変調

 まぶたの裏越しに光を感じて、クラウはゆっくりと目を開いた。数時間に及ぶ逃亡の果てに身を隠せた安堵からか、いつの間にか浅い眠りについていたようだ。

 見慣れぬ部屋の壁紙はどこか高級感漂うもの。


「……ここは」


 確か、昨日の襲撃の後、一旦クラウの知る隠れ家の一つに移動したはずだ。そこでシルヴィアの応急手当をして――


「そうだ、シルヴィア。あいつはどこに、」

「ここだ」


 背後の声に振り向くと、そこには青髪の端正な顔立ち。額に巻かれた包帯を除けば至って健康そうな様子のシルヴィアがいた


「そして、ここは私の部屋だ」


 言われて思い出す。手当を終えて意識を回復した彼女の案内で、高級市街の中でもひときわ大きい豪邸に入ったのだった。


「そういえばあんた、貴族とか名乗ってたな」


 正直本当だとは思っていなかったクラウである。いや、勇者勇者言ってる狂人に近いし、てっきり家名とかも妄言とか創作の一環かと。


「すさまじく失礼だな?」


 シルヴィアの抗議を無視して部屋の内装を見渡す。


 クラウが寝ていたのは客間の上等なソファの上だ。テーブルなどの家具や壁紙などは綺麗に手入れされているが、そこまで使っている様子がないように見えた。生活感がないというやつだ。が、それはとんでもない広いから生まれたものか。


「とにかく、あんたが上等な名家の出身ってことはわかった。悪かった、適当なこと言って」


 一応謝罪はしておく。貴族というものはプライドが無駄に高く粘着質な生き物と相場が決まっている。結構なことを言った覚えがあるので、ここらで一つ謝っておかないと夜道で刺されかねない。


 尊大な態度で出られるものと思って頭を下げていると、なぜかうろたえるような気配を頭越しに感じた。咳払いの声。


「……別に、特に気にしてはいない。今では当家はそこまで強い家でもないし、勇者たる私が常人に理解されないのは当然のことだ」


 心がささくれ立つのを感じる。脳裏に再生されるのは超常の魔術を操る彼女の姿。そうだろうとも、彼女から見ればクラウなどは凡人だ。


 ぐっと恨み声を飲み込んで、


「そうか、なら助かる」


 とだけ返答した。劣等感コンプレックス、大人げない、器が小さいなどのフレーズが脳裏を駆け巡る。わかってんだよ、そんなの。


 いたたまれない沈黙が部屋を包む。広い分やたらと静寂が目立った。


 よくよく考えてみれば、ここに居座る理由もないのだ。本来であればクラウは平民で田舎出の一魔術屋で、貴族のシルヴィアとは交わるべくもない。


 そうと決まれば、さっさとここから出てしまうに限る。そう思ってクラウが腰を起こそうとすると、つかつかという音がした。シルヴィアが目の前まで歩いてくる。


「昨日のことだが」

「昨日? ……ああ、あの男か」


 凶悪な魔獣化術式を思い返す。奴は強力な魔術師であり、なぜだかクラウの命を狙っている。逃げるにせよ、迎え撃つにせよ、何かしらの策を講じる必要がある。が、奴の標的にシルヴィアは入っていないと言っていたはずで――


「おい。まさか、再戦したいから手伝えとか言うんじゃないだろうな。先に断っとくけど」


 思わず早口になるクラウにシルヴィアはあきれ顔を返した。


「早とちりするな。いや、再戦リベンジはこれ以上ないほど渇望しているが」


 してるのかよ。


「それとは別の――いや私の考えでは関係しているはずだが、だからこそでもある」

「……よく話が見えないな。要するに、何が言いたいんだ?」


 眉をひそめてみせると、シルヴィアは不敵に笑った。


「単刀直入に言おう。昨日の件――私の依頼に協力しろ、クラウ・アーネスタ。必ず貴方にも利がある」


 ふてぶてしい笑いにはどこか説得力があり、クラウは頷きそうになる自分を抑えなければならなかった。


「……それは、どういう意味だ」


 問いを絞り出す。シルヴィアは生徒に現代魔術基礎理論を教える教授のように、指を一本立ててみせた。


「詳しくは言えない。当然、私も守秘義務を守る魔術誓約書に署名したからな。だが、その依頼と貴方が狙われていることは関連している」


 クラウが黙ったままでいると、シルヴィアが立てた人差し指を左右に振る。


「今言える範囲で説明すると、そうだな。――あの男は、私は殺害リストに載っていないが、別の人間が対処に来ると言った。それは覚えているか?」


 ……記憶を掘り返す。あとの戦闘の印象が強く曖昧だが、確かにそういう趣旨のことを奴は言っていた。


「つまり、奴の仕事っていうのは、俺とあんたの両方に関わってる、そういうことだな」


 その通り、とシルヴィアは頷いた。そこまで言われればクラウにもわかってくる。寝ぼけ気味だった頭もそろそろ覚醒してきたらしい。


「俺とあんたはこの前の強盗事件が初対面。――だとすると、奴の仕事の根本にはあの事件があるってことだな」

「……まあ、そうだ」

「?」


 なぜだかシルヴィアは不機嫌そうな表情。相槌もどこか歯切れが悪い。答えが言えなかったのが不満だとか、そういうことではないような。


「ええっと、先に進むぜ。ここまで来るとあんたの仕事っていうのも、その事件に関することなんじゃないか?」

「……」


 それなら筋が通る。シルヴィアは沈黙しているが、それは間違いや不機嫌ゆえではなく魔術による制約のためだろう。


 クラウの考えがまとまったのを受けて、シルヴィアがが二本目の指を立てる。


「そしてもう一つ」


 まだ何かあるのか。


「貴方はあの男に狙われている。そして、私は奴と再戦したい」

「おい、いきなり雲行きが怪しくなってきたぞ」


 抗議を完全に無視して、シルヴィアは指を立てた手で固く握りこぶしを作る。


「二対一は私の勇者流儀に反するが、あちらにも狙撃手がいるようだからそこはよしとしよう」

「よしとしよう、じゃねえ」

「そして」

「おい」


 またも無視。ビシッと音が付きそうな勢いでシルヴィアの細い指がクラウに突き出される。


「貴方も奴と相対する以上、助力が欲しいのではないか?」

「……」


 ぐうの音も出ない。

 勇者流儀だのかなり頻繁に胡乱な思想が出てくるくせに、しっかりとポイントを押さえているのが憎たらしい。


「……オーケー、わかったよ。手を組もう、シルヴィア・ヴォン・ランドッグ」


 差し出した手は即座に握られた。満面の笑みを浮かべるシルヴィアにため息をつきながらも、手を握り返す。これで逃げるという道はなくなった。クラウが生き延び平穏な生活を取り戻すには、どうにかしてこの事態を解決するしかなくなったわけだ。


 ――ふと脳裏をよぎる昨夜の戦い。神話の時代、超常の魔術。胸をかきむしりたくなる痛みの一方で、もう一度見れるのだという期待がそこにはあった。






 どうやらシルヴィアは予め依頼人に協力の許可を取っていたらしく、情報の共有は即座に行われた。


「いやに物分りがいい依頼人だな」

「彼女も必死なのだろう」


 イレーナという名の若い女性は、幼馴染であった魔術師の男と将来の約束を交わしていたそうだ。

 ロンドニドムスでの魔術師の役割は多いようで少ない。極一部の専門家は企業連合メガコーポに雇われる形で研究職に就けるが、それ以外は魔力を要するだけの下働きか、もしくは荒事に関わることとなる。魔術屋や施設警備、はたまたマフィアなど。


 婚約者もその御多分に漏れず、民間警備会社で堅実に働いて――銀行警備に就いた。道を外した魔術師も多いこの街では、それに対応できるよう魔術師の警備を置く必要がある。特に、先端都市方々の資産が集まる銀行ともなれば。


「そして、あの強盗が起こったと」


 クラウもその場に居合わせたからわかる。奴らは警備の魔術師を真っ先に殺した。民間人に紛れて、フロア内の位置取りを済ませていたのだ。その中に、その婚約者もいた。


 魔導検査センサーは働いていたはずだが、何かしらの欺瞞を食らったのか。強盗団が虚空から取り出すような仕草をすると、武器が現れたということを思い出す。何か関係がありそうだ。



 ……自分の力不足だった、とは思わない。たまたま私用で訪れていた場所で事件に出くわすことを予期し、ましてやそれを事前に防ぐことなどおよそ人間には不可能だ。



 それでも、と囁く声がする。視線はシルヴィアの端正な顔へと向く。彼女ほどの魔術が自分にあれば、その結末は防げたのではないか?



 過去の記憶が蘇る。前にも同じような問いに直面した。そのときはひどく幼くて、馬鹿馬鹿しい答えを出したような気がする。確か――


「どうした、腑抜けた顔をして」


 思考は鈴の音のような声に中断された。


「いや、なんでも。って、誰が腑抜けた顔か」


 適当な返事をして姿勢を正す。が、殺風景な部屋にシルヴィアと二人でいるため、姿勢を直す意味がないことに気がついた。



 クラウたちは今、ロンドニドムスの市警察東支部の待合室にいた。


 普通、大手銀行支店の強盗事件ともなれば、紙面を賑わしてただちに警察の捜査が展開される。しかしながらイレーナ某の見聞きする限り、警察はこの事件にまったく手を付けていないとか。これはシルヴィアも裏をとっていて、確かにこの事件はほぼ凍結されている。


 まあ、言ってしまえばロンドニドムスには『よくあること』だ。それはこの街の特異性――魔術先端都市ゆえのことである。



 成立からして、魔術師や学者が企業連合メガコーポをパトロンにして作ったロンドニドムス大学。これを中心に置く都市まち――ロンドニドムスは、完全自治都市、名目上の領主すら存在しない街であり、国内でも数少ない。現代の民主化の流れの中で貴族の権威が衰えつつあるとはいえ、名目上でも貴族は領主として都市村落を統治している。


 そんな魔術師と企業連合の街であるロンドニドムスを勢力下に収めたがる貴族は多い。また、国内有数の武装宗教集団である『教会』の諸派も同様である。


 そんなわけで、ロンドニドムスは指し手を無数に持つチェスバランスゲームの盤上という一面も持ち合わせている。


 完全自治という特権を保持するため、ロンドニドムス市長はこのゲームをどうにかやりくりしている。その過程で、ある企業の隠蔽工作に協力したり、ある貴族の犯罪を喧伝したりということが必要になる。それに応じて警察や行政も動くか否かが制限される。


 おかげで、ロンドニドムスでは大なり小なり、魔術屋が動く事案が豊富に存在するのだ。金で動く便利な私兵。今回もきっと、そういう構図なのだろう。


 その図面の端っこでせかせか動き回るクラウにとっては、その全貌など知りようもないし興味もない。自分の問題で手いっぱいだから全体の利益なんて考える暇はないし、そういうのは得意なやつに任せておくに限る。



 と、脳内でぐだぐだ考えていても待ち人が来ない。クラウたちが急に訪ねて来たからなのだろう。黙りこくっているのも好きではないので、適当な話題をシルヴィアに投げてみる。


「あんたには市警察ココの知り合い、いないのか」


 顎に手を添えてわずかに考えるそぶり。


「……いや。私の家はこの街とあまり関わりはなかったし、私自身もここに来てまだ日が浅いからな。あまり人脈というものもできてはいない」


 なるほど。確かに、〈勇者〉を名乗る戦闘狂なんて魔術屋、流石に耳に入らない方がおかしいか。クラウが知らないということは、彼女は比較的新人魔術屋ニューフェイスなわけだ。


「俺はここに来て――もう八年になるのか。そんなわけで、一つか二つのコネはあるって感じだ」

「なるほど」


 そうして、そのつてを頼って警察署を訪れているわけだ。捜査が凍結されているとはいえ、犯人たちがここの留置所に放り込まれている以上、何かしらの情報はあると踏んだのだった。


 そうして口を開くと、ふと頭の底に沈んでいた疑問が湧いて出た。


「……そういえば、なんで俺と手を組もうと思ったんだ?」


 当然の疑問だ。彼女はクラウのコネなど知りようがなかっただろうし、そもそも最初はなぜか敵視さえされていたし。


 答えがないので横を向くと、勢いよく顔を逸らされた。そんなに嫌か。


「……それは」

「それは?」


 背中を向けつつも少女がか細い声で囁く。何故か耳まで真っ赤になっている。


「…………初めて会った気がしなかった、というか」

「……?」


 完全に初対面だと思うのだが。


「あー、なんとなく気が合いそうだと思ったとか、そんな感じか」というかそれ以外思いつかない。


「…………」


 結構自信のある推論だったのだが、何故か睨まれた。困り切って頭をかく。


「悪い、待たせたな」


 と、ちょうどそのときに部屋の扉が開いた。

 入ってきたのは恰幅のいい中年の男性。顔つきはしかめっ面で、いかにも叩き上げという感じの刑事だ。


「や、急に押しかけたのは俺ですからね。どうも、レナードさん」


 数日ぶり――強盗事件の折に二、三会話をして別れての再会だ。早々に本題に入ろうと手早く挨拶を切り上げる。実直にして仕事一辺倒なレナード警部は、シルヴィアが貴族だと聞いても微動だにしないので話が速い。


「時間も勿体ないので単刀直入に訊きます。先日の強盗事件、進んでませんよね」

「……それでここに来たのか。被害者の家族が依頼でもしたか」

「さあ、どうだか」


 さすがにベテランなだけあって、頭の回転も速い。依頼人は隠しつつ事件の情報を探りたいが、警部の表情は堅い。


「残念だが、例の事件は第一級封印案件だ。おまえには伝えられん」

「そこをなんとか、お願いします」


 泣き落としを試みるも、ひょろいクラウの懇願に何の効果もない。心なしか、背中に刺さる視線が痛い。


 レナード警部とはある種の協力関係にある。警察が手の届かないような領域、案件に関する捜査協力をする一方で、クラウは警部から情報などを得る。愛用する魔導拳銃マギカショットも、彼から仕入れたものだ。


 しかし、警部からしてみればクラウは数ある知己の魔術屋の一人に過ぎないのだろう。必要とあれば情報は流すが、そこに私情はない。人間というより鉄でできた仕事マシーンに近い。


「……そんなだから奥さんに逃げられるんすよ」

「どこで聞いた」

「さあ?」


 ぴくぴくとこめかみに青筋が浮かび上がっているのを見てほくそ笑む。機嫌を損ねていいこともないが、情報を得られないのだから仕方ない。


「第一級封印案件っていうなら、一体どこからの指定かぐらいはわかってるんじゃないすか? 企業連合メガコーポのどっかとか、貴族の誰かとか」


 妥協して次の情報収集先を訊きだそうとするが、警部はだんまりを決め込む。これはてこでも動きそうにない。




 諦めるか、とクラウがため息をついたそのとき、


「今、揺れた」


 座ってクラウたちのやりとりを眺めていたシルヴィアが立ち上がる。言われてみれば、確かに震動を感じる。ほんのわずかなものだが。


「地震か?」


 シルヴィアの言葉に頭を振って否定する。


「いや、この街で地震なんて聞いたことがない」


 つまりこれは地震というよりはむしろ、人為的な何かと考えた方がいい。警部の目つきが鋭くなる。


 シルヴィアと顔を見合わせたそのとき、世界が揺れた。


「うおっ!?」


 思わず膝をつく。立っていられないほどの強い揺れだ。クラウの耳に入るのは、物が倒れる音や人の叫び声、そして獣の咆哮・・・・と思しき音。


「――今のは」

「留置所の方だ、くそ」


 悪態を吐きつつ警部は腰の機器を手に取って声をかけ始める。遠隔連絡用の魔道具だ。


「おい、俺だ。今の揺れと音はどうした。――何、特別棟の囚人どもが暴れ始めた? それも魔獣のようにって、おい。いいか、まず――」


 ほぼほぼ怒鳴るようにして警部は連絡を続ける。時折跳ね上がる受話器越しの声が、現場の混乱をひしひしと伝えてくる。


 東支部に併設された留置所の、特別房。そこには封印案件の関係者などがひとまず収容されると、聞いたことがある。


 つまり、この混乱は今クラウたちが追っている事件に、まず間違いなく関わっていると見ていい。


「となれば、行くしかないな」

「わかっている。勇者の流儀としても、混乱ハプニングは放っておけない」

「おい、おまえら」


 警部の制止を無視して部屋を飛び出す。廊下は天地をひっくり返したような騒がしさ。留置所の方から逃げてくる者、すぐさま駆けつける者、装備を取りに行く者。


 そんな中を縫うようにして、留置所の方へ。さして複雑な造りでもない上、断続的に破壊音と咆哮が聞こえてくるので簡単に方向がわかる。建物の内部に吸い込まれるように進んでいく。


 警察署は三階建ての直方体の建物が移動回廊の線で組み合わさった形をしている。特別棟はその直方体の一つ。出入り口は今クラウたちが駆け抜けている廊下以外にはない。


 絶え間ない破壊音は悲鳴交じりに、耳をつんざく狂想曲へと転じていく。


 ――そこに苦しんでいる人がいるのならば、助けない理由はない。なんのために、俺はこの街で来たのか。


 はやる心に急かされるまま、クラウは特別棟へと突入した。恐らく、そこが地獄だと知って。

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