呪術師/魔術使い

 種明かしをしてやるよ――そう言って、語り始める。


 クラウ・アーネスタの故郷は先端都市から遠く離れた山間の村だ。そこには現代魔術と叡智の光など届くわけもなく、未だに前時代的な〈呪術〉が生き続けていた。


 『似ているものは同じである』『一つであったものは連関する』――類似と感染の原理。人類古来の野生の思考プリコラージュ。それは焚き火の煙を雨雲に見立てる雨乞いであり、穢れた伝染病罹患者を焼き払うことによって浄化する儀式であった。


 現代魔術の視座から見れば、呪術行使に魔導野の働きが関与しているというのが通説であり、呪術的環境が魔導野に不可逆な変容を与えうるという話がある。その可能性にあてはまったのが、クラウ・アーネスタという人間だったというわけだ。


「要するに、俺は魔術を一生使えないし、呪術からも逃げられない。だから魔術使いってのは正しい」


 淡々とクラウは語る。頬に伝わる心配そうな少女の視線。痛みがないと言えば嘘になる。あのとき憧れた希望に、ある意味では一生手が届かないのだから。


 だが――それでも確かな救いがある。それは少年の笑顔であり、女警官の感謝であり、魔術師からの信頼だ。魔術を使えずとも、同じ結果をこの手に掴むことができる。ならば、それはそれでいい。


 だから、クラウは呪術をこれ以上ないほど使い倒すと決めたのだ。たとえそれが醜悪な手段であろうと、俺にはこれしかないのだと開き直るように。


「そもそも不思議に思わなかったか? 何故あんたの魔眼は、この銃から発射される呪弾の正体を看破できないのか」

「……」


 あれほど荒げていた息も今ではすっかり収まって沈黙を保っている。暗闇の中で佇むものの正体を見極めようとするように。


魔導拳銃ワンドに刻印された術式――『発射』と『顕現』によって魔術弾が発射され、その術式が励起したとして――あんたの魔眼は弾丸の術式を見切れるはずだ」


 今ならわかる。最初の戦いで、メジェドはクラウを警戒していたのだ。全ての術式を見破る紫眼が、クラウの呪弾に関してはその威力を発揮しなかったのだから。


 その懸念も、クラウが魔術を扱えないという事実に至って霧消した。なんてことはない小細工を弄したのだと合点したのだ。奇術師というのは、そういうことだ。


 奇術師マジシャンというのはあながち間違いでもない――クラウが用いていたのはただの呪術マジックなのだから。


「……何が言いたい」

「簡単なことだよ。そもそも弾丸には何の術式も刻印されてなかった。ほら、つじつまが合うだろ?」ちょっとわかりにくかったかと首を傾げて付け足す。「つまりだ、俺の弾倉マガジンにはただの銃弾しか入ってない」

「――」


 何を馬鹿な、と言うようにメジェドの表情が固まる。開けた口から声が出ないのは、クラウが大真面目な顔をして本気で言っているのだと悟ったからか。


「クラウ……」くいくいと袖を引っ張られて、シルヴィアの方を向く。「どうしたのだ。さっきの戦いで頭を強く打ったか」

「違うわ!」


 本気で悲しそうな目をしていた。精神異常者扱いは堪えるので、さっさと説明を続ける。


「『顕現』の術式の要諦は、性質を引き出すってことだ」


 呪術の文脈にチューニングされたクラウの脳、魔導野は魔術言語ルーンを知覚できないが、その意味を知識として認識することはできる。


 魔術的に『顕現』の術式を――術式センテンスと呼ぶのも怪しい、魔術言語の簡単な連なりであるが――解釈すれば、物体に刻印された術式の起動ということになろう。


 だが、呪術師であるクラウがそれを用いれば、違う結果をもたらす。魔術とは機構システムであると同時に、人が扱う技術であるのだから。


「ただの鋼鉄の弾丸。呪術的に解釈してやれば、それはまったく違うように見えるものとも同一視できる」



 貫く形状から見れば、弾丸と杭は似ている同じだ。『顕現』の術式が同一性を媒介に弾丸を鉄杭へと変化させる。



鉄とはすなわち火の統御の産物だ。かつて鋼と一つのものであった火炎を、『顕現』の術式が引き起こす。



 何より、弾丸が薬室から銃身を通り、銃口を抜け出て外界へと射出される過程。それはモノが産まれる過程と似ている。胎児は母の胎内を産道から抜け出てヒトと為る。まるで別種のものへと成り変わるという現象イニシエーションは、呪術的に裏付けされる。


 クラウが呪術を行使するにあたって媒介とする魔導拳銃こそが、まさに魔術師の『魔杖ワンド』や、古代司祭の祭具にあたるのだ。


「それこそ、あんたの持ってるそのダモクレスの剣のようにな」


 ようやく得心がいったが、それでもまだ信じきれぬというようにメジェドはクラウを見る。現代、特にこの先端都市においては、呪術師などという話はまず眉唾物の都市伝説だ。


 紫眼がクラウの脳内の奥底まで見渡そうとするかのように揺らめき、唐突に顔の一点に視線を向けて静止した。


「……待て。貴様、何故この剣の名を知っている」


 男の疑問を受けてシルヴィアも気づいたのか目を見開く。

 男が剣のことを語ったのはシルヴィアに対してであり、彼女がクラウにそれを伝えたということもない。そんな時間はなかった。クラウがこっそり盗み聞きをしていたということもない。


 その疑問も当然だろうとクラウは思いつつ口を開いた。


「弾倉に入ってるのは鋼鉄の銃弾だけってのはさっき言ったことだが、それはちょっと正確じゃなかった」


 全弾を撃ち尽くして空になったマガジンを取り出す。最後の弾が、直接メジェドに撃ちこんだ呪弾だ。


「最後の弾だけは特別製でな。俺の血を固め・・・・て造った・・・・弾だ」


 正確に言えば、銃弾の中身をくりだしたものに、クラウの血液を注入したものだが。まあ、大差はない。

 その言葉が言いようもない嫌悪感をもたらしたのか、中々感情を表に出さないメジェドが顔をしかめた。


 そうだ、呪術とはそういうものなのだ。現代魔術が形而上のモノをあれこれと操作する純白の研究室だとすれば、呪術とは薄暗くじめりと湿った、よくわからない領域だ。


 一方でシルヴィアが何か見つけたような調子で「あ」と声を上げる。


「感染……」


 首肯する。クラウの血でできた呪弾は銃身を通じて、『クラウだったもの』という情報呪弾へと変じた。それを直接その身に受けたメジェドに待つものとはすなわち、


「私との間に、つながりを作ったか」

「ご名答。そんなわけで、記憶とか何やらを覗かせてもらったよ」

「くだらない。その上、どうしようもなく低俗なやり方だ」


 あっけらかんとクラウがのたまうと、不愉快そうにメジェドは唾を吐き捨てた。

 今なら理解できる。いくら犯罪に手を染め悪事を働こうと、この男は騎士としての自分を捨てられない。いや、むしろ誇り高い騎士であろうとするからこそ、ここにいるのか。


 そんなメジェドに対する自分の卑怯な手段を鑑みて後ろめたさは覚えない。これがクラウの呪術であり、それは動かしようのない事実だ。


 だが、その手段を取った礼儀として、訊いておかなければいけないことがある。


「あんたが、その剣で現代魔術を壊そうとするのは、あの――」

「そうだ」


 それでもやや躊躇いがちな口調を遮ったのは、力強い肯定だった。


「貴様も視たのだろう。地下迷宮ダンジョンの一角で無残な生を強いられた彼らの姿を」


 その言葉で想起する。あるいは、これはメジェドの思考が流れ込んでいるのか。



 陽光差さぬ迷宮の中、取ってつけられたようなスペースに折り重なり蹲る異形の者ども。ある者は片腕の関節が四つになっていた。ある者は膝の裏側から蝙蝠のような皮だけの翼がいびつに生えていた。ある者は顔の左半分が猛獣のそれとなっていた。



 グロテスクな、幼子が無邪気に組み合わせた人形のような外見。前衛芸術に登場する化け物のようでいて、確かに人だと理解できる造形は、どうしようもなく吐き気を催させた。


 身体がふらつく。顔から血の気が引いていると自分でも理解できる。相対する男も、微かに額に汗を滲ませている。


魔獣化術式ブルータナイズ――ディーグ・アダマンドの固有魔術がもたらす結果を霊薬サプリで再現しようとする開発計画がかつて存在した」


 現状の身体強化術式リインフォースメントは非常に限定的だ。個々人の身体に合わせた術式を直接刻印シールするという手法を採らなければ、継続的かつ充分な効果は得られない。


 治癒術式と同じように、人間の魔的免疫マギカ・イミューン・システムが術式に対して攻勢的に働くのだ。


 魔獣化による圧倒的な身体能力。あの夜、血まみれになったシルヴィアを必死に運んだことを思い出す。もし、あれだけの効力が霊薬という形で汎用化できれば、凄まじい軍事力の増大となるだろう。現代の戦闘は魔術師一人一人が占める比重がより高まっているのだから。


「結果は散々なものだった。そもそもの魔獣化術式の正確な内容がわかっていないのだから。術者の血液から術式を再現したものの、それが本人以外の身体に適合するはずもない」


 無理やりに試薬を投与した結果が、あの哀れなモノたちなのだと、男は語った。


 吐き気がした。再びあの映像を思い出したからではなく、「ちょっと試しに」とでも言わんばかりの気軽さでそんなことをしてしまう、その残酷さに。


 ああ――これはメジェドが味わっている感覚でもあるのだ。同調しているがゆえに、感情の音叉が共鳴している。


「そして、あんたの魔眼が必要になった」


 これはクラウの――そして恐らくメジェドの――推測だが、サンコーポの研究者たちは、霊薬を『矯正』しようと思ったのだろう。


 対象者の個別性などまるで鑑みずに身体を作り変えてしまうじゃじゃ馬に、どうにかして轡を咬ませようとした。魔術言語ルーンの連なりの内、身体を改造するという記述や改造の内容を指定する記述を突き止め、抜き出し、書き換える。それができれば、霊薬の安定性はぐんと高まるだろう。


 そのために魔眼が必要だった。


「そして、私は真実を知った」


 そのとき、騎士は絶望したのだろう。自らが拠って立つ基盤が、現代魔術が、夥しい数の骸の上に成り立つものであるという事実に、絶望したのだ。


 だから棄てた。『刻印シールワンド』――携帯式魔術補助具である支給剣を棄てた。対魔防御加工アンチマジックコートの施された煌びやかな騎士鎧を棄てた。王から賜り、あれほど誇らしく思った装備が、へどろのように汚らわしく思えた。騎士としての名も棄てた。


 そうして、男は自らを魔眼保持者として再定義した。この力をもって、魔術を破壊する。耐えがたいほど、直視にかなわぬほど醜悪なこれを、滅ぼすのだ。


「だからあんたは……」

「まずはダモクレスの剣を見つけた。元々呪術という遺失技術ロストマジックの存在は知っていた。いくつもの古代遺跡を回り、その過程で魔眼というものが、遠い過去から存在する特異体質の一部だと知った。私にも呪術師――霊媒としての素養があるということだ」


 それは正しい。概念魔術を操るシルヴィアもまた、古来の雨乞い師レインメーカーの血を引いているという意味で、呪術の媒体となりうる。


「その間にサンコーポ内に内通者を配しておた。私以外にも、現体制に疑問を覚える者はいたから、簡単だったよ」微笑すら浮かべて、メジェドは滔々と語る。

「そしてこの街の地下迷宮で拠点と勢力を確保した。いくつかのマフィアには死んでもらったが、企業連合メガコーポの裏工作に加担するような屑どもだ、死んで誰が困るというわけもない」


 全ての準備を整えて、メジェドは計画を実行に移したのだろう。



 霊薬を盗む。効力を弱めた上で地下街アンダーに流通させ、サンコーポに足を運ばせる口実とする。原本とマフィアの施設があれば複製は容易だろうし、霊薬組成はそれこそ魔眼で看破し改悪できる。偽の依頼人を通じてシルヴィアを巻き込み、サンコーポが無視できない規模にするのも忘れない。



 そうしてサンコーポが制圧部隊を送る頃には、代表取締役も動かざるをえない事態になっている。暗殺等を警戒して魔道通信を使ったとしても、内通者がいればジャコモの居場所を探知することも可能だろう。


 それだけの手間をかけてジャコモを捕らえ、ダモクレスの剣で断頭する。


「……あんた、意地が悪いってよく言われるだろ」

「完璧主義者なものでね」


 思わず口を滑らすほどの綿密さだった。恐ろしいほどの執念がこめられた、殺人計画。


「――では、改めて問おう。魔術使い。そして、魔術師の娘」


 不意に、傲然としたメジェドの声。それは神の宣託を告げる修験者のように、厳かに祭壇を震わせた。


「貴様らは、それでもなお私の道を阻むか。護る価値のないものと、知りながら」

「――」


 一瞬、言葉に詰まった。それは男との間に使ったつながりゆえか。いや、そこまで強固なつながりを作ってはいない。だからこそ、記憶のうちで強烈な痕を持つものだけが両者の脳内に流れ込んだわけだが。


 だから、この躊躇いはきっとクラウのものだ。魔術の醜悪さをまざまざと見せつけられて、思わず止まってしまう。


「無論だ」


 一歩前に出たのは、シルヴィアだった。


「わたしは貴公より長く生きたわけでも、この街に長く住んでいるわけでもない。それでもここの歪さは理解できる」


 そう言うと、少し目を落とす。何かを確認するように。クラウは彼女の透き通った白い頬を見る。微かな笑みを浮かべると、シルヴィアは視線を戻した。


「だけど――わたしはこの街を護りたいと思うのだ。貴族として、何よりも憧れた〈勇者〉として、人々の善き営みを護りたい」


 そう言い切ったシルヴィアの瞳は見えずとも、きっと澄んでいるものだと直感する。この空間は陽光もなく鬱蒼とすらしているけれど、青空を思わせる涼風が吹く、そんな言葉だった。


 多分、クラウの知らないところで彼女の葛藤は解決した。シルヴィアが心から憧れた〈勇者〉とはそういうものだということに、彼女は気づいた。きっと、そういうことなのだろう。


 ならば――そんな彼女が認めてくれているクラウが、ここでまごつくわけにもいくまい。


「俺はそんな立派な考えを持ってるわけじゃないが、そうだな」


 かつて取りこぼしてしまったものがある。この手が届かなかった劫火は今もクラウの身体を苛んでいる。


 それでも、この街に来て、救えたものがあったのだ。それを否定されるわけには、いかない。


「……そんなこと、あんたはわかってるだろうが」


 人を呪わば穴二つ――呪術とは常に双方向的だ。血の呪弾を媒介にクラウがメジェドの記憶を覗いたならば、逆もまた然り。魔眼の男もまた、クラウのもっとも深く刻まれた記憶を視たはずなのだ。


 思惑を乗せた視線に対して、肯定とも否定ともつかぬ微笑を浮かべて、男は剣を構えた。あるいは、この結果が始めからわかっていたかのように。


「それでは、探偵の真似事は終わりだ」


 僭主殺しの剣が、主の殺意に呼応するように禍々しく仄暗く光る。


「魔術使いにして呪術師――貴様の小細工がどのようなものであろうと、その全てを粉砕してやろう。さあ、殺し合いの時間だ」


 その左手に握られているのは、小さな小瓶だ。――嫌な予感がした。

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