静かな湖畔の陽の光の下(4/8)

例年どおり、たいよう倶楽部のキャンプ2日目は山登りだ。

全員が朝の8時にキャンプ場を出発し、午後3時に戻るスケジュールになっている。

登山と言っても、標高500メートルの山の中腹がゴールで、1年生でも脱落者の出ないコースになっている。

出発前に、松本は常備していた頭痛薬をこっそり飲んだ。

昨夜は自班の男子3人と寝袋を隣り合わせたが、なかなか寝つけなかった。リーダーが子供より早く眠ってしまうのは問題だ。しかし、睡眠不足は翌日に影響する。それを分かっていながら、神経の昂りが眠りを遠ざけてしまった。


真夏の強い陽射しをクロマツやハンノキの緑が和らげて、子供たちは熱中症にかかることなく、山道を往来した。

珍しい野鳥・希少な草花・葉陰のカミキリ虫……都会で暮らす子供にはすべてが新しく、「自然」という大浴場で五感を浸からせた。

そうして、事故もトラブルもなく、一行49人は予定時間から10分だけ遅れて宿泊棟のラウンジに戻った。

半日の山歩きで、誰もが疲労の色を浮かべている。

トイレタイムが済むと、ガガ丸はキャンプ場の真ん中に全員を集め、入道雲を動かすほどの大声で自作の替え唄を披露した。

「静かな湖畔」のメロディに各リーダーのキャラクターを乗せ、ベテランリーダーのチャーポいわく、去年より笑いを取りながら、輪唱曲を独唱してみせた。

夕食は班ごとのバーベキューで、ガガ丸の歌のフレーズを借りれば、「新年に翌年分の初夢を見る、用意周到のいっちゃん」は、調理の仕切り役にシンタロウを任命した。

けして、場当たり的な考えではない。

山登りの最中に、シンタロウが明るい表情を見せたからだ。

休憩所で、ガガ丸が彼の肩を何の気なしに揉んだとき、帽子のつばを下げて、たしかににっこり微笑んだ。

「いいかい、ヒロキもコウタも、シンタロウの指示に従うんだよ。焼いた肉を早いもん勝ちで食べないこと」

炭に火をわたらせながら、松本が柔らかな口調で命じる横で、当のシンタロウは表情を変えず、配給された野菜と肉をトレーに並べている。

鍋奉行ならぬ鉄板奉行になりたかったヒロキは、そんな上級生を一瞥して、膨れっ面で1年生とじゃれ始めた。

西陽はまだ少しだけ残っていたが、芝を照らす4機の照明に灯が点り、食べ物を前にした子供たちのはしゃぎ声で、湖畔がお祭り騒ぎになっていく。

バーベキューのメインは焼きそばだ。煙を上げる鉄板にコウタが豚肉をぶちまける。それをヒロキが菜箸でばらし、シンタロウがスパチュラでまんべんなく炒めていく。ニンジン・キャベツ・タマネギ……刻んだ野菜を女子ふたりが投入して、最後は麺担当のリーダーの出番だ。言葉数は少ないものの、シンタロウは全体に気を配り、与えられた役目を忠実にこなしていった。

「せんせい!」

突然に、コウタが松本のシャツを引っ張った。

「ぼく、大盛りにしてよ、先生!」

「先生、オレも!」

松本は手を止めて、ふたりをまじまじと見た。

職業を子供たちに明かしていなかったのに「先生」と呼ばれた。

悪意のない、純粋な瞳だった。

「……あー、いっちゃんって、たしかに先生っぽいね!」

鉄板の向かい側で、カナが応じる。

「せんせ、せんせ!」

「せんせ、せんせ、せんせ!」

ヒロキを先頭に、シンタロウ以外の4人が手を叩きながら応援団のエールみたいに囃し立てる。

「せんせ、せんせ、せんせ、せんせ、せんせ、せんせ」

それぞれの発声が揃い、徐々にリズムを速め、ついには大きなコールになった。

隣りの班が呆気にとられた視線を向け、松本の顔がにわかに熱を帯びる。動悸が激しくなり、血流が体の細部末端へ急ぐ。

水分を吸った鉄板がジュっと短い悲鳴を上げ、折からの風がテントの屋根を揺らすと、シートのたわみが乾いた音を立てた。


日中の疲れで、その晩、ヒロキとコウタは早くに寝静まった。

テントの開口部に近い場所で、松本は天井を見つめる。

反対側の端で、シンタロウが息を吐き出した。ため息ほど深くなく、寝息ほど浅くなく、何かの思案が塊になって空気を押し除けた感じだ。

松本は身を潜めて、眠ったふりをした。

シンタロウが集団行動に馴染めないのは性格のせいだろう。内向きな資質を改めようと、親がキャンプに無理やり申し込んだにちがいない。

目をつむりながら松本は、班のリーダーとして、ボランティアの一員として、「せんせ」として、どうすることも出来ない自分の無力を思った。

「まぁ、社会に出て3年目くらいは、誰でも、どんな仕事でも迷うもんだよ」

ふと、上村の言葉が松本をよぎる。

漠然とした不安ーー。

風がテントに吹きつけ、ビー玉ほどの虫がシートの外側に舞い降りたのが見える。その黒い影は、レントゲン写真に映る病巣のように、松本の目に映った。


キャンプ3日目の朝。

一台の中型トラックがエンジンを唸らせて、敷地に入ってきた。

高原を見下ろす空は、快晴続きだった毎日と色を替え、濃淡ある雲の塊に支配されている。

ラジオ体操から朝食へ続く日課を受けて、ガガ丸とリーダーと子供たちは全員が宿泊棟の中にいた。

トラックが着いたのは、「ごちそうさまでした!」と、皆が声を揃えた時だった。

ガガ丸は、後片付けする子供たちを再び席につかせ、手引きに書かれた約束事をリーダーに音読させた。共同生活の3日目ともなると、リーダーと子供たちが馴れ合いの関係になってしまうからだ。

それから、屋外に開放された子供たちはテントに向かい、めざとい何人かが宿泊棟の東側にタイヤチューブを見つけて、「わぁ」と声を上げた。

トラックが配送してきた物だった。

タイヤチューブは8列に6個ずつ積み上げられ、その傍らに角材やロープも置かれている。

新しいキャンプ用具に向かって駆け出そうとする子供たちをホイッスルが制した。

「子供っちぃ、集合~!」



(5/8へ続く)

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