告白

 糸の切れた人形パペットのように膝をつく。剣で貫かれたわき腹は異様な熱を発して血をだらだらと垂れ流している。




 クラウは気力を総動員して仁王立ちするデュナリオを見た。視界が黒く染まった。揺れる。鋼の筒が垂直に屹立しているのを見て、蹴られて倒れ伏したのだと気づいた。


 はん、と得意げに笑う声を微かに聞く。思ったよりも刺突のダメージが大きい。血とともに活力という活力が抜けていくような感覚。


「バルトとボルトの『不与息間ノーチャージ』を破ったのはいいが、油断したな。馬鹿め」


 意地の悪い、というより一方的に敵視されている感じだった。――思えば銀行強盗のときから、この男はクラウをやたらと目の敵にしている感じがする。


 震える手脚でなんとか立ち上がる。腰の弾帯から治癒符を取り出そうとするが、そうはさせじとデュナリオが斬りかかってくる。やっとのことで躱す。


「……随分と、好かれたもんだな」


 躱し切れずに切り傷をつくりながら蹴りを放つ。デュナリオは余裕をもってバックステップ。そして悠々とこちらへ歩みを進めてくる。どうも、クラウを完封しようとしているようだ。憮然とした表情でデュナリオは唇をゆがめる。


「そうさ、オレは大好きだよ。おまえみたいに見栄張ったアホに現実を教えてやるのがな」


 魔術を展開する気配。デュナリオの手元が不可視になっている。蜃気楼のような空気のゆらぎが、剣の姿を覆い隠していた。――これが、銀行強盗のときに使った手段か。


 光の屈折率を操作し、武器を不可視にする術式。思えば、ノートス一門はどいつも大気を操る魔術師ばかりだ。シルヴィアの攻撃を見ずとも躱せたのは、空気の流れを『探知』したからか。


 敵の得物の射程がわからず、クラウは大きく躱していくしかない。血がどんどんあふれ出ていくのを感じる。デュナリオはこちらをいたぶりつくすつもりのようだった。


「見栄張ってる、なんて言われてもな。そういう、あんたはどうなんだ。銀行のときは大層かっこつけてたじゃないか」


 あのときの芝居がかった仕草と目の前の男の卑屈さとはどうにも結びつかない。デュナリオの腕の振りは――加速した。避けきれずにクラウの腕に裂傷が刻まれる。


「黙れよ、クズが」


 優男の表情から嗜虐の笑みが消えた。蝋人形のような無表情の裏に、クラウは動揺を見た。激烈な痛みと意識の彷徨に耐えながらも口を開く。


「――そもそも、アニスの同門だっていうあんたがどうして犯罪なんかに手を染める? なんだって、そんな」

「オマエに、オレの何がわかるってんだ!」


 乱雑に振るわれていた斬撃が唐突に刺突に転じた。頭部を狙ったそれを、左手を間に挟んで逃れる。肉を切り裂く刃。鮮血に歯を食いしばる。ここが勝負どころだ。


「金だよ、金っ。生きるためには金が必要で、そのためにオレは魔術屋をやってんだ! 割のいい仕事があったからやった! 当たり前だろうが!」

「――」


 今度はクラウが絶句する番だった。この男は生きるためだけに魔術を使っている。それは――。


 そりゃそうだろ、と頭のどこかで囁く声がする。当然だ。おまえだって常々言ってきたじゃないか。自分の命、自分の生活が最優先。誇りなんてものは犬の餌にもなりゃしない。




 だというのに、クラウはその言葉に、デュナリオの言葉に納得できない。




 勇者を一心に目指すシルヴィアのように、クラウは魔術屋に夢を抱いているとでも言うのか。まさか、まさか。


 動揺が動きを鈍らす。激憤のあまり単調になったデュナリオの攻撃をしかし、躱すこともままならない。


 肉体に刻まれた魔術屋としての経験が警鐘を鳴らす。このままでは、まずい。視界は出血多量であちこちが霞んでいる。


 ――戸惑いを振り捨てる。感情は胸の奥底に。意思を振り絞り、後退し続けていた脚を前に出した。


「オマエみたいなやつが、地上うえでいっぱしの顔してるのが、気に入らないんだよッ!」

「――そんなもん、知るか」


 力任せの突きを左肩で受ける。肉を抉り取られながらも間合いを詰める。激情から一転、拍子抜けしたような敵の顔に――拳を叩きつけた。


 ぐらりとよろめくデュナリオはしかし、腐っても魔術屋と言うべきか倒れるには至らない。執念に燃える泥色の瞳がクラウをねめつける。


 剣が持ち上がる。斬撃か魔術か――デュナリオが行動に移るよりも早く、クラウの蹴撃が敵の腹部を打ち抜いた。



 その衝撃をも耐えきるかのようにデュナリオは二三歩ふらつき、倒壊する建物のように横倒しになった。その姿を見て、クラウは肩で息をしている自分を自覚する。


 決して強敵というわけではなかった。だが、不意討ちなどで傷を負いすぎた。もし敵が激情せずに的確に脚を狙いにきたり、あの不可思議な風の魔術を存分に使っていたら、今頃土をなめていたのはクラウだっただろう。


 考えてみれば、風遣いウィンディケイターならばレーダーのように展開した風で、背後の攻撃を察知するのも可能だろう。



 彼の叫びが頭蓋の内で反響する。魔術屋なんてのは生きるための手段にすぎない。頭では理解している。だが、


「いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないな」


 慌てて背後を振り返る。剣戟の音は止んでいた。もしや、既に決着がついてしまったのか。血だまりに倒れる少女の姿が脳裏にちらつく。背筋が粟立ち、振り返った先には――




 焦りが生んだ幻影は、荒野のような迷宮街の路上にたたずむ二人に打ち砕かれた。



 安堵したのもつかの間、爆発的にシルヴィアの魔力が増大する。両者の目には純粋な闘志。膨れ上がる殺気は飽和して炸裂寸前。


「おい……」


 時間もなければ手段もない。懐から魔導拳銃マギカショットを抜く。同時に両者が駆け出す。二筋の流星は刹那の間に激突へと向かう。


 そのわずかな隙間に、



「いい加減にしろよ、あんたら!」



 クラウが撃ち放った幾つもの呪弾が爆裂した。



「うわっ」

「くっ」


 まったくの意識外からの攻撃はさすがに堪えたのか、二人は転がるようにして爆裂から逃げた。アニスは大剣を盾にして直撃を避け、シルヴィアは身に纏った何らかの魔術で無傷な様子。


 受け身をとってすぐさま立ち上がった女魔術師たちは揃って剣をこちらに向ける。仲良いな、おい。


 シルヴィアの不満そうな顔を無視してアニスを睨みつける。彼女がシルヴィアの挑発に乗らなければ、ここまで話はややこしくない。


「もう手合せは済んだろ。ノートスはアニスを残して全滅。それとも二人相手にして死ぬか。あんた、自殺はするような趣味はしてないだろ」


 顎をしゃくって気絶する筋肉双子とデュナリオを示す。クラウの声は自覚できるほど不機嫌なものとなっていた。



 そんなクラウを面白そうに眺めたあと、アニスは剣を下ろした。


「ま、決着は次の機会にするさ」

「俺の見てないところで存分にやってくれ。そしてそのまま――」


 と、嫌味の一つぐらい言ってやろうと動かしていた口が止まった。声が出ない。視界は嵐に呑まれたかのように乱舞している。平衡感覚が失われ、気づいたら地面に鼻から突っ込んでいた。痛い。


 慌てた様子で駆け寄ってくる長靴の音をよそにクラウの意識は暗転していく。血を流しすぎたのだ。治癒符で応急処置をする時間もなかった。


「いて、いてて」


 シルヴィアの魔術の気配を感じて、クラウは意図的に魔術抵抗を下げる。造血術式で血が回ってきたのか、意識が安定してくる。比較的軽症な右手を使って弾帯に収まっている治癒符を傷口に貼りつけていく。刺突を受けたわき腹と斬撃の防御に使った左腕は、ちょっと応急処置では対応しきれなさそうだ。



 ――治癒系統の魔術を操るのは簡単なことではない。過ぎた量の薬が毒になるように、適切に術式を組み上げなければ傷は悪化する。対象の個別身体ごとに術式センテンスを調整しなければならないし、魔的免疫マギカイミューンを考慮して、対象の魔力と中和させる術式も別途必要だ。



 彼女の才能に普段は僻んでいるところだが、今回ばかりはそういうわけにはいかなかった。


「……傷だらけ」

「まあ、色々とな」


 シルヴィアもかなり消耗しているようだったが、指摘するのはやめておいた。純粋にクラウを案じている様子の彼女をわざわざ制するのも気が引けたし、「天才様にはどんどん働いてもらおう」なんて考えが少しでも頭を掠めたのは自分でもどうかと思ったからだ。


 腹部と左手の治療を享受しつつ首をめぐらせる。アニスは両手でそれぞれ双子を引きずりつつ、デュナリオを事務所の入り口に蹴り込んでいた。豪傑すぎる。


 「おい、こっちの勝ちってことで」クラウの言葉を遮ってアニスが手をひらひらと振る。


「わーかってるよ。あの馬鹿にはあたしも話があるからね」


 そして首を傾けて続ける。


「そもそも、デュナリオとアンタじゃアンタの方が信用できるってわけだし」

「……あんた、俺の苦労を何だと思ってんだ」


 クラウは半ば本気で青筋を立てていたが、アニスは笑って事務所に入って行った。しばらくその後ろ姿を睨みつけていたが、やがてふっと肩の力を抜く。


 生死の境をさまようのは魔術屋にはよくあることだが、それにしても程度ってのがあると思うのだが。


 アニスは気のいい女だが、おおざっぱなのと剣客すぎるのが玉にきずだ。要するに、戦いの傷を擦り傷か何かだと思ってやがる。






 傷の手当を済ませて事務所に入る。応接間と思しき部屋の隅には双子が正座させられていた。怯えのあまり、心なしか筋肉も萎びている。


 中心では顔面を腫れあがらせたデュナリオが力なく椅子にかけている。巨大な虫刺されでぼこぼこになったような顔面に優男の面影はない。もうかなり殴られている。


 そして、その前に仁王立ちするアニスはめらめらとした怒気を、蒸気のように全身から放出している。まだ殴り足りないらしい。


「おい、喋れるようにはしとけよ」


 そして、クラウも散々斬られたので同情心はまったく湧かなかった。壁際に寄せられていた木椅子を二脚引っ張ってきてその一つに座る。


 シルヴィアも治癒術式をかける気はないのかその横に着席。先ほどからシルヴィアは口数が少ない。何か考え事をしているらしい。。


 デュナリオは意識も定かではないようだった。少し時間が必要だ。アニスを落ち着かせる意図もこめて話を振る。


「そういえば、こいつと同門って言ってたな」

「……ああ、そうさね」


 アニスはデュナリオを一瞥すると淡々と語り始めた。



 彼女がかつて剣士を志して師事したとき、兄弟子としてデュナリオがいたこと。当時は有望株として重んじられていたが、師の引退――アニスが師範代となった頃からやさぐれていったこと。



「……そのときまではもうちょいまともだったんだけどねえ」


 なんでこんなになっちゃったんだか、と嘆息するアニスにしかし、クラウは気軽に同意できなかった。


 そりゃあ、妹分だったはずのやつが才能をめきめきと伸ばして、あっという間に自分を超えていったら普通の人間は拗ねる。クラウはちらりと隣の少女を見る。痛いほど理解できる、というより実感できる話だった。


「あんた、絶対練習試合とかで手加減とか考えないタイプだろ」

「ん? いや、そりゃあ、手加減しても意味ないだろ?」


 ……ちょっと目の前の元優男に同情心が芽生えてくるクラウであった。かと言ってこいつに慈悲をやるほど甘くはないが。


 ふと、ある疑問が口を衝いて出た。


「……なあ、訊きたいんだが。あんたはなんで、魔術屋やってるんだ」

「なんだい、突然に」


 けらけら笑うアニスは、こちらの顔を見て少し佇まいを正した。そんなに真剣な表情をしていただろうか。


 そうして、アニスは部屋のすみに立てかけておいた剣を指して言った。特注の魔杖ワンドと自慢していたのを思い出す。


「……まあ、あたしにはこれしかないからね。迷宮街アンダーでやっていくには、腕っぷしがいるのさ。それに、剣士として強い敵と戦うのは生きてるって感じがする」


 想像以上に血なまぐさい生の実感だ。クラウには縁遠い。


「でも、マフィアでも同じことはできる」


 と口を開いたのはシルヴィア。どうやら彼女もアニスに興味があるらしい。


 先ほどのどこか焦りを感じる戦いぶりは、クラウを心胆寒からしめた。何か悩みを抱いているらしいことはわかるが――。


「そこはお師匠様の教えだね。決して剣を悪のために振るってはいかんっていう」

「教えだけなのかよ……」


 気立てのいい姐御気質なようでいて結構ドライな部分がある。剣士として真摯すぎると言うこともできなくはないが。


 ちょっと引いたクラウをよそに、シルヴィアは身を乗り出してアニスに喋りかけている。


「では貴方は、剣戟の最中どんなことを考えているのだ」

「うん? まあどーやって目の前の奴を叩き斬るとか、この術式を使ってみようとか」

「では、では――」


 こうしていると、見目麗しい師弟のようにも見える。シルヴィアは貴族らしい気品に満ちた相貌で、アニスは長身でこざっぱりとした美人だ。中身は二人とも戦闘狂もかくやというほどの魔術師だが。


「一種の詐欺だな……」


 ひとりごちるクラウを蚊帳の外に、女性陣は盛り上がっている。カフェとかでよく見る光景だが、剣だの殺すだのと物騒な単語がちらほらと聞こえてくるのが怖い。



 未だに正座している双子と顔を見合わせて戦々恐々としていると、意識を取り戻したのかデュナリオがもぞもぞと動き始めた。



 それを認めたアニスは楽しそうな表情から一転、鋭い目つきでデュナリオを睨む。睨まれている当の本人は周囲を見渡して自分の状況を悟ったのか、観念したように肩をすくめた。


「はあ。で、あの銀行強盗の事件を話せばいいのか?」


 ぶっきらぼうな口調に、アニスの怒気が膨れ上がる。


「アンタねえ……」

「はっ。お得意のご説教か、師範代どの」

「どうやらまだ殴られたいらしいね」

「い、言っとくがな。オマエみたいな、師匠の教えだの剣士の誇りだのほざくやつが大嫌いなんだよっ」


 アニスが拳を構えてみせる。それを見て若干青ざめつつもデュナリオは態度を変えない。意外に強情というか意地っ張りというか。


 どうにも膠着しているが、時間の問題でもある。しばらく待てばデュナリオも観念して口を割るだろうと、クラウはややのんびりした気持ちで眺めていた。実際、アニスも怒りの仕草を見せながらどこか緩い印象。


 しかし、隣の彼女はまったく違う意見のようだった。


「――ぬるい」


 冷えた声が弛緩した空気を切り裂く。抜く手も見せず剣は男の喉元へ。シルヴィアは、さきほど見せた人懐っこい様子が嘘のようなほどの冷たい瞳でデュナリオを射抜いていた。


「お、おい」

「情報がないならそれでいい。私としては今すぐこの剣を血染めにした方が手っ取り早くていい」


 青ざめる、どころではない。優男風の顔面から血の気という血の気がさっと引いていって、下手な陶器のような土気色になっていた。顔色が悪く幸薄そうと評判のクラウでもあそこまでは中々いかない。


  制止すべきアニスはといえば、突然の蛮行に唖然とした様子。すぐ我に返って彼女に手を伸ばすが、それをクラウが押し留めた。


「アンタねえっ」

「まあ、見てろ」


 同時に部屋のすみから起き上がろうとした筋肉双子も目で留める。


 クラウにはなんとなくシルヴィアの意図が掴めていた。飛び出す直前、彼女はこちらに小さく目配せをしてきていたし、思い出してみれば――彼女はあの強盗事件のときデュナリオを追い詰めている。


「ほら、さっさと吐け」ぐいぐい首に押しつけられる銀剣。

「ひ、ひいぃ。わかった、しゃべるっ、喋るから!」


 単に生きていくために魔術屋稼業をしているというこの男に一番効くのは、痛みとか罪悪感よりもきっと、生命の危機だろう。




「最初は金に困ってたときに、割のいい現場指揮の仕事があるとかなんとか言われて、そしたらあんな」


 さきほどの渋りっぷりが嘘のように、デュナリオの口から言葉があふれ出る。ここまではよくあるマフィア絡みの後ろ暗い仕事のようだが。


「首謀者は誰だ」「わ、わからん。いたっ、斬るのはやめて、斬るのはっ」


 プライドもへったくれもなかった。


 仕事を引き受けた場所、発注主と思しきグループ――シルヴィアの血も涙もない尋問で得た情報をメモに書き留めていく。アニスはといえば、兄弟子の痴態に額を手で覆っていた。


 情報を絞り終えたと判断したのか、シルヴィアが剣を鞘に収める。


「つまり、貴様が命じられたのは銀行強盗として耳目を集め、別働隊に貸金庫からを盗み出させること。そういうことだな?」

「ああ」


 これだけ聞けば、かなり怪しいというより、もはや危ういと言っていい。法的にアウトというのは勿論のこと、これでは完全に――


「切り捨てようって魂胆が透けて見えるね。アンタもそこまで行き詰ってんならアタシらに言えばいいのに」


 あっきれはてた、とアニス。


「うるさいな! おまえらなんかに頼るなんて、俺は絶対嫌だねっ」

「とか言って、さっきは命からがら逃げこんできたくせに」

「命と嫌な思い、どっちが大切だと思ってんだ!」

「さようでございますか」


 声も出ないと言いたげなアニスだったが、クラウは今の話にひっかかるものを覚えた。この優男の主張生き汚さと行動は矛盾していないか。


「あんた、それならなんでその仕事を受けたんだ。見殺し間違いなしの依頼なんてとんずらして、それこそアニスにでも頼ればいい」


 そう、それならば死ぬよりかはましだ。魔術師の犯罪は先端都市では厳しく罰せられる。人殺しに加担した場合ほぼ確実に絞首台行きだ。


 結果的に逃げ切れたとはいえ、リスクが高すぎる。


 クラウの問いに、デュナリオはただでさえ青ざめた顔をさらに蒼白にした。訳ありと見たシルヴィアが再度抜刀したが、脅迫されるまでもなく彼は口を開いた。


「……おまえにはわからないだろうよ。あいつの恐ろしさが」

「あいつ?」


 俯くデュナリオの瞳に何が映っているのか、クラウたちにうかがい知ることはできない。震える肩、弱々しい声だけが彼の恐怖を語っていた。


「刃向かった男が一人いた。俺が見てわかるくらい腕の立つやつだったが――そいつの魔術は完封された。何の魔術かがわかってるかのように、ことごとく手を潰されて、」


 脳裏によぎるフード姿の男。相殺魔術。


「待て、待て。おい、あいつってのは」

「その魔術師、どのような格好をしていた!?」


 同時に食いついた二人にやや驚きつつも、デュナリオはおずおずと口に出す。


「ああ……? あいつの素顔はわからない。ずっと灰色のフードを被ってて、それで。男の声だったが、それしか」


 シルヴィアと目を合わせる。やはり、あの男だ。特別房で出会った、あの相殺魔術師。


「つまり、あのフード野郎が強盗事件の裏に居たってことだな」

「そしてを盗ませた。……特別房で囚人を魔獣化させたのは、口封じと考えるべきか」

「口封じにしては派手すぎるが、なんにせよだ」


 クラウは興奮を隠しきれない自身の口調を遅れて自覚した。強盗事件のときは徹底的に姿を隠していたあの男が特別房には現れた。それはとりもなおさず、あそこが奴にとって重要だったからに他ならない。



 ――思いもよらない情報源だ。これはきっと、奴も想定していなかったことに違いない。



「そうと決まれば、動くのは早い方がいいな。恐らく、奴の根城か、最低でも手掛かりはそのマフィアのところにあるはずだ」

「だろうな。手掛かりの払拭に尽力した以上、本拠地がそこにある可能性は高い」


 メモを見返す。地下迷宮は下層へ行くに従い横に広がっていく円錐の形をしている。頂点は迷宮街アンダーで、円錐内にも徐々に小さな交易都市のミニチュアが置かれている。その円錐の上層部は主に様々なマフィアの縄張りだが、デュナリオが依頼を受けたのはそのうちの一つだ。


 顔を突き合わせるクラウたちに、事の成り行きを静観していたアニスが口を挟んでくる。


「どうやら核心的な情報が入ったみたいだが、今すぐ行くつもりかい?」

「当たり前だ。逃げられる前に敵を討つ。勇者的原則だ」

「その勇者的原則とやらに、今回ばかりは賛成だな」


 意気揚々とするクラウたちをしかし、アニスは冷静な目で見ていた。


「アンタら、まだ傷も癒えていないだろうに。そんなんで大丈夫かい? 話を聞く限り、敵はかなりやるみたいだけど」


 言われて始めて気づく。確かに、状態は万全とは言い難い。だが――


「だからといって、この好機を逃すわけにはいかない。敵の隙をつけるの今だ」

「敵の傾向はわかっている。勇者に二度目はない」

「……そうかい」


 アニスはどこか困ったように――そう、困ったように肩をすくめた。


「あんたがそんな消極的なこと言うなんて、珍しいな」


 そういうクラウをどこか揺れた瞳で見ると、アニスは、


「や、アタシは消極的戦術なんて取らないけどね。ただ――」



 アンタたちが、いやに焦っているように見えてね。



 そんなことを、呟くように言った。


「俺が焦っている? まさか」


 クラウは半ば鼻で笑い飛ばして否定する。シルヴィアに当てられたわけでもあるまいし、そんなことはない。クラウは慎重派で通った魔術屋だ。それだから、大した才能がなくとも今までやってこれたのだ。


 頭の中でリフレインする言葉がある。


 魔術なんてクズだと、あの男は言った。魔術世界を破壊すると。


 その言葉を、クラウは否定しなければいけない。魔術屋として、クラウ・アーネスタという人間として。


 それを焦燥というのなら――避けられないことではないか。


 アニスの言に思い当たる節があったのか、シルヴィアは半日ほどノートスの事務所で休憩をとることを提案し、クラウはそれを承諾した。


 疲労はある程度回復したとはいえ、依然消耗は著しい。それでも、それが魔術屋の日常というやつだ。事務所を後にするクラウたちに、アニスは忠告をよこした。


「最近はやけに強い違法霊薬が流行ってるらしい。マフィア周りはそれでピリついてる。気をつけるんだね」


 いつものことじゃないかと思ったが、ふと思い当たることがあった。


「ああ、なんだっけ。〈ビースト〉とかいうやつか」

「そうそう。まあ、今回のとは関係なさそうだけどね」


 そうしてノートス魔術屋事務所を後にしたクラウたちを待ち受けていたのは――


「なんだよ、これ」


 まるで、野営地。あるいは――


「戦場か、前線基地……?」

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