第71話 沈んだ竜


砕けた椅子。


呆然とする一同。


意気消沈した【竜王】。


婚約破棄を告げ立ち去る仮面の男。


その全てを含み、混沌と化した状況の広間。


「し、失礼しま…お茶を…えっ!?あの…これは…」

その広間に入ってきた給仕が険悪な空気に驚きの声をあげる。


「そういえば頼んでいましたね…フィオルデペスコ様にお渡し下さい、僕の分は…剣王様の所にでも置いてください」

「えっ…あっ、は、はいぃ」

ノーブルはカップに注がれた紅茶を一瞥するとノーブルの前に赤いトサカの揺らす男性が慌てた様子で立ち塞がる。


「失礼、ノーブル殿。まさか1人でお帰りに?」

「オラーン殿か…ええ、帰りますよ。これだけ場を乱してしまったんです。兄上とシベック団長は?」

「…流石に私まで外しては皆の面目が立たないだろう。あと落ち着け、北区から南区までどんだけ距離があると思ってる。そんなに長居はしないから外で頭冷やして待ってろ」

「私は一応この場を見届けようかと」


「…そうですか。あっ、兄上、家具の弁償は僕がするので値段聞いといて下さい」

「ん?ああ、分かった」

ノーブルの頼みに軽く手を振るジャンテ。


「さてと、では僕はこれで…」

「あっ、お待ちを…、流石に客人を外にずっと放置する訳には行きません。この場を後にするだけなら、敷地内にある私個人の屋敷に案内しましょう」

3人のやり取りにオラーンは苦笑しながらノーブルに提案をする。


「【カルセドニー】の本部でもあり、活動で手に入れた帝国からの調度品もいくつかあって退屈凌ぎには丁度いいかと思います」

「…まぁ、そういう事でしたらオラーン殿のお言葉に甘えます」

オラーンはその言葉にホッと一息をつくと話を続ける。


「あと…武芸大会の件ですが、やはり出場だけして頂いても宜しいですか?棄権は…まぁ、それからでも」

「おいっ…だから勝手に…」

アルメラーは自分を無視して話を進める弟オラーンに抗議する。


「…まぁ、出るだけ出てみますよ。よく考えたら後々の大公国との取引に影響が出ますしね」

「心遣い痛み入ります。明日の前夜祭で…ジャンテ殿とシベック殿か帰られる頃に迎えを出しましょう」


「ええ、では…先にこの場を失礼させていただきます」

「はい。…えっと、そこの、そうお前だ。ノーブル殿を私の屋敷に案内してやってくれ」

「ハッ!」

オラーンが兵士の案内を同伴させ見送るとノーブルは晩餐会の広間から消えていった。


「「「「「「「…」」」」」」」

嵐が過ぎ去ったかの如く静まり返る広間。


「あの、フィオルデペスコ様…紅茶を、その、どうぞ…」

沈みきった心持ちのフィオの横に恐る恐るカップを置く給仕。ノーブルの言われた通りにエンヴァーンの前にも置く。


「…」

(懐かしい香り…足は…もう動く…けど、もう…)


「とりあえず飲んだら如何ですか?」

「…シベックさん」

今まで静観していた仮面男2号シベックからの進言。


カチャリとカップを持ち上げ一口飲む。


「…美味しい…で…す」

(体に染み渡る…ずっと付きまとっていた疲労感が抜けていく…)


「本当に…もの凄く…美味しい…」

「新しく見つかったフルーツの皮や花をフィオルデペスコ様の好みを思い出しながらブレンドしてるそうですよ」


「…ぅ…ぅう…」

(私が何か返さなくちゃいけないのに…また…)


「な、何だ?き、気に入ったのかフィオ?今度、仕入れようか?なんて言う銘柄だ?」

震えながら紅茶を啜るフィオの様子を慌てながらもチャンスだと取り入ろうとするレド。

その様子を見ていたデフェールとアルメラーは居心地悪そうに会話を始めた。


「ところで…話を聞く限りは【大鰐】は棄権することで決定か?」

「う、うむ、本人そう言ったからな、棄権するくらいなら出場枠を誰か別に渡した方が良かろう…」

「はぁ、恐れ多くも進言させていただくと、その発言は運営委員として大変困りますね」


「オラーン…如何いうことだ?【大鰐】の有無が武芸大会に影響するだと?」

「ええ、ノーブル殿の参加を条件に竜王様、剣王様、ジャンテ殿、シベック殿は参加されてるのですから」


「!?、なっ…そ、そんな…王命だからでは無いのか?」

「戦争や災害ならまだしも、お祭りで王命なんて使いませんよ。ただこの5名が出なければ王族どころか王国全体の面子はズタボロになるでしょうね」

「貴様も王族だろう!?」

絶句するデフェールと憤怒するアルメラーはオラーンに詳細を求める。


「私としては運営するダンジョン探検隊【カルセドニー】に支障が無ければ特には、あなた方に放って置かれたお陰で王族や貴族の方々の影響など微々たるものですから」

肩をすくめるオラーンは王族の3人を小馬鹿にする様な表情で微笑む。


「貴様っ!王太子殿下を前にして不敬だぞ!」

「不敬罪など頭の悪い法律などとっくに廃れているのですから、このくらいはいいでしょう兄上。若いのにハゲますよ?」


「はっ…ハゲ…おっ、お前…兄に向かって…」

「それに帝国は竜王様を。大公国はノーブル殿を見に来ているのです。外せません」

「んん?帝国の奴らがフィオに求婚しているのは知っているが、【大鰐】が大公国に注目されるのは何故なのだ…」


「まず大公国で見つかった迷宮ダンジョン【地獄の底】の探索に今年の冬に【カルセドニー】は挑む予定です。ノーブル殿にはその隊長を頼もうと思っています」

「…えっ?ノーブル様が?私にはお誘いが…」


「貴方の活躍は素晴らしいのですが帝国が五月蝿いもので、大公国も帝国に睨まれるのを嫌がっているんです」

「…そんな」


「ノーブル殿は南部辺境で蒸気機関を扱った事業を行っており大公国は興味を示しお招きしたいとのこと、冒険者としてもソロで特Aランクと大差ない実績があります。確実に剣王様に次いでSランクの称号を授与される逸材、我が王国に必ずや利を運ぶことでしょう」


「蒸気機関?ノーブル君、そんな事してたのかい」

「事業については5年かけてようやく形が見えてきた所です。まだまだですがね」

ジャンテがエンヴァーンに軽く説明をする。


「武芸大会中は私と共に大公国の来賓と打ち合わせがあります。明日の前夜祭は顔を出しますが、それ以降はあなた方と武芸大会の試合で会うくらいでしょうね」

オラーンがノーブルの予定をサラリと告げる。


「…」

(ノーブル様は武芸大会より、別の事を優先してる?…なら私は何のために…)


「ノーブル様にとってフィオルデペスコ様との婚約うんぬんは重要では無いんですよ」

「!?…ッシベックさん」

フィオの揺らぐ疑心をハッキリとした答えで突き刺すシベック。


「…流石に娘の前でそれは」

「フィオよ、あんな男のどこがいいのだ?」

「うむ、下衆だな。王国の威信を示す武芸大会に利を求めるとは」

「ほう、利で威信を買ってると噂が蔓延ってるから私共は呼ばれたんですがね?」

弟を馬鹿にされたジャンテが若干怒気を含んだ愚痴を溢す。


「なっ…!?」

「随分と面倒な環境にいますねフィオルデペスコ様は…」

「…!」

チクチクとフィオを攻撃するシベック。


「ノーブル様は貴方達の玩具じゃ無いんですよ…婚約?玩具の予約の間違いでしょう?そんなもの破棄されても文句言えませんね」

「…〜ッ!、ちっちが…」


「私としては娘がノーブル様を好いていましてね。婚約破棄してくれたら良い土産話です」

「…ぅ!」

「シベック…流石にそれは」

趣味が悪いと言おうとしたが口を結ぶジャンテ。


「…ひと月前にお会いしました…大きくなられましたね」

「ええ、ノーブル様の隣は私にも譲らないくらいです」


「…」

(そういえば…アディちゃんは言ってたな)


ーーーーーーーーーーーーー


「私だったら有象無象が溢れた王都よりノーブル様の隣を選びますよ!?」


「貴方の話を聞くたびに貴方がノーブル様に相応しいとは思わない!!」


ーーーーーーーーーーーーー


(ただ隣にいる…それだけで良かったのに…認められなかった…)


「まぁ、別に婚約破棄したからといって、嫌いになった訳ではありませんよ」

「えっ…」


「婚約なんて成人するまで紳士淑女であろうとする保険みたいなものです。お互い成人した今はもう、好きなら好きでくっ付いてしまえばそれで良いんですよ」

「…ですがもう!」


「大丈夫ですよ、ノーブル様はフィオ様を大会の賞品の様に扱いのが気に入らなかっただけですから、それを受け入れて、王都に無理して滞在するフィオルデペスコ様の態度が気に入らなかったんです」

「え?」

「おい。お前さっきからベラベラと何なんだ!?フィオは王族だぞ!?王族が王都に住むことを責めるなど阿呆か!?」


「確かにフィオルデペスコ様は【王族】ですね、ですが【竜人族】でもあります」

「…?ジャンテ君、彼は…何を」

「…ああ、知らなかったんですか?…そうですか、そうかー…なら必要か、持ってきて正解でしたね」

「?、ジャンテ君?」

エンヴァーンはジャンテに質問するが、ジャンテはそのエンヴァーンの反応に顔を顰めブツブツと呟き始めた。


「ジャンテ君?」

「王都ではフィオルデペスコ様は子供を授かる事は出来ないって事です」



「…………………………………………………………………………………………………」



「…………………はっ?」

剣王エンヴァーンの頭が真っ白になった。


「剣王様も知らないようですが【竜人族】は【竜峰】といった【竜神の魔力】が満ちた場所でないと持ち前の身体能力が発揮できず母体が体調を崩し危険に陥るそうです」

「はっ?!なっ…本当か…」

「…ほ、本当ですか…シベックさん…」

体を震わせながら確認をするフィオ。


「…私用で【妖精族】や特殊な環境下の種族ついて調べる機会がありましたから…フィオルデペスコ様は今は【水のない魚】の様な状態です」

「フィオ…お前…」

「その…一応、不調は訴えてはいたのですか…聞き入れてもらうのが難しくて…普通に生活する分には身体も動くので…」

ノーブルが出て行ってから意気消沈しているフィオは新事実に打ちのめされ力無く答える。


「貴方の奥方が竜峰に出ず、フィオルデペスコ様を育ててたのはその為です」

「なら、その情報を教えてくれれば…いや、今更か…」


「…教えてましたよ?【何かしら】の影響で貴方様にまで南部辺境の情報が伝わらなかったそうですがね?ノーブル様は何度かフィオルデペスコ様を竜峰へお誘いする手紙を送っています」

「…ぅ」

シベックの言葉1つ1つによってノーブルへの想いが膨らんでいく。その膨らみはフィオの目に溜まる涙の粒に比例した。


「…つまり、誰かしらフィオの不調の原因は掴んでいても報らせなかったのか…」

「あっ…いや、確かな情報か精査する必要が」

「…あっ叔父上…私はその」

「…?、あっあれか?…いや…でも」

エンヴァーンが睨んだ先では挙動不審の王族3人。


「自分の子供で無くても竜峰で落ち着いて療養できる様に年に何度か物資を運び入れています。お陰で多額の報酬もパーにしてますけどね」


「ぁ……ノーブルさ…ま」

(何であなたは…)

ポロポロと涙を零し始めるフィオ。


「自分の子供に【竜の血】が入る事ばかり考えてる者たちと母子の安全を事を考えてるノーブル様。【下衆】はどちらでしょうね」

「「「…」」」


「…私は、妻にも娘にも何も、だから…」

「混乱してるところで悪いですが…剣王様は後先考えず好き勝手に生き過ぎなんですよ。一度として…む?」

椅子を蹴られた衝撃に顔を顰め、隣を見ると眉間に皺を寄せるジャンテがいた。


「シベック少し落ち着け、一応は立場を考えろ…すでに遅すぎるがも知れんが…」

「あっ…あー。すいません、妻に対して浅慮だった時の自分を思い出してしまい…とにかくフィオルデペスコ様」

「…ぁ…は、はい」

ボリボリと頭を掻くとフィオに優しい声色で声をかける。


「ノーブル様と2人でちゃんと話してきて下さい」

「ッ…!ッはい!」


バンッと椅子を跳ね飛ばし立ち上がるフィオ。その様子に一同が呆気に取られるが一呼吸置いて我を取り戻す。


「…!?おっオイ!フィオ!?何を!まっ待て待て!?」

「フィオ待たんか!外に行くつもりか!?」

「ああ!?フィオ様お待ち下さい!?」

席を離れたフィオはタタタッと駆け出し扉を開け放つと瞬く間に走り去っていく。追いつけず見送ることしか出来ず取り残される3人。


「おいッ貴様!!フィオにもしもの事があればどうなるか!?大事な行事の前に焚き付けおって!!」

「ジャンテ殿!この責任をどう取るつもりだ!?

「おっ、アルメラー殿?兄上!?それよりフィオは!?フィオが!?おいっ誰か追いかけろ!」

狂乱する王族3人の怒声を聞きながら紅茶を啜るシベック。ジャンテは頭をポリポリ掻きながらため息を吐く。


「はぁ…こんな形で渡すとは思わなかった…オイ、御三方にお渡ししてくれ!」

「はっ!」

「「「!?」」」

ハーディス家の私兵団の1人が一礼して歩いて来ると3人の前に封筒が渡される。


「…何だコレは?…あっ、おい…まさか」

「これが噂の…ちょっと待て…」

「おい、何だフィオを追いかけなければ…兄上!?何を驚いているのです?」

アルメラーとデフェールは慌てて封筒の中身を見て青ざめた。


「少し宜しいですか?剣王様」

「…何だね、ちょっと1人になりたい気分なんだが」

腕を組んで目を瞑っていた剣王に声をかけるジャンテ。


「先程、弟が【竜人族】などの特殊な種族の体質について伝えていると言っていましたね」

「ああ、そうだな…」


「ハーディス家には【冥神を祀る聖女】である自慢の妹がいましてね。予めかけた探知魔法のお陰で【何故か無くなってしまった】手紙の場所を特定してるんですよ」

「おいっ…おい!?剣王様に何を吹き込んで」

「おっ…おっ…あっ…叔父上…その」

「え?…何を…この封筒に…何を…えっ【地図】?…いや王城の見取り図か…はっ?あっ!?」

焦りだすアルメラーとデフェール。レドは封筒の中身の【宝の地図】を見て青ざめる。


「…成る程な」

「【竜人族の性質】について記載された書類。【竜の血】を取り入れたい者にとって捨てに捨てられませんよね」

「…おいっ、待て…お待ち下さい」

「おっ…叔父上…目が…」

「待って…此処には…」

のそりとゆっくりと立ち上がる剣王エンヴァーン。ジャンテは横目で一瞥すると目の前の男たちに声をかける。


「フィオルデペスコ様を追いかけますか?それともここで剣王様の【家庭訪問】を止めますか?」

「「「…ぁ」」」


「…もう【貴族狩り】ではなく【王族泣かせ】とお呼びしましょうか?ジャンテ様」

仮面のせいで表情の全貌は見えないが口元が明らかに笑っているシベックに呆れるジャンテ。


「バカ言うなシベック。父上の引退はまだ先だ」

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