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何をもって成功とし、私の行為が一体何の役に立ったのかは判然としないまま、翌日の昼休みには、『物理学概論』にジョージからの任務成功の報告と、感謝の念をしたためた手紙が挟まっていた。
よく分からないが、彼の役に立てたことも、感謝されたことも嬉しくて、薄暗い本棚の間で、手紙を封筒ごと胸に抱きしめた。
手紙に綴られた言葉の一言一言に感激し、ときめいていたせいで、『お礼』のことを一瞬忘れてしまっていた私だったが、ふと、封筒に挿入されていた紙片の存在に気づいた。
手紙の本文が書かれている便せんとは違い、ノートの切れ端と思われる紙片には、手書きで、簡略化された女学校の校内地図が描いてあり、裏庭にあるキブシの下に矢印と共に『ここを掘って』とメッセージが書き込まれていた。
宝探しのような指令に、鼓動が高鳴った。手紙を封筒にしまい、スカートのポケットに突っ込むのももどかしく、弾かれたように図書室から飛び出していた。
放課後までなんて待てない。一刻も早く、ジョージからのお礼を見つけたい一心で、はしたなく廊下を走り、裏庭のキブシの足元まで駆けた。
日当たりの悪い校舎裏で、誰にも見向きもされず佇んでいる落葉樹には、葡萄様の果実の房がぶら下がっていた。ここが女学校ではなく、小学校ならば、果実に興味を持つ生徒も多いのだろうが、その辺の立木に実った果実をもがずにはいられない無邪気さを、私たちはとうに失っている。だから、私以外には、控えめに張られた根の近く、一部分だけ土の色が僅かに異なっていることに気づく者はいなかったようだ。
花咲か爺さんに出てくる犬のように、私は素手で、誰かが掘り返した跡のある部分を掘った。さほど深くないところで、爪が何か冷たく固いものに当たる。
覆いかぶさっている土を払ってみると、それはブリキ製のクッキー缶だった。きっと、この中に、『お礼』が入っているのだ。さらにせっせと掘り進め、缶を掘り出した。
手や缶本体に付いた土を払い、恐々蓋を開ける。十センチ四方の缶から出てきたのは、『スカーレットへ ありがとうございました。お礼です。 ジョージ』と書かれた外国製のメッセージカードと小ぶりな花を象った髪飾りが入っていた。
髪飾りはセルロイドで出来た安物のようだったが、黄色の花芯を囲む薄紫色の花弁は、日の光を透かすと、掌に柔らかで繊細な影を作りだした。
「かわいい……」
値段や子供だましのちゃちな造形について、文句を言う気なんて全く起きなかった。見たままにかわいいと思ったし、私のためにジョージが選んでくれたという事実が堪らなく嬉しかった。親戚以外の男性に、アクセサリーを貰うなんて初めてで、少し大人に近づいたようなこそばゆさもあった。
髪飾りを丁寧にハンカチで包み、クッキー缶の中にしまうと、私は秘宝の入った宝箱でも持ち歩くかのように、大事に抱え、教室に戻った。缶と髪飾りは、一生の宝にしようと心に固く誓った。
「もしかして、その時の髪飾りがそちらで?」
記者の手のひらが、控えめに私の胸元を指した。
鎖骨の下辺りで揺れるセルロイドの花にそっと指先で触れる。永遠に枯れることのない紫色の花は、触れる度、私を勇気づけてくれた。
折角大学に進学したのに、ほとんど講義なんて行われず、毎日軍需工場でくたくたになるまで働かされた時も、空襲で家が全焼した時も、疎開先の田舎で、邪魔者扱いされた時も、この花は折れそうな私の心に寄り添い、励ましてくれた。何くそ、と立ち上がる力を与えてくれた。私にとっては、もはや、お守りと言ってもいいかもしれない。
貰った時についていたゴム紐はとうに切れてしまったので、手芸店で買った銀色のチェーンを通し、ネックレスに改造し、肌身離さず身に着けている。
「ええ。お守りみたいなものですね」
初対面の雑誌記者相手に、思い入れを長々と語ったところで、面白くもなんともないだろうし、迷惑でしかないと思ったので、手短に答えた。しかし、それでも彼はほんの一瞬、不愉快そうに眉を顰めた。
「お守り、ですか。実はお会いした時から、そのネックレスには違和感を覚えていたのです。あなたは妙齢の女性らしく、身なりに気を遣っていらっしゃる方なのに、何故かネックレスだけ、子供のおもちゃのようなものを付けていらっしゃるなと。ジョージに貰った時には、髪飾りだったと仰っていましたが、手直しをしてネックレスにしたのですか? 安物のアクセサリーを、そこまで大事にして貰えるなんて、さすがのジョージも予期できなかったに違いない」
予想外に棘のある台詞を投げかけられ、私は胃の腑がすうっと冷えた。少し遅れ、胸にじわじわと鈍い痛みが広がり、自分がこの男の言葉に深く傷つけられたと悟る。
確かにこのネックレスは、今の私には不似合いで、他人から見れば、大人の癖に、ランドセルを背負っているような違和感を与えられるような代物なのかもしれない。けれども、私にとっては大事な宝物であり、初対面の雑誌記者なんかにとやかく言われる筋合いはない。
一体、こいつは何様のつもりなのか。頭が切れ、顔も良いからって、調子に乗り過ぎやしないか。第一、取材相手を不愉快にさせるなんて、雑誌記者失格だ。
「優秀過ぎて、人としての感情が欠落している方には、私のジョージに対する執着は理解できないでしょうね」
大人げないとは分かっていたが、一言申さずにはいられなかった。腹の中では、『帰れ、気障野郎』とか『自分だって、くたびれたジャケットを着ている癖に』等の罵詈雑言が燻っていたが、何とか飲み込んだ。
さあ、どんな嫌味が返ってくるか。或いは、自分の本分を思い出し、取材相手を怒らせてしまったと青ざめ、慌てて取り繕うのか見物だと、私は好戦的に男の反応を待った。
だが、予想に反し、彼は美しい顔を悲しげに歪め、何かを言おうとしたものの、思いとどまり、唇を噛んだ。伏せた眼差しは、誰にも訴えられぬ痛みに一人耐えているかのようで、痛々しかった。どこからどう見ても、『人としての感情が欠落している方』がするはずのない表情に、どっと後悔の念が押し寄せてくる。
「あの……ごめんなさい。言い過ぎました」
元はと言えば、向こうから吹っかけてきたことなんて、すっかり忘れ、オカルト記者に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ御気分を害してしまったようで、申し訳ないです」
面を上げた時には、彫刻のような造形美を誇る白皙は、既にポーカーフェイスだった。さっきの、暴言やら苦悶の面持ちは何だったのだろうと怪訝に思っていると、彼は女形の役者みたいに艶っぽく首を傾げ、問うた。
「櫻内さん。あなたは今、幸せですか?」
自分でも理由は分からないが、私はその質問に答えられなかった。
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