第2話.月の村
「…あんた、『迷い子』か」
少年から発せられた聞き慣れない言葉に、有磨は首を傾げるしかなかった。『迷い子』と言っただろうか。なんだかこう、ゲームに出てきそうな言葉だ、などとぼんやり考える。
「ああ、あんたに言ってもわからないな。他の世界から来た者、って意味」
「……ええっ?」
彼の言葉を理解するのに随分と時間を要した。いや、理解の範疇を超えている気がする。これは本当に現実なのだろうか、今になって再び疑問が湧き上がってくる。
けれども矢張り感覚が鮮明すぎるのだ。自分が可笑しくなってしまったのか、それとも目の前の少年が可笑しいのか。相手の言葉から察するに、ここはどこか別の世界――異世界で、自分はそこに突然やって来てしまった訪問者という訳か。
「ありえねぇ…」
がしがしと頭を掻き、思わず呟きを漏らす。漫画の読みすぎでついに頭が可笑しくなったかと思ったけれど、目を覚ましたら見知らぬ森にいたなんて他にどう説明できるだろうか。どうやら自分はとんでもなく非現実的な体験をしているようだ。
少年はひとつ、溜息を吐いて無表情のまま瞳を軽く伏せる。
「迷い子はみんなそうだ、突然この世界に来て驚くのも無理はない。だけど生憎これは現実だから、諦めなよ」
突き放すようなその言葉に詰め寄りそうになるのを抑える。この言い方では自分以外にもいるというのか、『迷い子』とやらが。有磨は僅かばかりの安心を覚えた。
「……わかった、ここは俺の知らない世界なんだな。それはわかったけど、どうすりゃいい?」
「納得したんならいいけど。取り敢えず、あんたの名前は?」
赤い双眸が有磨をじっと見つめる。一陣の風が隣を吹き抜け、少年の黒髪を遊ばせて去っていった。
――ああ、まただ。
この瞳を、自分は知っているような気がする。既視感に似た痺れ。
しかしそれも一瞬の事で、気づけば有磨は自身の名を口に出していた。
「園崎、有磨」
「…僕は紅内寺 蒐。ついてきて、案内する」
何処へ、と問う前に蒐と名乗った少年はくるりと身を翻す。そのまま歩き出すのに、有磨も遅れないよう慌ててその背を追った。
双方無言で歩くこと数分、唐突に視界が開けた。蒐が立ち止まり、軽く振り返りつつ口にする。
「ここが僕の住む村、月村だ」
眼前へ広がったのはまるで絵本の中に飛び込んでしまったような景色だった。陽光を受け青々とした芝生と所々に立つ木々、色とりどりの屋根をした家々がぽつりぽつりと存在している。足元には細い川らしきものが流れており、小さな橋が掛かっていた。橋の側には木製の看板が立てられており、黒文字で書かれた「月」の文字と三日月型の簡素な絵が描かれている。
「本当に、違う世界なんだな…」
「だからそう言った」
思わず口をついて出た言葉にすかさず蒐が返してくる。見た事の無い場所、景色、空気。漸くこの状況が、有磨にとって現実味を帯び始めていた。
「月村、だったか。それで、俺はどうすれば?」
「村長に報告と相談をしに行く。迷い子は見つけ次第保護するというのがこの世界の方針だから」
ふぅん、相槌を打ちつつ有磨の心臓は早鐘を打っていた。この感覚は一体何なのだろうか、不安と緊張、そして微かな高揚の混じった複雑なもの。
唐突に壊された日常は恐怖を生んだけれど、それと同時に未知の世界への好奇心と興味を運んできたようだった。
こんなの、まるで物語の主人公のようではないか。唐突に異世界へ呼び出され、その中で奮闘する、自らの物語の始まり。
歩き出す蒐の背を再び追うようにしつつ、有磨は己も気付かないままに口角を上げた。
■
蒐が立ち止まったのは、見るからに他よりも大きく一風変わった家の前だった。村長ということは恐らく偉い人、なのだろう。
屋根はくすんだ赤、壁はレンガ造りのようだ。少しばかり高い所に作られた扉の前まで続く階段を上がれば、蒐はまるで自宅に入るかのような気軽さで扉を引いた。
「じいさ…村長、邪魔するよ」
入っていく蒐の後ろに大人しく立っておく。室内は外観からの想像通りに広く、落ち着いた雰囲気だ。大きな窓から差し込む陽光で明るく照らされ、並べられた木製の机と椅子、そして部屋の隅には大きなベッドが置かれている。
「蒐か」
掠れ、しわがれた声が耳に飛び込んできた。それは恐らくベッドの方からで、目を凝らせばそこに横たわる人の姿を確認できる。
「迷い子を見つけたんだ。あんたに報告しようと思って連れてきた」
「ああ、またやって来たか。こんな姿ですまないね、迷い子よ…こちらに来なさい」
矢張り自分のような人間は他にも沢山いるらしい。有磨はその言葉に引き寄せられるようにベッドへと近付いた。横たわっていたのは矢張り老人で、皺だらけの顔に優しげな微笑みを乗せてこちらを見た。
病でも患っているのだろうか。その姿は酷く弱々しく見える。
「突然のことでさぞ驚いただろう、無理もない。この世界にはなぜか時折そなたのような者達がやって来る。…名は?なんという」
「園崎、有磨です」
「私はこの村の村長を務める翔二郎だ。こんな老いぼれだがね、この命が終わるまではこの村を支えていきたいと思っている」
言葉を噛み締めるようにゆっくりと口にした彼は双眸を緩りと細める。慈愛、というのだろうか。その瞳にはそんなものが宿っていた。同時に、微かな寂しさも含んでいるように感じられて有磨は瞳を瞬かせる。
ふと蒐に視線を移すと、彼は壁に背を預けて瞳を閉じていた。村長との会話が終わるまでは口を挟まないつもりのようだ。
「有磨よ、手を出しなさい」
「手を?」
翔二郎の声に戻した視線の先、掛け布団の下から骨張った手が差し出されていた。握手を求められているのだろうか。わからぬまま取り敢えず有磨も手を出せば、震える手に弱い力で握られる。暖かな手だ。
「今からそなたに、この世界についての知識を与える。いいと言うまで離すでないぞ」
「えっ……うお?!」
どうやって、なんで、多々浮かんだ脳内の疑問は次の瞬間に掻き消された。強引に思考を塗りつぶされるような――体験したことのない感覚が有磨を襲う。
流れ込んでくる。様々な情報が思考を押しのけ、頭へ直接割り込んでくるような。
有磨の視界は歪み、ただ入ってくる情報の羅列に身を投じるしかなかった。
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