持たざるものたち



 幽霊は基本的に人の理解の枠組を超えたものです。


 理解を超えたものだと本能が感じ取るので、恐怖という感情が起こります。


 恐怖という感情はなかなか克服できません。恐ろしいものには近づかないというのが生物としての本能であり、また、そうしないでは生物は生き残ることができないからです。


 というわけで、このことが幽霊に色々な在り方をすることを許します。


 彼らの正体は、常に、掴めそうで掴めません。彼らは色々な在り方をしますが、それには人の側の都合であるとか条件によって変化するという側面もあるのです。


 はっきりしているのは、幽霊というものは人に対して影響力を持つものであり、人なしには存在できないということです。


 もしかしたらいるんじゃないか、もしかしたら出るんじゃないか。


 人の側でそう考えることが大切です。あるいは、そう考えてしまわざるをえない状況に陥ってしまうことです。


 そうは申しましても、人に恐怖の感情さえあれば、これは多少の個人差はあれど否応なく達成されてしまうことでもあります。


 人は恐怖します。


 怖がりの者の前には幽霊は現れやすいかもしれません。逆に、スキップしている者の前に幽霊が現れることは、まずないでしょう。


 幽霊は人とその世を怨んでいると言いますが、これはある意味当然です。


 彼らが「持たざるもの」であり、基本的に「人が死んだあとの何か」であることを考えれば、この関係性も少しは理解されるのではないでしょうか。


 それでも、人はあらゆる面において常に幽霊の優位にありながら、彼らを恐れないわけにはいかないのです。そこには人間の現世的な価値観のはかなさという問題も見え隠れします。


 幽霊に自我や主体といったものがあるかどうかも意見の分かれるところです。おそらく、死んでみれば分かることが色々あるに違いありません。


 しかしながら、死んだら何も分からなくなってしまうという話にも、十分すぎるほど真実味があります。未だかつて、死んだ人からこれらのことに関する報告が何ひとつ上がってきていないことからも、死後の事情がかなり厳しいことが推察されます。


 後期にひらかれるこの講座では、恐怖という感情と幽霊の関係性に焦点を当てて話を進めていきます。


 幽霊とは何か。あるいは、幽霊は実在するのか。


 半年の講義を通じて、幽霊というものを考えるときに一体どのような問いを立てることが有効なのかを検討していきます。


 学生には、否定的にしろ肯定的にしろ、霊的な存在に積極的な関心をもつことが望まれます。ためしに死んでみてもいいという学生が現れた場合は、予定を変更して様々な臨床実験を行うつもりです。

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