第63話 東西南北
家畜の鶏たちが泣き叫ぶ朝。夏といえど、少し肌寒い早朝の心地良さに野鳥の群れも喧しく囀る。
ガルダ王国・南部辺境の入り口とも言われる町。その外れにある森に佇むハーディス辺境伯爵の本邸。
カッカッカッと早足で歩く男の革靴から小気味良い音が鳴り響く。
「おはようジャンテさん、そんなに慌ててどうしたの?」
おっとりとした優しい声色が廊下に響くと、男は歩みを止めた。
「おはようベル。鳥の餌やりかな?」
「ええ、それにしてもこんな朝早くにどうしたの?武芸大会用の訓練は子供達と一緒にするって言ってなかった?」
「違うよ、あっ、そうだ…すまないが今日はロザや子供たちと一緒に食事を取れそうにない」
ハーディス辺境伯の長子ジャンテ=ロッソ=ハーディスは申し訳無さそうな声で愛する妻であるベルリーノに返事をする。
「何か問題が?…先日の騎士団の方がご挨拶にいらしたそうですが」
「それと関係は…そうだな、家のみんなにも【対応】してもらわないとな」
「はい?」
「ノーブルが南部辺境で行方不明になった…ということにしてくれ」
「えっ?ノーブル君が…えっ?…ということにしてくれとは?…行方不明ではないと?」
「いや、行方不明は本当なんだ…あんのバカ…」
「???」
首を傾げるベルリーノにジャンテは疲れた顔で廊下の窓を見る。
窓の外は森。その森を駆け抜けてる者がいると思うとゆっくり休んでいるところでは無い。
20を過ぎたジャンテは歳を重ね、かつての恥ずかしい異名を感じさせぬ成長を次期当主として遂げたが弟に対しては例外の様である。
ーーーーーーーーーーーー
プルー湖北部の町。その宿屋の一室。
「隊長!ギルドの監察官が今回の視察の中止したいとの事です!」
「何だと…理由は?」
髭を生やした壮年の男性が鎧を身につけた若い騎士の声に応答する。
「【大鰐】がプルー湖南部の調査中に行方不明になったと拠点としている村から報告が来たそうです。ハーディス辺境伯の私兵団も数人含めてです!」
「【大鰐】が行方不明?このタイミングで?ふふふ、それは無いな」
「?、どういう事でしょうか」
「彼には【規制植物の所持】【ギルド支部長への賄賂による不正評価】【成人の儀での身分未証明】など後ろ暗いところが多いと聞いている。大方、村に引き篭っているのだろう」
「そうなると私どもはこれからどう動きましょう?」
「勿論、セベク村に行くと監察官に伝えろ。上からは不穏分子を武芸大会開催まで足止めしろとの事だ」
「あの、それともう1つハーディス辺境伯から行方不明の【大鰐】と私兵団の兵士を探す為にプルー湖南部への捜査協力の申請が来ていますが…」
「無視しろ。誰が好き好んで【魔境】に入るものか、我々には監察官の護衛任務があるからな」
「いいのですか?…あの、隊長…これ多分、受諾しないと私たちハーディス辺境伯の力借りれなくなりますよ?」
「我らとて精鋭なのだ。【大鰐】はハーディス家と繋がりがある、もしかしたら芋づる式に悪事が暴かれるのを恐れているかも知れんな」
「…しかし」
「何だ?何か不安でもあるのか?王の血…いずれは竜の血となるお方が私たちを守ってくださるのだぞ?」
「隊長は…その、6年前の話知らないんですか?南部辺境では王国騎士団が大勢の行方不明になって、ハーディス辺境伯の私兵団がいなければ王族を含めた勇者一行も全滅していたと…」
「ふん、アレは魔王が原因だろう。剣王様が魔王を討ち取ったこの地にそんな脅威は無い!さっさと下がって、監察官を説得してこい!」
「はっ、はい!」
若い騎士は慌てて胸に手をやり会釈すると部屋を出てバタンとドアを閉める。廊下を走ったのか宿屋の主人から注意される声が響く。
「クソ…この辺境では領民の方が騎士より尊重されるんだったな。こんな場所でひと月以上も留まら無ければ行けないとは…だがこの任務を終えれば昇進もしくは騎士爵以上の爵位が私の手に…」
この騎士隊長は数日後、全身を腫らして診療所に放り込まれることになる。
ーーーーーーーーーーーー
プルー湖東部・冒険者が集う町。幾つかある簡素な木造の宿屋の1つでフラフラと歩く男性が1人。
「イテテ…あー…昨日は飲み過ぎた…ん?」
「…よぉ、今起きてきたって感じか」
頭を抱えながら宿屋の扉を開けると外の水場で服の泥を洗い流す真っ裸の男性。
「うおぅ…朝から汚いもん見せんなよ…イテテッ、あー…昨日は調子に乗って飲み過ぎたみたいだ…」
「失礼とは何だ、そういえば久しぶりにCランクの魔物がまともに狩れたって言って浴びるように飲んでたな」
「まぁな、つーかなんで朝っぱらから泥だらけなんだよ…クエスト帰りか?」
「お前が寝ている深夜に起きた緊急クエストの帰りだよ」
「………へぁっ?」
「グリフォンかヒッポグリフらしき魔獣が現れたんだ。村の全員で足止めに向かったが失敗したよ」
「はぁっ!?最近、チラホラと発見報告がある奴か!?失敗しても後は追ってるんだろ!?探知は!?匂い袋は当てたか!?…ッイテテテテ!」
「馬鹿かお前は…いや、オレらに警戒して立ち止まりすらしなかったそうだ…【人慣れ】してるらしい…というか人が乗ってたとか荷物背負ってたとか馬鹿なこという奴がいて…」
「はぁ?酒か?それともカートの葉っぱでも噛み過ぎて頭イカれたか?」
「オレの担当した場所では会えなかったからな…詳しくは分からん…後で現場に向かったが全員が全身泥まみれで笑っちまったよ」
「まぁ、湿地帯じゃ上手く動けないか。…というかいくら暗くても、そんな見間違いするか?観察出来る暇があるなら探知魔法くらいは当てれるだろう【人慣れ】だったにしても」
人慣れした生物は脅威である。熊除けの鈴が通じない熊がいるとしたら(日本では普通にいる)それだけで山に入れなくなるのだ。魔獣ならば一層危険度が高くなる。
「当てたらしいんだが反応が無いとさ…言い訳かと思ったが他の奴もそんなこと言うんだ」
「なんだそりゃ…」
「それに匂い袋投げたが風系の魔法で跳ね返されたって」
「はっ?そんな器用な事出来るわけないだろ!?」
「あとで現場行ってこいよ、草も木を吹っ飛ばされてるから…森が一気に更地だよ…湿地帯じゃなかったら何処まで広がってたか…いや、開拓してる連中には有難いのか?」
「お前らは、本当にヒッポグリフかグリフォンにあったのか?」
「だから、オレは見てないって!なんか…フリムファクシ(湿った大地を飛ぶ馬)なんて呼んでる奴もいたな」
ーーーーーーーーーーーー
プルー湖西部・蒸気と炭を焼く煙が立ち上る村。
「カプノスさーん、お店にある茶葉の箱や食材は全部工場に運んでいーの?」
少年少女たちが3階建ての建物と手前の広場を荷物を持って往復する。
「ええ、代わりにコレを運び入れますよ」
頭のハゲた青年が優しい笑みで集団に指示を出す。
「わぁ、綺麗な原石…加工済みの宝石まで…後は獣の爪や毛皮?」
「稼いでいる冒険者の家って感じの内装にしといてと頼まれましてね、広場には剥製も後で展示しますよ」
「あー、男の子たちが作ってた木の骨組みって剥製用だったんだ」
「ギルド支部の保管庫引っ張り出してきましたからアレの頭を飾ろうかと、安易に売るわけにも行かないので悩んだ末に結局死蔵してましたからね」
「あっアレね!ノーブル様や私兵団の人たちが泥だらけになって帰ってきたの覚えてる!プルー湖南西のボスだった奴でしょ」
「ええ、名前は確か…【幻獣ピュートーン】でしたね」
ーーーーーーーーーーーー
プルー湖北西の舗装路。
舗装路に敷かれたレールの線路沿い地味な軽装で馬を駆ける集団がいた。
「シベック団長、プルー湖北部に滞在中の騎士団に救援申請を送りましたが返事は無し、断られた様です」
「まぁ、覚悟も無しに南部の【魔境】に行こうぜって言われて行きたくは無いですよね」
「最近はノーブル様の庭みたいな扱いですけど、まだ湖に沿った部分しか開拓出来ていませんからね…【海】なんてまだまだ先なんでしょう?」
「ノーブル様も【海】がある【最南端】まではジリ貧になって進めないと言っていましたね。その為にも南の駅という物資が安定した拠点が欲しいそうです」
「あれ?【冥王の洞窟】の攻略のためじゃないんですか?」
「本人は余り興味無さそうです。【廃坑】の古レール解体と回収ばかりで探索はしませんから…おっ先遣隊が帰ってきましたね」
シベックは森から舗装路に現れた別の集団を見つけると満足そうに微笑んだ。
「シベック団長!北西の森にて魔物ウンゴリアントの巣穴らしきものを…まぁ、蜘蛛の糸だらけだったので間違いないかと」
「ノーブル様の報告通りですね。巣の数はどうでした?」
「全部で3つ、成体らしき反応は6、子供か卵か分かりませんが大量に…」
「なら作戦開始の合図で2つは殲滅。1つは騎士団の野営予定地の舗装路に誘導します。子供の群れくらいなら騎士団でも倒せるでしょう」
「了解です。しかし、魚を置いとくだけで誘導出来るんですかね?」
「ウンゴリアントは光るものを何でも捕食します。魚の光沢は丁度良いですね」
「魚を辿った先は篝火に照らされた鎧集団ですか。騎士団の奴可哀想に…」
「相手の目的が恐らくノーブル様の【足止め】です。間違ってたとしてもキナ臭い連中を好きにさせとく訳にはいきませんから」
苦笑するシベックの緩い表情。しかし眼の光は獲物を見つけた狩人そのものであった。
ーーーーーーーーーーーー
プルー湖南部のとある部族。魔物が蔓延る湿地帯で各々が弓や槍を構えて緊急の集会を行っていた。
「アレが噂の【湖の王】か…この泥の地を一瞬で駆けて行きおった」
「南西の部族は下ったらしいな…まぁ【泥の主】は儂等も困っていたしな…というか」
集団の目の前には巨大な白い猪が分断され絶命し放置されている。
【魔獣エリュマントス】
【魔獣パイア】は人の味を覚えた黒い猪であるがエリュマントスは光輝く白い毛の巨大な猪。
その光明のような白い毛は太陽神の使いとされ、プルー湖周辺で暮らす部落の畑や野生植物を食い荒らす事から海神の魔力が宿った地を忌み嫌い暴れる魔獣として知られている。
多くの者が狩ろうとしたのか無数の古びた矢が突き刺さっている。
「こんな命を粗末に扱うバチあたりな放置をするとは…やはり北の奴らは信用ならんな」
「ううん、遠くから私見てたけどエリュマントスから追われてたよ?狩り目的では無かったんだし仕方なかったんじゃない?ほら、内臓の処理も、魔物よけの香も焚いてる」
「ううむ…【湖の王】の魔力に反応したのかの?太陽神様が怒らなければ良いが…」
若い狩人と壮年の狩人が口論する。
「私たちも下るべきでは?東南から移住してきた奴らも今度は南西に移り住むそうだし…」
「東南の奴らは【剣王】と衝突して男たちが斬り殺され疲弊しとる。仕方あるまいて…」
「【湖の王】と【灰の妖精】には助けられてる者は多い…恩返ししたいという声も少なからずある…」
「馬鹿者…我らは【王】によって滅ぼされた国の生き残りだぞ…仕えるなど」
「しかし、他の部族もその伝承を隅に置いて【湖の王】に従って暮らし始めたことで狩猟が安定したとか、子供が助かったと…」
「【湖の王】は【冥神】の【狗の一族】です。我ら【蛇の一族】とは遠い親戚…悪いようにはしないかと」
「ぬぅ…しかし、我らまで下るとなると南の【海人族】は黙ってないぞ」
「そこは族長に任せました!」
「オイ、待たんか」
ーーーーーーーーーーーーーー
「ぶぇっくしッ…!?あー…まだ服が乾いてないのか寒気が…」
「ノーブル様ぁ!どっかで水浴びしましょう!跳ねた泥で乾いたのかジャリジャリして気持ち悪いです」
『ピィルル!!』
1人の男が動き出したことで湖全体が騒ぎ出す。
それが吉となるか凶となるか、まだ誰にも分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます