る ~最大の暗号に挑んで下さい 雫流と朱里が出会ったあの日がヒント~
下着までびっちゃびちゃになっている
「ねえ、なんで隠れるのさ」
「あたし、じゃなかった。ウチね、王子様になる。だから雫流君はお姫様なの」
「嫌だよ姫なんて、なんでそんなことになるのさ」
「だって、そうしないと結婚式ができないから……」
「え? 結婚式したいの?」
「うん。だってここ、教会だし」
「そっか。教会来たら結婚式しなきゃいけないのか。でも俺、指輪持ってないよ?」
「それは大人になってからでいいの。お給料もらったら、三か月分貯めてから買うんだって」
「ふーん。じゃあ、結婚式も大人になってからでいいじゃん。それに結婚しても、別にいいこと無さそうだし」
「あるよ? 雫流君がお姫様になったら、王子様のウチが、何があっても必ず助けてあげる」
「なにそれ? 俺だけすげえ得じゃん。じゃあ俺が姫でいいや。白馬に乗って来たから、おまえが王子な。だからいつでも助けろよ?」
「うん、必ず助ける。約束するよ。約束するから、約束して?」
「ややこしいな。なにを?」
「あのね? 大人になったら、必ずここで……」
教会に反響する、二人の名前。
用事が済んだから帰るわよと、少し険のある声がする。
急いで行かなければならないのに、少女は少年の服を掴んで離さない。
でも、少女の瞳は真剣で。
少年は、ちょっと面倒に感じて。
「ああもう、分かったよ。約束するから、手を離せよ王子」
「うん! 約束、忘れないでね、姫……」
この日、姫になった少年は服を引っ張る少女をはじめて王子と呼んだ。
この日、王子になった少女は誓いのつもりで、姫の頬にそっとキスをした。
時を告げたのか、はたまた運命を告げたのか。
厳かな鐘の音が六月の教会にこだました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
本日の進級試験
Dランク:八時二十分よりイチジクの若木の移設作業。校舎西端昇降口に下履き、体操着にて集合。ペアで参加の事。最も早く五本の木を掘り起こしたペアに勾玉を授与。妨害不可。チーム内協力不可。軍手支給。スコップ貸し出し。木に傷をつけた場合、失格とする。
昨日の振り替え試験:十三時発表。
梅雨の合間に顔を出した晴れ間が眩しい朝の農園。
たっぷりと連日の雨を吸い込んだ土から立ち上る湿気は、雨よりもうっとうしい。
イチジクの灌木がずらりと植えられた一画は、じっとり気持ちの悪い汗を流す面々の文句がそこかしこから聞こえていた。
暑いだの。
根っこが長いだの。
枝が痛いだの。
そんな中、俺の身の回りだけは作業と関係ない文句が延々と飛び交っていた。
「コラ、姫! 責任とれよてめぇ!」
「昨日から責任責任うるせえなバカ王子! 知らねえっつってんだろ!」
「子供んとき約束したろうがぁ! 昨日の教会で!」
「何度も言わすな、覚えてねえよ! 何を約束したってんだ!」
スコップを地面に突きたててにらみ合う俺と沙那。
散々文句をつけるくせに、その内容を教えてくれやしねえ。
俺の首から上についてる収納箱をなめんなよ?
これ、三日前に置いたはずのモノが無くなってることあるんだからな!
怒りに任せて地面に突きたてたスコップを蹴り飛ばしたバカ王子が、勢いよく飛んだ土を浴びてさらに怒り出した。
自分のせいじゃねえか。
地面に罪はねえだろ、そんなに地団駄踏むんじゃねえよ。
……沙那は、学校じゃ人気者だ。
対して俺は、言わずと知れた嫌われ者。
人気者と口喧嘩してる嫌われ者に対する扱いは、当然こうなる。
つまり、アエスティマティオ参加者全員からの視線が痛い。
朱里ちゃんと花蓮の呆れ顔も息苦しいし。
そろそろやめてくれねえか?
「まったくてめぇはよう! 人の胸ぇ揉んどいて、そんな態度で許されると思ってんじゃねえぞコラ!」
「うおぉぉい! 公共の場で何言い出した!? 世論を味方につけるんじゃねえ! 男子からの視線がいてえ! あと、女子からの視線に殺意が込められてる!」
視線だけじゃねえ。
俺をめがけて飛んでくる土、土、石、土、石。
なあ、知ってるかお前ら。
俺、こう見えて結構すぐ泣くよ?
「変態は人気者ね。うらやましいわ、おひねりがそんなに飛んできて」
「おひねりはゴンとかベチャとかいわねえだろ。それに切り傷がいくつもできてる」
「それはイチジクで切った傷でしょうよ。ほら、とっとと掘りなさい」
「つめてえ。なあ、朱里ちゃんからも何か言って……? 朱里ちゃんどこ行った?」
さっきまで花蓮の横で穴を掘ってた朱里ちゃんの姿がどこにも見えない。
……いや、いた。
穴から砂が吐き出されてるし。
「掘り過ぎ! パスポートも持たずにブラジル行く気か!」
「え? ……うそ!? 暗い! 怖いっ! 助けて!」
何考えてるんだよ。
こんなことで、高ランクだって噂の午後のアエスティマティオは大丈夫なのか?
イライラしたり、ボーっとしたり。
まあ、しょうがないか。
揃いも揃って睡眠不足だからな。
そう、昨日の夜は寝るに寝れなかったんだ。
――治人との決戦を終えた俺たちが全員でウェヌス・アキダリアへ向かうと、先に戻っていた姉ちゃん達が大喜びで迎えてくれた。
そしてご機嫌になった姉ちゃんが得意の腕を振るって、ちょっとしたパーティーのようなものが開催されたんだ。
ひとしきり食べて騒いで。
落ち着いたところで、さて本題とばかりに治人の処分が下されることになった。
まずは俺と沙那へ危害をくわえた件について。
これについては、次の休みに飯をおごってもらうことで手打ちになった。
正直何もいらなかったんだけど、姉ちゃんの提案は、三人でどこかに遊びに行くなんてことが無かった俺たちに嬉しいプレゼントとなった。
次に、闇討ちして先輩に重傷を負わせた件について。
そもそもなんで先輩を襲ったのか事情を説明したら、魔眼を開いた姉ちゃんがとどめをさしに行くと騒いで、飛鳥さんとガチバトルを始めたのでうやむやになった。
結局罰らしい罰が与えられることも無く、最後に、姉ちゃんと飛鳥さんから一言ずつ厳しくも有難いお言葉なるものが言い渡されることになった。
床に正座させられた治人。
それを見守りつつ、椅子の上で居住まいを正した俺たち。
八人そろって、素晴らしいことを学んだ。
……大人の言う、『一言』。
絶対信じちゃダメ。
姉ちゃんと飛鳥さんから交互に発せられる話は延々と続き、それぞれ重い話の為に俺たちは席を立つことも出来ずダイニングで朝を迎えることになった。
登校時刻になっても治人への小言は続いてたけど、あいつが船をこいで話を聞いてる姿なんて始めて見た。
そして、もう一人。
存在が半分消えたという意味の分からないことになっている美優ちゃん。
意味が分からないのであんまり考えたくない。
なんだか体が半分透けてたけど、骨が透けてないからすっげー気持ち悪かった。
深海魚か。
そして、その治療法も意味が分からない。
消えちゃった成分を取り戻すためとのことで、姉ちゃんのパンツを頭にかぶって俺んちの温泉に浸かってる。
心の底から意味が分からないので、考えることも突っ込むのもやめた。
……さて、この朝のアエスティマティオ。
参加者が随分少ない。
昼に発表されるアエスティマティオに備えて、体力を温存する作戦みたい。
でも、うちの頼れる司令官が参加を決めたんだ。
なにか意図があるんだろう。
頑張らなきゃ。
俺はぼたぼたと顎から落ちる汗を体操着の裾で拭いて、スコップを握り直した。
「ほ~れ、か~れん~のた~めな~らえーんやこ~ら」
「変態。元気ねあんたは」
「俺と朱里ちゃんにばっか掘らすな。お前も真面目にやれよ」
「やるわけないでしょこんなの。寝不足の頭で思わず足を運んじゃったけど、頑張って一位になってもDランクの勾玉じゃ割りに合わないわよ」
はあ!?
「……なにそれ、采配ミス?」
「あんたは頑張って一位を目指しなさい。私は倒れるまで応援しててあげるから」
「言ったなこの野郎! ようし、ぜってえ倒れるまで……、何してんだよ芝生に横になって?」
「倒れたから。後は頑張りなさい」
おお、さすが天才。
じゃねえぞこら。
「ふざけんな」
「なに言ってるのよ。私はいつでも大真面目」
「なおさらふざけんな」
「姫、そいつに口で勝てるわけねえだろ。諦めな。……よいしょお!」
「うう怖かったよ……。そしてあたしを助け出してくれた紫丞さん! 大好きっ!」
「またそれか! こら変態赤毛猿! 離れろ!」
ああもう、さすがにこれじゃ勝てるわけねえよ。
でも、それなり頑張ってここまで掘り返したんだ。
希望を捨てずに頑張りますかね。
居眠りを始めた花蓮。
いちゃいちゃし始めた朱里ちゃんと沙那。
三人を横目で見ながらなんとか二本目のイチジクを抜いたところで、天使が近付いてきた。
この暑いのに汗一つかかずに。
たしか
そばに寄ってもいいか?
そんなことを考えていたら、ほんとに近付いたら罰を与えて来るクーラーがとんでもない事を言い出した。
「チーム・ヴィーナス、全員失格」
「はあ!? ふざけんなよく見ろ! 木に傷一つ付けてねえだろうが!」
俺が詰め寄ると、天使はタブレットを突き付けて画面を指差す。
アエスティマティオの長ったらしい文章。
こいつが指差しているのは『妨害不可』の一文。
「妨害なんかしてねえだろ! 俺たちがいつ他の連中の邪魔を……」
「うるさい」
言われて初めて気が付いた。
俺たちのそばで作業してた皆さん、やたらと眉根を寄せてスコップを振るってる。
「……おお、納得」
ちきしょう、こんなに頑張ったのに。
俺はスコップを地面に突きたてて、怒りの矛先を失格理由たちへ向けた。
「いつまで騒いでんだよ! お前らのせいで失格になったじゃねえか!」
「すまねえ、姫。このバカ女のせいで……っ! このっ! 離れろ!」
「ごめんね紫丞さん! でも、全部雫流のせいなの!」
「朱里ちゃんの場合、暑さのせいか寝不足のせいかいつものボケかまったく分からないけどふざけんな。ほら、皆さんの迷惑だから。とっととシャワー浴びに行くぞ。おい、花蓮! 起きろ!」
大あくびと共に起き上がった司令官が、こしこしと目をこすりながら歩き出す。
重たい足を引きずってその後についていくと、朱里ちゃん達ものそのそと並んで歩きだした。
意気消沈。
いや、眠くてくらくらするからあんまり残念にも思わない。
「まったく、誰がこんなの参加しようなんて言ったのかしら」
「そいつが昨日、座りながら半目になってふらふらしてる動画があるけど、見る?」
「即刻消しなさい。あと、各自そのまま屋敷に戻ってお昼まで睡眠をとること。このまんまじゃ午後のアエスティマティオに勝てないわ」
そうだな、それがいい。
ダイニングの前さえ通らなけりゃぐっすり眠れるはずだ。
治人たちも寝てないわけだし、最大の敵はこの睡眠不足。
これさえ克服できればきっと俺たちが一番勾玉に近いはずだ。
「そういや、キースと綴夢ちゃんも参加してたな、イチジク掘り」
「タフね。変態も見習いなさい」
「知ってたか? 俺も参加してたんだけど。……まあ、二人ともふらっふらだろうし本気で挑んでねえだろ。勾玉、取れるわけねえ」
「取れたらどうするのよ」
「あり得ない。もしそんなことになったら、鼻から入れたところてんを口から出して端っこを結んで永遠に吸い続けてやる」
会心のボケに、沙那すら笑ってくれない。
まあ、そりゃそうか。
昨日は一番のダメージを受けながら戦ってくれたんだ。
お前の罰、苦しそうだもんな。
もう体力も気力も限界だろ。
……そうだ、思い出した。
お前はなんで俺に触っても平気なんだ?
「おい、教えて欲しいんだけど。なんでお前……」
首だけ沙那に向けて、開いた口から出た言葉が大きな校内放送で掻き消される。
おお、アエスティマティオ終わったんだ。
『全学傾注。アエスティマティオ、ランクD。条件到達ペア確定。チームロワイヤル・
「うそだろ!?」
なんて連中だ。
つきものが落ちたから、なんて言葉で括れるものじゃない。
実際に炎天下に出たからこそよく分かる。
一睡もしてない状態で一位になるなんて……。
「主への想い。その成せる業ね」
「ああ、花蓮。驚愕の事実だ」
「驚愕した?」
「そりゃそうだろ。どうして持ってるんだよ」
「乙女の秘密よ」
ほんとびっくりだよ。
でも、仕方ない。
俺は手渡されたところてんから、一番細そうな麺を必死に探した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます