決戦

 メジェドという男は、控えめに言っても超一流の魔術師だ。


 術式看破スキャニングの魔眼の優位性は圧倒的だが、それを除いてもそのスペックはありあまる。超高速の術式展開に加えて剣術は熟練のそれ。実際、ディーグがよこした調査書類によれば、先端都市外で名うての魔導騎士だった可能性が高いそうだ。


「にしても、これはなっ」


 ぼやきにも満たない言葉を吐き出しつつ呪弾を掃射。爆裂術式の連打で面制圧を狙う。魔術師というのは個にして軍とも言える存在、過剰火力ぐらいがちょうどいい。


「――助かる!」


 剣戟で窮地に陥っていたシルヴィアがこれで離脱できた。


 純粋な接近戦では、相殺魔術を警戒して魔術を迂闊に使えないシルヴィアは分が悪い。剣術でもあちらがやや上回るか。だが、ここ数日とは比較にならないほどシルヴィアの動きが冴えわたっていて、それが均衡を作り出していた。


 だが、


「――やはりうっとおしいな。魔術使い」

「くぅ!」


 粉塵を切り裂いて迫る紫眼の男。単純な発射機構しか持たぬクラウの魔導拳銃マギカショットは魔眼に対しては正体不明の攻撃となるが、逆に言えば牽制程度の火力しかない。汎用型簡易魔術インスタントの欠点だ。


 これ以上ないほど全力で下がりつつ呪弾を乱射するが、瞬く間に弾丸が斬り伏せられていく。弾切れ。撃ち続ければそうなる。


 再装填リロードする暇など当然なく、眼前には爛々と輝く紫の眼。


「やば――」


 光など差していないというのに、古びた剣が禍々しくきらめく錯覚。頭蓋をかち割る一撃をかろうじて躱し掌底を繰り出すが、簡単に受け止められる。むしろ、巨岩を殴りつけたかのようにクラウの手が痛みを発していた。


 瞬時に後退するが、それは予測の範囲内とばかりにメジェドは距離を保って追随。軍人というよりは騎士を思わせる理詰めの剣がクラウを追い詰めていく。


 全てが致命傷となる斬撃をなんとか軽傷に落とすが、路地裏仕込みの体術ではすぐに限界がきた。


「終わりだ」


 超至近距離で高速展開される魔術。クラウの動きを先読みして、着地点から岩の棘がせり出してくる。それをなんとか避けてバックステップを踏もうとするが、


「っ――」


 そも体勢に無理がある。踏み切れない一瞬の隙を、男が見逃すはずもなかった。


 縦笛のような細い風切り音。切り上げる刃の軌道はまっすぐクラウのわき腹へと吸い込まれ――


「させん!」


 シルヴィアの剣撃がそれを阻んだ。クラウは素早く二本の指を突き出す。鋼のごとき身体とはいえ、いくらなんでも眼球を硬くはできまい。


舌打ちすら残さずメジェドは大きく後方に跳ぶ。置き土産とばかりに火炎を散弾のごとく降らせるが、それはシルヴィアが完璧に防いだ。


「啖呵を切ったはいいが、強いなあいつ」

「わかってなかったのか?」


 軽口を叩いてみるもなかなか冴えない。状況はすこぶる悪い。



メジェドの魔眼と相殺術式によってシルヴィアの魔術は大幅に封印されているし、肉弾戦では二人がかりでなんとか致命傷を回避しているといったところか。敵は自由に魔術攻撃をしてくる――圧倒的に不利だ。


 何か打開策が欲しい。今はなんとか保っているが、疲労は著しい。掠り傷も重なれば重傷となる。


「そうだ。シルヴィア、確かあの術式は――」


 腰のポーチ式弾帯から弾倉マガジンを取り出し再装填。思い出したのはアニスとの対決で見せた概念魔術だ。あの後詳しく聞いたが、あれならばメジェドの魔眼にも対抗できるのではないか。


「……それは既にやってみたが、あっという間に対策を練られた」

「なら、しょうがないな」


 剣を振って術式を構築しつつシルヴィアが答える。遠距離ならば対抗術式による後の先の利点は薄く、魔術戦闘が可能になる。


 が、人間離れした魔力量と魔導野の演算能力から繰り出されるメジェドの魔術が相手では、分が悪いと言わざるをえない。本来ならば瀑布のごときシルヴィアの魔術も、押し寄せる大海の荒波にふらつく小舟がいい方だ。


 雷撃と爆炎の暴虐を、小さな水の波濤がかろうじて叩き伏せ、軌道を逸らし、二人を護る。超人的戦いになっては、クラウに出る幕はない。


「接近戦しか勝ち目がないが、無策じゃ叩きのめされるだけだな」

「策はないか?」


 それは意外にも、藁にも縋るような視線ではなかった。朝食はできたかと尋ねるような、何気ない問い。


 覚悟ができているというのか、それとも信頼されているのか。どちらにせよ、それに応えなければならない。


「あるさ。勝算なしで、ここに来るもんか」


 むしろ策を用意したからこそ、あれほどぎりぎりのタイミングになってしまったのだが。


 その言葉にシルヴィアはにっと笑う。押し潰すような魔術への防御の負担で、額を汗に濡らしながらも、そこに陰は微塵もない。


「そのためには一発、これ・・をぶち込む必要がある」


 左手で銃把の底を叩く。十五発の弾倉中最後の弾の仕掛け・・・は、メジェドに直接当てなければ意味がないのだ。


「では、勇者的に前進だ」


 その説明を受けて、シルヴィアが一気に飛び出した。一気に術式の出力を上げて魔術の嵐を突破していく。


 囮になるという意味だろうが、相変わらず意味不明だ。苦笑しつつクラウも前に出る。


 魔術の嵐が収まっていく先には、激しく斬り結ぶ二者の姿。


「シイッ」

「……む」


 剣においても優位に立つはずのメジェドが、今回ばかりは防戦に回っていた。シルヴィアの気迫と勢い――捨て鉢には至らない、最適と言える状態がそれを可能にしていた。


「だが――」


 それでも地力の差は決定的だ。一太刀一太刀が必殺のそれを危なげなくいなしていく中で、メジェドは突然前へと踏み込む。剣の距離から拳の距離への移行。攻勢に全霊を傾けていたシルヴィアは下がれない。


「魔術も無駄だ」


 咄嗟に掌から展開した奔流術式は、岩の散弾に打たれてあらぬ方向へ。男の左手が貫手を形作り少女の心臓を狙うが、


「させるか!」


 紫眼が左からの呪弾発射術式を察知。シルヴィアを巻き込む爆裂ではないだろうと踏んだか、バックステップで射線から逃れる。読み通りだ。残り十四発。


「何?」


 メジェドの怪訝な表情がクラウに向けられた。後衛に徹していたはずの男が、自らに向かって駆けてきているのだ。


「何を画策しているのか知らんが、貴様の姑息な考えが私に通じると思うな」


 謁見すら許さぬとばかりに飛来する炎の束。大蛇のようにうねるそれを、鋼鉄の呪弾が貫き穴を開ける。火花をくぐってメジェドに肉薄。残り十三発。


 空気を切り裂く横薙ぎの剣を身をかがめて躱す。それでも間に合わず後頭部の髪がいくらか宙に舞った。


「出迎えが随分と手荒いな」

「ならば送ってやろう。死への門出だ」


 四足獣のように跳びはねて岩槍を回避。着地を狙う斬撃を、シルヴィアの魔術援護が一瞬だけカットする。胴を狙って鉄杭呪弾を連発するが、ことごとくが斬り飛ばされる。それも片手間で。歯噛みしつつ反撃を避けて後退。――残り八発。


「どうした! 何かしてみせろ」


 哄笑とともに斬撃。メジェドは策を警戒してか、適切な間合いを保ってクラウを懐に入れない。おかげで肌を切り裂かれる程度で済んでいるが、


「わたしを忘れるなっ」


 横からシルヴィアが斬りかかる。強烈な剣撃を捌きつつ、メジェドはこちらに魔術を飛ばしてくる。男の足元から射出される礫の散弾に、上からは不可視の質量風。何が何でも近づけさせないという構えだ。


 それはとりもなおさず、クラウが近づくのを敵が嫌っているということだ。実際、気迫の籠ったシルヴィアの斬撃はメジェドをして後退させている。


「なら――進む」


 歯を食いしばって直進。風の鎚をかいくぐり、散弾は爆裂呪弾を使って対処する。勿論全ては散らせない。礫弾があちこちの肉を抉り取っていき、爆風の余波が脚を焼く。――残り七発。


 風を切って再びメジェドに接近。鎌鼬もかくやという二者の剣戟に割り込むのは、危険リスキーなどと言える状況ではない。


「リスクは承知ってやつだ」


 シルヴィアの一太刀に合わせて身体ごと足払いをかけるが足捌きステップで躱された。下方から呪弾を連射。必中を期していたが鉄杭は僅かに肩を掠めるに留まった。――残り四発。


「はあああっ」

「しつこい!」


 剣のぶつかる金属音が連続し火花が散る。極度の集中力がシルヴィアの剣圧を爆発的に押し上げていた。それでも魔術を使えたならばメジェドは彼女の勢いを殺すことができただろうが、


「悪いな」


 横から妨害をかけるクラウに対して、魔術を使うリソースを喰われていた。さしもの魔眼持ちと言えど、術式構築に力を入れながらシルヴィアの剣を受け続けるのは不可能だ。


「数を頼みにするって、言っただろ!」


 脚を狙った鉄杭は地中から生えた岩の盾に阻まれる。術式展開で生まれた剣運びの遅延。その一瞬を見逃さずに踏み込んだシルヴィアの上段斬りを、男は辛くも受け止める。


「ぐ。私が、押されている――?」


 愕然とした呟き。真実、先ほどからメジェドに余裕はない。あれほどの物量攻撃を可能にしていた男が、今では簡単な低級術式でクラウの足止めを図っている始末。


 男の足元から飛来する土色の槍はしかし、雨というには密度が低い。その隙間を縫うようにしてクラウは敵の背後を取る。同時に、渾身の力で振るわれたシルヴィアの剣がメジェドを押さえ込む。


 決定的な瞬間。照準は一部の狂いもなく敵に。呪弾はまっすぐ、吸い込まれるようにその背中に、


「――舐めるな、魔術使い!」


 世界が膨張した。衝撃とも圧力ともつかぬ暴風が全身を打ちのめし、身体が宙に浮く。


 台風の最中のように風が吹き荒れている。揺れ惑う視界の中、颶風を受けた鉄杭はあらぬ方向へ吹き飛んでいった。


「くぅぅ!」


強烈な一撃を受け止めきれず、少女の華奢な身体が小枝のように彼方へと消えていく。手のかかりかけた敵の背中も、遠ざかっていく。


「『災厄の風』……」


 それよりも規模が大きい。術者メジェドを中心に全方位に撒き散らされる爆発的強風は、距離を取るには最適だろう。


 思考の高速回転――今まで攻め切れていたのはシルヴィアの神がかった剣技とクラウの傷を厭わぬ前進であり、一度仕切り直されれば勝機はない。



 ならば、


「――ここで、退けるかよ!」


 背後に向けて呪弾を撃ち出す。銃口から離れた瞬間に呪弾が爆裂。爆風が追い風となってクラウの背中を押す。地面を、風を、蹴り出すように前へ。


「クラウ・アーネスタ……!」


 こちらの到来を知っていたように、待ち構えるようにメジェドは剣を振り上げた。肉食獣のような前傾姿勢のクラウは止まらず、渾身の大上段の前に呪弾は意味をなさないだろう。



 無残に頭部を晒すのが末路か。魔術使いの分をわきまえない戦いの当然の結果か。



「いや、違う!」


 咆哮する。苦し紛れでもなく、ただ確信をもって。ここでクラウは終わらない。何故なら――彼女・・がついている。


 メジェドがこちらに振り向いたということは、飛ばされたシルヴィアに対して背中を向けているということだ。全ての術式を見破る魔眼はしかし、死角から放たれた魔術を察知する術を持たない。


「――っ」


 ぐらりと男の強靭な肉体がよろめく。脇腹に叩き込まれたのは鞭のようにしなる水流。遠い視界で、横たわりながらも剣先をこちらに向けるシルヴィアの笑みが残る。


 風を背に受けて奔る。苦し紛れの魔術を飛び越えるようにして肉薄。弾倉は空、薬室に残った一発こそ逆転の一手。


「させんっ」


 銃口を逸らそうと伸びる左手をこちらの左手で払いのける。さらに踏み込み、身体の側面を敵の胴体に密着させる。銃口は肩の下から男の腹部に接している。


「――喰らえ、魔眼持ち」


 トリガー。魔道拳銃はクラウの魔力を吸い上げ、滞りなく『発射』の術式が可動。魔導機構に従って推進力が発生し、呪弾が薬室を飛び出し、男の腹部に叩き込まれた。




「――がっ」


 引鉄を引くや否や、剣の柄がクラウを殴り飛ばす。壮絶な破壊力の打撃に身を軋ませながら地を転がった。


 衝撃で視界にかかったもやを振り払いながら、クラウは立ち上がる。視線の先には、撃たれた箇所を押さえてメジェドが立ち尽くしていた。


「……何をした、魔術使い」


 表情には怪訝な色。腹部にはどろりとした紅――など微塵もなく、傷一つない。メジェドは無傷だった。


「クラウ!」


 側まで駆け寄ったシルヴィアには傷が目立つ。暴風術式はシルヴィアの方面に強く展開したらしく、全身に切り傷めいた負傷があった。その表情にもやはり、事態をうまく飲み込めないような色があった。


「くだらん」吐き捨てるような声とともに、メジェドが剣を構える。「乾坤一擲の策は失敗ということだ。貴様の三文劇は、やはり」


 視界が歪む。頭蓋が割れそうなほど痛む。思わず頭を押さえた。――クラウとメジェド、両者同時に。


「――――」


 肺は沸騰しそうなほど過熱している。シルヴィアの声もどこか遠い。視界は歪みに歪んで、二層のフィルターが重なっているような按配だ。一層には剣を構える白髪の男。もう一層には、銃を持つ青年と剣を携える少女。


 いつのまにか痛みは熱に変わる。頭だけが身体から分離されて業火で釜茹でにされている。ならばなぜ、この手に銃の/剣の感触がするのだろうか。


 予想通り/わけもわからず意識が溶けていく、混ざっていく。二つの意識が撹拌されている。――見知らぬ記憶が、再生される。


 ――煌びやかな王都。金で縁取りされた華やかな赤色の絨毯を、歓声を受けて歩いていく。

 胸中は誇りに満ちている。白銀に輝く鎧は身体のみならず名誉を保証するもの。叙勲式で授けられた剣は鉄の意思を称賛するもの。


 思えば、そのときこそ『私』の幸せだった。


 術式センテンスとは世界に等しかった。生まれつき魔眼に覚醒していたからか、魔術というものを認識するのも多分遅かったのだろう。空気というモノを子供が理解できないように。


 最早『私』も覚えていない記憶が飛び飛びに目の前を流れていく。平凡な幼少期。魔道騎士団への入団。戦いと訓練の日々。魔眼の特性スキャニングを理解したのは、このときだったか。


 気づけば、遥かな高みに位置していた。気味が悪いと言われてきた紫眼に、ようやく誇りが持てた。


その、矢先だった。


――ざりざりと異物が混入したフィルムのように記憶が霞む。思い出したくないと言っているかのような。


 特殊任務という名目で先端都市へと向かう。企業連合メガコーポが製造する『刻印杖シールワンド』は、我が国の騎士団でも使われている。その縁で、新技術の開発において『私』の魔眼が必要だとか。――やめろ。


 通された純白の部屋。そこに鎮座するように置かれた瓶詰の霊薬。――――やめろ。


 身体強化系の術式だとは看破するも、それ以上は不明。術式を読めても、その意味を知らなかったからだ。――――――やめろ。


 では、と誘われた先。地下迷宮の下層、仄暗い空間に、彼ら・・はいた。

霞む映像。その先には――



「やめろおおお!」



 悲痛ささえ伴った叫びがクラウを現実に引き戻した。崩れかけていた膝をなんとか立て直す。現実に時間はさほど経っていない。


 あれ・・は脳内で起こったできごとだ。


「……どうしたのだ、クラウ」

「いや、大丈夫。作戦は、成功だ」


 荒い息を吐いて前方の男を見据える。


「……クラウ・アーネスタ」


 紫色の瞳をどす黒く見紛うほどの濁り。明らかな憎悪が、クラウを貫いていた。視線だけで人を殺すとは、こういうことなのだと理解する。


「貴様――『私』を視たな」


 泥が煮立つような声で、男は弾劾する。


「ああ。これが呪術だよ、魔眼覚醒者」


 軋むような声で、クラウは答えた。

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