愛は繋がり6

 流石は都心に程近い閑静な住宅街の一軒家といったところか、中は見た目よりも広かった。


 そして、奥にはより多くのランタンが灯っていて、中は外のように明るく、しかもどことなくいい香りがしていた。


 玄関を抜けると奥へと続く廊下があって、そこをレットはドンドン進む。


 左右のドアに出くわすとレットは少し見てから開けて、中に入っていく。


 部屋は、倉庫や応接間、寝室に、更には風呂場やトイレまである。そのトイレも水洗で、ひょっとするとバヨットさんの家はお金持ちなのかもしれない。


 と、レットがいきなりズボンを脱いだ。


「……何やってるんですか?」


「トイレ」


 そう答えてレットはトイレに入っていく。


「何でドア閉めないんですか!」


「あ? 閉めたら俺もお前も互いに見張れないだろーが。俺はお前を思って恥を忍んでだな」


「わかりました! だから早く済ませて下さい!」


「見ないの?」


「見ません!」


 レットに背を向けまだ見ぬ廊下の先を凝視する。


 程なくして、本当に水音が聞こえてきた。


 最低だ。


 耳も塞ぎたかったけど、流石にそこまでやったら危険だと、だから我慢した。


 我慢しながら、廊下の先を見る。廊下はすぐそこで突き当っていた。そこにはドアがあって、その奥がこの家の一番の奥だろう。


 ここまでは危険はない。なかった。レットも、特別何をいうわけでもなくて、何もなかった。後は奥を見ておしまいだ。


 と、考えていたら、そのドアが独りでに開いた。


「レット、ドアが」


 言っても水音ばかり、返事はない。


 そうこうしてる間にドアは完全に開ききって、中が見えるようになった。


 そこには三つの物が見えた。


 一つ目はランタン、より多くのランタンが天井だけではなく、大きなテーブルの上に灯っていた。


 二つ目はバラの花びら、それが絨毯みたいに部屋中に敷き詰められていた。漂う良い香りの密度からそれらは全部本物みたいだ。


 三つ目は、テーブルの向こう、並んだ椅子だ。そこに一組の男女が縛られていた。


彼らは、今朝会って別れたバヨットさんの両親だった。


「たいへんレット!」


 叫ぶと同時にあたしは駆け出し部屋に飛び込んだ。


 バラはたっぷりあって、踏み込めば足首を超えて膝まで埋まる深さだった。それを踏み越え掻き分け二人の所へ。


 部屋は、食堂と台所が一体化したダイニングキッチンみたいだ。天井も高くてかなり広い。その中で見渡した限りだと、縛られていた二人だけみたいだ。


 急いで二人の所へ。


「大丈夫ですか?」


 父親の肩に手をかけるとすぐに目覚めた。そして何やらんーんーうなり始める。


「待ってください今外しますから」


 猿ぐつわを外すと、すぐさま叫んだ。


「後ろだ!」


 言われて振り返る。


「いやぁ、待ってたよバヨットちゃん」


 部屋の角、そこのバラが甲高い声を上げながら盛り上がった。



 恐怖、でなくて純粋に驚いて声が出なかった。


 固まってるあたしの前で花びらが散り落ちると、痩せ細った男が現れた。


 黒いオールバックで目の下にはクマ、口元には白いマスクで隠して、なのに服は着ておらず、ただ赤いビキニパンツとギザギサのナイフを装備していた。


「試験どうだった? まぁ自分を試すのは良いことだけど、でも合格しても行っちゃダメだよ? だってバヨットちゃんは幸せなお嫁さんになるんだから、花嫁修業しなきゃ。それに変な虫がついてストーカーになったら嫌でしょ? あ、でも制服姿はそれで夜はもり誰だぁお前は!」


 いきなりの切り替わりにビグンとなる。けど負けてられない。


「それはあたしの台詞です! なんなんですかあなたは!」


 叫び返しながら、こいつがストーカー以外の何者ではないと気が付いた。


「うるさい質問してるのは僕だ!」


 ストーカーはガタガタ震えだした。そしてヨダレを滴ながら叫ぶ。


「僕が質問してるんだ! 僕がバヨットちゃんと結婚するんだ! 邪魔するな! どこにいる早く出せや出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せだが!」


 ピタリと止まる。


「……君もカワイイね」


 ニタリと、煮崩れた笑みを浮かべた。


 ……こいつは、やばい。


「レット早く!」


 来たドアを見てもレットはいない。


 あたし一人で何とかするしかない。


 拳を握りしめて構える。


 ……その刹那にストーカーは消えていた。


 目を離したのは一瞬、どこに消えた?


 ガサリ、と目の前のバラが揺れた。


「君は愛人だああああああ!」


 飛び出してきたそれに、反射で右の拳を打つ。


 放ったのは握りの甘いジャブ、当たったのは胸の真ん中、固いアバラの手応え。角度もタイミングも悪いけど痩せた体を突き飛ばすには十分だった。


 ストーカーは両手を広げたままバラに落ちる。


「いだい! いだいよぉ!」


 叫びもがくストーカーはバラに沈み、また見えなくなった。


「もういいいらない!」


 声と同時に鋭い痛みが右足に走った。


 深い切り傷、ふくらはぎの裏が切りつけられていた。


 痛みより、腱を切られたのが問題だ。足が踏ん張れない。


 こいつは、厄介だ。


 バラの下を泳いでるんだろうけど、その軌跡が見えない上に速い。


 どこから来るかわからないまま守りを固めるしかない。


「次は裸だりょなあああ!」


 どこからかの絶叫、身構える。


 エックシ、と誰かがくしゃみした。


 レットだった。


 何故かズボンを脱いだまま、パンツは履いた姿で、ドアの前に立っていた。


「ずいぶんとまー、ロマンチックな」


 呑気にレットは言う。わかってない。


「レット敵! 来ちゃダメ!」


 あたしが叫ぶと同時にレットのすぐ目の前のバラが揺れた。


 そこにいる。


 レットに届く距離だ。


 あたしには遠すぎる。


 叫ぶに息が足りない。


 手なんか届くわけない。


 間に合わない。


 瞬きする間もないぐらいの一瞬で、レットは笑った。



「ハンドレスマジック・リセッター!」



 爆風が起こった。


 レットを、その足元を爆心地に圧倒的な強風が弾けて暴れまわり、あたしを椅子の二人を、そしてバラの花びらを吹き飛ばしてた。


 まるで台風みたいな暴風は、吹き出した時と同じように唐突に静まった。


 そして床が露出して、その上に這いつくばるストーカーの姿が露になった。そこから四つ足で這い逃げる背中に、レットは踏みつけるように蹴りを叩き踏んだ。


「こーゆーのはな、入る前に先ずは全部掃除しチクショウ!」


 レットは吐き捨てて、ストーカーを踏み越え駆け出した。


 その先に、ストーカーがいた。


 ……ストーカーは一人じゃなかった。二人でもない。沢山だ。


 最初に現れたやつ、レットが踏み倒したやつ、あたしが殴り倒したやつ、あたしに切りつけて血の付いたナイフを持ってるやつ、そしてレットの向かう先にももう一人やつ、合わせて五人いる。よく見たらパンツの赤色が微妙に違っていた。数えてる間にレットが向かった先のやつを蹴り倒した。


「ちぃいいいいきぃしょおおおお!」


 あたしを切りつけたやつがレットを狙ってナイフを振りかぶる。その背中は、サンドバックにちょうどよい距離にあった。


 こいつに遠慮はいらない。


 拳を握りしめて無事な左足を軸に、全力のラッシュを叩き込んだ。サンドバック以来の全力ラッシュ、その一、二、三発めで軽すぎる背中は届かない距離までぶっとばしてしまった。


 殴り足りないけど動かないからもう勘弁してやろう。


「ひ、ひぃ!」


 最後に残った最初のやつに、レットは拾ったナイフを投げつけ、見事にその股間に命中させた。


 そいつは、声にならない悲鳴をあげてばったりと倒れた。


 ……当たったのは刃じゃなくて柄の方だった。


「で、お前で最後だな」


 そう言ってレットはあたしを見た。


 なんだこいつ。


「動くな!」


 声が後ろからした。


 振り返れば猿ぐつわしたまま母親の後ろにもう一人いた。そして母親の首にあのギザギサナイフを突きつけていた。


「おい新入り、戻るぞ」


「え?」


 あたしの声を無視してレットは背中を向けてドアまで行ってしまう。


「ちょっと待って! どこ行くんですか!」


「だから戻んだよ。中見て、危険だと判断したから戻る。後の人質事件は警察に引き継いでおしまいだ」


「動くなって言ってんだろ! ほんとに殺すぞ!」


「前言撤回、殺人事件になりそーだな」


「レット!」


「お前らいい加減にしろ! ほんとにほんとにだな!」


「だからー」


「かあちゃん!」


 野太い男の声が部屋に響いた。そしてレットを押し退け入ってくる。


「お前らかあちゃんとうちゃんに手出してんじゃねぇ! 狙いは俺だろ俺を直接狙えよ!」


 それは……バヨットさんだった。


 声は、男だった。


 これはつまり、バヨットさんは、男だった。


 その事実に、あたしは言葉を失った。


 レットは一瞬固まってから、爆発したみたいに笑いだした。


 そしてストーカーたちは、倒れてるのも含めて全員がゲロを吐き出した。


 その酸っぱい臭いとバラの香りが混ざって部屋の空気はむせかえっていた。


 その中心で、バヨットさんは拳を握りしめて震えていた。


 その姿は、リバーブと重なって見えた。


 その姿に、あたしは、いたたまれなかった。


「そっかお前そっか」


 笑いながらレットは、バヨットさんの肩に触れようとする。


 それが、許せなかった。


 気がついたら飛び出していた。


 足が痛い、けどそれ以上に、レットにムカついていた。


 だから後先考えずに、頭に血が上ったままに、あたしは全力でレットの手を掴んでいた。


「……何だよ」


 驚いてなお笑いの残るレットの顔を全力睨みつける。


「笑うな」


「あ?」


「彼女を、笑うな」


 怒りに頭は熱いのに、心は冷めていた。


 冷めた心で、次に何かふざけたことを抜かしたらレットのことをぶっ飛ばすと、あたしはあたしを確信していた。


 それが伝わったのか、顔に出たのか、レットは黙った。


 そうやって睨み合ってる内に、リバーブとブラーが来た。


 それで臭いで、リバーブはもらいゲロをした。

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