世界の崩壊を歯牙にもかけず、その王は神々しく、しゃばしゃばになっている


 かつて、人は獣の一つであった。

 牙が、速さが名となり知れ渡る、本能という世界のほんの一角。

 さればこそ、生物として必要な物は一つだけだった。

 種の始まりにおいて最も必要なもの。

 そして死滅する直前、最後に頼るべきもの。


 ――その名は『力』。

 これを司りし悪魔王、サタン。

 その象徴として獰猛なる爪をかざす。


 かつて、神は人に知恵を与えたもうた。

 道具を、言葉を、火を手に入れた人という生き物は、ありとあらゆるものを生み出し、ありとあらゆるものを手に入れてきた。

 やがて宇宙を手に入れることになろう。そして時をも手に入れることになろう。

 ……神が、なにゆえそのような種を植えたのか。

 原初の理由も忘れたままに、すべてを貪り尽くすその術。


 ――その名は『智』。

 これを司りし悪魔王、アスタロト。

 その象徴として、叡智で編んだ法にてこの戦場を支配する。



 ……これら二つに比肩する能力があるとするならば。

 それが生まれるなど、全知であるはずの神が知らなかったもの。

 全能であるはずの神が、持っていなかったもの。

 信仰心を無くし、本能に従うでもなく、つまり勝手に歩き出した人間たちが、勝手に生み出したもの。

 その力は、やがて人という種のすべてに備わった。

 その力は、神の知らないなにかを生み出した。


 ――その名は『愛』。

 これを司りし悪魔王、ベルゼビュート。



 その象徴として、彼女は金髪を振り乱し、愛する者の為に笛を奏で続けていた。



「この風鳴かざなり……、美優のくせに、なんと知恵のまわる!」

「そりゃそうだって! 美優、必死なんだなこれっ! 勝負パンツはいてきたし! 見るか? 見ちゃうのか!? ほれ、オープンたはーっ! あれ? 涼しくね?」

「うむ、沙甜の分析は的外れだ。今日も美優は知恵を家に忘れてきたようだぞ、勝負パンツと一緒に」

「…………直視した。死にたい」


 バカな会話をできるほどの余裕。

 そんなものがどこから生まれるのだろう。


 絶え間なく続く振動。

 絶え間なく響く打撃と魔砲の擦過音。

 あまりにも速いビートでそれらを発生させる源。

 それが目の前にあると感じることは出来ても、どこに彼らがいるのか、彼らがどう動いているのか、それを把握するには遠く及ばない。


 次元を超えた戦闘。

 神をも脅かす力による、これは真剣な殺し合いだった。


 三人の最強を相手に均衡を生む者。

 彼女は、その得物に加担されている。


 攻防に振るわれる『うつ姫の檻』。

 一見、物理的な最善を選んだ軌跡を描いているようだが、その動きには意図的に回転が組み込まれ、一つ回し切る度に敵のいた場所へノータイムで氷の槍を出現させていた。


 今も氷の槍が出現したが、三人はこれを攻防度外視、文字通り必死の速さで移動することによって回避し、大きな隙を作る。

 体勢を整える数瞬、無防備な背中を晒した沙甜に美優が迫ると、その必殺が振るわれる位置、心臓が通るはずの場所へ美嘉のレイピアと飛鳥の放った魔砲が穿たれた。

 だがその時にはすでに、美嘉のはるか後方で沙甜の『風殺し』の刃が美優の髪をかすめ、『うつ姫の檻』が沙甜の左腕を砕いていた。


 一秒を六十ほどに分け、その五マス先を予測して攻撃を振るう。

 目で見て適切に動いて戦っても地上で軽々十本の指に入る生物の内四人が、敵の必殺を厭わず、一秒間で十回もの予測攻撃を繰り出す。


 そんな命の安売りにも似た狂気の演舞が、達人同士ならではの呼吸で停止した。

 影すら追いつかぬ様で動き回っていた四人が、肩で息しつつ、姿を現した。


 ……すなわち、勝負が決まったのだ。


 最初に沙甜と美嘉が飛びかかってから、たったの十五秒。

 その間に、百以上もの読み合いを行った四人は心身共に完全に疲弊して、東山の山頂同様、すっかりその姿形を異なるものにしていた。


 唯一大きなダメージを二度ほど負い、折れた腕の痛みに顔を歪ませた沙甜は、五本生えていたはずの鉤爪を二本に減じた『風殺し』を外して地に落とす。

 そして牙を剥き出しにした口から黒い瘴気と共に、野太い息を吐いた。


「はぁぁぁぁ…………。ほんとに厄介だった。……やっと『音』を止めた」

「…………でたらめ。神器クラスのアーティファクトに刃を突き立てた」


 服も髪もボロボロにして憔悴を表した沙甜と美嘉が見つめる先で、美優は獲物を放り捨てながら頭を掻く。


「いやまいったなこれ! 変なとこに穴開いちまったから槍が出なくなったっての! ドとヤリとグウの音が~でなーい~♪」

「うむ。……さて、お前を拘束させてもらおう。熱い檻と寒い檻、どちらがいい」


 見た目はほとんどいつも通り。

 だが実際にはこの場でもっとも疲弊している飛鳥が、最後の魔力を振り絞るために呼吸を整える。


「そりゃあれだ! 沙甜の人肌が一番だっての! でもネグリジェのせいで微妙に下がった感じをうまいこと表現してくれ!」

「よし。ならばあっつあつの夜を準備しよう。沙甜。美優と一緒に、四百年前に食らった檻に再び入るがいい」

「なんでこんな時までバカなのよあんた達は……、ん?」


 強敵を前にして、地面に座り込む沙甜。

 彼女自身が首を捻るその行為は決して有り得るものではない。


 ……そう、勝負は決していた。

 だがこれを大きな戦争と捉えるならば、まだ反撃の機会は残っていたのだ。


「む……。これは参った」

「…………久しぶりに食らった。悔しい気持ちが湧かない。この技、そこが美点」


 沙甜に続き、美嘉も飛鳥も地に腰を下ろす。

 それを睥睨へいげいする美優は、額にびっしりと脂汗を流していた。


 これは、美優による『魅了チャーム』の効果。

 通常なら必殺の技だが、相手が悪い。


 美優は不完全どころか、せいぜい戦意を削ぐ程度の効果を発揮させるために、指一つ動かせぬほどの集中と激痛を余儀なくされているのだ。


「うむ。……ここに治人君でも戻ってきていたなら危険だったやもしれぬが」

「…………あれは、戻らない。それに、他の連中も来ない」


 美嘉の言う通り、山が揺れ、山頂から逃げるように駆け下りていくチーム・ヴィーナスの姿を見た者すべてが我先にと逃げ出した。


 他の連中を出し抜こうとも思えぬほどの振動。

 誰もの心に恐怖を生んだ美優は、そのあたりも計算していたのだろうか。


「美優。こんなちょっとした時間稼ぎが役に立つとでも思っているのか? せいぜい二時間ももたないだろうに」

「たっはー! 買いかぶりっ! 皮かぶりとどっちがえらいんだこれ? 妖精にちけえから皮かぶりの勝ちか! 美優、皮かぶってんのか? 猫ならかぶってっけどな! こんな余裕そうにみせといて全力! 一時間くらいしかもたねーっ! あと、漏れそうっ! かなりガチで!」

「…………当たり前。これだけの大物を精神支配。生体機能に異変、出る」

「いいか美優。その一時間で、世界が崩壊するやもしれんのだ。お前だって分かっているだろう。……治人は、雫流を殺そうとしている。昨日だって、あたし達が危険を察知して慌てて駆けつけなければかなり危なかったのだ。……頼む。雫流を助けてやってはくれまいか」


 沙甜の真剣な言葉に、美優の大きな瞳が涙を溜めていく。


 激痛の反動なのか、愛の葛藤なのか。

 その滴が意味するものは何なのか、沙甜には量ることができなかった。


 そしてとうとう『愛』を司る王は、止め処なく滴を零しながら叫んだ。


「たはー! 限界突破! 華麗に転生! 美優は今、美しきビールサーバー!」

「きたないな貴様は! 漏らすな! とっとと魅了チャームを解け!」

「そりゃできねー!」

「雫流がどうなってもいいのか! それに雫流が殺されでもしたら、悪魔どころか人類も、天使すら滅びるほどの戦争になるぞ!」

「美優もあれのおしめかえたし! 好きだっての! でも美優、治人も好きだからどうしたらいいか分かんねーんだこれ! 頭悪り―っ! だからな、あいつらがどんな結果出すか賭けようかと思ってこれ! 悪魔全部を滅ぼすくらいの蛮行っ! やってやるーっ!」


 今度こそ本当に涙を流し始めた美優は、さらに力を行使する。

 音もなく、動きすらない戦いは、だが彼らの内で激しく命を削り合っていた。


「うむ。若者たちの戦いの結果にすべて乗ろうというのか。それでほかほかのしゃばしゃばになっても構わないと、そういう訳だな。理解した」

「…………アスタロト。お前、理解できてない」

「最高位の大天使と最高位の悪魔王、しゃばしゃばになっても止めるとかな! ありえねーぞこれ! 美優、なんかくさっ!」


 高次元なレベルの戦いも、世界の崩壊も、美優にかかれば子供のケンカ。

 漏らしながら、泣きながらわがままを言う様は、しかし一つの筋が通っていた。


 ……そこには、愛があった。


「それで、お前の愛する者のうち一人が死ぬことになるが? 場合によっては世界が滅びることになるのだが? それでもいいというのだな」

「ばっちこーい!」

「うむ。もってあと五十分。……美優。お前、存在が消えかけているぞ」

「山田も治人もガチで命かけてるんだ! 美優だけ逃げるわけいかねーっての! 美優、あいつらのかーちゃんだからなっ! うけるっ! …………だからよう。なにがなんでも、てめえらにあいつらの邪魔はさせねえ」


 死すれば転生する。

 それが悪魔。

 だが、存在が消えるとなれば、話は別だ。


 悠久を生きてきた悪魔王。

 皆に刻まれた記憶や痕跡ごと消えて無くなるまであとわずか。

 それまでの間に、彼女が愛する者達は答えを出してくれるのか。


 最悪の結果を招くやもしれない。

 沙甜が、飛鳥が、今すぐ治人の息の根を止めたいと思う気持ちは変わらない。


 だが神々しく仁王立ちして、存在を賭してでも彼らが出す答えを信じたいと泣く盟友を凌駕出来るはずもない。


 ……せめて、お前の姿を最期まで見届けよう。

 たとえお前の記憶を失おうとも。

 せめて今だけは。


 二人の王は自分自身の一部が消えゆくさまを、豪快に笑い続ける『愛』を、ずっと見つめ続けるのだった。


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