前線基地

 人目を避け、出没エンカウントする魔獣を避け、クラウとシルヴィアは目的のマフィアの縄張りの近くまでやってきていた。



 だが、目の前に広がる光景は、あまりに想定と異なっていた。


「なんだ、これ。まるで、野営地だ」


 あるいは――戦場の前線基地。


 地下迷宮に点在する大空洞スポットの一つ。そこを埋め尽くすように、即席のテントが設置されていた。その間をせわしなく人が移動している。


 いかにも荒くれ者といった風情の者から文官や研究院じみた非戦闘員まで、様々な人間の活気が大空洞を満たす。さらには魔導灯が点在して、地下迷宮ダンジョンにあるまじき明るさまで確保されている。


 明るさに比して、このテント列の雰囲気はどこか乾いている。殺伐としていると言えばいいか。


 大空洞につながる小さな通路に身を潜めたまま頭を抱える。何が起こっているというのか。まさか、ここだけ地下迷宮の最前線たる開拓地フロンティアになってるわけじゃあるまいし。



 シルヴィアがこちらに身を寄せて囁く。



「こいつらが全員、あの男の手下なのではないか?」


 ちゃきり、とシルヴィアは半ば剣を抜いていた。


「おい待て、気が早すぎる。それに、あれが奴の手の者とは考えにくい」


 ほら見ろ、とクラウはある一団を指し示す。荒くれ者たちとは一線を画す、統一された装備に身を包む魔術師の部隊だ。


「ゴロツキを束ねて盗みをさせるやつが、あんな部隊を作れるとは思えない」


 では、こいつらの正体はなんなのかとシルヴィアが無言で問う。クラウは迷いつつも口を開き――


「おい! 何者だ、おまえたち!」


 思考を遮る誰何の声。咄嗟に振り返ると、そこには肩をいからせる男。クラウたちを怪しいものと見て槍を構えるが、遅い。刺突する暇もあらばこそ、既に剣を抜いていたシルヴィアが懐に飛び込んでいた。


「ぎゃっ」


 短い悲鳴を残して男は倒れた。出血はない。シルヴィアは柄でみぞおちを殴打したのだ。


「峰打ちだ、安心しろ」


 どこに峰があるのか。


 倒れた男の側に歩み寄ると、彼の服がさきほど指し示した魔術師部隊のそれとほぼ同じであるのに気づく。


「……好都合だな」


 にやり、とクラウは口の端を吊り上げた。





「ちょっと、そこのお姉さん」


 クラウは人目をはばからず堂々とテント群に入り、見るからに後方支援組と思しき女性に声をかけた。横にはフードを頭からかぶった小さな人影を伴っている。


 さきほどクラウたちが隠れていた岩かげには、縄で縛られた男が裸で転がっている。代わりとして、クラウが彼の制服を着ていた。


「は、はい。何の御用でしょうか」


 やや緊張した面持ちで女性は直立。ブロンドでなかなかの美人だ――ではなく、やはりこの制服は一定の身分を保証してくれるらしい。


「いや、追加人員としてここに派遣されたのはいいんだが、場所がよくわからなくてね」

「ああ、本社からの方ですか」

「そうそう、本社から。……本社、ね」


 安堵したように女性が微笑む。それから首を傾げて、


「では、そちらの方は? 見る限り、まだ子どものようですが……」


 そういって、彼女はフードに隠された顔を覗こうと顔を近づける。それを、クラウの手が制止した。女性は不信感を秘めた怪訝そうな顔をしてこちらを見上げる。


「すまない。だけど、見ない方がいい。その子は『魔眼持ち』でね。一応目は覆っているけど、顔を近づけたら何が起こるかわからない」

「し、失礼いたしましたっ」

「いやいや、説明不足だったこっちに非がある。まあ俺の相棒パートナーなんで、よろしく頼むよ」


 ぴょんと飛び上がって女性は頭を下げる。


 勿論、今のは真っ赤な嘘だ。ローブを被っているのはシルヴィアである。顔を隠すのは勇者的によろしくないらしく難色を示されたが、なんとか説得した。


「……あの、それでお探しの場所は?」

「こっちに来たのはいいんだが、肝心の仕事内容が通達されてなくてね。本社と連絡がとりたいんだけど」

「それでしたら――」


 女性職員は快く通信施設代わりのテントを教えてくれた。これだけ大規模の基地を設営できる組織なら通信用の魔道具を置いていると思ったが、予想通りだ。


「ああ、あの黒いテントか。ありがとう――ああ、まだ名前を訊いてなかった」

「はい。霊薬錬金課のバーナードといいます」

「バーナードさんね。じゃあ、また」


 最後に女性の名前を訊きだしてから別れを告げた。テントの並ぶ中をしばらく歩いて、人目がないところで隣のシルヴィアが不満そうな声を出す。


「……別に名前を訊く必要はなかったのではないか」

「それぐらいの役得はあってもいいだろ?」


 軽口を叩いていると目的のテントはすぐ目の前。三角錐の頂点が黒く塗られているのが、通信装置の目印だと言っていた。


 周囲に人気がないのを確認して入口の垂れ幕を小さくめくる。


「……中には誰もいないな」

「クラウ、人が来るようだ」


 聞くが早いが、クラウはその場から飛び退いて反対側のテント列の影に潜り込む。シルヴィアがそれに続いた直後、クラウたちがいた路地に大きな影が差した。


 眼前の路地に現れた人物の相貌を捉えると、記憶が刺されたように呼び起こされる。


「あいつが、なんでここにいる……?」


 山岳を思わせる巨体は縄めいた筋肉に覆われている。その風貌は野生の猛獣のように凶悪。


 事務所までクラウを殺しにやって来た、魔獣化術式ブルータナイズの使い手がそこにいた。


 シルヴィアもあの巨体を認め、目を見開いている。


「どうやら、付き人もいるようだが」


 その言葉で、巨漢に隠れるようにして付き従っていた人影に気づいた。

 黒を基調とした修道服に身を包んだ楚々とした女性。金色の十字架が胸元で魔術光に照り輝く。


 即座に情景が脳裏に蘇る。巨漢からの逃亡中、血だらけのシルヴィアを運ぶ途中で遭遇した変人シスター。どこか変だとは思っていたが。


「――あのときの」

「知っているのか」


 そういえば、シルヴィアは気絶していたのだった。あとで教える、とだけ言って今は集中するよう促す。


「……ちッ」


 路地を歩く男はどこか不機嫌そうな顔をしていた。対してシスターはにこやかなまま。


「どうかいたしましたか?」

「いたしましたか、じゃねえよ。こんなつまらん仕事が退屈で仕方ねえ」


 反吐が出るぜ、と男は実際に唾を脇に吐き捨てる。運のいいことに、クラウたちがいるのとは逆方向に顔が向いていた。


 そんな男の様子を目の当たりにしても、女は穏やかな笑みを絶やさない。そんな女を見ると、男はますます気分を害したようで、


「てめーはいつも通りのそれだな、クソが。なんだったか――」

「主のご加護です」

「そうそれだ。ったく、神だかなんだかのご加護とやらで獲物を取られちゃたまんねえ」


 思い出すだけでイライラする、と男は首を左右に傾ける。およそ人体から発せられてはいけない音が鳴っていた。


「このオレが雑魚どもの指揮と、雑魚どもの相手とは。本当ならよお――おい、マリア」

「はい」


 シスター――マリアと呼ばれた女の顔に、威嚇する番犬の勢いで男の凶相が突きつけられる。構図だけ見れば完全に性犯罪だったが、修道女の顔は微動だにせず笑顔のまま。


 にこにこ。にこにこ。それがかえって、異様なほど不気味だ。


「てめえ、やつら――クラウ・アーネスタとシルヴィア・ヴォン・ランドッグを本当にやったんだろうな」

「ええ」

「――」


 息が止まるかと思った。なんだ、どういうことになっている。クラウとシルヴィアが、殺された扱いになっている?


 クラウの注目に気づかないまま、二人の会話は進んでいく。


「わたくしは確かに、彼らに主の御慈悲を授けました」

「ちッ。てめえはいつもそれだ。まどろっこしくて仕方ねえ。敵を殺すにも味方を癒すにも御慈悲、御慈悲」

「それが、神の御心ですから。『信仰無き者には死を与えよ。仁愛在る者には救いを与えよ』」


 会話にならん、とばかりに男は首を振った。


「それよりもディーグ。貴男は定時連絡に来たのでは? 『勤めに励め』です」

「ああわかってるよ、くそったれ」

 そうして両者は黒色の天幕に姿を消した。


 ……どうやら、クラウたちはあのシスター・マリアに見逃されたということらしい。見る限り、あの巨漢ディーグと組んでいるようだったが、個人の信条を優先させたということだろうか。


「やっぱ『教会』の人間は意味不明だな」

「私はもっと意味不明だ。説明しろ、女たらし」

「待て、なんでそうなる!?」


 簡潔に事態を説明してシルヴィアを納得させ、クラウは通信天幕にそっと近づいた。今の会話から察するに、ディーグはこの集団の指揮官に位置しているらしい。ならば、彼がやりとりする情報はかなり核心に近いはずだ。


「誰か来たら知らせてくれ」


 力強く頷くシルヴィアを確認して、テントの中に耳を澄ませる。ディーグはがさつな性質タチだと踏んでいたが、やはり声が大きいので楽に会話が聞こえる。


「――戦況は膠着。有象無象を使ってればこうなる。敵の雑魚は死にもの狂いだからな。敵の指揮官アタマは顔を出さねえ。あ? 霊薬の回収はマリアの担当だ、代わるぞ」


 前線基地じみたテント群、行き交う戦闘要員と後方支援の人々、そして指揮官のような男の言動。


 本当にここで戦争でも起こっているのか。だとしたら、一体誰と誰が。脳内を占拠する疑問を押しのけて、意識は天幕の内側に。


 しかし、さすがに防音性が高い。シスターの通話する声がクラウの耳に届く頃には、意味をなさない雑音になっていた。


 埒が明かない。そう判断してテントから離れようとした。クラウが一歩踏み出すよりも早く、けたたましい音が大空洞に鳴り響いた。


「ちィ、奴ら打って出てきやがったか」


 叫ぶが早いか、ディーグの巨体が垂れ幕を跳ね除けて路上に出る。その獣じみた顔がぐるりと周囲を見渡す。慌ててクラウは背中を向け、いかにも現場に急いでいる風を装った。


「おい、そこの!」


 その声は、明らかにクラウに向けられていて、自然と脚が止まる。


「おまえ……」


 訝しげな声に、背筋が、凍った。

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