戦争
「おい、そこの!」
背筋が、凍った。明らかにその鋭い声はクラウに向けられていた。顔を見られたら確実に終わりだ。懐に隠した銃の感触を確かめる。直立してやけっぱちに返答した。
「は、はい!」
「そっちは逆だ、さっさと自分の部隊に合流しろ」
「了解です!」
急を要する事態ゆえか、ディーグはクラウに注意を払うこともなく駆けて行った。続けて通信テントから人の気配。マリアだった。彼女もまた、こちらに注視することなくディーグの行った方向へと去っていく。
気づけば、あちらこちらのテントから魔術師がわらわらと出てきていた。
「あ、あぶねえ……」
顔をあらためられたら一貫の終わりだった。どうやら先の警報はかなり緊急性の高いものだったらしい。命拾いした。
胸を撫で下ろすクラウの元にシルヴィアが合流。テントに挟まれた路上には、既に何人もの魔術師が集まっている。後方、おそらく深部に続くのだろう回廊の方へと移動する人波。このまま立ち止まっていれば不審がられるだろう。
「どうする?」
「もぬけの殻になったテントから情報を探る……ってのはこの数じゃあな」
周りを見渡す。テントの数は二人で回り切れるほど少なくはない。この場に残るだろう人間を一々誤魔化すというのも骨が折れる。
「とりあえず流れに着いていくぞ。この戦争もどきの正体も確かめなきゃならん」
フード男の企み――魔術世界の破壊が何を意味するのかは、まだ明らかになっていない。
だが、真実に近づいているのだという感覚はあった。クラウの推測が正しいとすれば、これはロンドニドムスという街を揺るがすことになる――。
ちらりと、あの中年から剥ぎ取った制服の袖に目を遣る。袖口のボタンには精巧な、高度な魔術により成型された文様が鎮座している。
それは
ということは。
ディーグはそんな大企業が口封じに送ってきた刺客、というわけだ。シルヴィアには交渉で、と言うから、裏にいる組織は公的な機関ではないかと思っていたが、まさか天下の
「……どうにもきなくさくなってきた」
怒号があふれかえり、鮮血が撒き散らされる。戦争とは悲惨なものだと言うのなら、ここはまさしく戦場だった。
敵と味方が入り乱れ、斬撃と魔術が行き交う。そこかしこで悲鳴が上がり、命が散っていく。
非魔術師と比べた魔術師とは、一騎当千の
強化された身体は獣より迅く、練り上げられた魔術は城をも落とす。此処において、大規模な陣形は格好の標的だ。ゆえに魔術師部隊による戦いは、軍勢の激突ではなく
「お、オオアアア!」
「くそっ」
半狂乱で襲い掛かってくる
「ああくそ、まじの戦争かよ、これ」
クラウは後方に下がりつつ嘆息する。修羅場をくぐった経験はあるが、さすがに従軍経験はない。
「っ。来るぞ、中規模魔術」
シルヴィアの叫びが緩んだ気を引き戻す。前方に迫る火球は、優に大人一人は呑み込めそうだ。熱風が頬の産毛を焦がす。
瞬時に呪弾を叩き込む。呪弾は着弾と同時に爆裂して火球の威力を減じさせるが、掻き消すには至らない。続けて
後ろに飛び退く。が、所詮人の脚だ。魔術によって強い推進力を得た火球に対して、死の時間をほんの少し、先送りにするだけ。
僅かばかりの時間稼ぎはしかし、今回ばかりは実を結んだ。
「――消えろっ」
銀剣一閃。迸る水流の鞭が火球を薙ぎ払った。爆発的に発生した蒸気の向こうで、相手方の魔術師の焦る顔。直後、クラウのさらに後方から伸びた光弾が敵を貫いた。
崩れ落ちる魔術師を横目に振り返ると、ガッツポーズをする白いサンコーポ制服の魔術師。手を軽く振り返す。あのとき強奪した制服のおかげで、味方として認識されているようだった。
「シルヴィア、あんまり離れるなよ」
クラウと違ってローブしか着ていない彼女は、誤射を受ける危険がある。――事実、傭兵崩れと思しき魔術師が、サンコーポ側の魔術を食らうの先ほど目にしたばかりだ。
いや、クラウたちに限っては誤射とも言えないのだが。
一旦クラウたちは後退する。敵の攻勢が弱まってきた。その隙を見て、クラウは弾倉を再装填しておく。
「わかっている」
ぶっきらぼうに答えてシルヴィアは周囲を見渡す。当初は大き目の回廊だったのが、長引く戦闘の余波で軽い大空間となっていた。そこで繰り広げられる激戦の端に、クラウたちは位置している。
密集陣形が無駄だからといって、ある程度の中枢がなければ統率は取れない。指揮官たるディーグは、直属部隊を伴って最前線で魔術師たちを束ねていた。顔を見られるのを避けて、クラウたちはそこから離れた戦線の端にいる。
それでも、散発的とはとても言えないほどに敵は押し寄せてくる。首筋や顔に刻まれた
――やはりサンコーポと紛争を起こしているのはマフィアなのだ。そしてそれを率いているのは、恐らく相殺魔術師の男。
半ば確信しつつ、クラウには釈然としないものがあった。
「マフィアどもは凶悪さで知られている。だからといって、こんな戦い方は」
「いくらなんでも捨て身すぎる、か?」
シルヴィアの言葉に首肯する。捨て鉢と言ってもいい。殺さなければ殺される――それは当然のことだが、それにしても気迫が違う。
「まるで、逃げた途端に殺されるとでも言いたげだ」
練度と数で上回っているサンコーポ側が押し切れないのは、そういうわけかもしれなかった。ディーグが率いる部隊に対し荒くれ者どもは死兵となって食らいつく。死をも恐れぬ――もしくは、死よりも恐ろしいものを知っているかのような。
ふと脳裏に蘇るのは、尊大なデュナリオが幼子のように怯える姿。フードの
「……反吐が出るね」
一刻も早く奴を探さねばならない。サンコーポが戦争をしかける『理由』は、クラウの考えによれば、あのフードが握っているはずだ。
前進しようと踏み出した足を、伝令の声が妨げた。
「総員退避ー!」
タイミングが悪い、とシルヴィアがぼやいた。サンコーポ側が戦線の後方に置いていた部隊が準備を終えたのだ。大規模魔術が来る。
逸る気持ちを抑えて後方に下がる。あのディーグでさえ後退しているのだ、余波ですらクラウには耐えきれまい。
急速後退したサンコーポ部隊に追いすがるマフィアたちだが、術式展開が先んじた。両者の間の空白地帯に莫大な魔力が集約される。
戦線の膠着は、マフィア側の死兵化に加え、後方部隊に人員を割いた影響もあったのだと遅ればせながら気づく。直後、術式がその姿を顕現させた。
「うお、まじか……」
思わず声が漏れ出ていた。生成されたのは、先ほどシルヴィアが撃墜した火球を何百倍にも大きくしたような
考えてみれば当然だ。大企業のお抱え魔術師――シルヴィアほどとはいかずとも、充分一流の域に違いない。それが十人がかりで練り上げた術式、魔力だ。
クラウが何十人、何百人いようと、あれに届くことはない。その事実が、改めて胸に突き刺さる。
味方側の人間ですら息を呑むほどの大魔術。その威容を真正面から受けるマフィアたちは、いかに死兵と言えども恐慌をきたしていた。一目散に逃走する者、諦めたように棒立ちになる者、失神する者。あれほどの戦意は、魔術の暴威を前にして紙のように吹き飛ばされていた。
「……指揮官」
もはや大勢は決した。これ以上やる意味があるのかと問うように、サンコーポの魔術師たちが指揮官の顔を見上げる。百にも上る視線を受けてなお、巨漢は手を振り上げる。
「構わん――撃てえ!」
号令を受けた魔術部隊が最後の術式を起動する。小太陽は赤熱してその紅さを増し、形を歪めていく。
それを凝視していたシルヴィアが呟くように言った。
「指向性を持たせている。……あの熱量を爆炎にして、一気に放出するつもりか」
「本当に殺しつくすつもりかよっ」
気づけば地を蹴っていた。気取っている――デュナリオの毒が胸中を苦くする。別にそんなんじゃない。
「誰か、助け、助けてくれっ」
ただ、目の前で無為に人が死ぬのは見過ごせない。助けを求める声を、ただ見殺しになんて、
――脳裏をよぎる、谷底の火。汚染された空気の中で燃える
人垣をかき分けて、魔術を展開している部隊に肉薄する。護衛と思しき魔術師たちが、その行く手を阻むように立ちふさがった。
「おい君たち、何を――」
先頭の男を有無を言わさず殴り飛ばす。
「おまえ、間諜かっ」
左右から斬りかかってくる男たちを突破しようと
「……あんた」
「無用の追撃を勇者正義に反する。それだけだ」
「そうかよ」
思わず笑みがこぼれた。相変わらずの変人だ。
ここまで暴れれば当然、大がかりな騒ぎとなる。ざわめきと武器の切っ先が向けられる。
気配を感じて銃口を向けた先、人垣を割って現れたのは、獣を思わせる凶相。
「……てめえら、生きていやがったか」
「死んだとは一言も言ってないぜ」
「勇者に死はない」
最前線での激戦を潜り抜けたというのに、ディーグの身体には傷一つない。所々破損している装備だけが、修羅場を物語っていた。
「あのクソ尼め……。おいそこのおまえ、マリアを呼んで来い」
「はっ、副指令殿を呼んで参ります」
駆け抜けていく親衛隊の一人。敵が減った、などと喜んでいる場合ではない。術式は刻一刻と稼働している。
「おい、術式を止めろ。これ以上やる必要はないだろ」
「のこのこと姿を見せて言うことがそれなのか。呆れたぜ、とんだ偽善バカだ」
かかれ、というディーグの合図を機に、一斉に周囲の魔術師たちが牙を剥く。剣撃や打撃、あらゆる魔術攻撃がクラウとシルヴィアに殺到する。
「――『弾くは災厄の潮』」
それらの全ては、二人を包むように湧き出した水膜に弾かれた。攻撃の接触と同時に逆噴出した水流が攻撃を押し流したのだ。
アニスの『災厄の風』をアレンジしたのだとわかる。いつもは疎ましく感じる才能が、今だけは頼もしい。
たじろぐサンコーポ魔術師を突破。大規模術式を展開する部隊へと駆ける。その疾走を阻むように、クラウの頭上にディーグの影が差した。見上げるような巨躯から振り下ろされる拳は、超人類的な筋肉に覆われている。部分的な
「先に行けっ」
銀剣の一閃は水をまとって剛腕と拮抗。シルヴィアはその矮躯をものともせずにディーグを押さえ込む。
「頼んだ」
その脇を駆け抜け、灼熱術式の部隊へと矢のように一直線。立ちはだかる魔術師たちを躱し、殴り飛ばし、踏み台にして跳躍する。
身体は遥か上空に。ざわめきを見下ろす。肉壁は遥か下、空中で姿勢を制御しながら狙いを定め、呪弾を放った。
魔導拳銃の『発射』術式による超超高速呪弾は、小太陽術式の維持に専念する魔術師たちの頭上で炸裂し――光の壁に阻まれた。
「なんだっ!?」
動揺する身体はしかし、無情にも重力に引かれ墜落を始める。その先には、餌を待ち構える雛のように、くちばし代わりの武具を構える魔術師たち。
そこに爆裂呪弾を打ち込んで着地点を確保。爆風が魔術師たちを吹き飛ばす間に、妨害者の姿を探す。落下していくクラウの視界に、柔らかな笑みを浮かべる修道女が映った。
あいつか――着地しながら、クラウは魔導拳銃内の残り弾数を確認する。
「皆さん、道を空けて下さい」
口々に了解です、と唱えてサンコーポの兵が横に退いていく。白い大海を割ったような光景の先に、シスター・マリアが立っていた。
――こいつを相手にしている暇はない。視界の端に映る殲滅術式は既に臨界直前。
「あんた、今回は見逃す気はないのかよ」
「見逃す?」
可愛らしく小首を傾げる様はまるで純真無垢な少女のよう。だというのに、クラウは底知れぬ気配を直感して魔導銃を構える。
「わたくしは教えに従っているだけですが。『仁愛ある者に信仰の余地あり』――未来の同輩を助けることと異教徒を抹殺することとは、矛盾しませんよ?」
ぞっとすることすらない。クラウを助けることとマフィアの抹殺は、彼女の中では論理的に一貫しているらしい。
というか、誰が未来の同輩か。
「最高な正論だよ、本当。『教会』ってのはいいね」
「あら、でしたら――」
笑顔の勧誘を遮ったのは、鉄杭と、それを焼却した光の護り。
思わず舌打ちする。不意討ちへの対策が早すぎる。『教会』特有の魔術的現象――
不思議そうな瞳でこちらを見るマリア目がけて地を蹴り抜いて接近する。
「サンコーポの手先なのかいかれ修道女なのか、はっきりしてほしいね」
連続して呪弾を撃つが全て光壁に焼き払われる。何でもない見た目をして凄まじい熱量だ。こちらにあれを破る手段はない、と疾走しつつ残酷な判断を下す。
だが、突破不可能な城壁だというなら最初から相手にしなければいい。
「この場での対立は避けられないようですね。残念です……」
土煙を狙って地面に照準を合わせるクラウの耳に飛び込む、不穏な呟き。
「でも、大丈夫です。――四肢の欠損でしたら、すぐに治して差し上げますから」
差し出された指先がかっと光る。悪寒に震える間もない。前傾姿勢から完全に避けることは困難。瞬間的な思考の末、横転するが、
「つう……」
神経を焼く激痛がクラウを苛む。背中の肉を削り取るように熱線が当たっていた。霞む視界で、見上げるように修道女を睨みつける。暴力など知らないとでも言うような笑顔が不気味で仕方なかった。
「こんなもんかよっ……」
悪態をついて立ち上がり再度の接近を試みる。一歩目を踏み出したところで、後ろから何かが高速で近づいてくるのを感じた。
「くうぅ!」
青い髪が尾を引く。シルヴィアだ。
「うおっ」
咄嗟に抱きとめたものの、とんでもないスピードで飛んできたため少しよろめく。光線を警戒してすぐさま振り返るが、マリアに手を出してくる様子はない。
「……放してくれっ」
はじけるようにクラウの腕を飛び出して、シルヴィアは飛来してきた方向に剣を向ける。そこにゆっくりと歩いてきたのはディーグの巨体。
「どうした、この前より動きが鈍いぜ」
「黙れっ」
シルヴィアにしては珍しく声を荒げる。今にも吶喊していきそうだ。その腕を掴んで制止しつつこの場の打開策を必死に練る。
前には謎の神働術の遣い手、後方からは魔獣化術式による超強力な拳闘士。突破力に優れたシルヴィアは消耗している。
――くっそこれだから無駄に才能のある魔術師は嫌いなんだ。だがつべこべ言ってる暇もない。早く術式を止めなければ――
「あ」
声を発したのは誰だったか。時が止まったような一瞬で、致命的な『それ』が訪れた。
ドクリ、と心臓の鼓動のような魔力の胎動。視線は吸い寄せられるように中空の小太陽へ。
殲滅術式は球体から壺状へと変形していた。その口は混乱の最中にあるマフィアたちに向けられている。
臨界はとうに過ぎ去っていた。地獄の業火すらなまぬるい、灼熱の極北が解き放たれる。
「やめろ!」
無駄だと知りつつもありったけの呪弾を放つ。幾筋もの鋼杭は光の守護の前に焼き払われ、跡形も残らない。
――そうして、術式は完成を迎えた。クラウの爆裂呪弾など比較にならないほどの熱量が、発射口から放出された。
全てを飲み込み焼却する熱の奔流が、荒くれ者たちに殺到する。炎の熱量は暴虐というにはあまりに極大で、どんな火刑よりもおぞましい。
うねり轟く炎の渦は、眩い光を撒き散らしながら標的を焼き尽くす。そこに微塵も痕跡は残らない。
サンコーポ側が展開した魔術防護壁越しにも感じられる熱風と閃光が、クラウたちの視界を奪った。
「……くそ、くそが」
悲鳴はない。当然だ。あの炎熱は声すらも焼き尽くすだろう。
あまりの熱量と明度にまぶたも開かない。
――だというのに、目の前に広がる光景があった。過去の悔恨、何もできなかった記憶。灼熱に包まれる、腐臭に包まれた窪地を見下ろす。かつて取りこぼしてしまった人々を。
無限に上昇していくかと錯覚するような空間温度が、不意に停止する。術式が完遂されたのだ。
嫌だ、見たくない。そんな声を無視して、こじ開けるように目を見開く。そこには――
「……は?」
人の形跡すら残らぬ焼野原、黒々と灼熱の痕を残す溶岩――そんな想像は、目の前に広がる巨大な岩壁に取って代わられた。
長城のように緩い半円を描く壁が、そこには鎮座していた。
「どういうことだ、何が起こった!?」
「ふ、不明です。ですが状況から鑑みるに、何者かが殲滅術式『始原の焔』を防いだものと……」
「だから、それがどの屑かって訊いてるんだよ!」
ディーグとその部下の口論もどこか遠い。何が起こったのか、誰もが把握しかねていた。
がらがらと音を立てて岩の壁が崩壊していく。その表面は溶解し、黒く泡立っている。――恐らく、次々に岩壁を生成することによって、灼熱術式をしのいだのだろう。半自動的に分析する。
何者かの手によって、極大術式は防がれた。
そして瓦礫のむこうには、困惑したマフィアたちの姿。
クラウは
胸を撫で下ろす気持ちを掻き消したのは、いつ間に現れたのか、集団の先頭に立つフードの人影。
「――あいつ」
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