再び

 肩で息をしながら状況を確認する。クラウは不気味な巨大神殿の祭壇上に立っている。


  背後にはシルヴィアがへたり込み、その脇に棄てられたように剣が突き立っている。そして正面には、


「びっくりで仕方ないって顔だな」


 クラウの挑発的な笑みに、メジェドは僅かに顔を歪めた。


「……死にぞこないがやってくるなどと予想できる者はいないだろう」


 男の紫眼――全ての魔術構成を看破スキャンする魔眼が、すっとクラウの横の空間を捉える。


「その風操作術式は――やつか」


 その指先が精緻な術式を描くのと同時、魔導拳銃の銃口が火を噴いた。


「させるかよっ」

「ちィ……」


 鉄杭呪弾が石槍に激突してその軌道を逸らすと、何も見えない・・・・・・空間から押し殺したような悲鳴が響いた。


「おい、しっかりしろ馬鹿野郎!」

「あれは、まさか……」


 シルヴィアの呟きを肯定するように、横たわっていた壮年――恐らくジャコモ・トトメスだろう――の身体が宙に浮き、こちらに駆け足の速度で移動してくる。


 その途上で観念したように隠蔽術式を解いて姿を現したのは、


「ご苦労さん」

「オレは逃げるからな! 仕事分の働きはしたぞ!」


 かの強盗事件にも関わった、ノートス所属魔術師デュナリオだった。逃げてくる道すがら拾い上げたシルヴィアの銀剣をこちらに放り投げてくるので、すかさずそれをキャッチ。


「アニスには俺から言っておくよ。おまえはこのまま行け」

「当たり前だっ」


 そう叫び返すと、デュナリオは後方のメジェドを一瞥する。かつて彼の命を握っていた男の、当時と変わらぬ紫眼。恐怖の色を顔に浮かべながらも、デュナリオはそれを振り切るように祭壇を駆け下りていった。


「どうして、彼が?」

「あー、それはな」


 シルヴィアの問いにどう答えたものかと頬を掻く。多分、アニスに引きずられてこの作戦に参加した辺りは見ていると思うのだが。




 ここに赴く道中で、人造魔獣と戦闘を繰り広げるノートス一派と遭遇した。戦闘と言っても、アニスと筋肉双子が闘う横で、デュナリオは専ら逃げていたが。


 彼女はクラウの顔を一目見て、いつもの快活な笑みを見せた。


『ちょっとはましな顔になったじゃないか。先に行くんだろ? よし、アンタたち、クラウに道を空けてやりな!』

『押忍!』

『ついでにそこのバカも連れてきな! 小細工にはなるだろうよ! ――気張れよ、クラウ!』




「まあ、あいつなりに思うところがあったのさ」


 でなければ、いくらアニスに強制されたとは言え、メジェドと直接相対することを選ぶわけがない。彼の現実主義いのちだいじにっぷりは尋常じゃないのだから。


「くそ、よくよく考えれば、逃げ回っていた方がはるかに楽だな! オレは馬鹿か?!」

「……多分、だけど」


 さて、とクラウは宝剣をシルヴィアに手渡して前を向く。ややまごついた手つきが気になるが、今は――


「意外に静かだな。諦めたのか」


 メジェドは最初の一撃に失敗したきり黙りこくっている。何を考えているのかはクラウにはわからないが、奴の計画にジャコモは確実に必要なはずだというのに、男は超然とした態度のまま。


 クラウの懸念を裏付けるように、メジェドは肩をすくめてみせる。


「私がただ手をこまねいているだけだと思ったのか? ここからの脱出は不可能だ」


 背後で膨大な魔力反応。


「単に地形変化を起こしただけだが、あの男では突破はできまいよ」


 確かに、デュナリオは小細工にこそ長けているが、術式の出力自体はそれほど大したことがない。クラウとの戦いでしつこく斬撃を重ねてきたのは、その陰湿さもあろうが、そういうことだ。


 つまり、デュナリオがここから自力で脱出するのは、まず不可能。


「おまえにできるのは単なる時間稼ぎに過ぎないよ、魔術使い。それも、他の魔術師がやってくるには到底届かない、僅かなものだ」


 いたぶるような意思さえ感じられぬ、平板の声。全ての物事を見通す創造主のような超然とした態度。


 確かに、上層に跋扈する魔獣たちは集結した魔術屋たちを数で遥かに凌駕する。彼らがここに辿り着くのは何時間も後のことだろう。


「――じゃ、あんたを倒せばいいわけだ」


 口の端を吊り上げて。クラウはそう言ってのけた。


 ぴくり、とメジェドの眉が微動する。完璧な造形の彫刻が、一片欠けたように。


「……おまえが、私を?」


 古びた剣――何らかの魔術的付加のかかっていると思しき剣を、メジェドはこちらに向ける。瞬間、体中の産毛という産毛が逆立つ。


「軽口もここまでくれば笑えないな、魔術使い。虫けらが何をわめこうが自由だが、踏みつぶされる覚悟はできていような」


 それだけで殺されたと錯覚してしまいそうな、殺気と魔力。これがこの男の本気。


 今までの戦いは計画の一段階に過ぎず、この瞬間こそ最終段。すなわち、男が全身全霊をかけて障害物を排除しにかかるということだ。


 身体が震える。戦いの傷は癒えても、蓄積した疲労までは取り除けない。意思が萎みかける。迷宮での決定的な敗北が思考を占領しようとする。


 だが――


「言ってろ、魔眼持ち。そういうあんたこそ、その虫けらにつまづいて転ぶなよな」


 銃把グリップはこれ以上なく手に馴染む。冷や水を浴びた胸の中には、まだ温かいものが残っている。無邪気な少年の笑顔が、不器用な刑事の言葉が、剣客の激励がクラウを満たしている。


 だから、クラウはここに立っている。


 戦意の衰えないクラウを目にして、メジェドはしかし驚きの色を浮かべなかった。この場に現れたとはつまりそういうことなのだと、彼もわかっているのだ。


 剣先と銃口は互いの額を一直線に狙っている。緊張は目に見えず、しかし埃のように着実に積み重なっていく。不可視の水位が臨界に達しつつある中で、クラウはそっと言葉を紡いだ。


「……戦えるか、シルヴィア」


 彼女は宝剣を手に持ったまま、クラウの背中で動いていなかった。横目にも、暗闇に迷う少女の顔は痛々しい。


「ぁ……。わたし、は――」


 クラウには彼女の悩みは理解できないだろう。言葉の上、思考の上ではわかるかもしれない。それでも、シルヴィアの思考はどこまでも彼女のものであり、それをクラウが自分のことのように語ることはできない。|


「俺にはあんたが抱えてるのが何か、恐れているのが何か、わからない」

「っ――」


 『魔術師のあんたに、俺の何がわかるっていうんだ』――皮肉なことに。その正しさを、クラウは噛みしめることしかできない。


 それでも、そのままで諦めていることはできない気がした。


「わからない。わからないけど――横にいることはできる。一緒に戦うことも」


 あるいはそれは、醜いエゴの押し付けだ。対等に扱ってくれた彼女に救われた。頑なに勇者を目指すその純粋な姿勢を善いと思った。


 だから、そんな彼女で在ってほしい。そんな独善的な想いだ。


 息を呑む音がした。これでいいのかはわからない。魔術師でない己には――いや、魔術師であろうとなかろうと、できないこと、わからないことだらけだ。


 それでも。手の届く範囲ならば。


「――だから、俺と来てくれ。シルヴィアと、〈勇者〉と一緒に、闘いたい」


 そんな押し付けがましいことを口にした。本当はもう少しかっこつけたかったけれど、今のクラウにはこれが精いっぱいだと苦笑が漏れる。


「――三文芝居は終わりか? では、朽ち果てろ」


 それら全てを静観して、紫眼に感情はない。希望はなく、ただ堅い決意を持ってクラウを薙ぎ払わんとする。怒涛の術式展開――雷鳴の剣が飛翔し、岩石の雨が殴りつけ、暴風の鎚が強襲する。


 クラウの呪弾、鉄杭と爆裂では対抗しようがないほどの、圧倒的暴威。常人には立ち尽くすことしか許されない神話の光景。


 ――その全てを透明な蒼の波濤が薙ぎ払った。


 クラウの前、長い髪をたなびかせる彼女はどこまでも凛として美しい。一歩足を踏み出してその横に並び立つ。少女の目尻からこぼれる涙がきらりと光り、微かな剣の震えが収まった。


 対する魔眼の男はわずかにその顔を硬くする。想定外のできごとだろう。へし折ったはずの者が、二人も立ち上がるなどと。


 ありがとうと、少女の口が小さく感謝を描いた。微笑を返すと、シルヴィアもまた笑う。不敵に、勇敢に。


「さあ。勇者的に、華々しく、勝利の刻だ」

「――死にぞこないが二人に増えてなんとなる」


 シルヴィアは笑みを薄くして、


「確かに二対一というのは卑怯に見えるかもしれんな。だが覚えておけ。勇者に仲間はつきものだ」

「だ、そうだ。というわけで、遠慮なく数を頼みにさせてもらうぜ」


 銃と剣。状況は何一つ好転していない。マイナスがやっとゼロに持ち直しただけだ。だが、不思議とクラウは敗ける気がしなかった。多分、隣のシルヴィアも同じ気持ちなのだと思う。


「……いいだろう。ならば貴様らを殺し、しかるのちにあのデュナリオを殺し、ジャコモを破滅呪術の生贄とする。立ちはだかるというのなら、潰すまでだ」

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