同好会蠢く2

 テンタクルス、一般的に触手と呼ばれるこの軟体動物は暗い淡水を好み、肉食で、その全身は筋肉でできてかなり力強い。だが、一般的なイメージとはことなり、その粘液で守られた肌はデリケートで、乾燥はもちろん、雑菌や酸性に弱く、人が直に触れただけでも弱ってしまい……。


「新入り仕事しろ」


 レットに言われて渋々貰った冊子『あなたの知ってるようで知らないテンタクルスのこと』を閉じてしまう。


 薄くて小さいけどしっかりした本、これを個人で作れるなんて、すごい時代になった。


「どこにしまってんだよ」


「どこって、こんなに大きいの、ポケットに入りませんよ」


「だからって胸の谷間に、あーもーいい。それよりちゃんと警備しろ」


「わかってますよ。でも、あたしたち、いりますか?」


 答えて階段への扉横から見渡すのは、触手同好会の会場だった。


 中の人数は多くないが熱気は凄い。


 入り口から入ってすぐのメインには水瓶が更に並べられていた。それぞれ蓋が外され、時折中から触手が延びては引っ込む。その色、艶、長さや形は種類があるみたいで、だからなんだという感じだった。


 その間をマッチョな人たちが流れて見て回っている。


 時折、水瓶の前に立ち止まっては熱い視線を向け、飼い主らしい別のマッチョと話し込んで、笑い合ったりしてる。どうやら値段の交渉しているみたいだ。


 奥には物販コーナーが、エサやサプリメント、専用の水瓶、触っても大丈夫になる手袋、特注品らしい消毒聖水、更に驚いたことにこれみたいな自費出版の本まで売られていた。


 そして角に設けられた黒幕の空間は、触手同士のお見合いの場所だそうだ。中はプライバシーの問題で見えない。見る気もない。


 こうした会場の準備は、大半がフィーラーさん初めマッチョなメンバーがテキパキとやってくれた。勝手知ったるといった感じで、誰の指示があるわけでもなく、あるべき場所へあるべきものを並べていった。特に水瓶は、レットとブラーが二人がかりでやっとな重さをみなさん一人で軽々と運んでいった。


 想像するに、彼らはそのためにマッチョに鍛えたのだろう。いやあるいは、触手を愛でた結果マッチョになったのかもしれない。


 きっとこれは純愛だろう。


 なので同好会のメンバーかどうかはマッチョかを見ればすぐにわかった。よそ者のマッチョでない姿は嫌でも目立つし、そもそも絶対数がそんなにいない。


 なのでわざわざあたしたちが専念して見張る必要はなさそうだった。


 次に仕事があるとしたら、片付ける時だろう。


「だが仕事だろーが。それに触手は夜の店に大人気だからな。そっちに盗まれんだよ」


「盗んでどうするんです? まさか食べるとかないですよね。滋養強壮とかは、ありえそうですが」


「うぶなつもりか? ショーに使うに決まってんだろーが」


「ショーって、触手見ながらお酒呑むんですか?」


「お前、そんな、今どきそんな、くそ、マジかよ」


「何いらだってんですか。この仕事取ってきたのレットでしたよね?」


「あーそーだよ。そんでお前らが触手にワーキャーしてあわよくば絡まって逆さ吊りーなんて期待してたのに、お前はわかってないし、肝心の褐色貧乳なんかちゃっかり適応して見ろよあれ」


 そう言って指し示す先、物販コーナーにリバーブがいた。何やら本を見てる。


「テンタクルス検定、来月から始まるんだと。育てたり種類だったりの知識を試すんとか、ニッチな資格、我らが資格マニアにはどストライクらしくて、ウキウキして参考書買い漁ってるよ。ったく、普通にダークエルフは触手と相性抜群なのになんだよこのクソオチは! 全然おもしろくねーぞ!」


 何をレットが言ってるかわからないけど、ガッカリしてるのはわかった。


 それは良いことだ。


「大変だよ二人とも」


「おめーが触手に襲われたってなんも意味ねーんだよブラー!」


「……レットなに怒ってるのさ」


「あたしたちのリアクションが気に入らなかったらしいんです。それよりどうしたんです?」


「あ、うん。実は触手が、テンタクルスの一匹が逃げ出しちゃったみたいなんだ」


「よし新入り、トイレ行ってこい」


「レット、冗談は止めよう」


「え? 冗談なんですか?」


「トルート、ダメだよ。レットに毒されちゃ。気をしっかりもって、自分を見失わないで」


「随分な言いようだなブラー」


「だってレットは、絶対トルートに間違った使い方教えてたでしょ?」


「いえ、テンタクルスは乾燥に弱いとこの本にあったんで」


「レット!」


「俺じゃねーよ。こいつが勝手に谷間にしまってんだ」


「そうなの?」


「ポケットに入らないんですよ」


「あーーそうなんた。何はともあれ、一匹逃げ出してるから、ここを突破されないようにちゃんと見張っててね。名前は確か」


「言われたってわかるかよ。呼べば答えるのか?」


「びんぐちゃあああああんん!!!」


 感極まった感じで泣き叫んでるのは、フィーラーさんだった。


「まてブラー、ひょっとして逃げ出したのはあのデカイのに入ってたやつか?」


 言ってレットが指差した水瓶は、他の水瓶が入りそうなほど一際大きかった。


「わかんないけど、なんじゃないかな?」


「冗談だろ? あのサイズがどーやったら行方不明になれんだよ」


「それもわかんないけど、話によるとどの種類でも人が通れるサイズの穴なら通れるらしいから、とにかく気を配って」


「で、お前はどこ行くんだよブラー」


「僕は外から通気孔見て回るよ。出てないにしろ潜んでそうだしね」


「だったら新入りかリバーブ連れてけよ。狭い穴にお前じゃ入れないだろ?」


「うん。でも下手に入れちゃうと中に引きずり込まれちゃうからさ」


「だからいいんじゃねーか。見えにくいけどよ」


「トルート、そういうわけだから、扉は閉めっぱなしにして、開けるときは足元とかに気を付けて」


「無視かよ」


「じゃあ任せたよ」


 そう言ってブラーはレットを無視して出ていった。もちろん、床はに気を付けながらだ。


 扉をしっかり閉じる。隙間はなく、閉じてるならここから出ることはなさそうだった。


 ……それで、改めて会場を見る。


 フィーラーさんは顔の筋肉を真っ青にして水瓶持ったまま駆けずり回ってる。


 他の人も水瓶の中身を確認したりあちこちの下を見たりしてくれている。


 それがリバーブにも伝わったらしく、慌ててこっちに来た。


「トルート、レット、それでブラーはどこいったの」


「外から通気孔を覗いてくるそうです」


「そう」


 あたしの答えを聞いてリバーブは考え込む。


「……念のために質問するけど、本当に盗み出された可能性はある?」


「ねーよ」


 レットは即答した。


「出入りはそこそこあったが、少なくともあんな大きな水瓶持って出てったやつはいない。刻んで腹の中に、ならありえるが、そんな隙も場所もないだろ?」


「それは、確か?」


「あー確かだ。俺は、そこらで本を買ったり読んだりしてた女どもよりよっぽど仕事してたぜ」


「ならまだ中かしらね」


「おいわかってないみたいだから声に出すが、今のは嫌味だぜリバーブ」


「だとすると他の水瓶かしらね?」


「まーた無視か」


「じゃあレット、あんたはどこいったと思う?」


「あ? 知るかよ。どーせまた忘れ去られたころに干からびたのが出てくんだろ」


「……レット、わかってると思うけど、この後の後片付けも仕事に入ってるのよ」


「あーそうだ……な」


「気がついたレット、その片付けは、行方不明になった一匹が出てくるまで続くのよ? 雇い主は、彼なんでしょ?」


「どこいったんだよぴんぐぢゃああああん!」


「あーあーあーあー面白くねーな、もー。だが俺は探さねーからな」


「レット」


「考えてもみろリバーブ、相手は逃げ出すような動物だろ? そいつが飼い主ならいざ知らず、見ず知らずな俺たちの前にノコノコ出てくるか? 普通は逃げ隠れすんだろ。だから逆に向こうから来るようにすんだよ、エサで釣ってな。新入り、触手何喰うんだ?」


「ちょっと待ってください」


 冊子を出してページをめくる。


「レット!」


「だから俺に言うなよリバーブ、こいつが勝手にだな」


 あった。


「ありました。えっと、主に甲殻類や貝類、自宅で飼うなら魚の切り身や毒性と酸性の弱いスライムを」


「スライム、夢の共演だな」


「いい加減にしなさいよレット」


「わかったよ。それをだ、あそこで売ってる水と水瓶と合わせて用意して、罠は、ブラーでなきゃわかんねーな」


「それは戻ってからね。その線でちょっとフィーラーさんと話してくるわ」


 そう言ってリバーブは憔悴してぐったりしてるフィーラーさんへと向かっていった。


「ま、一番いいエサは胸のでかい女騎士なんだがなぁ」


「……何でですか?」


「あーあーあーあーそーだったな。お前は知らないんだよなーあー」


「そうです知らないです。だからきちんと教えてくださいよ」


「……知るかよ」


 そう言ってレットはそっぽを向く。なんだよ。


 ……まぁいいや、後でブラーかリバーブに教えてもらおう。そっちの方が確実だ。


 なんて思いながら冊子をしまう。


 ……と、扉が開いた。


 そして入ってきたのは、胸の大きな女騎士だった。


 手足を含めて全身に鋭い刺の生えた赤黒い甲冑に鎖帷子を着ていた。その装備の上からでも女性らしいスタイルがはっきりわかる。ただ顔は兜で隠れていて、額や頬にも刺が生えていた。でもその裾からは長い金髪が流れていた。その右手には長くてノコギリみたいにギザギザな大剣を持って、引きずっていた。


「レットが言ってたのってあんな感じですか?」


 訊きながら開けっぱなしの扉を閉じる。もちろん足元には注意する。


 それで、レットは返事しなかった。代わりに女騎士を凝視していた。


 その女騎士は、真っ直ぐに水瓶へと向かいながら大剣を真上にかざす。


「触手、殺すべし」


 力強く呟いた胸の大きな女騎士は敵だった。

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