12
直接会いたいという申し出を、ジョージに断られ、私は何となく図書室に行きづらくなり、三日連続で図書室通いをサボってしまった。
最初から、断られる場合もあることは予想できていたし、彼に想いが届かないことだって、十分にあり得たのに、こうも簡単に心が折れてしまうなら、最初からあんな手紙書くべきではなかったのだ。後先考えず行動する癖に、傷つきやすいなんて、我ながら面倒な女だと思う度に、更に落ち込んだ。
ジョージだって、誠意を尽くして断ったのに、こんな対応をされてしまっては、気まずいだろうし、突然、助手に出奔され、困っているかもしれない。逃げるのはやめて、図書室に行き、『物理学概論』を開くべきだと、頭の中に住む大人の私が何度も囁いた。
けれども、その度に、同じく私の頭の中の住人である子供の私が、『嫌だ、嫌だ。今更どの面下げて行くのよ。もう傷つきたくない。恥ずかしい。恥ずかしい。死んじゃいたい』と四肢をばたつかせ、泣きながら拒否する。
結局、私は声が大きい方の主張を受け入れてしまい、後ろ髪を引かれながらも、図書室から遠ざかっていた。ジョージも、もう新しい相棒を見つけたはず、なんて都合の良い言い訳をしながら。
図書室通いをやめて、四日目の昼休み。私は、日直当番に当たっており、次の授業で使う教材を取りに、講師室に向かった。
同じ並びに図書室があるので、気が進まなかったが、当番なので仕方がない。重い足取りで特別教室棟内を歩き、中年女性の古文講師から配布用の資料を受け取ると、足早に講師室を後にした。
大陸での長引く戦争やABCD包囲網とやらのせいで、物資不足が叫ばれて久しいのに、そんな世情なんて意にも介さず、古文講師は大量の配布物を印刷していた。普通に廊下を歩いて運ぶ分には、私一人でも運べる分量だったが、講師室から教室棟に戻るためには、階段を降りて渡り廊下のある階まで移動せねばならなかった。私は、体の前で抱えた資料の山に遮られ、足元が見えず、そろそろと一歩ずつ、足の悪い老人みたいに階段を下っていた。
漸く踊り場までたどり着き、あと一息と気合いを入れ直した時だった。階下から涼やかな男の声に呼び止められた。
反射的に声のした方を見ると、私がいる踊り場から五段程下に、王子の称号を欲しいままにしている男性講師、時任航先生がいた。目が合うと、彼は茶色がかったサラサラの髪を揺らし、微笑んだ。
「ご、ごきげんよう……」
蚊の鳴くような声で挨拶すると、時任先生は、穏やかな笑顔で返してくれた。
「ごきげんよう。荷物重そうだね。次の授業の教材かい? 手伝おうか?」
王子様の手を、下々の雑用で煩わせるなんて出来る訳がない。私は、後ずさりをしながら、しどろもどろでお断りした。
「い、いえ……。滅相もございません。これくらい、私一人で大丈夫です。せ、先生だって、お忙しいでしょう。け、結構です」
緊張のせいか、音量は小さいのに、低く掠れた声が出た。どうすれば、時任先生の取り巻きの彼女たちみたいに、鈴を転がすような一オクターブ高いかわいらしい声が出せるのだろう。
「いや、次の時間は授業ないし、別に忙しくはないけど。本当に平気かい? ふらふらしているけど」
心配そうに目を細め、先生は一段飛ばしで階段を上り、私の目の前に立った。瞬間、ほんのりと良い香りがした。ずっと嗅いでいると、安心し、よく眠れそうな香りだった。しかし、その時の私は、混乱し、慌てふためいていて、とてもではないが安眠できるような精神状態ではなかった。
いくら相手が学園の王子様とはいえ、そこまで動揺するものかと思う人もあろう。だが、ジョージと交流するようになり、いくらかマシにはなったものの、この当時の私は、人見知りで、自分に自信なんてこれっぽちもない卑屈な少女だったのだ。一応授業は受け持って貰ってはいたが、ろくに話したこともない、人気者の美青年教師、時任先生と一対一でお話をするなんて、恐れ多いにも程があった。
「だい、だい大丈夫……です」
「そう? ならいいけど」
挙動不審で、今にも逃げ出しそうな私に首を傾げつつも、さすがは大人。これ以上深入りするのは望まれていないと察したようで、先生は割と簡単に引き下がってくれた。
「そ、それじゃあ、失礼します」
お礼を言うのも忘れ、私は、その場をいそいそと去ろうとした。
けれども、背中に投げかけられた、不意に思いついたことをそのまま口にしてみたような軽い調子の台詞に硬直した。
「そういえば櫻内さん、昼休みに図書室に行くのやめたの? 前は毎日いたのに、ここ何日か来ていないよね」
「あ、え、そ、その……」
何で先生が私の図書室通いを知っているのだ。確かに、講師室と図書室は目と鼻の先だが、講師室の中から、図書室に出入りする生徒を監視できる構造ではない。それに、図書室近辺で、時任先生に鉢合わせたのは、例の取り巻きと一緒に廊下で立ち話をしていた時だけだ。なのに、何故?
驚愕で、理由も聞けずにいる私を先生は真顔で見下ろした。いつものにこやかで人当たりのよい青年教師のイメージからはかけ離れた、硝子玉のような瞳に背筋に冷たいものが走った。
「まあ、別にいいけど。若い時の読書経験は、後の人生の宝になるから、図書室に行かなくなっても、本を読む習慣はやめないで欲しいな」
続けて、教師らしい助言をする先生の表情は、見慣れた柔らかく優しげなものだった。
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