魔術屋主義者の事件手帖

プランB

ボーイ・ミーツ・ガール

 ロンドニドムス市民の抱える問いの一つとして、圧倒的な暴力を前に市民が何をできるか、というものを付け加えた方がいい。クラウ・アーネスタは死の瀬戸際という場面で、そんなことを思った


 床に膝をつくクラウの額には、鈍く光る剣の切っ先が突きつけられている。その構図だけでも充分命の危機であるが、クラウが直面している危険デンジャーは斬り捨てられるどころの話ではない。――頭を飛ばされる可能性すらある。

身じろぎ一つでもすれば、目の前に立つ男かその仲間と思しき黒服の集団が、瞬く間に自分の身体を細切れにしてしまうだろう。超人的な魔術の業によって。




 神話やおとぎ話の中に語り継がれている『魔法』は、太古の時代から実際に存在していた。特異体質者や魔族と通じた人間が、そうした技術を独占し、現人神や賢者、呪術師や王として君臨していたのだ。


 選ばれた一握りの人間だけのものであった魔法はしかし、現代にはありふれている。特にこの先端都市ロンドニドムスでは。

 現代魔術研究は、魔導大学ロンドニドムスや企業連合メガコーポの研究室の中で、一般市民でさえも魔術の恩恵にあずかれるほどに進んでいる。

 だけどもそれは、例えば上下水道とかインフラその他諸々とかの、平和な日常生活の話であって、一触即発の極限状態には当てはまらないらしい。


 お客様、こちらの保険インシュランスは突然銀行強盗に巻き込まれて命の危機に陥るといった状況には対応しておりません。特に、魔術師の強盗団に捕らわれるなどという場合。




 自分の頭蓋に向けられた剣、現代魔術の杖――携行型魔術補助具、刻印杖シールワンドからどうにか目をそらして、クラウは目の前の男の顔を見上げた。ひざまずかされているため、神像に嘆願する信徒じみた構図。


「なあ、あんた。せめてその刃物は下ろしてくれないか。実は、金属アレルギーなんだ」


 その言葉に、剣の持ち主は穏やかな微笑みを返してきた。丁寧に撫でつけられた髪や糊のきいたスーツは一流商社のビジネスマンのそれ。その風采が、右手に持つ剣を一種異様なものにしている。まるで、童話調の世界に連続殺人鬼が紛れ込んでしまったかのよう。

 もっとも、それはこの場を制圧している強盗団全員に言えることだが。注視すれば堅気ではないとわかる男たちは、いつの間にかこの銀行に潜入して、突如その本性を現して警備員を惨殺した。まるで虚空に別の空間が織り込まれているように、男たちは剣を取り出したのだ。


「ああ、そうだったか」人当たりのいい声。「ではこのように」


 血に濡れた剣の代わりとでも言うように、男は優雅に指を鳴らした。


  ――熱い。喉が灼ける。極度の緊張による渇きではない。実際に、炎の形をした剣が突きつけられている。思わず顔をしかめた。視界のすみ、人質がまとめられている中、今にも泣きそうな顔でこちらを見る少年の姿。

 優しい子だ、と思う。自分を庇った男が命を落としかけているのを見て、彼は涙している。


「……あー、何もそこまでしてくれなくでもいいんだが?」


 たらりと汗を垂らしつつ笑ってみせる。それが精いっぱいの反抗とも言えた。


「いえいえ。何せ、自ら人質に立候補するほどの勇気だ。その気概に敬意を払っているのさ、このデュナリオはね」


 形だけの微笑みの中で、一切笑んでいない瞳がクラウを突き刺す。このスーツ男――強盗団のリーダーと思しきデュナリオという男は、どうやらクラウを警戒しているらしかった。それ以上に、敵意も感じるが。


 考えてもみれば、わざわざ人質役を買って出る一般人など思いつきようもない。面子の問題なのか、あからさまにはしてこないが。

 そりゃそうだ。ただ、幼い少年に剣が、魔術の矛先が向けられているのが、我慢できなかっただけなんて。後先考えないにもほどがあると、自分でも思う。


「さて、どうしたもんかね……」


 一人ごちたのを聞きとがめて、男がこちらに目を向ける。


「どうかしたかい、『勇者』殿」


 特大の皮肉に思わず顔をゆがめそうになった、そのとき、


「――今、勇者と言ったか」


 エントランスの扉が、音を立てて一息に開く。古代神殿を模した魔力駆動式の巨大石扉は、導線を切られた今では、巨漢でも動員しなければ微動だにすらしなかったはずだ。

 いや、そもそもこの銀行は、その神殿建築による魔術的結界作用エンマギカが災いして、強盗団によって小規模な要塞と化していて、扉に触れることさえ市警察の特殊部隊を動員する必要があるはず。


 逆光の中進み来たのは、扉に比してあまりにも小さな影。しかして威風堂々、風を切るように石畳の行内を歩む。ともすれば劇場の一幕のような光景。その少女の矮躯から滔々とあふれ出る覇気が、演出を不要のものとしていた。

 エントランスにいた人質たちも、奇怪な黒ローブの集団も、スーツの男も、その場にいた者の目は全て彼女に。存在が異質だった。それはこの場にそぐわぬという意味でもあり、この場にいる人間と存在の格が違うという意味でもある。


 清流を集めて束ねた髪の下、黒色の瞳が前を見据えている。顔の造形は一切の無駄がなく、精工な氷細工のように美しい一方で、生気に満ち溢れていた。


 スーツの男がクラウに背を向けた。いつの間にか炎の剣は消失している。


「……どちら様かな」


 胡散臭い笑みが後頭部越しに透視できそうなほどの猫なで声だった。首領の声がスイッチとなったかのように、黒服たちが各々の得物を少女に向ける。ひっと部屋のすみから息を飲む声がした。


「今、勇者と言ったか?」

「はい?」


 答えになっていない。会話が成立していない。同じ言語を喋っているはずなのにまるで意思疎通ができていない。あっけにとられたスーツの声が虚しく響く。


 クラウは一瞬で理解した。この娘、頭のネジが飛んでる類だな。


「――勇者とはこの私、シルヴィア・ヴォン・ランドッグを指す言葉に他ならない!」


 何の前触れもなく少女が声を張り上げた。太くもないのによく通るソプラノと、途轍もない魔力がエントランスホールを満たす。その貌に浮かぶのは楽しげな笑み。


「間違いは正さなければなっ!」

「――かかれ」


 一瞬の硬直は冷たい号令によって解かれ、少女を取り囲む黒衣の魔術師らが魔術を発動。


 ――現代魔術は魔術言語ルーンによって為される。世界の背後に眠る超常の力と接続する『文字』を連ねて『術式センテンス』を作り、それが現実世界に現象いみを形成する。特に、近年発明された刻印杖シールワンドは、武具に術式の大部分を刻印シールすることで高速魔術展開を可能にしている。


 剣や槍、ばらばらの意匠の武具から飛び立つのは爆炎、雷撃、氷塊、鋼槍。矮躯目がけて疾風怒涛と迫る暴威は――しかし、青い波濤に阻まれた。


「その程度で、私と勇者を競うつもりか。片腹痛い」


 帆船を飲み込む渦潮が少女シルヴィアを中心に展開していた。魔術のことごとくは荒波に消える木片のよう。

 スーツの男は後ずさりしつつ毒づいた。


「くそ、狂人が」

「勇者だ」


 ばっさり言い捨ててゆっくりと歩を進める魔術師。彼女を取り巻く水流は、瀑布となってローブの集団に襲い掛かる。その身に触れることのできる者はいない。

 自身の不利を見て取ったスーツはたまらずといった様子で叫んだ。


「人質がいるんだぞ、わかっているのか!」


 それを言うのは少し遅かったと、クラウは思う。


「残念だが」


 男が予期すらしなかった声は、ちょうどその人質たちの元から聞こえていた。目を向けた男の瞳に映ったのは――


「お粗末なもんだ」


 最後に残った・・・・・見張り役に向けて、クラウは懐から取り出した拳銃・・の引鉄を引く。銃身から撃ち出されたのは鋼の弾頭――ではない。魔導拳銃マギカショットが発射するのは呪的弾丸。高速飛翔する鉄杭が見張り役の太腿を貫き、痛みに呻く頭をクラウの脚が蹴り飛ばす。


「これで見張り役どもは全員終わり」

「なっ――」


 どさりと重い音を立てて崩れ落ちる黒服の男。その周囲には同様に倒れ伏す魔術師たちの姿がある。人質たちは既に手近な通路へと逃げ込んだ後だった。

 そして、砂でも振り払うように拳銃を叩いているのは、先ほど彼が嘲った男――クラウだった。


「……なんだ、なんなんだ、おまえら!?」


 みっともないほどの狂乱ぶりを見せるスーツ男。それに答えてか、少女が静かに迫る。


「〈勇者〉だ。――おまえの計画を打倒する魔術師だ」


 相も変わらず会話が成立していない。


「――何が、勇者だ。ふざけるな! そこのおまえも、勇者だっていうのか。オレを最初からハメていたと」


 さすがにかわいそうになって、口を挟む。


「勇者なんて大層なもんじゃないけどな、俺は。通りすがりの一般の――魔術屋だ」


 もはや怒りと混乱が頂点に達したのか、男は口をただただ開閉するのみで言葉を発せられない様子。

 気づけば部下たちは全員、シルヴィアと名乗った魔術師の魔術で床に倒れ伏している。磨き上げられた大理石の床は魔術によって水びたし。


 クラウは男に睨みを利かせながら考える。さてどうしたものか。やはりここはシルヴィアという魔術師と協力して、この男をとっちめて警察に引き渡すのがいいだろう。

 何しろ後先考えずに飛び出したため状況が把握できていないが、ともかくあの少女はこちら側ということになるはずだ。


「えっと、そこの――」

「ふむ。ということは貴方が勇者と呼ばれていたのか?」


 助力の求めを遮ったのはシルヴィアの問い。値踏みするような視線がクラウに注がれる。主に顔などに。


「とてもそのような魔術師には見えないが……。幸薄そうで貧相だし、血色も悪い」

「失礼だなあんた?!」


 何故か厳しい批評を喰らっていた。いや、体格なんて生まれつきでどうしようもないというか。


「つーか、そんな大層なもんじゃないって。俺は単なる魔術屋で、たまたまここに居合わせただけ」


 半笑いで首を振るが、少女の視線は揺るぎなくこちらに向けられている。むしろ、


「――凡夫が勇者となれるわけがないだろう」


 眼に力がこもる。クラウは唐突に突きつけられた敵意に戸惑うより他ない。何かが彼女の堪忍袋の緒を叩き斬ってしまったらしい、ということだけがわかる。


「もしやと思ったが……。まあいい」


 そして何かに納得したような表情をして、魔術師は剣をクラウに対して構えた。


「ちょっと待て、待て」

「どちらにせよ、私を前にして勇者を名乗るならば――斬り伏せるのみ」

「だから名乗ってねえよ!」

「問答無用っ」


 言い放ち、少女はまっすぐに踏み込んできた。ふざけた言動ながら、凄まじい速度でみるみるうちに距離を詰めてくる。


「くそっ」


 半ば地面を転がりながら、強烈な横薙ぎを躱す。ついさっきあれほどの大魔術を見せつけられては、まともに戦う気も起こらない。

 背を向けて逃げ出す――が、背筋を貫く悪寒に従って倒れるようにして右に。ついさきほどまでクラウが立っていた地面を巨大なつららが穿つ。振り返ると、白磁の頬に赤みが差したシルヴィアの顔。


「逃げるな!」

「逃げるに決まってんだろうが」


 怒鳴り返しつつ立ち上がる。どうにかしてこの悪魔的少女魔術師から逃げ出さなければ、殺されるか死ぬかしかない。

 と、悲壮な決意を固めたクラウの視界に映る、ちょこまかと動く影。強盗に遭った建物内に野良猫がいるわけもなく、それはスーツを着た男だった。


「そこ、逃げてるぞ! あれがあんたの本命だろうがっ」

「ふざけるなキサマ! オレが逃げようっていうのに、ちゃんと囮になれ馬鹿!」


 絶叫しつつスーツ男は、人質たちが出ていったのとは別の通路へと駆けこんで姿を消した。シルヴィアはその背を見、こちらを見、背を向けてからまた一度こちらを見た。


「……仕方ない、ここで待っていること! 必ず戻るから」


 それだけ言い捨てて、シルヴィアはスーツの男を追って通路に消えた。

 生きながらえたらしいという事実とあまりに怒涛すぎる展開に呆然としながらも、クラウの足は早速とばかりに外に歩を進めていた。


「や、待つわけないって、普通」


 何はともあれ、今はここから立ち去るべきだ。強盗の占拠が始まってからもう一時間は経っているはずだから、当然警察は来ているはずだ。


「……ということは、あの娘は警察が派遣した魔術師なのか?」


 警察が迅速に対応できない場面では、荒事に慣れた魔術師がエージェントとして派遣されることは多々ある。むしろ、そうした魔術師が『魔術屋エージェント』として、この街の治安維持の多くを担っているというのが実情だ。


「いや、まさかなぁ」


 確かに腕のいい魔術師というのはどこかヤバイ人間だというのはまことしやかに囁かれている言説だが、さすがにあそこまで勇者狂いの魔術師は見たことがない。同業者の・・・・クラウが言うのだから間違いない。

 荒事専門の『魔術屋』をやる以上、警察とはいくつか繋がりがある。普通なら事情聴取か何かで拘束されるだろうが、そこはなんとかなるだろう。後はさっさと家に帰って寝てしまおう。オフの日に事件に巻き込まれたものだからひどく疲れている。


 ……頭の隅にちらりと、もしかしたらシルヴィアは魔術師エージェントで、警察を通じてこちらを訪ねてくるかもしれない、という考えがよぎった。あの気迫とめちゃくちゃな言動なら、それぐらいしてくるような。


 勢いよく頭を振った。


「ないない」


 とにかく疲れた身体を休めたかった。――凄絶な斬撃がまだ目に焼き付いている。とぐろを巻く大蛇のような魔術の気配が、未だに肌を刺している。


 クラウはそそくさと銀行の門を出る。盗人のようなしぐさと巨大な意匠は、馬鹿馬鹿しいほどに乖離している。あの強烈な魔術師のことを忘れるには、家に帰って眠る以外になさそうだ。


 ――結果的に言えば、それが、最初の間違いだったのだ。

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