魔術の街
魔術代行業者、通称「魔術屋」はこの先端都市ロンドニドムスに山ほど存在している。母数となる魔術師の数が多いのだから当然とも言える。
ここが魔術研究・利用の最先端である以上、魔術に携わる者は必然的に滞在することとなる。長くにせよ、短くにせよ、ロンドニドムスに居たこと自体が魔術師の箔付けになるのだ。
先端都市では魔術屋が動員される機会が特に多い。しかし、それにしても魔術屋自体が多すぎるので、仕事にありつけない中小事務所も多々あるというのが現状だ。
そして本来ならばクラウもまた、そうした弱小魔術屋として気ままな午後を過ごしているはずだった。
「それがなんでこんなことになってんだろうな」
コンクリ建ての二階、事務所として借りている応接間の片付けに勤しむ独り身の青年。あまりにも依頼人が来ないか、来ても顔なじみの常連であることが多いので、かなり私物を散らかしていたのだ。自堕落な生活空間を仕事用のスペースへと変える原因となったのは、一つの通知書とでも言うべき連絡。
魔術屋クラウ・アーネスタに至急依頼したきことあり。明日事務所に参上する。
とだけ書かれたの紙片が届けられた。それだけならクラウも別段ここまでは準備をしない。その紙片とともに封筒に入っていたのは、手切れ金という名目の小切手だった――それも、優に半年は遊んで暮らせるほどの。
その額を三度確認したあと、高揚する脳内で冷静な自分が声を上げた。どう考えても、これは何かしらのでかい
あっさり受諾するにせよ、万が一リスキーすぎて断るにせよ、相応の対応はしなければなるまい。そんなわけで、今朝からこうして年末さながらの大掃除を敢行していた。
それにしてもと、読みかけの雑誌を奥の部屋に放り込みながら呟く。
「なんだってわざわざ俺なんかに……?」
クラウは
それが唯一の疑問だった。何故、そんな重大そうな依頼がクラウの元に?
「まあ、あれだろ。貴族のお嬢様がお忍びで大学にでも入るからその護衛とか、そういう――」
与太話じみた逆玉の輿妄想を遮ったのは、事務所のドアをノックする音だった。かなり強めに叩いているのか、音が重い。
「はいはい、クラウ・アーネスタの魔術代行事務所はこちらですよっと」
磨き上げたテーブルとソファをまたいでドアを開ける。にこやかな笑顔を意識。ドアの前に立つ客の顔を見て、表情筋が凍った。
「三日ぶりというところだな」
――至近距離からまじまじと見て、改めてその美しさを認識する。さらさらと流れ落ちていきそうな青い長髪。意気に溢れる瞳。劇画に出てくるような整った顔立ち。
「……じゃなくて、なぜここに?」
「調べた」
〈勇者〉を名乗る少女魔術師、シルヴィアがそこに立っていた。
三日前、銀行での邂逅を思い出して後ろに飛び退く。が、当の本人はきょとんとその場に立ち尽くしている。そのいたいけな少女にしか見えない様子に毒気を抜かれて、思わず構えを解いてしまう。
「……」「……」
沈黙。クラウは少女の出方を窺い、彼女はこちらの顔を眺めている。なんだこの構図。なんとなくいたたまれなくなって、クラウが会話の口火を切った。
「あー、それで、俺を叩き斬りに来たんじゃないんだよな?」
呆けたようにこちらを見ていた少女は、一瞬間を置いてこくりと頷いた。
「はい。その節は大変申し訳なく」
「――」
思わず目を剥いた。初対面のときと違いすぎる。この娘、戦闘になると狂戦士化するとかそういうあれなのか?
クラウの驚愕に目もくれず、少女は一度首を振ると毅然とした表情へと切り替わった。
「……これで謝罪は終わりだ。誇りあるランドッグ家の当主として、間違いは正す」
確かにあなたは勇者ではなく弱小魔術師だと言っていたから、とシルヴィア。
「そっちが素なのかよ」
あと弱小とか言うな。
当然のようにすたすたと事務所内に入ってくるシルヴィア。
「おいおい、謝罪が用件じゃないのか。喧嘩売りに来たんでもあるまいし」
一応ソファを勧めつつ対面の椅子に着席する。お茶の類を出そうかとも思ったが、そんなしゃれたものは置いていないことに気づいた。
手合せできるものなら願いたいが、と前置きしつつ、シルヴィアは腕を組んだ。目を逸らし、どことなくばつの悪そうな表情で、
「……用件というのは、依頼で協力してもらいたい、というものだ」
「協力」
とりあえず一通り話を聞いたクラウは、すぐに結論を出した。
「断る」
「なぜだ!?」
ショックを受けた表情のシルヴィアに対し、クラウはため息をついてみせた。
「依頼人の意向と守秘義務があるから内容について深く話せないってのはわかる。例の強盗事件に関係ある案件だから俺のところに来たっていうのも妥当だ」
シルヴィアが頷く。
「――問題なのは、あんたほどの腕のある魔術師が苦戦する依頼に、俺がやる気になるかって話だ」
普通に考えて嫌だ。この貴族らしき魔術師の魔術の技量は、三日前に嫌と言うほど味わった。大魔術師と言っても過言でもない魔術屋が他社の協力を要するほどの依頼となると、
「とても俺の手には負えないってのが俺の結論だ」
「――そんなことは」
語気を荒げるシルヴィアはまだまだ食い下がりそうな様子。予想以上に粘る。仕方なく、クラウはさらに言葉を連ねる。断固たる表情を作って。
「それにだな。謝罪されたとはいえ、三日前に殺されかけた相手だぞ? いきなり手伝えと言われても、割り切れない部分がある」
今度はシルヴィアは何の言葉も発さなかった。その顔は痛いところを突かれたよいうよりもむしろ、悲しさを噛みしめているようで、無性に胸が痛む。
だが、明らかに
「そういうわけだから、今回のことに関しては協力できない」
悄然としてうなだれるシルヴィア。
「そうか、そうだな」
呟くように言って、席を立つ。せめて見送りだけでもしようと背を追って、大事なことを思い出した。
「そうだ、あの小切手。前金ってことなら、あれは受け取れないから返すよ」
振り返ったシルヴィアの顔には怪訝な色。
「小切手? 何のことだ?」
「……なんだって」
気配を感じて振り返る。自席のそばの窓。その向こうで、一瞬、光点が発生した。
「っ――」
横倒しにどうと倒れる。クラウが影になって事態を把握できていないシルヴィアの手を引く。
「ちょ。ちょっと!」
胸元に抱き寄せる形になった。柔らかい感触が云々などと呆けたことを言う間もなく――閃光が視界を焼いた。
それは一筋の流星にも似た光条。その実、超圧縮された熱線だということが否応なく見てとれた。着弾先、コンクリートのドアに綺麗な円形の穴が空いている。目を凝らせば、それが溶解したためだとわかる。そんな熱量を出せるのはこの世界で魔術だけだ。
「狙撃された……?」
「そ、そんなことより、離して!」
「いたっ」
事態を飲み込めないまま、顔を真っ赤にした少女に突き飛ばされる。予想外に強い力で、吹っ飛んだ先で椅子の足に頭をぶつけた。痛い。
涙目になりつつも四つん這いのまま息をひそめる。狙撃手が撃ち損じたことを理解しているならば、追撃を狙っている可能性もある。シルヴィアもそれをわかっているのか、窓から物陰になる位置に隠れている。
様子をうかがいつつ、脳内では疑問が乱舞していた。クラウが狙撃されたのは、何故なのか。
「自慢じゃないが、俺はそんな大人物でもないぞ……」
貴族であるらしいシルヴィアならば、話は別だ。権力闘争の一環としての暗殺。しかし、光線の軌道は確実にクラウの頭蓋を目がけていた。
暗殺は労力と金とリスクを伴う。暗殺者の労力、それに見合う報酬を提供する財力、事が露見した際のリスク。そうしてまで、街の一魔術屋を消そうとするのには、どういうわけがある?
そうして静寂に包まれたまま、数分が経った。溶解した液体コンクリートが音も立てずドアノブを滴り落ちる。
「……流石に諦めたか?」
囁くようにシルヴィアに言うと、彼女はわからないと言うように首を振った。
「だが、試すことはできる」
得意げに笑って、剣をすらりと抜く。
童話の魔女が杖を使うように、魔術師には魔術の媒介が必要となる。それは例えば、神木の枝を使った杖であったり、魔術で錬成された宝玉だったり、先祖代々伝わる宝剣の類だったりする。
現代の主流は、
現代魔術師の脳は他の一般人と一線を画している。魔導野と呼ばれる領野が極度に機能的発達を果たしているのだ。その領野こそが、形而上の
精緻な筆運びで字を描くように、細かに組み立てられた
「……まさかとは思ったが」
普通の魔術師であれば、
だが、シルヴィアは違っていた。クラウの見る限り、銀行騒動から彼女は、全ての術式を一から構築している。しかも、普通の方法と遜色ない速度でだ。
「……これが才能ってやつかね」
聞こえぬよう呟いた声は、自分で思ってたよりも苦々しく響く。絶対に届かない壁を目の前に突きつけられた苦味を、改めて噛みしめる。それは三日前も感じたものであり、シルヴィアの協力要請を断った理由の一端でもあった。
やがて水人形は胴部から水滴をしたたらせながら、ゆっくりと立ちあがった。遠目で見れば、警戒する小動物のようだろう。
そして、その頭が窓枠から露出した途端――
今度は意識を集中させていたためか、遠方の小さな魔術起動音が聞こえた。サイレンサー付の銃を撃ったときのような、微細な音。そしてその音がクラウの耳に届くよりも早く、水人形の頭部が弾け飛んだ。
その意味するところに、思わず文句が口をついて出る。
「……ちょっと待てよ。音より速いっておい、おい」
「狙撃手はかなりの遣い手のようだな」
好戦的な笑みを浮かべるシルヴィア。先ほどの少女のような振る舞いが嘘のような、戦士の笑みだった。
「勇者の乗り越える試練としては上出来だ」
「言ってる場合か」
つっこみを入れつつも、余裕のないクラウの脳はフル稼働。視界に標的が入るや否や狙撃術式を励起させる技量は、シルヴィアのそれに勝るとも劣らない。とんでもない遣い手――本当に? それほどの技量がありながら、水人形と
むしろ、あれは半自動的な術式ではないのか。破壊力と正確さと速度を同時並行で成り立たせるのは、むしろ自動迎撃術式か『教会』の神働術の類に近い。
そもそも。頭の中で言葉が連なっていく。半自動術式だったとして、それだけでは暗殺計画としては手落ちではないだろうか。初撃で仕留めきれなかったら、獲物が出てくるまで待機、なんてあまりに杜撰だ。
そうと考えれば。この術式はクラウをこの部屋に釘づけにするための威嚇ではないのか。出口となる窓とドアは射線上。クラウに逃げ場はない。
「――シルヴィア!」
「む。なんだ?」反撃の準備をしていたのだが、とシルヴィア。
「勇者どうこうはいいから、死にたくなかったら床をぶち抜け!」
「どうこうなどと! 勇者は私の大目ひ――」「いいから!」
切羽詰まった様子に何かを気取ったのか、シルヴィアが戸惑いながらも剣の切っ先を床に向ける。そのとき、
「おっと、そうはいかねえよ」
野太い声がドアのむこうから響いてくる。身構えるより早く、ドアが派手な音を立てて吹き飛んだ。
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