エピローグ

「まあ、大体は元通りになったか」


 剥き出しのコンクリにソファと机が配置されただけの、殺風景な部屋をクラウは見回した。吹き飛び凹んだドアや床の大穴の影はすでにない。刺客ディーグが刻んだ暴虐は、既にその痕跡も残していなかった。


 もっとも、部屋の持ち主に関しては違ったが。


「くそ、不便だなこれ」


 サンコーポ製の珈琲メーカーは、右手一本・・・・で戦う相手としては中々に手ごわい。もう一方の手は、首から吊り下げられた白い三角巾に収まっている。


 恨めしく思う気持ちもないではないが――木端微塵に骨を粉砕された左腕が、(高めの医療費と)全治二週間の怪我で済むのだから文句もいえない。現代魔術万歳。


 日頃何気なく行っている動作も、片手では驚くほど難題だ。簡単な朝食を作るのに小一時間かかり、食べるのにまた一時間かかったときはさしものクラウもうんざりした。


 ……シルヴィアは邸宅うちで面倒を見る、などと言っていたが、承諾したら尊厳というか何かが失われてしまう気がして断った。



 応接用の椅子に座り、湯気の立つカップを置いてから新聞を手に取る。日付を見てほうと息をついた。


「――あれから一週間か」


 めくられた三面記事には、『〈勇者〉、市長賞を授与』の見出し。





 ――魔術世界の破壊を目論むメジェドとの戦いから、一週間が経った。地下アンダーでの死闘などこれっぽちも知らずに、ロンドニドムスはその営為を続けている。人々は日常を謳歌し、魔術製品は日夜生産され、消費されている。


 先端都市を包む活気は、一かけらたりとも失われていないように見える。



 だからといって、あの男が遺したものが、その傷跡が何も残らなかったわけではない。




 見出しの横には白黒の写真が載っていた。念写機カメラで鮮明に残されたその記録には、貴族らしい上品な礼服に身を包んだシルヴィアといかにも政治家といった風情の中年とが並んで立っている。二人の儀礼的だが完璧な笑顔から視線をずらせば――


「うわ、ひどいな……」


 ぎこちなく直立する青年の姿。その背広は、着ているというより着てもらっているというのが合っているほどに格が違う。まあ、借り物だから仕方ない。首から吊った左腕も、みっともなさに大きく貢献している。


 誤って社交界に入ってしまった使用人のような男の名は、クラウ・アーネスタといった。




 市長賞の授与式は三十時間ほど前にさかのぼる。シルヴィアに付き添いを頼まれたクラウは、なんとか服を借りて市庁の広間ホールにやってきていた。魔導ラジオの職員やら新聞記者やらが着々と準備を始めていて、なんだか怖くなってくる。


 いや、まさか。自分がいわゆる「会見」の場に入ることになるなど、まったく予想していなかった。


 簡素な椅子に座るクラウを見下ろすシルヴィアは、やけに楽しそうだ。


「どうした、魔獣の群れに囲まれた駆け出し魔術師のような顔色だぞ」

「魔獣なら苦労しないって……」


 呪弾をぶちかますわけにもいかないのだから。落ち着かなさのあまり、先ほどから腰裏のホルスターに何度も触れているが、まるで安心できない。


 そもそも、山間の寒村出身の人生では、これだけの注目を浴びることなどなかったのだから。ありていに言えば、死ぬほど緊張している。


 組んだ手が小刻みに震えているのを見て、シルヴィアはため息をついた。


「今後のことを考えると、こういう場面にも慣れてもらわないと困るな」

「は? それって、どういう――」


 その問いかけが終わる前に、ホールの入り口で人の動く気配がした。室内の視線を集めているのは、ゆったりとしたスーツに身を包んだ中年の男性。


「やあ皆さん、お勤めご苦労さまです」


 柔和な声はしかし、不思議と大ホール中に響く。にこにこと人当りの良さそうな笑みを浮かべてこちらに歩いてくる男は、この街の複雑怪奇な権力争い《パワーゲーム》を渡りきる海千山千の政治家だ。


「――ごきげんよう、市長殿」


 そんな怪物に、シルヴィアは物怖じ一つせず話しかけてみせる。


「こんにちわ。此度のご活躍に、全市民に代わってお礼を申し上げます」

「いや、わたしは魔術屋として当然の責務を果たしただけだ。礼が欲しいわけではない」


 薄く笑うシルヴィアに、市長の目が一瞬光を放つ。


「まさか、それほどに無欲な方だったとは。――それでは何を望むのか、ワタクシ僭越ながら気になりますなぁ」


 それはなんでもない会話のようでいて、どこか危うさを漂わせていた。クラウは当事者でもないのに、足元が凍った湖面になっているかのような不安さを覚える。


 クラウには理解できないが、これはいわゆる、「政治的駆け引き」とやらではないか。


「ひとまずは市長賞で充分といったところです。名声を得るのは魔術師の誉れであり、それはわたしの望むところではありますが――」


 そこで彼女は言葉を切り、何故かクラウの方を見る。背筋をびしりと伸ばすのを認めると、シルヴィアは微笑んで市長に視線を戻し、


「性急になる必要もない。まずは自分のできる部分から、ということです」


 その表情を見て、市長を目を丸くする。それは思わぬものを見たという顔であり、クラウの知る限り始めて、市長が素の感情を表に出した結果だった。


「……なるほど。それは、立派なことですな」


 そう呟いた市長は、娘の成長を目の当たりにしたかのように柔らかに歯を見せていた。


 どうやら、うまくいったらしい。政治的機微のまったく理解できないクラウがほっと胸を撫で下ろした、そのとき。


「ところで、そちらの青年は? お連れのようですが」


 会話の矛先がこちらに向いた。


「――は、はぃ」


 勢いで立ち上がったはいいものの、声が喉を通ってこない。というか、発すべき言葉がわからない。市長だけでなく、なんだか記者たちの視線もこちらを向いているような。頭が真っ白になる。


 鉛人形になったクラウを見かねて、シルヴィアが助け舟を出した。


「ああ、これは――わたしの近衛騎士です。いや、予定ですが」

「――――――――へ?」


 助け舟かと思ったら、爆弾だった。


「ほう、近衛ですか。確か貴女はまだ持っていなかったと記憶しておりますが」

「ええ。ですが、この街で必要だと思いまして」

「それはそれは。ワタクシも良い機会だと思いますよ」


 事態を飲み込めないクラウを置いてきぼりにして、会話は進んでいく。何故だかさっきのそれよりも数段和やかだ。


「ちょ、ちょっと、失礼しますよっ」


 シルヴィアの手を引っ掴んで舞台裏に駆けこむ。混乱した脳ではそれでもかなり失礼だとは気がつけない。


 荒れた息を整えていると、シルヴィアは意味不明にも胸を張っていた。


「どうだ、わたしの社交コミュ力は。凄いだろう」

「何言ってんだ……」


 褒めろと言わんばかりのドヤ顔だった。いや、問題はそこではなく。


「俺が近衛ってのはどういうことだ? その場のしのぎのアレだよな、そうだよな?」


 懇願にも近い問いに返ってきたのは、


「いや、事実だが」

「聞いてねえ!」


 叫んだ。この世の不条理への鬱憤とか何やら、色々篭めて叫んだ。


「む。まだ伝えていなかったか」


 魂の咆哮にも、シルヴィアはどこ吹く風。その様子を見てようやく、これは冗談などではなく、彼女は本気で言っているのだと気づく。


「待て待て待て。冷静に考えてみろ。俺が、近衛?」


 近衛騎士――要するに、貴族直属の部下だ。いや、騎士ナイトというのは大方が貴族の保有する兵だが、近衛となると意味合いが違ってくる。単なる軍人と、親衛隊ロイヤルガードほどに格が違う。


 それほどのポストであるのだから、近衛の質の如何は必然的にその貴族の沽券に関わってくる。


 だから、


「俺は一介の魔術屋で、しかも魔術師ですらないんだぞ」


 魔術師未満の、魔術使いにして呪術師。血統を重視する魔術貴族の間では、よくて嘲笑の的だ。


 自分を卑下しているわけではない。もうどうしようもないけれど、それでもそれが自己というものだと、胸を張っていける。


 だが、自分でどう思うかと、周囲の目は別のことだ。


「そんな男を側近に置くなんてな――」

「関係ない」


 断言されて、言葉に詰まった。

 少女の瞳に、澱みはない。ただただまっすぐに、こちらを見つめている。


「わたしにはクラウが必要だ。何度も助けてもらったし、信頼できるとも思っている。今回のことでも・・、命を救ってもらった。だから――わたしの騎士になってくれ」


 それに報いるには、まだまだ足りないけれど。今できることとしては、これが精いっぱいだと。少女は何のてらいもなく、そう言ってのけた。


 そんな言葉を向けられては、否定などできようはずもない。救ってもらったなんて言うけれど、救われたのはこちらの方だ。クラウが何よりも欲しかったものを、彼女は最初から預けてくれていた。


 それに応えずして、どうして魔術屋をやっていけようか。


「……後悔するなよ? どうやら俺は、結構な厄ネタらしいからな」


 おどけてみせると、少女は軽やかに笑った。


「それはそれでいいハンデだ。わたしにとっても、クラウにとっても」

「言うじゃねえか」


 二人顔を見合わせて笑う。気分がいい。怪我なんて、まるでないかのようだ。


 と、シルヴィアがとんでもないことを言う。


「――よし、それでは早速叙勲式といこう。ちょうど、人も集まっていることだし。いや、この機会だからこそなのだが」

「……な」

「なんのために呼んだと思っている。上等な服まで用意したのだぞ」

「待て待て待て待て! 腕、腕引っ張るな! おい、やっぱ今のなし、なしだから!」




 珈琲を啜りつつ紙面を追っていく。結局、クラウの叙勲に関しては記事の中でちらりと触れられているだけだ。あまりにも念写映えしない風体だから仕方ないというべきか。むしろ助かっているというレベルだが。


「……お」


 なんとなしに覗いた次のページにはサンコーポの文字。気になって内容を確かめてみる。


 霊薬サプリ開発の非人道性が摘発されたかと一瞬だけ期待したが、そんなものはなく、此度の騒動の責任を取る形で、経営陣の大半などが辞任したということが小さく書かれていた。その中には、警備責任者だというディーグやマリアの名前もある。


「とりあえず、名目上にしろ警備責任者というにも無理があるだろ、あいつは」



 サンコーポの霊薬流失を発端とする一連の騒動を完璧に隠蔽するには無理があった。なにせ、大手銀行や警察署までが被害にあったのだ。なるべく事を荒立てまいとする市長でも、サンコーポに責任を負わせざるを得なかった。


 が、企業連合メガコーポとしては自身の違法研究を隠しておきたい。これが表沙汰になれば、厄介なことになるのは目に見えている。


 そういう利害を勘案した結果として、『警備の不備による霊薬のテロリストへの流失』という筋立てができたのだろう。これはクラウの想像にすぎないが、いい線だと思う。


 結果としてのしっぽ切りだ。トカゲの大元はのうのうと暮らしている。クラウとしてはやや腹に据えかねるが、シルヴィアへの市長賞もカモフラージュの一環であることを考えると、こんなものかとも思う。


「まあ、霊薬あれの製造も止められたっぽいしな」


 そこらへんはシルヴィアが暗躍したり、匿名の民間人・・・・・・からの情報提供を受けた警察の手が入ったりしたらしいが、クラウの管轄ではない。



 基本的にこのろくでもない街は変わりがないし、クラウの生活も変わらない。今はちょっとした休養期間だが、シルヴィアが魔術屋を続けていく以上、クラウもまた魔術屋をやっていくのだろう。


 ――と、少しばかり感傷に浸っているところに、騒々しい足音が階段を駆け上ってくる。


「客か」


 残念ながら、今は休業中。申し訳ないがお帰り願おうと席を立った直後、留め金が外れる勢いでドアが開け放たれた。壁に激突して嫌な音が鳴る。というか、ちょっと形が歪んでない?


「やはりここにいたか」

「……なにしてんだ」


 頭痛を堪えながら、主であるところの少女を見る。

 平然な顔をしているシルヴィアと――肩で息をする、見覚えのあるブロンドの女性。確か、サンコーポの錬金科に勤めるバーナードと言ったか。


「依頼を受けて――」

「上に逃げたぞ! 急げ!」


 説明を遮るように、下から怒号が聞こえてくる。明らかに堅気ではない暴力性を孕んでいた。


 シルヴィアは素早く振り返って剣を抜くと、凄まじい速度で術式センテンスを構築する。


「まずはバリケードだな」


 脚でドアを無理矢理に閉めると、瞬く間に氷漬けにしてしまう。クラウが制止する間もない、見事な手際だった。


「……修理費は後で請求するから、説明してくれ」


 見ればバーナード女史は息も絶え絶えと言った様子。ここまで全力疾走してきたのか、それとも追われている恐怖ゆえか。


「時間がないので簡潔に――」轟音。氷の壁となったドアが揺れる。何かしらの魔術攻撃を受けていた。「要するに、マフィアどもの報復だ。やつらにも面子があるらしい」

「報復って言われてもな……」


 首をひねる。クラウやシルヴィア、ましてやバーナードが何をしたというのか――。


「って、メジェドのやつか」

「うむ」


 思い当たる節があった。ここにいる全員が例の事件の関係者だ。そしてメジェドは、力づくでマフィアどもを従えていた。要するに、彼らの勢力図を滅茶苦茶に塗り替えてしまったのだ。


 威厳を潰されてしまった彼らとしてはその張本人を血祭りにあげたいが、既に消えてしまった後。となれば、次に狙うとすればその関係者というわけだ。


「にしても、考えが頭悪すぎる」

「まあ、わたしとしては歓迎だが」

「言ってる場合かっ」


 こんな状況でもシルヴィアは平然としている。むしろ、次なる戦いに胸を躍らせている。

 というか、メジェドを討ったことで名を上げたシルヴィアは、さらに狙われているのではなかろうか。


 ディーグたちもサンコーポを離れてフリーの魔術屋になったらしいが、彼らにも刺客が差し向けられているだろう。まあ、クラウの心配はいらないだろうが。


 彼女の背後、扉を見やる。数回の衝撃を経て、かなり大きな亀裂が入っていた。今にも崩れそうだ。


「となれば、さっさと逃げるぞ。また狙撃されちゃたまらんからな」


 どうやら、療養後の初仕事は逃亡戦になるらしい。締まらないことだ。


 さっさと魔導拳銃マギカショットを手に取って窓ガラスを蹴り割る。費用を気にしている場合ではない。


 下の路面を確認。数人が待ち構えているが、すぐに片付くか。背後を向く。


「この通り、俺は片腕が塞がってる。バーナードさんを頼むぞ、シルヴィア」


 ドアを隔てて怒号が止まない。かなりの人数が押し入ろうとしている、そんな危機的状況で、シルヴィアは嬉しそうに微笑んでいた。


「ああ。よろしく頼むぞ、わたしの騎士よ」

「――おう」


 不敵に笑ってみせると、彼女も力強く頷いた。


「では、まずは行くぞ、バーナード某!」

「わ、わたしはまだ――」


 抗議の言葉も聞かずにシルヴィアが窓から飛び出す。遅れじと、クラウも跳躍した。背後では一際大きな炸裂音。生死の瀬戸際、鉄火場だというのに、唇には笑みが浮かんでいる。


 ロンドニドムスの街は、今日も変わらない。






「では、誓いの言葉を」

「――我がつえ、我がたましいにかけて貴方に仕えよう。力の及ぶ限り、どこまでも、いつまでも、この身の朽ち果てるまで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔術屋主義者の事件手帖 プランB @planB

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ