現できないようなお腹に丸顔で、丸い眼鏡の向こうは糸のように細い目をしていた。背中にはリュックを背負って、着ている服は洗濯こそしてあるみたいだけど、よれよれのしわくちゃで、身だしなみに無頓着なのが見てとれる。たぶん二十代だろうけど明らかに不健康そうな感じだった。


 その丸々が軽くお辞儀する。


「初めまして、わたしがネロ・ブロックです。今日はよろしく」


 依頼人だった。



「戦争が終わって久しい今日でも同盟は残り、緩く解放された国境と魔法による保存技術の向上で食材も料理も爆発的に増えた。しかし伝聞よろしくその全てが正しく伝わっている訳ではない。この食材は腐ってるか、この料理はこういう味のなのか、知らなければわからない。判断できない。だから博学博識のプロの評論家が必要なのだよ」


「はぁ」


 あたしが返事するとすぐさま続きが始まる。ホテルからずっとこうだ。


 先を歩くネロさんはほとんどの後ろ歩きになりながらもあたしに話しかけ続けていた。


 内容は面白いっちゃあ面白いし、ためになるっちゃあためになるけど、声が大きい上に早口で聞き取りにくい。しかも歩くのが速くて、先頭を歩くブラーを平然と追い越そうとする。せっかちな人だ。


 そんなあたしたちとネロさんがたどり着いたのは、異様な熱気の前だった。


 ざわつく人たちは比較的若い人が多かった。


 みな目の下にクマを作ってるのに見開いた目は血走っていてギョロついてる。そして世話しなく体を揺らして足踏みして中には奇抜な服装やメイクの人もいて、うめき声とも取れる声を出している。その姿は完全に異様だった。


 そんな彼らの向こうに見える看板には『チョコレート・フェスティバル』とあった。


 そちらに向けて送る眼差しは、一律に狂信的だった。


「チョコレートはご存じかな?」


「いえ」


 ネロさんにあたしは反射的に答えていた。


「よろしい。チョコレートとは、カカオの種を発酵、焙煎させ、同じく種から取った脂に、砂糖、時にはミルクや唐辛子を加えて固めた菓子だ。独特の香りと苦味、そして甘味は恥ずかしながら筆舌しがたい美味でね。だが同時に毒も孕んでいる」


「毒ですか」


「いや毒と言ってもそんなに怖いものじゃない。カフェインと言って、興奮作用をもつ成分が含まれている。こいつは小さな動物なんかには致命的で、我々も食べ過ぎると死ぬ。が、普通の人が致死量に至るには山盛り食べなきゃいけない。その危険性は皆無と言っていいだろう。むしろ恐ろしいのはその魅力だ。これには中毒性があって、長期に摂取し続けると彼らみたいに堕ちてしまうのだ。俗に言うチョコレート・ジャンキーと言うやつだ」


 ジャンキー、と呼ばれてしまった人たちはあたしたちに興味が無いらしく、フェスティバルの看板の方を向いていた。


「彼らはチョコレートの為ならなどこにでも現れるし何でもする。現に入れもしないのにここに集まってるのだって、少しでも口に入る確率を上げるためだ。誰かの靴の裏についてた破片を舐めるためにな。そうさせる程にチョコレートとは魅力的なのだ。で、その魅力的なチョコレートの博覧会がこれからこの先で開かれる。大企業から町のお菓子屋さんまで集まり合わせて百を越える。わたしは今日一日かけてその全てを試食するために来たんだ」


「全部を、今日中にですか?」


「来場パスが今日一日分しか手に入らなくてね。それでもかなりの大金だ。なのに中はかなり混雑してるらしくて移動もままならないと聞いている。だから君たちを雇ったんだよ」


 そう言ってネロさんはポケットから紙を出す。


「関係者用入場券だ。これ一枚で六人まで入れる。ただし試食できるのはわたしだけだが、君たちには中でのナビと荷物運び、それと念のため」


 スパン、とレットがネロさんの頭を叩いた。


「なにしてるんですか!」


 ネロさんの代わりに怒鳴ったあたしにレットは珍しく真面目な顔をしていた。


「失礼。ただ以前記事に、間違えたなら遠慮なく頭を叩いてくれと読んだもので」


 そう言ってレットは向こうを指を指した。


 ……ジャンキーと呼ばれた人たちがあたしたちを見ていた。


 血走ってギョロついた、狂気の眼差しだった。


「入る為になんでもするならチケットを目の前になんでもしでかすかと」


「これは、申し訳ない。考えなしだった」


 謝るネロさんを後ろに下げて、見ればブラーもリバーブも剣の柄に手をかけて前に出た。


 それでもジャンキーたちは、あたしたちをじっと見つめていた。


 一触即発な空気だった。


 思わず拳を構える。


 雷が落ちた。


 いきなりの閃光、ジャンキーのど真ん中に降った落雷に流石のジャンキーたちも逃げ惑う。


 そんな彼らを追い回すように更に二度、三度、雷が落ちた。


 焦げた臭いにジャンキーはたまらず散り散りに逃げ去った。


 そして無人となった踏み荒らされた芝生の上を、悠々と歩いて来るのは、黄色い鎧の一団だった。


 みんな背が高くてスタイルよくて、美男美女の集まりだった。


 そんな彼らがあたしたちの前まで来て、リバーブ、レット、ブラーが立ち塞がった。


 なんか、感じ悪い。


「ネロ様ご無事ですか?」


 柔らかな声をかけてきたのは先頭の男性だった。


 ハンサムだ。


 長い金髪を後ろで束ねて緑の目で、色白で女性かと思えるほど端正な顔立ちをしていた。他の人と比べると背は普通で体も細いけど、しっかりと筋肉がある。身に付けてるのは他の人よりシンプルで、その手には穂先が剣みたいに長い槍を掲げていた。


「初めまして、今回のチョコレート・フェスティバルの警備を任されてます、セブン・エッジ・ガーディアンズ、六の刃のシン・クォーツです。お見知りおきを」


 そう言って差し出された手を、前に出たレットがガッチリと掴み返した。


「インボルブメンツ、サブマスターのレットです。よろしく」


 ブンブンと握手するレット、背中しか見えてなくてもその顔がどんな笑顔かすぐに想像できた。


「あなたが、レットさんですか。お噂は伺ってますよ」


 シンさんの刺を孕んだ声音に、シンさんの両隣に控えていた女性二人が前に出て、それに応じるようにリバーブもブラーも前に出る。


 ……なんか、一触即発は続いていた。


 それを感じてるのか感じてないのか、レットは握手を続ける。


「こちらこそご活躍はかねがね。それではこのまま会場内まで案内してくださいな」


 らしくない親しげなレットの声音に、シンさんは笑顔で返す。


「案内はもちろんです。ですがその前に引き継ぎを」


「引き継ぎ?」


「えぇ引き継ぎです。これから先のネロさんのご案内は我々が引き受けます。その方が何かと都合が良いでしょ? それに少なくとも我々はどんなことがあってもお客様に手を上るような真似は絶対にしません」


 シンさんの声音は優しそうなのにはっきりと悪意を感じられた。


「それで、いかがでしょうかネロさん、中のご案内なら警備の一貫として無料で、案内させていただけますよ」


 握手したままシンさんはネロさんに素敵な笑顔を向ける。


「無料、ねぇ」


 皮肉っぽい声のレットをシンさんが笑顔で見返す。


「ネロさんは有名人です。それを、失礼ながらあたなたちだけで守り通せるとは思えません。このような大きな仕事は大手の我々に任せてください」


「なるほどなるほど、確かにお宅は大手だ。でなきゃハイネス・カウ・カンパニーとの独占契約なんぞできねーよなー?」


 いつものレットの声音に、シンさんの笑顔が凍る。


 それでもその手をレットは放さない。


「俺の記憶が正しければ、確かハイネス・カウは牛肉だけでなくて乳製品にも手を出してた筈だ。チョコレートに入れるミルクもね。ひょっとしてだが、今回のフィステバルにも参加したりしてなかったり? ま、でなくても評論される機会はあるわーなー」


 握手したまま振り返ったレットは、想像通りの笑顔を浮かべていた。


「それで、引き継ぎますかネロさん?」

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