血戦

 男が懐から取り出したのは、小さな瓶詰めの緑色の液体。明らかに霊薬だと察せられる、見覚えのある形状。


「あまり使いたくはなかったが……」


 言葉を切り、男は一瞬、もの思いに耽るように目を閉じる。次に目を開いたとき、その瞳は紫色に煌々と燃えていた。



「認めよう。貴様らこそは我が不倶戴天の敵。私の前に立ちふさがる、最大の障害であると」


 そう言って男は霊薬を一飲みで嚥下した。瓶をかみ砕くような勢いで液体が摂取される。


 変化はすぐに到来した。どくり、と男の身体が、大量の血流が流入した内臓のように膨れ上がる。これ以上ないほど張りつめた外套ローブを内側から食い破って出現するのは、くすんだ灰色の体毛。


 魔獣化の術式がメジェドの体内で生起していた。魔眼の力で霊薬を精査し、マフィアの全員に対して調整・投与していた男ならば、自分にも同様のことをしていないわけがない。


「サンコーポの研究主任だかの予測は見事当たってたってわけだ」

「……それが自らの破滅を導くとは、思わなかっただろうがな」


 僅かにくぐもった声はしかし、確かな理性を宿していた。

 体躯、特に上半身は筋肉が肥大しているのに対して、相貌はほぼ人間のものだ。明らかに霊薬の影響を制御していた。しかも、いつの間にか傷ついた左腕も元に戻っている。



 ――風を切る音。その筋力を誇示するように、メジェドが剣を振ったのだ。風圧がこちらの頬まで達した錯覚を覚えるほどに、凄まじい剛腕だった。


「とんだ力自慢だよ、本当」


 クラウは軽口を叩きつつ、弾倉を取り換える。遊底スライドを引くと同時、男が地を蹴った。


 そして、その姿が消えた。


「――っ」

「クラウ!」


 その声でようやく気がついた。メジェドが、背後に回っている。


 断頭台を前にしたような怖気。躊躇なく前方の地面に飛び込むようにして跳躍した。


「遅い」


 風の唸る音、背中を駆ける熱。斬られたのだと身体で理解する。受け身をとって素早く立ち上がるはずが、無様にも石床に倒れ込む。


「殺すつもりだったが、力加減を間違えたな」


 試し切りでもしたかのような調子の男の声に奮起する。ふざけるな。

 背中からどくどくと流れ出る血潮が床を濡らす。生命力がこの祭壇に吸い取られていく光景イメージを幻視した。


「……む? これは――?」訝しむような声音を遮ったのは、長靴の駆ける音。

「シィッ」


 金属の激突音。気力を振り絞って頭を上げると、そこには目まぐるしく交錯する二つの影。シルヴィアとメジェドだ。


「はあああッ!」


 シルヴィアの銀剣が淡い青色に包まれる。『瀑剣カタラクト』の質量剣撃が男を襲う。


「オオ!」」


 唸り声を上げたメジェドは半ば野獣のような面相となっていた。白い体毛に覆われた全身の筋肉が一層膨張し、頑強な両手に支えられた魔剣が魔術剣を受ける。――受けきった。


「なんだと――」


 シルヴィアの一瞬の隙をついて男はその懐に入る。遅れてシルヴィアが反応するが、魔術の妨害よりもメジェドの手刀が細首を刎ねる方が早い。――そこに割って入ったのは、クラウが放った鉄杭呪弾だった。


 手首を掠らせながらもメジェドは大きく跳躍し距離を取る。


「……くそ、すばしっこいな」


 牽制に銃口を向けつつ毒づく。小動物に対するような形容に、シルヴィアが軽く笑った。


「だが、同時にとんでもない膂力だ。まともに打ち合うわけにもいかないな」


 言葉の合間にも水流を放つが、軽々と避けられる。術式看破スキャニングの魔眼は魔術への探知機レーダーにもなる上、軌道も読まれるために魔術攻撃がほぼ通じない。


 背中の切り傷が自分の仕事を思い出したかのように痛み出した。まともに受ければ背骨ごと断ち切られていた一撃は、深い痕をクラウに残している。長期戦は難しいだろう。


 クラウが異変に気づいたのは、密かな決意を固めた直後だった。


「……あれは?」


 脈動するような傷の痛みの連続と同調するように、祭壇上を駆けるメジェドの魔剣が禍々しく光る。見間違いや錯覚ではなく、本当に微かな光を放っていた。


 同様にそれを目にしたメジェドは、何かに気づいたような顔をして笑った。


「そうか。――貴様は私に従うのか、魔剣よ!」


 哄笑とともに男は立ち止まり、飛来する水槍の魔術に対して魔剣を構える。


「――死ね」


 紫色の魔剣が大上段に振り抜かれる。刃が槍を通り抜けるのと同時、魔術の槍はただの水に還って地に落ちた。僅かに体毛に付着した水を振り払う。メジェドに傷はなく、魔術は無効化されていた。


 いや、殺された・・・・と表現するべきか。


「今、何をした」


 シルヴィアが問いかける。無力化されてはただ消耗するだけと判断したのか、術式を構築する手は休めている。


 メジェドは無言のまま剣を構えた。言うつもりはないという言外の主張を受けて、クラウは一歩前に出る。


「……ダモクレスの剣。それは国という機構システムころす魔導機構だ」


 だから、サンコーポという大企業を拡大解釈して崩壊させるという計略が成り立つ。だとすれば、


魔術言語ルーンで編成された術式システムを殺すこともできる、というわけか」


 シルヴィアが結論を口にした。より詳しく言えば、メジェドの魔眼が術式の核とでも言うべき部分を察知できることも『術式まじゅつ殺し』の一端を担っているのだろうが。


 クラウという呪術師の血を得たことで、魔剣としての機能が復活したというところか。太古の昔から封じられていた化け物には生贄の血が必要というのは、古今東西に伝わる昔話のお決まりだ。


「血を啜る魔剣とは、随分趣味が悪い」

「話は終わったか? では、さっさと死ね」


 魔剣が祭壇を割り、岩塊が空に浮かぶ。剛腕が砕いた破片が、魔術の推進力を得て横殴りの豪雨として殺到する。

 再び始まった頭痛を堪えつつ迂回して回避。岩の散弾を挟むようにしてシルヴィアと二手に別れる形にされる。


「まずっ」


 懸念が生じるのと同時に、眼前に現れる影。メジェドの速度は、もはや注視していなければ目で追えないレベルに達していた。


「――――」


 耳が痛くなるような静寂。魔剣が音を割ってクラウに迫る。回避は不可能に近い。それでも抗うように後ろへと跳ぶ。足の遅さがもどかしい。メジェドの会心の笑みがいやに目についた。


「ここで終われるかよ。――爆ぜろっ!」


 トリガーを引く。鋼とは炎で造られるもの。感染の原理が爆炎を呼び起こし、呪弾が銃口から発射された瞬間、炎が炸裂した。


「――つッ」


 焼ける。辛うじて防御した顔を除く正面の火傷を代償に、クラウは致命の刃から逃れた。アニスの『災厄の風』をクラウ流にアレンジすれば、こうなる。


「悪あがきをっ……」


 メジェドは二三歩よろけるのみだが、炎の威力に呻く。炎とは魔を祓うものであり、半ば魔獣と化した男には通常の火傷以上の傷を負わせるのだ。


「だが、この程度」


 それでも、大した負傷にはならない。魔獣のタフさと回復力を手にした男は、この程度のダメージでは倒れないだろう。


「――わたしを、忘れるな!」


 そこにシルヴィアが踏み込む。『瀑剣』を纏わせた連撃がメジェドを押し込んでいく。


「無駄だ」


 一瞬に渾身の力を篭めてメジェドが剣を押し返す。姿勢を崩したシルヴィアの手首を獣の手が掴む。「――死ね」扇を開くような軌道で少女の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。


「くぅ……」


 端正な顔が苦痛にゆがむ。咄嗟に背中に水の緩衝剤を構成したのが、僅かに見えた。それすらも貫通する膂力。立ち上がる隙すら与えずに強烈な蹴りがシルヴィアの腹部に突き刺さった。


「――」


 声も出ずに一直線に吹き飛ぶ痩身。矢のようにこちらへ飛来する。クラウがちょうど立ち上がりかけたところで激突し、二人で絡まり合うように一塊になって地面を転がった。視界が蒼い、シルヴィアの髪の毛だ。地下迷宮特有の土の匂いに混じって、血と少女の香り。


 気づけば彼女を上に抱きかかえるようにして回転が止まっていた。小さな頭越しに見える、迫りくるメジェド。咄嗟に魔導拳銃から呪弾を連射。弾幕は誘爆を起こす機雷のように次々と炸裂し、浄化の炎が防壁となる。


 僅かな時間稼ぎだ。さらに弾倉を空にする勢いで呪弾を発射し、その間に体勢を立て直さなくてはいけない。腕の中のシルヴィアを見る。


「……シルヴィア、まだやれるか」


 返事をしようとして、少女は「ゴホッ」と咳き込む。薄い唇からは赤々とした血が垂れている。内臓までダメージが達している。


「当然だ、勇者としてな」


 それでも、彼女は不敵に笑ってみせた。応急手当の治癒魔術の作動を視認する。腕の中で微笑むシルヴィアは絵画の戦乙女にも見える。

 そういえば、以前もこんな風な体勢になったことがあったか。ディーグが襲来したときだ


「あのときは突き飛ばされたっけな」


 揶揄するように言うと、いつを指しているのか察したのか、シルヴィアは頬をさっと赤く染めた。


「……あなたこそ、わたしのことをいつの間にか名前で呼んでいる」

「あれ、そうだっけか」


 確かに初対面では、「あんた」呼びだったような。

 ここ数日間は目まぐるしく事件が移り変わっていて、何か月も経ったかのような気がしてくる。長い長い旅路の果てに、ここまで来たような錯覚すら覚えていた。


「最後の最後に敗けじゃ締まらないな」


 一、二、三発と数える。弾切れだ。間もなく、メジェドは爆炎を突破してくるだろう。


「勇者として、敗けはあってはならないな。正確に言えば、最終的な敗けだが」


 冗談めかしてシルヴィアが言う。勇者勇者と言うのは最初から変わっていなかったが、どこかその言葉には軽さがあった。――というより、変な重さが抜けていた。


 状況は最悪だ。クラウもシルヴィアもぼろぼろで、メジェドはかつてなく強化された状態。


 だというのに、シルヴィアの気軽な言葉を聞いていると、何故だか奇跡が起こる気がしてきた。


「じゃあ、一つ奇跡マジックでも起こすか」

「できるのか」

「とっておきのタネを用意しててな」


 今までの日々はきっと、このときのために。


 にっと笑ってみせると、シルヴィアは本当にうれしそうな表情をする。この笑顔をもう一度見ようと、クラウは決心を固めた。


「一発――一発、あいつに叩き込む。至近距離で、だ」


 これで最後だ。秘策もこれで終わり。呪術師にして魔術使いでしかないクラウは、ここで限界だ。それでも、クラウひとりでは、その限界はまるで足りない。



 だが――


「ならば、わたしが隙を作る。そして決める。勇者的に」

「ったく、本当にそればっかりだな」


 シルヴィアがいる。ならば、勝てる。


 そうして立ち上がり、リロードを済ませると同時――メジェドが姿を現した。

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