静かな湖畔の陽の光の下(3/8)

方位磁石の動きをチェックし、赤白のフラッグを木の枝に括りつけ、ロープと手書きの標識でコースを作っていく――リーダー8人は、キャンプ最初のプログラムとなるオリエンテーリングの準備を手際よくこなしていった。

松本以外は全員が大学生で、如才なく話し、快活に笑う。

参加2年目の4人は、もはやボランティアのエキスパートで、敷地内を無駄なく動き、松本ら新人リーダーたちを丁寧にリードした。お互いの年齢やプライベートを聞かないのが暗黙の了解のようで、子供たちに併せてニックネームで呼び合っている。

25歳の「いっちゃん」は、童顔で小柄なこともあり、見た目は大学生とほとんど変わらない。

「いっちゃん、そっち側持って~」「いっちゃん、それ、ナイスアクション!」「足もと、気をつけてね、いっちゃん…」

松本は久しぶりに心地よい汗をかいた。はじめは不慣れだったが、運動不足の体が悲鳴を上げるくらいに足腰を動かし、笑顔を意識してリーダーの輪に入っていった。

ゲーム形式のオリエンテーリングは、そんな大人たちの期待以上に子供どうしで盛り上がり、ストップウォッチを手にしたガガ丸は「がんばれ!東北」とプリントされたTシャツで走り回った。

松本の3班は、他の班の勢いに圧(お)されがちだ。

3年生のヒロキはリトルリーグのキャプテンで、1年生のコウタを子供扱いしては皮肉めいたことを言う。2年生の女子ふたりーーカナとミツキはしっかり者で、精神年齢はまるで高学年のよう。彼ら彼女ら4人は「いっちゃん」に寄り添い、分け隔てないが、4年生で最年長のシンタロウだけは違っていた。いつも一歩下がった場所にいて、自分からは口を開かない。太陽が方向を変え、テント作りの時間になっても、その様子は変わらなかった。


「みんなで協力すれば、すぐに出来るよ」

言いながら、用具一式を芝の上に拡げる松本に、「いっちゃん、テントなんか作ったことあんの?」と、ヒロキが訝し気な目を向け、ポールを両手に持ったコウタがカニ歩きで興奮している。女子ふたりが肩を並べて完成見取図を見つめる傍らで、シンタロウは、テントの設置場所に小石が落ちていないか、妙な凸凹がないかをひとり黙々と確かめていた。

軍手を着けた右の甲で、松本は額の汗をぬぐい、周りの班の進行状況を横目で見る。

閻魔大王チームは、作業が早いうえに組み立て手順が他の班と異なり、地面にペグを打つ前にインナーテントの立体化に取り組んでいた。男子たちが「せーの!」の掛け声でドームを作り上げていく。

松本はシンタロウを助手にして、女子が拡げたグラウンドシートを引っ張りながら、四隅にペグを打っていった。

「こういうの、初めてかい?」

リーダーに問いかけられたシンタロウは顔を背けたまま首を振り、何も言葉を返さない。黙って作業することが美徳とでも言いたげに、手だけを動かし、眼差しを前髪で隠している。

やがて、直径2メートル半の4人用テントが完成すると、シンタロウ以外の5人は手を叩いて喜び、感情を素直に表した。

そこかしこでも歓声が上がり、野外キャンプならではの作業が終了に向かう。

やがて、南北に連なる山々が湖を縁取るかたちで稜線を重ね、いちばん窪んだ部分にオレンジ色の太陽が吸い込まれていった。


夕食が済むと、松本たち6人は、自分たちのテントでフリータイムを過ごした。

「いっちゃん、おでこが禿げてるよ」

ランタンに火を灯し、グループで円くなると、ヒロキが開口一番に言った。

松本の眉間の皮が日焼けでめくれている。

1年生のコウタが、「いっちゃん」に覆い被さる格好で、消しゴムのカスに似たそれをつまみ上げ、女子に投げつけた。

「やだー、きたなーい!」

カナがのけ反り、「こっちに投げんなよー」と、ヒロキが体をくねらせる。

松本は、テントの中に響く自分の笑い声に驚いた。

声を出して笑う――この前は校舎の中だったか、プライベートの時間だったか……その記憶がはっきりしない。友を待ち、自分の職を疑い出してから、まともに笑った記憶がなかった。

「いっちゃん、トランプしようぜ!」

坊主頭を掻きながらヒロキが提案すると、「ぼく、しんけいすいじゃくしたい」と、間髪入れずにコウタが続ける。

そうして、子供たちのリクエストにひととおり付き合ったあとで、松本は宿泊棟へ向かった。

就寝前にリーダーたちが集い、一日の反省と明日の予定を確認する段取りだった。

総大将のガガ丸は、昼間と変わらない溌剌さで、まず、8人の労をねぎらい、キャンプ2日目となる翌日の成功を願った。それから、にわかに声のトーンを低くして、夕方に関東地方で地震があったことを伝えた。

「こっちでも地震があるかもしれない。テントの中でも、いつでも、ケータイをつながるようにしといてくれ」



(4/9へ続く)

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