静かな湖畔の陽の光の下(2/8)

キャンプ出発の前々日、強い陽射しに体を慣れさせておこうと、松本は自宅のベランダで仰向けになった。

30分程度のつもりが、睡魔に襲われ、気づいたときには、肩や腕が軽度の火傷くらいに色を変えていた。

そうして、思いがけない眠りは重たい夢を連れてきた。

待ちわびたメールを職員室で受信し、午後の授業を放り出して、友(トモ)に会いに行く夢だった。

どこかの鍾乳洞に潜む友が、誰にも見つからないように松本と再会した。

「イチ、この子のことなんだけどな」

古新聞に包んだ書類の中から一枚を抜き取り、友はそれを松本に差し出した。

「オレの指導の仕方が間違ったらしいな……」

友がポツリと言った。

書類は入学願書らしく、蟻の行列みたいに小さな文字が連なっている。

「そうなんだよ。この子のお前の高校への進学を薦めたのはオレにちがいない………いまとなっては申し訳ない」

松本の言葉に、友はかぶりを振った。

頭上にある巨大な鍾乳石が絶え間なく水滴を落とし、お互いの髪を濡らしている。

「高校に入ってから急に生活態度が変わってしまう子もいる……それに、オレたちは親まで指導することはできないからな」

うつむき加減にそう言うと、友は暗闇の中で忽然と消えた。


七月の最後の土曜日は、ブルーに染まった夏空のキャンバスに、姿を見せたばかりの太陽が全方位で光を発していた。

早朝の新宿駅西口。

赤いポロシャツにブルージーンズ姿の加賀哲丸の挨拶で、たいよう倶楽部の夏のキャンプが始まった。

集合場所には子供たち40人の母親や父親らが集まり、ロータリーから幹線道路に出る大型バスを手を振って見送っていく。

加賀は「ガガ丸」という自称に合わない教育者然としたオーラを放ち、白髪を染めた髪は年齢にそぐわないボリューム感で若々しさを保っていた。とても還暦過ぎには見えず、働き盛りの教務主任といった風貌だ。

キャンプの参加者は小学2・3・4年生がほとんどを占め、女子は男子の人数のちょうど半分だった。

やがて、一行がキャンプ場に到着すると、ガガ丸は子供たち全員とハイタッチし、大きく見開いた目で奇妙な雄叫びを上げてみせた。子供のテンションを上げるサービス精神というより、イベントの始まりを自分自身がいちばん楽しんでいる感じだ。

「おーし! 子供っちぃ、集合~!」

ガガ丸の野太い声と同時に、ボランティア2年目のリーダーが胸にぶら下げたホイッスルを鳴らした。

広大な敷地で四方八方を駆けていた子供たちが、芝の上に置いていた自分のリュックをめがけて戻ってくる。

キャンプ場は真新しいカントリークラブふうに隅々まで整備され、刈り揃えた芝の北西側に拡がる湖は、陽の光を水面に受けながら、細かな波を立てていた。敷地内にある宿泊棟はレンガ色の屋根で、避暑地の洋風ホテルに似た外観だ。開け放たれた窓が、湖上を吹き抜けてくる西風を部屋へと誘(いざな)っている。

東京の暑さほどではないが、雲ひとつない晴天のキャンプ場にも、大量の紫外線があますことなく注いでいた。

「んじゃ、班を発表すっからなー」

ガガ丸の一声を合図に、8人のリーダーが子供たちの前に横一列で並び、多少オーバーに「気をつけ!」の姿勢をした。

台本どおりに演じられる芝居ふうに、ガガ丸が子供の名前を5人ずつ区切って呼び、その後で、班担当のリーダーをニックネームで紹介していく。

プーコ・閻魔大王・チャーポ……リーダーは個々のニックネームを持ち、キャンプの間はそれを使うのがルールになっていた。

「いっちゃん」の呼び名で3班を受け持つことになった松本は、あらかじめ手渡された班メンバーのリストで5人の子供をゆっくり確認した。

男子は4年生と3年生と1年生がひとりずつ。女子はふたりとも2年生だ。

「いっちゃん!」

あどけない1年生がいきなり叫ぶと、坊主頭の3年生が松本のお尻を強くビンタした。

そうして、とまどう「いっちゃん」を見て、してやったりの表情を浮かべながら、お笑いタレントの一発芸を披露する。

松本を最年長としたリーダーたちが、さまざまな場所で子供に囲まれ、5分もしないうちにキャンプ場は賑やかな声でいっぱいになった。

野球帽を脱いで水筒を傾ける男の子。リュックの中を確認する女の子。

ガガ丸からリーダーへ、リーダーから子供たちへ的確な指示が伝えられ、小さな軍隊さながらに、40人が与えられた時間の中で決められた行動を取り始めた。



(3/8へ続く)

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