フェネックは夢を見ない

綾埼空

フェネックは夢を見ない

 枯草色の風景が乾いた風にそよぐ。

 ざあざあ、とさざめく様子は、どこか遠くを思い起こさせる。

 寄せては返すイネの合間。ひょこひょこ揺れるものがあった。

 ゆったりとした耳。


「んー?」


 間延びした声音からは感情がうかがえない。

 彼女は進路を変え、背の高いイネを抜ける。

 低木の前に出た。草が少ない。ここはみんなの休憩場所なのだ。

 お日様の下に姿を見せたのは、フェネックである。

 瞳はけだるさに翳りながら、口元はいっつも楽しそうに緩まっている。

 フェネックは小首を傾げた。

 散歩中の彼女をつける足音があるのだ。

 誰かはわかる。なぜかはわからないので、呼びかけてみることにした。


「なにこそこそしてるのさ、アライさーん」

「なんでわかったのだ!?」


 呼ばれて飛び出て。現れたのは、何を隠そうアライさんだ。


「わかるよー。で、どうしたのさー」

「ん、あ、その……」

「へ?」


 いつも前向き、猪突猛進なアライさんが歯切れの悪い。珍しいどころか、長い付き合いの中で初めて見る。

 これは一大事だ、と身を構える――ことはなく、フェネックはどうしたものかなー、なんてのんきに考えを巡らせていた。

 しおらしいアライさんを見るのも楽しいが、ずっとこのままでは調子がくるってしまう。


(何がアライさんをここまでへこませてるのかも気になるしねー)


 なのでちょっと事情を聴いてみることにしたフェネックである。


「どーしたのさ」

「……〝ゆめ〟を見たのだ」

「ゆめ? ああ、夢ねー」


 図書館で教えてもらったことがある。

 寝ている間に見ることのある現実のことをそういうらしい。


「どんな夢を見たのさ」

「フェネックがアライさんを置いてどっか行っちゃうゆめなのだー」

「私がアライさんを置いてどっか行く夢ね……へ?」


 驚きすぎて素っ頓狂な声が出た。


「それで、えっと……アライさんは、落ち込んでたの?」

「そうなのだ!」


 胸を張って言い切る。ひとりでくずくずと悩むのは性に合わなかったのだろう。


「フェネックはアライさんと仲良くしてくれるのだ。迷惑をかけてばっかりなのに。フェネックはなんで仲良くしてくれるのだ?」

「楽しいからだよ」

「アライさんもフェネックと一緒にいると楽しいのだ!」


 にへら、と相好を崩すアライさん。


「変なことを言ってごめんなのだ、フェネック」

「……」

 喉元までせりあがるものがあった。言わなくていいことだと、わかっている。


「どうしたのだ?」


 アライさんがのぞき込んできた。透明な瞳に射られる。

 だから、フェネックは吐露してしまう。


「いいや。アライさんの夢もわからなくはないよ。きっと、終わっちゃうかもしれない。楽しいことはなくなっちゃう。そんな日がいつかは来るんだよー」

「終わっちゃう……」

「あはは、暗いね。やめにしよう、この話はさ」

「――なくならないのだ」

「え?」

「アライさんは、今楽しいのだ。それはなくなったりしないのだ!」

「いつまでも思い出にすがっていられるほど強くはないよ。……少なくとも、私は」

「なら、終わるときまで楽しく過ごすのだ! 楽しいことが終わっちゃいそうなときは、アライさんがなんとかするのだ! アライさんにお任せなのだ―!」


 根拠のない自信。

 本当に理解しているのかも若干怪しい。

 それでも、なんとかしてくれそうに聞こえるから不思議だ。


「まぶしいなあ、アライさんは」

「ん? なにか言ったのだ、フェネック?」


 つぶやきは、アライさんの小さな耳には届かない。


「いーや。じゃあ行こうかアライさん。私はアライさんについていくからさー」


 楽しいことはいつか終わってしまうかもしれない。

 けれど、アライさんのいるかぎり、輝きに満ちたこの日々が終わることはない。

 そう信じられる、とフェネックは笑いながらでたらめに進み始めたアライさんについていくのであった。

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