決着

 炎の波をかいくぐるようにして現れた男は悪鬼の形相。信じがたい速度でこちらへと猛接近してくる。


「喰らえっ」


 シルヴィアが斬りあげるように振りかざした剣先から術式が展開。三首竜を模した水流が疾走する狂獣へと殺到する。


 が、


「無駄だ」


 魔剣一閃。

 紫色の魔眼の前では、術式の『核』は差し出されているも同然だ。


「これじゃ、相殺魔術カウンターマジックを使われてるのと変わらんな……!」


 呟きつつ呪弾を撃つ。術式に拠らない呪術攻撃は魔剣の『殺害範囲』外だが、メジェドは易々と躱してみせる。


 魔術を封じた意味がない――そう言おうとして、すぐそばの魔力の爆発的高まりに気がついた。


「シルヴィア」


 見れば、少女の身体を覆うようにして蒼い燐光が煌めいている。不可視の力、何らかの超常的存在をその身に降ろしている。――概念魔術。


「先ほどは封じられたが――時間稼ぎにはなる」そこで片目を瞑る。「贅沢な時間稼ぎだ、上手く使え」


 祈るように組まれた手から天に伸びる銀剣。古来より伝わる雨乞い師としての血が霊媒となり、形而上の力を宿す。


「往くぞ――『流騎剣ブレイドソーサリ』」


 シルヴィアが地を蹴り出す。流麗としか言いようのない滑らかな動きは、すぐ近くにいたクラウにも動作の起こりを悟らせなかった。


 明らかに、〈激流〉のそれとは違う。


「――」


 声もなく、音すら立てずにシルヴィアが駆ける。速くはない。滑るような、流れるような継ぎ目のない一連の動作が、彼女の動きを目で追えないものとしていた。ここにいたかと思えば、既に一歩進んでいる。それに追いついたと思えば、さらにもう二歩進んでいる。その様は激流よりもむしろ、さらさらと止めどなく流れる小川を想起させた。


 気づけば、シルヴィアはとっくのとうにメジェドの前に立っていた。まるでようやくその姿を目にしたかのように、男が目を真ん丸に見開く。


 銀剣が振るわれる。重さも鋭さも速さはない斬撃はしかし、確実にメジェドの身体に届いていた。


「グッ――」


 鮮血が飛ぶが、浅い。反射的にメジェドが剣を振るった先に少女はいない。さっと飛び退いて横からの追撃を躱す――が、着地先に滑り込むようにしてシルヴィアが剣を構えている。


 踊るように流れるように。少女の剣がメジェドの皮膚を掠めていく。反撃に振るわれる強烈な剣はしかし、水面を割りこそすれど流れを堰き止めるには至らない。


 シルヴィアの新たな魔術が、メジェドをゆっくりと追い込んでいた。


「これは、……?」


 メジェドは魔剣を振るって剣撃を弾くが、そこに手応えはない。いや、手応えというより反発がないのだ。水を押しのけようとしても手がただ沈んでしまうのと同じように。


 まるで空振りしたかのようにメジェドは姿勢を揺らす。それでも姿勢を崩すとまでいかないのは彼の並外れた技量を示している。



 ――だが、それは充分な隙だ。例えば、呪弾を撃ちこむには。


 敵の意識の外、側面へと回りこんだクラウの魔導拳銃マギカショットが火を噴く。




「……っ」


 舌打ちも漏れない。当てた確信があったはずなのに、避けられた。

 呪弾は確かにメジェドに直撃する軌道だった――ただ、奴の反応速度を甘く見積もり過ぎていた。超速の斬撃は、三発の呪弾を全て斬り捨てていた。


 それだけではない。


「しまっ――」

「シルヴィア!」


 同時に足元から花弁が開くように岩の長城が男の背後百八十度からせり出している。シルヴィアは、封じられたのか。清流にすぎないモノでは、堅牢な城劈をすり抜けることはできない。


 概念への対抗概念カウンター。止めどなく流れるならば、堰き止め閉じ込めてしまえば、後は腐らせるだけか。




 ――閉じていく岩の裂け目から、視線を受ける。強い信頼の色に、意図を込めて目線を返した。




 それを遮るように、メジェドが立ちふさがる。


「二度目が通じないのなれば、三度目が通じる道理はない」

「くそっ――」


 必死にバックステップを踏む。同時に爆炎呪弾を放った。



 この男、シルヴィアの概念魔術を視た直後から、一切躊躇わずに対抗術式を構築し始めやがった。その攻勢を自分の技量一つで乗り切ることに、あの一瞬で賭けたのだ。


 その戦術眼と胆力、そしてそれを裏付けする実力に戦慄する。


「これだから、天才とかそういう人種ってのは……!」


 頭が一瞬、内側から膨らんだかのように錯覚する。鈍痛はもう痛みとは別の領域にまで進んでいた。それにつられたのか、視界にもやがかかったように霞む。


 あるいは、とクラウは歪んだ視界の中で考える。奴の脳との『接続』によって、クラウの脳が変異しているかもしれない。魔導野が自然には不可能だとされていた、魔術言語への適応を始めている、とか。



 そうだとすれば、この戦いを続けることで、クラウは魔術師になりうるかもしれない。何年も憧れてきた、あの幻想ユメに手が届くかもしれない。



「――だから、どうした!」


 憧憬を振り切るように呪弾を連射する。視界は既に正常に戻っていた。爆炎に向かって爆炎を叩き込む。


 その炎幕を切り裂くように、クラウの予想通りにメジェドが駆け抜けてくる。右手には禍々しい魔剣を、左手には形状を崩壊させつつある土くれの大盾を携えている。あれを魔術で構築して、呪弾の爆風を防いだのか。


 ただ、それだけで完全な防御ができるわけもなく。メジェドの身体のあちこちは浄化の炎で焦げ付いている。


「貴様が邪魔だ、クラウ・アーネスタッ!」


 犬歯を剥き出しにした男が吼える。生存競争を生き抜こうとする獣のように。


 メジェドはこの瞬間、クラウを潰すために負傷のリスクを冒したのだ。絶対的な優位など投げ捨てて。こちらの乾坤一擲の策を見抜いて。自身の全身全霊を尽くして、クラウを打倒しようというのだ。


 だから、クラウもまた、己の全存在を賭して叫ぶ。


「上等だ。あんたを――倒す!」


 逃げるのはもうやめだ。バックステップから前進に切り替える。拳銃の内部の弾数を手の重さで確認――残り五発。


 奴が魔剣を一振りするだけで、クラウの頸は呆気なく落ちるだろう。剣の間合いならば、クラウに勝ち目はない。


「行くぞ……っ!」


 残り少ない呪弾を惜しみなく使い、それをもってメジェドの剣を封じる。それしかない。


 鉄杭呪弾いっぱつめはいとも容易く斬り払われるが、それで一瞬の猶予が生まれる。虎穴を潜り抜けるような心地でメジェドの懐に接近。


「死ね」


 すかさず突きこまれる膝。魔獣の筋力を得たその一撃は、牽制などではなくそれだけで致命の威力。腰を捻り、内力を完全効率で左手に伝達。フルパワーの掌底でなんとか軌道をずらす。


 それでもわき腹を僅かに掠めた。ただ掠めただけだというのに、


「ガ、アッ――」


 身体が巨大なハンマーで殴られたようだ。たたらを踏んで吹き飛ぶのを堪える。ここで距離を離せば、クラウの敗けだ。


 魔剣が視界の端で僅かに動く。斬撃がクラウを両断する未来が目に浮かんだ。咄嗟に銃口を背後に向ける。


「こなくそ!」


 圧倒的な身体能力スペック差があろうとも、剣を振るうより引鉄トリガーを引く方が速い。呪弾にはつめがすぐ後ろで爆発し、クラウの背中を乱暴に押す。背中が焼ける感覚。熱さのあまり痛みはない。ただ、焼けているという感覚がある。


 身体を犠牲にした甲斐は確かにあった。メジェドの必殺の一撃よりも速く射出されたクラウの身体。無我夢中で突き出した銃把グリップが、男の鳩尾に突き刺さる。


「ゴッ――」


 男の身体が崩れる。あるいは、シルヴィアが負わせた傷が、消耗がこいつの筋肉を弱らせたのか。


 そしてクラウはメジェドと絡まり合うようにして地面に倒れ込んだ。爆風の衝撃と負傷と視界の揺れでわけがわからない。獣臭が鼻につく。


「なんで、男と」


 密着しなきゃいけねえんだ。


 銃口の先の感触を感じて、無謀にも呪弾さんはつめを放った。ぐふっと音がして、肩口に生温かい液体がかかる。腹部を貫通した。アドレナリンに溢れた脳が快哉をあげる。


 直後、凄まじい衝撃が全身を打ちのめした。


「――――あ」


 声も出ない。声未満の音が胃から漏れた。宙を飛んでいる。あまりの威力に理解が追いつかなかったが、どうやら左肩が殴られたらしい。というのも、先ほどかかった血液の感触がなくなっていたからだ。


 これは、骨が粉々になっているな。脳のどこか冷静な部分が、軍医のように申告した。次いで、そろそろ落ちるぞ、という声が脳内でする。


 墜落ともつかぬ着地をする。どうにか左肩からの落下は避けたから、痛みで動けなくなることはなかった。今でもとっくに痛みの閾値は超えているが、ショック死する段階が目の前まで来ている。


 結果として、それが功を奏した。鈍い頭痛が再びやってくる。足元に不穏な気配。すぐさま横っ飛びに回避。それでも、傷だらけの身体は言うことを聞かない。突きだした岩槍に貫かれ、左脚が出血した。


「捉えたか……」


 神経がやられたのか、左足に力が入らない。だらりと垂れさがる脚に引きずられて、クラウはついしゃがみこんでしまう。


 視線の先には、魔剣を引きずるようにして歩み来るメジェド。その土手腹には風穴が空いていて、色鮮やかな人間の内部が丸見えになっている。重傷だが、魔術師を殺すほどではない。


 クラウはもう死にかけだというのに、敵はまだ全快のクラウを三人ほどは殺せる状態コンディションだろう。妙に腹立たしくなって銃口を向けた。


「――馬鹿が」


 発射された呪弾よんはつめは、メジェドからまったく外れた軌道を描く。遥かな後方で起こった爆裂を見もせずに、メジェドは地を蹴った。


 脚に力が入らない。座り込んだまま、ぎりぎりまで引きつけて鉄杭呪弾さいごのたまを撃つ。当たり前のように斬り捨てられた。


「ぐ――」


 起こした上体を蹴飛ばされる。地面に倒れ込み、顔の上に影が差したのを認識した瞬間、


「……あ」


 腹が熱い。そんな状況ではないというのに、ゆっくりと視線は自分を見下ろすように動いていく。



 そこに、紫色の刃が突き立っていた。



「終わりだ、魔術使い」


 くそったれ。そんな意味のない悪態も出ない。結局、こう・・か。ああ、着地あそこで魔術を使われなかったらもうちょい変わってたんだが。やっぱり、魔術なのかよ。


 腹部に突き刺さっていた魔剣を、メジェドは一息に抜いた。どぶどぶと傷口から血が溢れ出ていく。ちょうど、祭壇の上でクラウが剣を捧げる祭壇の縮小ミニチュアになっているような具合だと、ふと思う。


「……」


 無言で見下ろす魔眼には、安堵も嘲りもない。ただただ敵を倒したという事実を受け止める、静謐な紫色。



 ――まだ、終わってない。零れていく命を集約する。萎えた気力を絞り出す。全ての筋力を震える右手に集めて、銃口をメジェドの額に向けた。銃弾も何も詰まってない、拳銃を。


 それを知らないメジェドはしかし、微動だにしない。奴の身体能力ならば、呪弾を見てから斬り捨てられるからだ。


 圧倒的な自負。それは完全に正しい。確信を可能にするだけの能力を有しているからだ。




――だからこそ、ここまでがクラウの策だ。




 引鉄トリガー。銃口を向けた時点で対象は呪術的に確定している。クラウの僅かな残存魔力から稼働分の魔力を得て、拳銃に刻印シールされた術式が発現する――薬室内のモノを『発射』する。


 『発射』の術式はメジェドの魔眼にも映っているだろう。しかし、奴の目には肝心の弾が識別できない。そもそも、鋼の弾丸はもう装填されていないのだから。

薬室は空だ。空ということは――空気は入・・・・っている・・・・


 邪悪な呪術師の祭具である魔導拳銃が、通常の機構のように大人しく弾切れで黙りこむわけがない。空気は『発射するもの』としてクラウに認識され、銃身バレルという産道を通って呪術的転生を果たす。――すなわち、衝撃の塊ともいうべき風の弾丸。


 視えているのに、識別えていない。不可視の弾丸は刃の迎撃をすり抜けて、敵の額に命中した。


「ガ――」


 魔獣と同一化した強靭な頭蓋骨を、たかだか弾丸一つ分の風塊は貫けない。だが、その衝撃だけで、脳震盪を起こす程度ならば充分だ。


 つまり、一瞬の隙を作るぐらいならば足りる。


 ゆらり、と男の屈強な身体が揺れる。ここだ、この一時。そのために、クラウは、シルヴィアは――


「お、おおおおおおおおおおお!」


 絶叫する。腹から血が大量に出る。自分の中にこれだけ水分があったとは驚きだ。背中の切り傷が、左肩が、火傷が、全身の傷が今更のように痛みを発し始める。


 叫び声で痛みを掻き消す。無理だ、消えるわけがない。死ぬ、死んでしまう。だけど、ここで敗けるわけにはいかないだろう。


「ああ、ああああああああああああああ!」


 上体を起こす。耐えがたい苦しみだ。その勢いに乗れ、乗るんだ。魔導拳銃はとっくに放り捨てた。そんなことより、することがある。右腕を地面に叩きつけて、反動で無理矢理に跳ねた。



 そうして、懐から取り出したのは――もう一丁の、魔導拳銃マギカショット



 ありふれた量産品。簡易魔術インスタントの発生装置。予備用ぐらい容易しているに決まっている――弾倉内には『とっておき』が入っているが。


 傷口に突き立てるように銃口を押し付ける。引鉄トリガー。最後の呪術は、一片たりと拡散することなく敵の体内に侵入・・する。


「――クソっ!」


 振り払われる。力なく地面に倒れた。


「今、貴様、なに、を――」


 男の語尾が消える。耐えがたい苦痛が襲い、身体を折る。


「喜べよ」血を拭って笑う。「とっておきの『血清』だ」

「ガ、ア、アア――」


 男は蹲る。返事などする余裕はないだろう。その身体は、内部で何か別の生き物が蠢いているかのように骨格が変形している。ごきり、ごきり。節々から別の関節が生えてくるような異常。


『視た』覚えがある。そう、あの記憶の中で。


 変形を繰り返す指の間から、紫色の瞳が覗く。わけがわからない様子を見て、クラウは薄く笑った。


「餞別だ、教えてやる」


 これが最後の仕込み。記憶は過去へと向かう。


「そもそも、あんたの身体能力は異常だった。どれだけ質の高い身体強化術式リインフォースメントでも、あのディーグの攻撃を易々と躱せるわけがない」


 男の端正な顔を覆う手は、白と黒が入り混じるまだらになっている。術式が暴走――メジェドの制御下から離れている。


「だから、あんたが魔獣化術式を減退ダウンサイズして自分に使ってると予想した。……なんせ似たような霊薬を流通させてたくらいだからな」




 ――祭壇への途上。

『あ? 血を寄越せ?』


 ディーグの訝しげな声。周囲にひしめく魔獣たちはしかし、光の高熱量防護壁に阻まれて、こちらに手を伸ばすこともできない。


『あんたの血が必要なんだ。時間もない』

『なんだっててめえに――』


 しかめ面に突きだされたのは、一つの令状。その頭には、燦然と輝く太陽の印象。


『こんなもん、どこから』

『色々コネがあるんでな』


 地下迷宮アンダー女性職員バーナードの名前を訊いておいたのが功を奏した。――まあ、ランドッグの名を出していなければ相手にもされなかったろうが、それはそれ。使えるものは何でも使うのが呪術師だ。


『ったく、組織なんてのは碌なもんじゃねえ』




「――あんたの術式きょうかは、自分の身体構成に合わせてディーグの魔獣化術式を調整リキャストして成り立っている」


 最後の呪弾――原理としては、さきほどクラウが撃ちこんだ情報呪弾と同じものだ。弾丸に込められた血を媒介に作られる情報的侵入。

 サンコーポが男の血から固有術式を割り出したように、血液呪弾が魔獣化術式を呼び起こす。


「だから、そこに残っているディーグのものだった術式部分を強化エンハンスしてやれば、あんたの術式は――崩壊する」


 ちょうど、あの地下道に放棄されていた『失敗作』たちが、術式が調整されていなかったために、人の形を留めていなかったように。


 メジェドがさらに身体強化を重ね掛けしてくるとは思わなかったが、『とっておき』が役に立ったというわけだ。


「……あ、相変わらず、卑怯な真似をする」


 苦しみもだえながら、魔剣に縋るようにして立ち上がったメジェドが声を絞り出す。その様子には、先ほどと比べて少し余裕がある。――その状態でなお、魔眼を使って術式を調整しているのか。


 こちらの決死の策でも、この男に対してはほんの少しの隙しか生み出せないだろう。もう一周回って呆れしか浮かんでこない。


 クラウは肩をすくめようとして、左肩がとんでもない痛みを発して咳き込んだ。


「がふ……。まあな。だが、言っただろう」下手な笑いを作る。「俺はこういうやり方なんでな」


 言うなれば妨害デバッファーだ。卑怯に姑息に、敵の足を引っ張り続ける。

 でも、と言葉を続ける。視線は苦しむ男の向こうを見る。何か、眩しいものを見ているような気がする。


「シルヴィアは違う。あれは、純正の攻撃職アタッカーだ」


 だから、俺は前座ってやつだ。


 メジェドはゆっくりと、恐る恐る振り返る。まさか、とでも言いたげに。

 嘘じゃない。崩れた岩を背に立つ彼女の姿は偽りではない。その大上段に構えた銀剣も、そこから伸びる、この空間を埋め尽くしてしまいそうなほど巨大な、水の刀身も。


「――岩の封印ガードは」

「……最後の爆裂呪弾。俺が、外したと思ったか」


 銃口を向けるという動作で、呪術的に狙いは定まっている。呪弾の射手は、過たず標的を撃ち抜く。


 だから、メジェドをずっと逸れるような軌道の弾は、最初からまったく別の場所を狙っているに相違ないのだ。例えば――馬鹿でかい、岩の壁とか。


 罅が入った岩から水が染み出るように、裂け目を水流がこじあけるように、シルヴィアはその岩壁を突破した。そうして、好機を待っていた。いや、そもそも閉じ込められたその時点からか。


「いくぞ」


 遠く離れたところで。もう霞みに霞んだ視界だというのに、その不敵な笑みが目に映る。クラウは意地で起こしていた上体を地に下ろした。


 力尽きたのが半分。身を守るためが半分。


 ゆらり、と超々巨大な水の大剣が傾く。立っていることに疲れた巨人のように、祭壇に横たわる形で地面にすれすれだ。


「――『瀑剣カタラクトブレイク』」


 メジェドは動けない。術式の制御で魔術は使えない。それに全神経を集中させねば、術式の暴走を止められない。魔剣を振り上げ、術式の核を斬ろうとすれば、身体が耐え切れない。


 まともに受けても、魔獣化の抑えられた今の身体はまず耐えられない。


「――終わりか」


 そんな呟きに、クラウは目を閉じる。クラウにできるのはこれくらいの小細工で、幕引きは彼女に任せるのだ。


「おう。さっさとくたばれ」


 軽やかに笑う声。直後、何かが薙ぎ払われる轟音がした。意識が急激に薄れていく。傷を負いすぎた。


 微かに目蓋の上に垂れた水滴。その涼やかな感触を最後に、クラウの意識は完全な闇に呑まれた。

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