露見

「さて、勇敢なる地下迷宮ダンジョンの魔術師諸君」


 朗々と響く劇場俳優の口上に、マフィアたちのみならず、サンコーポの魔術師の視線が引き寄せられる。


 注目に満足したように一つ頷いて、男は再度口を開いた。


「君たちの勇気が、致死の術式を私に打開させた。誇っていいとも、勇者たちよ」



 ――確かにこの男ならばあれだけの熱量も防いでみせるかもしれない。壁を生成し続ける膨大な魔力量も、焼却に拮抗するほどの城壁構築を可能にする術式展開速度マジックレートも兼ね備えている。



 しかしながら、困惑と混乱の視線が、マフィアの側から男に向けられている。


 まるで、この男が、こんなことを言うのが信じられないというような。


「だが――」


 その疑念に応えるように、勇士を讃える声が一瞬にして酷薄なものとなる。


「残念ながら諸君の中に、怯懦に溺れる臆病者が混じっていた」


 侮蔑の声は後方、逃げ出そうとしていた者たちに向けられていた。殲滅術式を防いだ城壁は、逃亡者を閉じ込める岩の檻でもあったのだと、クラウは気づく。


 嫌な予感がした。


「さあ、ご照覧あれ! 惰弱な卑怯者の末路というものを!」


 邪悪な嗤いと共に術式センテンスが起動する。マフィアたちの、身体で。


 絶叫が空間を埋め尽くす。へたりこんでいた逃亡者たちが、地面に倒れ込み、もがき苦しんでいた。


 ある者は腕を、ある者は首を押さえている。地獄の絵画にも似た光景。クラウの瞳が、彼らの露出した体表で微かに光る刺青タトゥーを視認する。あれが、何かしらの術式の起点となっているのか。


 そして、変化が訪れた。変化というにはあまりにグロテスクで、それは変貌と言った方がいい。


 ――人の皮膚を牙食い破るように獣毛が生える。丸爪は剥がれ落ち、歯はぼろぼろと抜けていく。代わりには短剣ほどもある爪牙。息を吹き入れた風船のように体躯が膨らむ。肩甲骨から翼を生やす『個体』もあった。


 吐き気を催す図だった。事実、サンコーポの魔術師には口元を押さえている者も少なくない。こみあげる酸っぱいものを感じながらも、クラウの思考は過去に跳んでいた。


 特別房に突然湧いた、人狼ワーウルフの群れ。跡形もなく消えた強盗事件の犯人たちは、やはりあのようにして――


「あの屑め、霊薬の構成を完全に掌握してやがるな」


 ディーグの唸るような呟きは、さすがに聞き逃せないものだった。思わず口に出して問いを投げる。


「おい、霊薬ってのは」

「……ちィ、やっぱ知らねえのか。情報部め、誤報ガセを流しやがったな」


 うんざりしたようにディーグは唾を吐き捨ててクラウを見やる。


「まあいい。どうせてめえは後で殺す。霊薬――サンコーポが秘密裡に開発していた魔獣化の魔導液だよ」

「っ」


 予想はしていた。それでも、衝撃が胸をつき、痛みがクラウを苛んだ。世界をよりよくするはずの現代魔術が、こんな結果を生む。――『魔術なんてものは、屑だ』。


 その違法霊薬はきっとあの銀行の貸金庫に秘されていた。何らかの取引までとりあえずの保管先だったのかは知らないが、ともかく、そこを襲撃して霊薬を奪い去ったのが、フード男に命じられ、デュナリオに率いられたあの集団だ。


 そして目の前のこのディーグは、その場に居合わせたクラウを口封じに殺すため、サンコーポが派遣した。


「霊薬まがいのドラッグをばらまいて何をするかと思えば――潰してやるよ、屑が」


 男はすっと胸を膨らませる。次の瞬間、魔獣たちの産声を飲み込むような大音声を発した。


『サンコーポの魔術師ども。ここが正念場だ。てめえらはこのためにここまで戦い抜いてきた。

 ――目の前の醜悪な面を見ろ! 奴らを殲滅し、オレたちはここを後にする。気張れ、雑魚ども!』


 一瞬の静寂を待って、鬨の声が上がる。吐き気に崩れる者など、そこにはもう一人もいない。魔術師たちは一斉に前進を開始した。


 対して、フードの魔術師は哄笑をさらに高くする。


「さあ、さあ、さあ。マフィアたちよ、君たちの勇気を見せてもらおう! 背を向けるな、向ければ異形となるのが君たちだ。人として死にたければ前に進め。もしかすれば――生き残れるかもしれんぞ?」


 彼らの絶叫は悲鳴にも似て、悪辣な詐欺師が荒くれ者どもを狂わせる。


 人でなくなる恐怖、死の恐怖をこれみよがしに見せつけられた魔術師マフィアたちは文字通り死にもの狂いの死兵と化した。更には魔獣たちも、男の術式操作によってか、はたまた本能的な飢えからか、突撃を開始する。


 かくして、企業魔術師と相殺魔術師の尖兵、そして魔獣の闘いが始まった。






 怒りのままに突き進む。それはどれだけ楽なことだろう。


 魔獣を、マフィアを、企業魔術師を呪弾で退けてクラウは前進を止めない。弾倉が空になればすぐさま次を装填する。その間の隙はシルヴィアが埋めてくれた。


 赤々と燃え盛る憤怒が確かにこの胸にある。人間を玩具のように弄ぶ奴への怒りが。


 だが――


「少しでも早くこの戦いを終わらせるために、奴を倒す。そうだな?」


 シルヴィアの瞳は不思議と澄んでいた。その言葉にクラウは迷いなく首肯する。


 怒りはある。だが、それ以上に、この場を収めるための最善手を理性が提示している。だから、クラウの疾走は激情によるものではない。


 そうしていくつかの戦場を駆け抜けた先に、目的の男がいた。


「アアアア!」


 理性を喪失したような絶叫。戦闘の余波を恐れてか両者への畏怖か、その空間にはマフィアもサンコーポ側も寄りつかない。


「くはは、そうか、おまえが、そう・・なのか」


 フードの男が後方に跳ぶ。一歩遅れて剛腕が地面を割った。魔獣化術式を全身に行使したディーグが、男と対峙している。


「さあ、これはどうだッ」


 腕を一振り。神速にすら及ぶフード男の魔術構築が、獣人の身体下の地面から槍の群れを生やす。魔術的強化ゆえか、硬化した皮膚を易々と貫く石槍。


 致命傷だ――そうクラウは判断した直後、

「主よ、この者にご加護を」


 女の祈りが奇跡を現世に招く。淡い金色の光が獣人の身体を包むと、傷は跡形もなく癒えた。体系化されず秩序立っていない分、神働術テウルギアの回復力は未知数。


 修道女は二者の戦いから離れたところで支援に徹している。マフィアたちが襲いかかるも、光の防御を突破できないばかりか、逆に焼却される有様だ。


「チィ、ちょこマかト逃ゲ回りやガって」


 唸り声を受けたフードの男はしかし、ディーグではなく後方の修道女に視線を送る。


「もう二回は殺せるはずだが、ふむ。そこの彼女、もしや聖人級の神働術師ではないかな」

「サあな!」


 音を立てて迫る爪の斬撃は、フード男の身体ではなく地面からせり出した岩の壁を破砕するのみ。後方に跳んだ男の掌から生み出された、風の鎚とも言うべき一撃が獣人の巨体を吹き飛ばす。


 ――その空隙に青い流星が飛び込んだ。


「シィ!」

「おっと」


 銀剣を媒介に大瀑布を叩きつける質量斬撃『瀑剣カタラクト』。完全なタイミングで行われた不意討ちをしかし、男は予期したかのように防御する。質量の展開を防ぐ岩のベールが銀剣を覆う――特別房での焼き直しのように。


 だが、


「一つ教えてやろう。勇者は学習する!」


 シルヴィアは剣の柄を放棄して、さらに一歩男に肉薄した。拳が――男の腹部に突き刺さる。


 ――相殺魔術は全ての魔術に対して後の先を取る。ならば、魔術に寄らない攻撃を行えばよい。


 彼女の渾身の一撃が男をよろめかせる。追撃に移ろうとするシルヴィアはしかし、危険を感じてか宝剣を確保してバックステップ。その髪を幾筋か引き裂く風の斬撃魔術。


「調子に乗る――っ」


 シルヴィアを追おうと踏み出しかけた男が、右に手を差し出して身体を岩の壁で覆う。そこに、クラウの放った鉄杭の呪弾が突き刺さった。


「……なんだ?」


 不意討ちの失敗よりも、その防御がクラウの目に止まる。それは呪弾の規模に対してあまりに過剰だ。


 相殺魔術とは最低限の魔術で敵の攻撃を殺すことに価値がある。術式を見た後で、防御を可能としうるほどの魔導野の演算能力がある奴にとって、過剰などあり得ないはずだが――


「うお、あぶねえ」


 思考をめぐらせるより早く、岩の壁から礫の散弾が放射される。慌ててその範囲外に退避するが、そこに差す巨大な影。ディーグの巨躯が、クラウの背後にあった。


「――ぐう!」


 回避は間に合わない。咄嗟に腕の薙ぎ払いの方向に合わせて跳び、腕を交差させて防いでもなお、強烈な衝撃が臓腑をかき回した。骨の軋む音を聞きながら地面を転がる。


 追撃はない。今のは多分、邪魔なものを少しどかした程度のものだ。それがクラウにとっては致命傷になりかねないとは。


 ディーグは既にフードの男へと突進していた。肉弾と魔術の激戦に、銀剣をひっさげてシルヴィアの矮躯も参戦する。


「くそ、とんでもないやつらだ」


 痛む身体をひきずって闘いに戻る。サンコーポも、マフィアも、この場の全てがクラウとシルヴィアの敵だった。視界の端にシスターマリアを置いて警戒しつつ、機を窺う。クラウがあの激闘にまともに参加すれば三秒と持たないだろう。


 だからといって、すごすごと逃げ帰るわけにはいかない。実力不足は痛いほど理解している。それでも――


「ぐっ」


 三者の激闘から最初にはじき出されたのはシルヴィアだった。アニスとの決闘やここまでの戦いで消耗しているからか、動きが精彩を欠いていた。その表情には焦り。



 消耗だけではないか。そんな直接的なものではなく、もっと根源的な――精神的な問題。



「少しでいいから、休め」

「だが」


 返答を聞かずに前進。交錯する両者を見据えて銃口を上げる。爆裂する呪弾がディーグの巨躯とフード姿の痩身を襲う。


 ディーグは魔獣の外皮による耐久を選び、やや身じろぎするだけで爆撃をしのぐ。一方、フードの男はやはり堅牢な土壁を形成して呪弾を防いだ。――やはり不可解だ。


 しかし疑問の紐を手繰る間もなく、獣人の眼光がクラウへと向けられる。


「邪魔ダ」


 殺気を纏った突進。このままクラウを轢き殺すつもりだった。その巨体は、掠めるだけでクラウの身体を粉々にするだろう。


 そして、この速度をクラウは躱し切ることができない――。


「だからって、諦めてたまるかってんだ」


 満身の力を込めて踏み切る。横っ飛び、それでもまだ足りない。中空のクラウを轢殺せんとディーグが迫る。空中で横に呪弾を放った。それはクラウの真横、ディーグの鼻先で爆炎を巻き起こす。


「ガアァ!」


 痛みゆえの咆哮を聞きながら、爆炎の余波をもろに受ける。炎熱の苦しみを代償に、クラウはディーグの突進を退けたのだ。


「……あと骨も逝ったかもな」


 肋骨のあたりを押さえて呟く。

 爆発の衝撃を受けたのだから当然だった。やはり才のない身では無茶を打つしかない。


 報復に燃える獣人を呪弾で牽制しつつ距離を取る。同時に、瞳はフードの姿を探していた。奴はどこへ行った?


 答えは巨躯の向こうにあった。光の絶対防御を纏う修道女と対峙する男の姿を認める。その視線に気づいてか、ディーグが焦ったように振り返った。


「シまっタ!」


 危機の只中にあってマリアの微笑みは変わらない。慈愛を向けながら指先から光条を放つが、男は射線上に鏡を生成してその熱線を逸らす。とんでもない応用だ。


 クラウの脳内にふと疑問が湧く。初見に違いない神働術でさえ、あれほど適切に対処できるものなのか。


「どうにもその防壁は破りにくい。治癒能力も面倒だ。――退場していただこう、無名の聖女よ」


 宣言と同時、修道女の足元に亀裂が入り、瞬く間に崩落していく。マリアはそこから飛び退こうとするが、フード男が炎熱や水流を上から叩きつけ、女をそこに縫いとめる。


「グルァ!」


 背後から忍び寄る一撃をしかし、後ろに目がついているかのような挙動で男は躱す。勢いのあまりにディーグは崩落孔に半ば足を踏み入れ――


「そうれ、お返しだ」

 その背中に岩石の質量攻撃が突き刺さった。その重量を耐えかねて、獣人の巨躯もまた修道女に続いて穴に落ちていった。


「さらばだ。感謝するよ、君の魔獣化術式ブルータナイズのおかげで私の計画は万全となる」これみよがしに穴に向けて霊薬と思しき液体入りの瓶を振る。

「クソ――!」


 叫び声は次第に小さくなり、やがて消えた。サンコーポの魔術師たちが浮足立つかと思ったが、戦場の熱狂は彼らを飲み込み、戦いの勢いに衰えは見えない。


 そうして、クラウとシルヴィアはフードの男と再び対峙した。


「また君たちか。正直、これは計画にはなかったことなのだが」

「計画なんて、ご大層なものがあったとはな」


 クラウの軽口に、男はくすりともせずに言う。


「そう、計画だよ。例えば――そう、そこのシルヴィア・ヴォン・ランドッグ。彼女を依頼という形でこの事件に引き入れたのも、計画の内だ。確か、イレーナとかいう名前だったか」

「なっ」

「他にも色々あるが……それにしても、どうやって君たちはここに来たのか」


 一体どこから情報が漏れたのか、と男は首を傾げてみせる。ふざける男に、クラウは銃口を向けた。


「随分杜撰な計画だな。これは善意で言うんだが、見直した方がいいんじゃないか」


 軽口を叩きながら思考を回す。最適効率の相殺魔術を破る手立てはないに等しい。だが、クラウの呪弾に対する過剰な防御。そこに付け入る隙があるはずだ。


「……見直しか。そうだな、見直しは大事だ。最初は何事かと思ったよ。だが――」 


 男の視線は粘つくような悪意を湛えてクラウに向けられる。


「考えてみれば、なんてこともない。ただの、子供騙しだ」


 背筋が凍った。最悪の想像が首をもたげる。まさか――


「……何を、言っている」


 男の声音があからさまな喜色を帯びた。


「そりゃ」

「御託はいい」


 飛び出すような踏み込みでシルヴィアが男に接近。それは無謀とも言える攻勢だ。


「何回やればわかるのかなっ――」


 嘲笑う声が途絶する。銀剣が水を纏うこともなく振り抜かれたからだ。術式を構築しておきながら魔力を流さず起動させない、ただの斬撃。それに意表を突かれたのか、男の回避が一歩遅れた。

 しかし、


「危ない、危ない」


 声音にはあふれんばかりの余裕。超級の魔術師であると同時に武術にも通じているようで、男は最低限の動作で斬撃を回避していた。かざした手に地面から精製した岩の剣を握り振り抜く。


 シルヴィアは打ち合いを忌避して飛びずさった。クラウの横に着地した彼女の表情に悔しさはない。


「ひとまずは、貴様の顔を拝むところで満足しておこう」

「……ふうん」


 シルヴィアの一撃は確かに躱されていたが、男のフードを捉えてもいたのだ。布の切れ端がぽたりと地面に落ち、その素顔が露わになる。


 はらりとこぼれるるような灰色の髪の下、舞台役者のような美麗な顔立ちがあった。しかして弱さを感じないのは、巌のような面持ちのためか、それとも紫に輝く・・・・瞳の神秘性か。


「……魔眼保有者か」


 シルヴィアの呟きが耳に入ってか、男は薄く笑った。今までの大げさな役者じみた言動が嘘のような沈着ぶりだ。


「この瞳を晒した以上、貴様らにはここで死んでもらうとしよう。このメジェドの名の下に、引導を渡してやる」


 魔眼を光らせて男は傲然と宣言する。その戦意は先ほどとは比べものにならないほど高い。膨れ上がる魔力がクラウの肌を刺す。



 ――魔眼。

 突然変異によって発現する魔的器官ムタチオン。おとぎ話の魔法使いが、魔術言語ルーンなしに魔術を行使する突然変異者や呪術師をモチーフにしていたように、魔眼は人智を超えた能力を有する。


「その眼が、あんたの相殺魔術のタネってわけだ」


 半ば確信を持ってクラウは言った。空想上の産物に等しい魔的器官ならば、およそ理論上でしか可能でない魔術行使を扱う余地がある。


「そうだ」


 らかな・・・侮蔑・・めて・・男は肯定した。いぶかるクラウの心中を見通すように紫眼が笑う。


「この眼はあらゆる魔術の構成を看破スキャンする。その魔術言語ルーンの一つ一つまで、神働術テウルギアの祈りの中身までな」


 だからこそ、と男は続ける。口を挟むことができない。


「――クラウ・アーネスタ。貴様は魔術師などではない。私にはわかるぞ、その汚らしい魔術使いの奇術がな」


 息が止まった。この男と対峙するたびに感じてきた漠然とした不安が今、現実化していた。それは、クラウが最も恐れていた言葉だった。


「どういう、ことだ」


 戸惑うシルヴィアを制止することも叶わない。身体が石で固められたように動かない。喉が焼ける。声が出ない。


「簡単な話だ、シルヴィア・ヴォン・ランドッグ。そこの男は魔術師ではない。ただ魔導拳銃マギカショットに仕込んだ魔術式を運用しているだけの、卑小な存在にすぎない」


 あらゆる魔術の構成を見通す魔眼ならば当然わかることだ。クラウの魔導拳銃は単なる刻印杖シールワンドではない。



 魔術師の魔杖ワンドは、その術式の全てを担っているわけではない。高速戦闘に対応するため、予め魔術言語を刻印シールしておくことで、魔導野の負担を肩代わさせているだけだ。最終的な部分、竜の眼を描くのは魔術師自身だ。


 それと対照的に、クラウの魔導拳銃は魔術の全てを担っている。必要な術式は全て、前もって刻印されている。


クラウのやることと言えば、狙いをつけること、魔力を流して杖を起動させること。それぐらいだ。


 非魔術師にも扱える簡易魔術インスタント。それが、呪弾の正体。


 つまりは、魔導機器にスイッチを入れているのと変わりない。



「最初は驚いたとも。何せ、この私の眼に映るはずの術式が、『発射』と『顕現』だけなのだから」


 術式が見えない――正体不明な攻撃だからこそ、奴は過剰なまでに防御に徹していた。


「それが単なる魔術師の真似事とは。詐術だけは大したものだ。魔術すら使えないゴミがよく今まで騙し通してきたと言ってもいい」


 視界が震える。いや、銃を握る手が震えているのか? 警察から横流しされた魔導銃それは、魔術適正が皆無なクラウ用に調整されたものだ。


 慣れ親しんだ把手も、今やかろうじて保持しているような有様。


「……っ」


 横から視線を感じる。決して――意外にも決して、厳しいものではなく、憐憫の込められた、慰撫するようなものだ。



 それが、一番堪えた。



 魔術使いと罵られたことは過去にある。自分でもわかっている。それでも、シルヴィアに――魔術師に慰めや憐みを向けられるのは、予想以上につらかった。


 彼女は最初から対等に接してきた。多分、クラウはそれが嬉しかったのだ。



 魔術師になりたいと願い、無理だとわかってなお未練がましくすがりついていた。そんな醜悪さを、肯定されたような気がしていた。――幻想だ。



「そうだ。ようやく自覚したのか、魔術師未満。貴様はそこらにいる矮小な一般人に過ぎない。魔術屋など――何かを叶えようなどということができるはずがない」


 その言葉に頷いてしまう自分を認めた。そのときには既に、クラウは魔導銃つえを取り落してしまっていた。


 魔術などというものは屑だと奴は言った。ならば、魔術くずすら扱えぬクラウは、もはや何もできないだけの存在なのだろう。


「……ああ、くそ」


 吐き出す言葉に力はない。銃を拾う気力もなかった。


 世界が遠くなったように錯覚する。シルヴィアが魔眼の男に斬りかかっていた。アニス戦で見せた青い粒子を全身に纏わせて、凄まじい形相で猛攻を展開している。それを悠々と躱していく男は、驚きながらもまだ顔に余裕の色があった。


 不自然なまでの身体能力だ、とぼんやりとした頭で思う。


 息もつかせぬ連撃。それはとりもなおさず、攻め手にも余裕がないことを示している。元から消耗していたシルヴィアならば、なおさらのこと。剣戟の合間合間に男の反撃が差し込まれる場面が増えていく。


 男は頑なに腰の剣を抜かず、地面から生成した岩の剣を用いている。


 援護しなければいけない。そう頭では理解していても、身体が動かなかった。心が折れていた。できるのは見ていることだけ。



 魔眼持ちではないが、そうして見ているとわかることがあった。男の反撃が始まると同時、シルヴィアの動きが格段に鈍くなった。消耗ゆえだけではない。あの白い横顔に見える引きつりは、多分恐怖だ。



 それがわかったところで何になろう。クラウが彼女に対してできることはない。人を救えるはずがない。


 状況は加速的に悪化していく。男の反撃を躱すたびにシルヴィアは精彩を欠いていき、それが更なる反撃を呼ぶ。これ以上はないという悪循環。その結末はわかりきっている。きっと、男の魔手が少女の首を刎ねるだろう――。


 確実な未来を幻視したそのとき、轟音をとともに地を割って這い出るものがいた。


「ディーグか。思ったよりも時間がかかったな」

「こノ屑が。小賢シいマネを」」


 現れ出た獣人は大小様々な傷を全身に負いながらも金糸の髪の修道女を小脇に抱えている。


「今度こソ、そのイけ好カナい面をぶチ壊してヤル」


 魔眼の男はシルヴィアを岩剣で弾き飛ばすと、ディーグからも距離を取るように大きく跳躍した。岩剣を放り捨てて、腰の剣を軽く叩く。


「私としてはその誘いに応じたいところだが、そろそろ時間だ。『探知』が終わったようでね。――計画は最終段階だ」

「っ待て、まだ勝負はついていないぞ」


 シルヴィアの言葉も無視して男は術式を展開。その眼前に壁がせり出したと思えば、そこから拳大の礫散弾が放射される。シルヴィアはクラウの射線上に割り込んで水膜で防御。ディーグも体表の硬さに物を言わせて耐える。


「……逃げられたか」


 散弾の雨が止んだ頃には、男の姿は跡形もなく消え去っていた。ゆらりと膝をつくシルヴィア――その後ろで力なく佇むクラウを一瞥してディーグは、


「おまえらは後だ」


 そう言い残して部下たちの元へと駆けて行った。


 魔獣たちはそのほとんどが討伐され、マフィアたちも多くが殺されるか無力化されている。戦いが終わるのも時間の問題だった。


 いつの間にか、シルヴィアは立ち上がってクラウのすぐそばまで来ていた。


「となれば、ここに残ってもなぶり殺しにされるだけだな。勇者的に敵前逃亡はご法度だが、ここは勇者的戦略的撤退だ」


 早口にまくし立ててシルヴィアは動き出す。いつの間にか、彼女は魔導銃を拾い上げていた。


「……クラウ?」


 その心配そうな声で、呆然と突っ立っていたクラウはようやく我に返った。


「あ……悪い。そうだな、早いところずらかろう」


 ミンチにされちゃ敵わないと笑ってみせる。シルヴィアが銃を手渡そうとするのを「いいから」と遮って、足早に駆け出す。あるいは逃げ出すように。


 マフィアの残党が思ったより激しく抵抗したのか、クラウたちに差し向けられた追手はほとんどいなかった。あるいは、ディーグが無意味と判断したのか。迷宮街へ戻り地上行きの大昇降機エレベーターに乗るのに、そう時間はかからなかった。


 そうして、クラウは逃亡した。

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