波間‐2/深羽子のこと



 深羽子は、かつて通った高校の西棟の階段を上がっていた。まるで自分の意思で歩いているのではないような、おぼつかない足取りだった。


 三階から屋上へ出る手前の薄暗い踊り場に、大きな鏡があった。その鏡には人間ではないものの姿が映るという噂があり、生徒たちの寄りつかない場所になっていた。


 一つ年上の滋春と初めてのキスをしたのは、高校二年の春、この鏡の前でのことだった。そのときは半年もしないで別れたのだったが、二十四のときからまた付き合いはじめた。


 それからいいときもあれば、悪いときもあった。しかし、この半年ほどの間に状況も気持ちもひどくこんがらがってしまい、自分でも何をどうしたいのか分からなくなっていた。


 深羽子は、鏡の前に立った。すると、そこには彼女の目に見えているものとは別の光景が映り込んだ。階段は崩れ、瓦礫が散らばり、ひび割れた壁や天井からは水が滴り落ちていた。鏡の中の校舎は廃墟のようだった。


 あのとき何が起きたのか、ふいに思い出した。


 仕事の途中で車を停めて考えごとをしていたのだった。滋春のことと、孟洋のことだ。直前にひどく大きな地震があって、なぜか自分が陥っている状況に決着をつけるよう迫られた気持ちになったのだ。


 孟洋と激しく求め合うほど、滋春がいとしく思えてくることが自分でも不思議だった。まるで違うタイプの男というのではなかった。むしろ二人は似ていた。二人とも、自分の内に一人では抱え切れない何かを持っていた。その何かが深羽子の中の空虚な部分を埋めてくれるような気がした。


 深羽子の気持ちは決まらなかった。滋春といるときに孟洋のことを思い、孟洋といるときに滋春のことを思った。そうして一人になると言いようのない苦しみに襲われ、考える気持ちを挫かれてしまうのだった。


 停車していた場所から、ちょうど母校が見えた。深羽子は校舎を見ながら高校の頃の滋春との思い出にしばし耽っていた。そのとき津波に襲われた。


 運転席にいた深羽子は、何かに押さえつけられたように動けなかった。ほんの一瞬、楽になりたいと思った。思い直したときにはもう遅かった。二人の間で気持ちが引き裂かれたまま、一人で死ぬのだと観念した。


 深羽子が覗き込んだ踊り場の鏡には、彼女自身の姿は映らなかった。深羽子は、もう一度二人の男のことを考えた。

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