第70話 怯える竜
ヴェルメリオ公爵家の屋敷で催された【剣王の晩餐会】は食事の皿が下げ終わった後に全員が揃うこととなった。
参加者は8人。現状5人は席につき。3人は広間の入り口で護衛である私兵を背後に引き連れ突っ立っている状態。
最初に動いたのはジャンテ。デフェールが座る椅子にまで足を進める。
「ご無沙汰しておりますデフェール王太子殿下。この様な形でご尊顔を拝し光栄の極みであります」
「うむ、ジャンテ=ロッソ=ハーディスか、貴殿の活躍は城でも耳にする。その…何だ、グリス殿や宰しょ…じゃないプレッチャ侯爵には君からも宜しく伝えておいてくれ…」
ジャンテの挨拶にデフェールは頷くと軽く返事を返そうとしたが、後半は懇願するような声でジャンテに迫った。
「え?ええ、せっかくのご縁です。父上にも義祖父様にもお手柔らかにとお伝えしましょう」
「うむ、頼んだ…本当に頼んだぞ!」
「あっ、はい…」
(ううむ、大分追い込まれてるな…父上もプレッチャ侯爵もいびり過ぎじゃないか?不敬罪の復活を望んでる勢力に加担しなければいいが…)
「…チッ」
デフェールとジャンテのやり取りが面白くないのかアルメラーは一気に不機嫌になる。
「…ジャンテ殿、お二方もとりあえずご着席下さい」
兄であるアルメラーの様子に気付いたオラーンが声をかけると後から来た3人は空いてる席を見やる。
縦長のテーブルの右に剣王とフィオの2人。左にデフェール、レド、アルメラー3人が座っている。
「ノーブル様、私の隣を宜しければ」
「おいっ!フィオ!そんな怪しい奴を近付けるな!」
フィオの誘いにレドは声を荒げ止めようとする。
「…」
そのやり取りを意識したのか大波と竜のレリーフが刻まれた銀仮面の男ノーブルは無言で歩くとフィオから1つ空けた席に座る。
「…あ」
「おっ…ま、まぁ…え…えと、いいだろう」
フィオの表情は沈み、レドは微妙な席に座られて文句が上手く返せない。
「ノーブルお前なぁ…まぁいい、失礼する」
「ではその隣を」
ノーブルの隣をジャンテ、更にその隣にシベックが座る。3人の護衛である私兵はその後ろで待機する。
「何を飲まれますか?」
広間の壁際で控えていた給仕が声をかけてくる。
「…」
「…」
「私には…そうだなアルメラー殿たちと同じワインと摘める物を…この2人には…おい、何か言えよ」
ジャンテが声をかけると仕方ないとばかりに周囲を見渡すノーブル。
「………、そこの、そうそう持ってるのは何です?」
「え?ただの水差しですが…」
フィオの後ろで陶器を持って控えてる給仕に声をかけるノーブル。
「じゃあ、その水でいいです」
「同じく」
「だからお前らなぁ…まぁいい、それで頼む…」
「え?あっ…はっ、はい分かりました」
グラスが置かれると水差しを持って控えていた給仕が水を注ぐ。
「…別に我らに遠慮する事は無いのだぞ?」
「デフェール殿の言う通りだ。ここは王族ではなく1人の武人としているつもりだからな」
「酒を飲むのが礼儀だろうに…」
ノーブルとシベックに注がれるグラスの水を見ながら向かい側にから飛んでくる王族たちの声。
「…ふむ、私もノーブル君と酒を酌み交わしたいのだが」
「…ノーブル様」
「…」
横からエンヴァーンとフィオがノーブルの一挙一動を観察するが肝心のノーブルは黙ったままである。
「ノーブル、警戒するのは勝手だが挨拶くらいはしとけ」
「…分かりました」
ジャンテはさすがに不憫に思ったのか助け舟とばかりにノーブルを注意する。
「…ご無沙汰ですねフィオルデペスコ様」
「…ええ、ノーブル様もお変わりなく…ではありませんねご健勝のご様子で」
ジャンテに促され挨拶を交わす2人。何処かの余所余所しさを感じる。
「やぁノーブル君、久しぶ…」
「ああ、いらっしゃったのですか剣王様。気付きませんでした…ッ!」
「おい、ノーブル…」
王国の英雄エンヴァーンの挨拶をバッサリと斬り捨てるノーブルにジャンテが足に蹴りを入れ困った顔で注意する。
「ジャンテ殿…コレが君の自慢の弟かね?」
「王国の英雄に…この態度か」
「叔父上に…無礼な…しかし、何というか小物だな」
向かい側に座る男性陣が批難を浴びせるもののノーブルの顔は仮面で隠れているため、返事をしない限り聞いてるのかどうかすら分かりづらい。
「……フィオさ…フィオルデペスコ様」
「ひゃ、ひゃい?」
突然、名前を呼ばれて呂律が回らなかったのかおかしな返事を返すフィオ。
「大丈夫ですか?」
「えっ?」
「体調を崩されてるなら帰って休まれた方が良いのでは?」
「…あっ…」
いつか聞いた優しい声色にハッとなるフィオ。それだけで感情を大きく揺さぶられる。
「むっ、それは本当かねノーブル君」
「ええ、剣王様の老眼っぷりに驚かされます」
「…ノーブル、はぁ…もういい勝手にしろ…」
エンヴァーンに対する態度を変えないノーブルに呆れるジャンテ。
「ううむ、取りつく島も無いな…」
「貴様!またしても叔父上を愚弄するか!!」
「はぁ…お土産用だったんだけど、取り上げられそうだし今の内に飲んでもらうか…」
またしても言葉で斬られるエンヴァーンは呻く。レドは堪忍袋の口が緩いのかひと息つく間も無く声を張る。ノーブルはため息を吐きつつ私兵に持たせていた箱包みを受け取ると召使いに声をかける。
「失礼、この茶葉で淹れたお茶を僕とフィオルデペスコ様に…あと空のカップを1つ」
「かっ、かしこまりました!」
周りの怒声を無視して勝手に事を進めていくノーブル、1人の召使いを呼び、箱包みと一緒に指示を言い渡す。
「さて、皆さん席に着きましたし、改めて乾杯でもしましょうか?」
オラーンは席に着かず王族の男3人が腰かける椅子の背後に立ってホスト(飲み会の幹事)の様に立ち振る舞う。
「おい、オラーン…いくら武芸大会運営の 関係者だからと言ってこの会を仕切らせる気は無いぞ…」
「…ならば、兄上にお任せしても?」
訝しむオラーンに力強く頷くアルメラー。
「そうですか、では任せました」
「ああ…、ゥォッホン!…さて諸君!」
大きく喉を鳴らすと広間に声を響かせるアルメラー。
「とりあえず形だけだが名誉ある剣王の名を冠する称号を持つ武人が集まった。明後日に開催される武芸大会では死力を尽くしあう関係だが今宵はそれを忘れて語り合おうではないか!」
グラスを掲げる
「我らを守護する炎神の導きに感謝を!乾杯!!」
「乾杯」
「乾杯」
「乾杯!」
「…乾杯」
「…」
「…」
「乾杯…お前らぁ…」
グラスを軽く掲げるだけで声を発しない仮面の2人にジャンテが嘆く。
「はぁ…この2人はさておいて、乾杯を済んだとこですし、私どもが遅れて来たせいで中断していた話の続きをされては如何かな?」
「…ぅ」
「…そ、そうだな何の話だったかな?」
「ノーブル殿とシベック殿の奇天烈かつ破天荒な格好で忘れてしまったよ」
ハーディス家のネタに悪口言ってましたとは言えない彼らは適当に誤魔化す。
「まぁ…基本的には王都に集まった武芸大会の参加者の話だな」
「ふむ、私たちは基本的に辺境で過ごしていますから、王都の情報は疎いのですよ。宜しければ参考までに教えて頂いても?」
アルメラーが冷や汗垂らしながら会話を進行させる。
「まぁ、気になるのは西の帝国からの参加者だな…今大会はガルダ王国は我ら8人を含め、更に騎士団と冒険者ギルドから1人のずつ輩出して10人。参加する隣国の3カ国から4人ずつ枠を設けている」
「計22人ですか…その中で西の帝国が気になるのですか?」
「あそこの工作兵は厄介だ、今大会を利用して何か仕掛けて来てもおかしくない…それに参加者の皇子達もだな」
「皇帝の皇子自ら?危なくないですか」
「あそこは我が王国と違って帝位継承権を持つ皇子たちが多く争いも苛烈だ…皇子の数は覚えてないな、戦争が中々起きない中で武勇を示せる武芸大会と【竜王】フィオの存在は喉から手が出るほど欲しいのだろう」
「ふんふん、成る程ナルホドー…」
(お前らも、その皇子と変わらんだろうに…というか真新しい情報は無さそうだな…ちょっと小突くか)
「まぁ【竜王】様が帝国の皇子たちの政権争いに利用される事は無いでしょう、明日の前夜祭では婚約者である我が弟にエスコートさせましょう…かッ!?」
ジャンテの足から鈍い痛み。隣のノーブルが蹴ったらしい。更に奥ではフィオが目が輝かせている。
「いや…それはだな」
「なっ!そんなのは…ッ」
「イテテ…おや?反応がイマイチですね…そういえばフィオルデペスコ様と弟の婚約の話ってまだ続いてるんですか?」
デフェールとレドの苦い顔を見て察したジャンテはエンヴァーンに語りかける。
「ふむ、無論だよジャンテ君…」
「おっと、剣王様お待ちいただきたい」
「む?アルメラー殿?」
「婚約の話は式典の場とはいえ、先代国王との間で決まった話です。退位した今、エードラム国王陛下…現国王は認めておりません」
「ほぅ?そんなのですか剣王様?」
「まぁ、幾つかの条件は付けられたが妥当と思って了承し…」
ドクン
そんな音ともに全員の心臓が大きく跳ねる衝撃が胸部に走る。
そして次に襲ってきたのは恐怖。落ちれば死ぬ。そんな崖に立たされ剣を背中から当てられた様な感覚。
広間にいた全員の呼吸が一瞬止まる。
「ゴホッ……ゴホッ…何だ…」
「ケホッ…」
「ハァ…ハァ…何だ…」
全員が咳ごむものの体調に違和感を感じない為、奇妙な感覚に困惑する。
「おい。オレはニコも使えるから驚かないが…その魔力はあまり表に出すな」
「あっ、すいません。やっぱ剣王様にピンポイントは難しいですね」
「ゴホッ……ノーブル君かッ…余り老体を虐めないで欲しいな」
ジャンテの注意にノーブルが口だけ動かす。そのやり取りにエンヴァーンは咳ごみながら苦笑する。
「とても子供を魔境に連れ回した勇者のセリフとは思えませんね。それとフィオルデペスコ様」
「ケホッ…は、はい…」
腕を組み変わらぬ姿勢、しかし確実に威圧感が増したノーブルにフィオは目に涙を溜めて恐る恐る返事をする。
「あそこの剣王様とか呼ばれてる老人の表情に見覚えあるんですよね。確か6年前の式典とかに………もし、まだ黙ってる事あるなら流石に付き合い切れないよ?」
「!?違うんです!…その…えっ…と」
ノーブルの言葉にオロオロと挙動不審になるフィオ。王都にいるフィオしか知らない者はどう声をかけるべきかという思考も定まらずただ呆然と見つめる。
「ノーブル君…落ち着きたまえ、これは…」
「…懲りないですね、この親子」
「ノーブル様…あの…あの…」
「ハァ…ハァ…あっ、失礼します。お茶をお持ち致しました」
カチャリと陶器の小気味良い音が響くと給仕がティーセットをのせたトレイを持って広間にやって来る。
「どうぞ、フィオルデペスコ様、ノーブル様…えっとこのカップは?」
「ん?ああ、どうも、それじゃ、空のカップに少量移して下さい」
「はい?…あっ、いえ分かり…」
「その移したカップで毒見をお願いします」
「えっ………………はっ?」
「!?、ノーブル様?」
「万が一も考えて、念の為ですよ」
フィオは目を丸くさせてノーブルと給仕を交互に見つめる。
「さて、召使いさん。飲むだけですよ?出来るでしょう?」
「はっ…は、ああああ…あの、はぁっ…はぁっ…そそっ、そそののの…」
「何でそっちを見るんですか?まるで其方に座られた方々に頼まれたみたいな?」
一連のやりとり黙って見ていた所を急に話を振られてギョッとする王族の男3人。
「ええあ!?はぁっ…はっ、ああ、いっ、いいえ…え」
「おっと…これでは冷めてしまいますね…淹れ直して来てください…また同じ事があれば隣の剣王様に毒見させるのでそのおつもりで…」
「えっ?私がかい?」
エンヴァーンが目を丸くしてノーブルに問いかける。
「は、はっ…はいぃ…」
「兄上、給仕の方はどうやら体調が優れないらしいので私兵団を同行させて下さい」
「分かった、オイ、すまないが頼んだぞ」
「ハッ!」
青い顔をして出て行こうとした召使いの後を追うように護衛の1人が後ろについて行く。
「…」
「さてお騒がせしましたね、フィオルデペスコ様」
「…いえ…私は大丈夫ですが、ノーブル様のご気分を害されたのでは」
「これで?6年前に何処かの親子に騙された時と比べたらまだマシですよ」
ノーブルの表情は見えない。フィオはそれがただただ恐ろしくて堪らない。
「せっかく持ってきた茶葉を無駄に消費したのは許せませんがね」
「…」
「…さて話の続きを聞きましょうか?現国王がフィオルデペスコ様との婚約を認めていないという話でしたっけ?」
「え?あっ?ああ、そっそうだ…【大鰐のノーブル】貴様がフィオに相応しいかどうか見定める必要があるとの事だ」
「うん?私は謁見すれば良いのですか?」
「外見や性格の話では無い。この度の武芸大会にて力を示せとの事だ。優勝すれば文句はないということだろう…」
「ふむふむ…剣王様、フィオルデペスコ様の持つ【トーン】の称号は王族や貴族の干渉を受けない効力があるハズですよね?隠居しようが降嫁しようが勝手が聞くように」
「…はい、そう聞いています」
「そう…だな、合っているよノーブル君」
「優勝って事は勝ち進んだ場合、フィオルデペスコ様か剣王様のどっちかに勝たなきゃいけないと…僕が負けたらどうするんですか?また2人がワガママ言って来年挑めばいいんですか?」
「ふむ、自信が無いのかい?」
「お父様ッ!!」
「あっ?」
バキリとノーブルとフィオの間にある椅子が悲鳴をあげる。ノーブルは動いていない。ノーブルの腰かける椅子の背もたれもバキバキと砕けていく。
「ノーブル!?落ち着け!俺が【範囲内】!!ヤバい!イダダ!腕折れるわバカ!」
「いてッ、ん、ああ、兄上のこと忘れてました」
ガツンとジャンテが足に蹴りを入れたことで我に返るノーブル。
「…いってぇ、まぁ気持ちは分かってやりたいけど」
腕をプラプラと振り、拳を握り開くを繰り返すジャンテはノーブルを嗜める。
「申し訳ありません…やはりこういう場は私には向かないようです…兄上、シベック団長殿…重ねて1つ」
「痛た…何だ弟よ」
「…はい」
1つ深く息を吐いて、隣にいる2人に声をかけるノーブル。
「私は武芸大会は棄権という事で先に辺境へ帰ろうと思います。例え優勝しても悪目立ちするのは好みません…」
「…ううむ」
「私はアリだと思います」
ノーブルの進言に眉間の皺を寄せるジャンテ。賛成するシベック。目を見開く一同。フィオだけが絶望した。
「ではこの場は…」
「待って下さい…!」
ガタリと席を立つノーブルに同じく席を立つフィオ。
「あ!あの…ノーブル様!落ち着いて下さい…とりあえず一旦は席に!!お父様も謝って!」
「いや、しかしだなフィオ、ノーブル君の力なら問題無いハズなんだ…」
「それは…私もッ…あっ」
「呆れてものも言えませんね…失礼します」
フィオの制止も空しく椅子から離れ歩を進めるノーブル。
「待って…!、っえ」
ノーブルを止めようとフィオも椅子から離れようとしたが【座ってしまった】。
「えっ…えっ…?」
「こんなのにも気付かないのですか…重症ですね」
「ノーブル君…フィオに魔法を…?」
剣王は信じられないものを見るかのようにノーブルを睨む。
「剣王様!?まさか!」
「何だと!?フィオそれは本当か!?」
「おい貴様、さっきから無礼に無礼を重ねて!これは見過ごせないぞ!!」
ノーブルとフィオに剣王を含めたやり取りを傍観していた3人が批難する大義名分を得たと騒ぎ出す。
王族の護衛たちは各々武器に手をやるとハーディス家の私兵が一歩だけ歩み出て「やんのか?」と軽い牽制を入れる。
「………五月蝿いですね」
「おい、ノーブル…だからなぁ〜、もう少しスマートに事を運べないのか…ったく」
「…ふむ」
明らかに不機嫌さを増すノーブルにジャンテは眉間を抑える。シベックの表情は見えない静観する姿勢のようだ。
「何で…動かないの…あ、あの、ノーブル様…私は…ただ」
「あなた方の中にいる僕は相当【弱虫】のようですね」
ノーブルの視線の先には【竜王】ではなくプルプルと涙を溜め怯える【女の子】がいた。
「違う…ノーブル様は…」
「老人と女の子に何もかも【用意】してもらうほど弱い男ではないですよ…では失礼。婚約は破棄して構いませんよ。剣王様、フィオルデペスコ様」
カツカツと足音を立てて席を離れて行くノーブル。
「ぁあ…ぁ…」
(私は、また)
動かない自分の足。
憤り離れていく愛する人。
昔、住処だった洞窟を出て行く母の背中を連想される。
その後、何も出来ず知らないまま流されて生かされて生きてきた。
楽しさの欠片もない生きるだけの日常。
「…ぁ…ぁあ…ぁ…」
戦う事より恐ろしい現状に、フィオはただ怯えるしかなかった。
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