箱の中身はなんだろな3
ただでさえ狭いスペースに流れ込んだケンタウロスは巨体で、中はいよいよ狭くなった。
ケンタウロスとミノタウロス、両者入り乱れての激突、筋肉粒々の巨体と巨体とが入り乱れての大乱闘が始まった。
降り下ろされたこん棒が振り上げられた短剣と激突する。
雄叫び、埃、汗とカビの臭いが辺りを満たす。
あたしはその中を転がり回っていた。
立てばミノタウロスの腕が迫り、止まればケンタウロスの足が踏みつけてくる。
こん棒に短剣、どちらも拳で受けるには激しすぎだし多すぎた。
あたしは無様にも逃げ回りのが精一杯だった。
ただ幸いにも、彼らに比べて小さ目なあたしは目立たず、格別狙われることもなかった。
それでも逃げないと危ない。
必死に逃げ回っていた。
と、尻がぶち当たったのはホレイショの荷車だった。
「こっちに来んなよ」
ぼそりと聞こえたのはレットの声だった。
振り返れば木箱の上に、レットが寝そべっていた。
「何やってんですか!」
思わず出たあたしの声にレットは歯を見せて笑った。
「特等席だぜ」
ニヤニヤ笑って、小指で耳の穴をかっぽじってる。
こいつ、明らかにこの状態を楽しんでやがる。
「「レット!」」
喧騒の中でもリバーブとブラーの声ははっきり聞こえた。
「んだよ。まずは寄り道しなかったこと誉めろよ。俺、誉めてのびるだぞ」
「うっさいレット! どういうことか説明なさい!」
のんびりとしたレットとは逆にリバーブの声はヒステリックだ。
「どーもこーも、見ての通り兄弟になったのさ」
「レット!」
「嘘じゃないって、ギルドに無駄な死守を命じられて嫌気が刺した。裏切るからそっち入れてくれ。そしたら受け渡し場所まで案内する。荷物と代金でダブルにお得だよって。話せばわかるって本当だったんたね」
「それで! いきなり突撃させるとかなに考えてんのよ!」
「だってこいつらってば話聞かないんだもーん。とりあえず皆殺しヒャッハーでよ」
「それでもあなたあぁもうしつこい!」
ガキンと音がした。
振り返ればリバーブがレイピアのナックルガードでミノタウロスの横面をぶん殴ってるところだった。
その向こうではブラーが、ケンタウロス二人を相手に大剣を振るってた。
ホレイショだって前足を上げて威嚇している。
戦ってないのはレットだけだ。
「手伝おーか?」
「いいわ!」
レットの気の抜けた声に、リバーブが怒鳴り返す。
「それよりあっち!」
あっち?
レイピアの先が指したあっちには、ハムタスと鎧の二人組がいた。
喧騒を挟んだ反対側にいて、こっちにボーガンを向けていた。
狙いは、間違いなくあたしたちだ。
やばい。どうする?
この状況、囲まれては逃げも隠れも倒しにも行けない。
どうしよう?
「「レット!」」
二人の声にレットが立ち上がった。
颯爽とシャツを脱ぎ捨て、拳をハムタスめがけて突き出した。
その拳を狙って矢が放たれた。
風切り音、飛来する矢、瞬きで消える刹那に、レットの鋭い眼差しが見えた。
「ハンドレスマジック・プリペンド」
歌うような言葉に、風が爆ぜた。
強さは嵐、見えない流れはレットから外へと広がり、巻き込む全てでその力を誇示していた。
髪は跳ねられ体は靡かれ、誰も彼もが吹きさらされて立つのに踏ん張って、そんな暴風の中で小枝みたいな矢なんか瞬く間に吹き流された。
威風堂々、レットは爆風の中にて、正に君臨していた。
髪を揺らし、不適に笑う姿に、あたしは不覚にも、レットが凛々しく、強そうに見えてしまった。
空腹と戦闘は眼を曇らせるらしい。
と、唐突に流れた風は、同じように唐突に修まった。
残されたのは静寂、訪れた凪ぎに戦いの熱意は流されて、みんながレットを見上げていた。
注目、その中でレットは大きく両腕を広げて仰々しく辺りを見回すと何かが落ちてその鼻先を掠めた。
おっしい。
落ちてきたのは、大きさは靴の片方ぐらいで、恐らく木製であろう塊だった。それが音もなく落ちてきて、レットに当たらず、木箱の角に当たって砕けた。
……レットがゆっくりと見上げ、みんなも続いて見上げた。
朽ちた天井に穴ができてた。そこから亀裂がみるみる拡がっていく。
メキメキという音にパラパラと落ちる粉、そしてからりとまた何かが落ちてくる。
崩壊が始まっていた。
みんなざわめく。
ホレイショが嘶く。
「早く! 逃げるのよ!」
レットの一声に全てが動き出した。
あたしも入ってきた門に向かう、その前に肩を捕まれた。
「こっちよ!」
リバーブに引き留められたその矢先、門にケンタウロスとミノタウロスが、どちらも武器を捨て我先にと門へ殺到していた。だけど巨体に巨体がつっかえて渋滞し団子になる。そこにホレイショじゃない方の馬が突っ込んで大惨事になっていた。
「あっちは無理! 反対に!」
ブラーに言われて見た反対にはキノコ門だった。
開くかどうかはわからないけど、あの渋滞は無理なのはわかる。
ならばと全力で走る。
ブラーを追い抜いて一番乗りで体当たり、だけどキノコは潰れても門は開かない。
どうなってるのか手探ればキノコの下に閂が埋まっていた。
それを掴んで指に刺を刺しながら無理矢理引き抜いた。
閂は外れ、それでも門は開かない。ただそれでも門の間に隙間はできた。
迷わず指を刺し込んでテコの力を加える。
ボギリと折れたのは人差し指の方だった。引き抜いて見れば関節が一つ増えてて痛い。
「退いて!」
リバーブに引き剥がされ、代わりに前に出たブラーが指を入れてた隙間に大剣をぶっ刺す。
そしてオールを漕ぐように体を傾けると、テコの原理でメキメキと門が開いた。
風か抜ける。
門の外には遥か向こうまでの空き地、そこにびっちりとあたしの胸より少し高い草々が生い茂って、その間には、数多の虫が飛び交っていた。
後ろで何かが落ちた音がする。
「行って行って行って行って!」
リバーブの声に重なって後ろで何かが落ちた音がする。
迷う暇もない。
折れた指で掻き分け草の中へと飛び込んだ。
▼
夕暮れ、道なき道をひたすら走ってたどり着いたのは森の中の街道の、どこかとどこかへの別れ道だった。
そこの広くなってるスペースにホレイショを停めて、やっと足が止まった。
息が辛く、足が痒い。
虫に喰われたのか草に被れたのか、ズボンと靴との隙間辺りが猛烈に痒かった。だけど今は、掻くよりも息を整えたかった。
肩で息を切らせながら振り返ると、あの倉庫はなく、ケンタウロスもミノタウロスもいなかった。
どうやら逃げ切れたらしい。
「全員、揃って、いるわね?」
「大変だよリバーブ。レットがいないよ」
「自分の、名前も、忘れて、あんたは、もういい」
嗚咽してるリバーブに、膝に手をついてるブラー、なのにレットの声は余裕だった。
見ればまだ、ホレイショの荷車の上に乗っていた。
歯を見せて笑うレットは、あの時の凛々しさもクソも残ってなかった。
苛立ちと一緒に睨むうちに、呼吸が修まった。それはリバーブもブラーも同じらしい。
「それで、レット。説明して貰いましょうか」
「まー、そーだな」
落ち着いたあたしたちの前にレットが降りてきた。
「これは南の大陸発祥で、名をアフロヘアーと呼ぶ。このカールには熱き魂が」
「レット」
「わかったよ。あの風はだな」
「れぇっとぉ!!」
響くようなリバーブの怒声、ただちょっと風の話は聞きたかった。
「リバーブ落ち着いて。レットも、なんのことだかわかってるんでしょ?」
「わかんねーよブラー。ケンタウロスの件はあれ以上ないぞ」
「じゃなくてさ。レットって、最初から木箱の中身を気にしてたじゃない? あれは、こうなることを知ってたんでしょ?」
このブラーの質問に、レットは初めキョトンとして、それから笑いだした。腹立たしい。
「まさか、お前ら、わかってねーの?」
それは完全に嘲るような、バカにした笑いだ。
「「レット!」」
「あーあーわかったよ」
レットは袖でヨダレを拭う。
「つーかよ。箱見ればわかんだろ?」
「わかんないつってんでしょがそのアフロ引き抜くぞごら!」
「だからリバーブ落ち着いてって、レットも」
「はいはい。じゃあ、何が見える新入りよ?」
………………あ、あたしか。
「えっと、木箱ですよね? むき出しの木の表面に鎖が巻いてあって、それに錠前が」
「そう、錠前だ。何で鎖に錠前なんだ?」
「それは、蓋が開かないように、てすよね?」
「だったら外れないようしっかりと釘で止めんだろーが。他のはそーだったろ?」
「そう言えば、そうですね」
答えておいて何だけど、あたしは他の木箱なんてよく見てなかった。普通は見ない。
けど、黙って話を合わせておく。
「それで答えはなんだ? ならなんでこうなってる? 新人には難しいか?」
……悔しいけどわからない。
「私が受けた説明では、鍵が合えば本物、と聞かされたけど」
リバーブの助け船をレットは笑う。
「バーカリバーブバーカ。木の箱なんていくらでも穴開けられんだ。鍵を無視して箱壊せば入れ換えなんて余裕だろバーカ」
「じゃあ何よ。ここまでひっぱっといてクソみたいな答えなら、あんたわかってんでしょうね」
「唾飛ばすなリバーブきたねーな。いいか? 錠前はな、開けるためにあるんだ」
「あ?」
「だからー、釘でー止めたらーいちいち開けたり閉めたり大変だろーがよー」
「あんた何を……」
ハッ、とリバーブがなったのがわかった。
「ブラー開けて!」
「え? あーーうんわかった」
いきなり言われてブラーは面食らったみたいだけど、それでも大剣引き抜きながら木箱によじ登った。
「まだわかんないって顔だな」
隣にきたレットに言われて、しゃくだけど、あたりはまだわかんなくて答えられなかった。
それをまたレットが笑う。
「鈍いなー。つまりだ、定期的に開ける。中身見る。必要な水や食い物やって、臭いはないから垂れ流しじゃーないな」
「それってまさか」
生き物?
ブラーの大剣がガキンと錠前を突き砕き、ジャランと鎖が滑り落ちた。
「いや、待ってください。なら、でも、国境を超えてきたんですよね?」
「箱はな。そん時は楽器でも、錠前なら入れ換え簡単、中身は何でもありだよ」
笑うレットの前で、飛び降りたブラーの手により木箱の蓋がずれて落ちた。
「む!」
奇声、突き上げられた腕、箱の中から起き上がったのは、男だった。
年齢は間違いなくあたしの倍は上だろう。明るい金髪を七三分けにし、その体は満遍なく太い。贅肉は段にこそなってないがその分、張りがあって、首など太すぎて顎が埋まっていた。見えている上半身は裸で、肌には傷も痣もなく、見るからにスベスベな白い肌をしていた。
「む! 見つかったか!」
……男は、子供みたいな声をあげながらキョロキョロしてる。
「む! 貴様らは何者だ? 初めて見る顔だな?」
男の問いかけに、ブラーもリバーブも固まって動けないでいた。
その隙をついて前に出たのはレットだった。
「お初にお目におかけします。我ら護衛ギルド、インボルブメンツの者でございます」
バカ丁寧な話し方でお辞儀までして、レットは男に対応した。
「失礼ながらお名前を伺っても?」
「む! 余が何者か、知らぬと申すか!」
男は怒ってるみたいだけど、初対面で知るわけがない。バカかこいつは。
なのにレットは深々と頭を下げた。
「失礼ながらオマージュ・バルジ・ギャラクシー様とお目受けしますが?」
「知ってるではないか。左様。余こそがオマージュ・バルジ・ギャラクシーなり。してそちは、鬼ではないな?」
「鬼、ですか?」
「左様。カクレンボに興じておってな、見つかりたくないのだ。鬼でないなら蓋をせよ」
「はいただ今」
レットは答え、まだ固まってたブラーにハンドサインを送る。
それに、ブラーは渋々といった感じで従い、落ちてた蓋を広い直す。
「む!」
塞ぐ直前、オマージュはまた声をあげた。
「お主らわかっておるな?」
「他言無用、鬼が来ても知らないと答えます」
「む! 宜しい!」
言って満足したのかオマージュはまた横になった。
ブラーが黙って蓋を閉め直すと、レットは深く深くため息を吐き出した。
「……で、誰なんです? 今の、オマージュさんは?」
「……この国のトップシークレットだよ」
レットは顔を両手で覆う。
「トップシークレットって」
「今のがなー新入り、この国の次の王様なんだよ」
「……つまり、王子様、なんですか?」
あたしの問いかけに、レットは顔を隠したままコクリと頷いた。
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