19

 午後八時五十分頃。屋上で一人膝を抱え、空を見上げていた私の頬に、冷たい水滴が落ちた。それが雨粒だと悟るまでの間にも、灰色の雲に覆われた空から、次々に水滴がしたたり落ちてきて、顔だけでなく、髪や肩口を濡らした。

 慌てて望遠鏡を抱え、屋根のある出入り口まで避難した。雨足はあっと言う間に強まり、よたよたと屋根の下に入る頃には、ザーという雨の降り注ぐ音がはっきりと聞き取れるまでになっていた。


 何てこった。時任先生の懸念したとおりになってしまった。通り雨なら良いが。腕時計で時刻を確認すると、針は九時五分前を指していた。流星群の観測予定時刻まであと五分しかない。今や星一つ見えない空を見上げ、落ち着かない気持ちになった。


 ジョージは手紙に雨天の場合は、天体観測は中止だと書いていた。ただし、任務は決行するので、屋上の鍵を開けておくようにと付け加えていた。

 つまり、彼は雨が降ろうと降るまいと、午後九時頃に屋上を使用するつもりでいる。約束の時間まであと少し、ジョージが既に校内に侵入している可能性は高い。

 流星群が見られないかもしれないのは残念だが、ここで待っていれば、ジョージと会えるかもしれない。

 雨で湿った髪や服をハンカチで拭き、私は所々水たまりができ始めた屋上の風景を、睨み付けるようにして、注意深く観察し始めた。

 現代人なら、屋上には、私が背中を向けている出入り口に繋がる階段を上るしか入る道はないが、ジョージは未来人だ。いつかスケッチした飯炊き釜型のタイムマシンで空から不時着するかもしれないし、何もない場所に急にドアが出現し、その中から現れるかもしれない。


 お願い。流星群が見える時間だけで良いから、雨よ止んでください。そして、ジョージ。あなたに会いたい。私の想いを受け取って貰いたい。だから、出てきて。

 髪につけていたジョージから貰った髪留めを外し、両手で握りしめ、私は必死に祈った。




 午後九時を過ぎても、雨は一向に止まなかった。むしろ更に勢いを増し、遠雷が聞こえるようになってきた。

 真っ黒な空から降り注ぐ大粒の雨を見上げる。じんわりと視界が滲む。流星群はとっくに通り過ぎてしまっただろう。ジョージが現れる気配もない。

 肩から掛けたポシェットに大事に仕舞い込んだ手紙は渡せぬままに終わってしまうのだろうか。私の想いは伝わるどころか、認知されることもなく、時の流れと共になかったことになってしまうのか。

 嫌だ。そんなの嫌だ。ポシェットを望遠鏡の傍に置き、髪飾りを手首につけ、私は滝のような豪雨の下に走り出た。



「ジョージ! ジョージ! どこにいるの? 出てきて!」



 声の限り叫びながら雨の屋上を走り回る。貯水タンクの裏等、人が隠れられそうな場所を手あたり次第に覗き、呼びかける。



「ジョージ! いるんでしょう? ねえ。流星は見られなかったけど、ちょっとでもいいからあなたに会いたいの!」



 激しい雨音が私の叫びを無情にもかき消す。負けないよう、さらに大きな声で想い人の名を呼ぶ。



「ジョージ! ジョージ! ジョージ!」



 頭の先から足までびしょ濡れになっても、やめなかった。空を仰ぎ、眼下に広がる帝都の夜景に視線を走らせ、まだ見ぬ彼の姿を探す。


 その時だった。ギイと金属の軋む音が後ろから聞こえ、私は野生動物のように俊敏に振り返った。先ほどまで雨宿りをしていた出入り口のドアが開き、人影がこちらに向かって走ってくる。



「ジョージ?」



 一瞬、ついにジョージが駆けつけてくれたのかと、胸が高まったが、血相を変え、傘もささずに豪雨の下に現れたのは、白衣を着た見慣れた男性教師だった。



「何をやっているんだ! 節度を守れと言っただろう!」



 時任先生は、学校では一度も発したことのないような鋭い語気で怒鳴った。温厚な先生に、人が変わったような剣幕で叱られ、動けなくなる。

 先生は、棒立ちしている私の腕を乱暴に掴むと、問答無用で出入り口前まで連行し、ドアを片手で開け、屋内へ私を放り込んだ。

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