カフェラテ

 そろそろ上映時間だから行こうということになり、ぼくは冷めたカフェラテの残りを一気に飲み干した。


 ミルクがやや多めのその液体の中に、何か小さな生き物が浮いていると気がついたときには遅かった。勢いのまま、それごと飲み込んでしまった。


 斜めに傾けたカップの中で溺れるようにもがいていたそいつは、虫の類じゃなかった。人と同じように手足が二本ずつあったようだった。妖怪だ。直感的にそう思った。妖怪を飲み込んでしまった。


 顔からさあっと血の気が引いていき、ぼくはカップを持ったまま固まった。


「どうしたの?」


 すでに席を立っていた彼女が言った。


 ぼくは突然呼吸ができなくなって、あわてて喉元を押さえた。


 んぐっ! んぐっ!


 ん……、むっ……。気のせいだった。息はできた。


「何よ?」彼女は怪訝そうな目つきでぼくを見た。


「ごめん、大丈夫」


 ぼくは無理に笑顔になって、今の出来事を隠した。妖怪を飲み込んでしまったと告白したところで、まともに取り合ってもらえるとは思えなかった。


 ぼくらは予定通り映画館に向かった。


 映画を見ている間中、気が気でなかった。


 何度も足を組み替えたり、咳こんだりした。急に喉の奥から何かがせり上がってきたように感じて、すがりつくように彼女の手を掴んだ。


 彼女はスクリーンの方を向いたまま、ぼくの手を邪険に振り払った。


 結局、何も起こらなかった。ぼくの体にはどんな異変も生じなかった。ぼくは無事だった。


 上映後、彼女は映画に集中できなかったといって怒った。


「ごめん」


 ぼくは、体が熱っぽいような気がしておでこに手をやりながら言った。目の奥がごろごろするようで何度もまばたきをした。まだどこかに異変があるような気がして仕方なかった。


「ほんとに平気?」


 彼女は不機嫌そうに言った。


 何日か経過しても、ぼくの体には何も起こらなかった。


 体の一部が変化するようなこともなく、おかしな能力が身についたということもなかった。味覚が変わるというような些細なことさえ起こらなかった。


 何か変化があったのに自分では気づいてない、というのではないと思う。彼女はもちろん、他のみんなも以前となんら変わりなくぼくに接していたからだ。


 あれは確かに妖怪だったと思う。


 赤黒い肌をした何も身にまとっていない生き物が、カフェラテの中に浮いていたのだ。体長は一センチもなかったのではないか。


 幻じゃなかった。口の中に液体以外のかたまりがあるのを一瞬確かに感じた。自分の歯だったなんてことはない。


 どういう種類の妖怪なのかは分からない。でも、そいつは今もぼくの体の中にいるはずだ。どこかから出て行った様子はなかった。


 ときどき、ぼくは調子がおかしいように感じて、どこかに異変はないか確かめる。あちこち触ってみたり、体を揺すってみたり、片足でぴょんぴょん飛び跳ねてみたり、喉を鳴らしてみたり。


 そうすると、彼女が怪訝そうに言う。


「何よ? どうしたの?」


 ぼくは、異常がないことを確認すると、こう答える。


「別に。何でもない」

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