静かな湖畔の陽の光の下(6/8)

雲間の太陽が薄い輪郭を見せても、明るい光は[たいよう倶楽部]にまで届かない。

6つのタイヤチューブが細かくうねる波を受けながら、6人の体重を浮力で持ち上げている。

メンバーの思いとは裏腹に、いっちゃん丸の進みは遅れた。

およそ2メートルの間隔だったチャーポ号の背中が遠のき、「オーエス!」の掛け声が速度に反比例していく。

松本が振り返ると、真後ろの5班も難航しているようで、前後ふたつのいかだは必要以上の距離を作っていた。

すでに、湖岸の宿泊棟は小さくなり、オールを動かすにつれ、ブイに留まるガガ丸もシルエットを縮めていく。

晴れていたら、陽射しの反射で、透明度の高い湖の美しさがメンバーを勇気づけただろう。しかしいまは、垂れ込めた雲が湖底を隠し、強さを増した風が招かざる客を追い返す感じで幾多の波を作っている。

隊列の後方で、再びホイッスルが鳴った。

1秒の間を挟んで2回。

松本の前を行く、リーダーのチャーポが両腕で大きな丸を作り、手にしたオールで左方向をオーバーに指し示した。そうして、車がウィンカーを出す要領で、横向きにしたオールで宙を三度突く。

「奇数班のいかだは進行方法を南から東に変えて、岸に戻る」というシグナルだ。

松本が体を外側に傾け、深く挿したオールで力いっぱい漕ぐ。

「おいっ、コウタ、立つなよ!」

いきなり、ヒロキが怒鳴った。

その時。

いっちゃん丸が重心を変え、「あっ」という短い声とともに、水の弾き飛ぶ音が響いた。

小さな体が水中に下半身を沈め、水揚げされる魚みたいに両腕で激しく水を叩いている。

1年生のコウタが転落した。

落ちる瞬間に自分が座っていた板を蹴ってしまったのだろう。もはや、タイヤチューブに手が届かない距離で、口を開けたり閉じたりしている。

カナとミツキが揃って悲鳴を上げた。

全員の動きが止まり、バランスを欠いたいかだは水の流れに操られ、時計回りに90度ほど回転した。

松本とコウタの視線が直線で結ばれる。

ライフジャケットに守られてはいるものの、つぶらなふたつの瞳が恐怖におののき、跳ね上がる水が口の中に吸い込まれていく。

水面の下で暴れる両足は余分な力を生み、黒い頭がみるみるうちに5人のいかだから引き離されていった。

「ピィー」と、ホイッスルが長く強く鳴る。

シンタロウが飛び込んだ。

松本が飛び込んだ。

目標の手前で、シンタロウが水の中に潜り、数秒後、コウタの体を下から抱き上げる格好で水面に姿を現した。

そして、遅れ着いた松本がシンタロウからコウタを預かるかたちで、湖中の3人がひとかたまりになる。

5班の閻魔大王が平泳ぎで彼らに達すると、その後ろから鋭利な水しぶきが近づいてきた。

ガガ丸だった。ホイッスルを吹いた後、ライフジャケットを脱いで、一気に泳いできた。

「子供っちー、たいしたことねぇっぺ!」

息を切らしながら、総大将は立ち泳ぎの姿勢で高らかに笑った。


目をつむれば、たったいま見た夢のように、昼間の出来事が松本に甦った。

水面が割れ、深く暗い場所の湖底が揺れ、子供たち全員を呑み込もうとしている。

二段ベッドの下段で、タオルケットを被り、松本は体の向きを繰り返し変えた。エステル素材の枕と後頭部の相性も悪く、仰向けの姿勢が続かない。

キャンプ最後の夜、宿泊棟の四人部屋。

松本の上段では1年生のコウタが、もうひとつのベッドでは上級生のヒロキとシンタロウが寝息を立てている。

子供たちは20時ちょうどの就床時間を守ったが、しばらく寝つけなかったようで、つい先程、ようやく全員の呼吸が穏やかになったところだ。

枕元に置いた携帯電話で、松本は時刻を確認した。まだ、眠れないことに焦る時間ではない。

とりあえず、もう一度、目を閉じてみる。

ーー湖岸で、コウタが泣きわめいている。

溺れかけた怖さより、自分の失敗で「事故」の主人公になってしまったことが悔しくて哀しいのだ。

ガガ丸がコウタを抱き寄せ、「よっしゃ、よっしゃ」と言いながら濡れた髪を撫で、自分の頭に巻いていたバンダナを彼の頭に移し替えた。その後で、ライフジャケットを片づけていたシンタロウにも近づき、コウタにしたのと同じようにしっかり抱きしめる。

シンタロウの背中側にいた松本は、中腰姿勢になったガガ丸と向き合う位置で、思いがけず、総大将の目に浮かぶ涙を見た。



(7/8へ続く)

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