三角関係の答え。俺にはこう見えている
「うわっぷ! 大丈夫か! 沙那!」
川はいつもより遥かにかさが増していて、俺たちが飛び込んでも水底にぶつかるようなことは無かった。
でも、今度はその深さがあだになる。
沙那を抱きかかえたまま岸へ向かおうにも、足がつかないではどうしようもない。
橋の上からだと大したこと無いように見えたけど、いざこうして飛び込んでみたら水の流れが結構速いし。
それに、他の理由で思うように泳げないし。
服が重い。
沙那が重い。
あと、お前ほんと厄介。
「いだだだだだだ! 電気な! こんなんで泳げるかバカ野郎!」
それでも必死に沙那を背中から抱きかかえて顔を水面から出してやる。
するとこいつは口から水を吐いて、弱々しく咳をした。
よかった。
ひとまず無事だ。
本当は声をかけてやりたいとこだけど、俺も沙那の顔をできるだけ高く持ち上げるのに必死だから無理。
顔がほとんど水面下だし。
たまに大きく浮かんでも、
「いだだだだだだ!」
しか話せないし。
…………しかしこれ、どうしたらいいんだ?
川に流されながら悩む俺の視界が深い抹茶のような色から浮かび上がるたび、両側の岸に助けになりそうなものを探す。
でも、そんなのどこにも…………、お?
あの赤い疾風は!
「あかっ! ごぼぼぼいだだだだだ水飲んっ! ごっほごほ!」
「しゃべらないで! 今助けるから!」
激しい水の音に負けないほどの、朱里ちゃんの叫び声が耳に届く。
すまん、俺の勇者様。
でも今の、ちょっと面白かったろ?
朱里ちゃん、足の怪我が痛いだろうに。
河原の丸石の上じゃ走り難かろうに。
それでも真っ赤なポニーテールを真一文字になびかせて、俺たちの真横まで並ぶ足の速さはまさに風。
そんな赤い風から、得意の鞭が撃ち出された。
「はふーん♡ ごぼっ! いだだだ!」
ああもう!
めんどくせえな、俺!
でも、いつもの快感が体を貫いたってことは、鞭は俺たちに巻き付いたんだ。
あとは岸まで引っ張り上げてくれれば万事解決。
…………ん?
いつまで待っても、体に引っ張られる系の抵抗感じねえんだけど?
「あっぷあっぷ!」
「うおぉぉい! 朱里ちゃんの方が川に落ちてどうすごぼっ! いだだだっ!」
最悪!
でも、朱里ちゃんもあぷあぷ言ってるし助けてやらねえと!
俺は沙那のせいで痺れる体を無理やり動かす。
筋肉があり得ないほどパンパンに張って千切れそうな痛みが走る。
でも、体に巻き付いた鞭をなんとか手繰り続けて、ようやく朱里ちゃんを手に抱きかかえることに成功した。
「ごっほごほ! ごめん! 全然踏ん張りがきかなかっ、あぷっ!」
「いででで! 俺、こいつのせいで動けねえんだ! 沙那を頼めるか?」
「無理! 水の上くらいならそれなり走れるから泳ぎは苦手なの!」
「なわけあるかごぼぼぼぼっ!」
こんなところでボケるなちきしょう!
ああ突っ込みてえ! でもそれどころじゃねえ!
そろそろ体力も限界だ!
……俺だったら三角関係にどんな答えを出すか。
そう言って沙那を突き落とした治人の真意は見えない。
そもそも、何が三角関係なのか。
朱里ちゃんと沙那、どっちを助けるかってことか?
だったら、はっきり言える。
どっちかを助けるなんて考え、俺には出て来やしねえ。
二人とも助ける。助けてみせる!
だから、考えろ!!
何かに鞭で掴まれば、朱里ちゃんが沙那を抱きかかえるくらいできるだろう。
でも、掴まれるもんなんて岸にはまるでない。
朝、一回使っちまってるからな。
あの頭痛に襲われたら、二人を抱えることも出来なくなる。
いっそこのままどんぶら流れてたら、結界ギリギリでいつぞやみたいに天使が助けてくれるんじゃねえか?
…………いや。待て。
このまま流れたら?
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
急がないとほんとにヤバい!
この川、もうちょっと行ったあたりで他の川と合流する。
その段差のところ。
落差五メートルの人工滝になってるんだ。
45度の傾斜でコンクリの岩肌に色ガラスを埋め込んであって、普段なら斜面を舐める水が美しい、ちょっとした憩いの滝なんだ。
でも、それは水だから流れ落ちることができるわけで。
人間にとっては、ざらついたコンクリと突き出したガラスは凶器でしかない。
流れる物をすべてすりおろしてしまうおろし金。
あそこを落ちて怪我をする人が何年かに一度いるんだけど、それは普段の水量での話だ。
こんな急な流れであそこへ落ちたら、どうなっちまうんだ!?
余裕がなくなったら視野が狭くなった気がする。
慌てるばっかりで、なにも見つけることが出来ない。
そもそも、頭を先に仰向けで流れてるから鞭で掴まれそうなものを見かけても通り過ぎた後だし。
今も朱里ちゃんが河原に立ってた木に無理やり鞭を振るったけど、俺たちが離れてくんだから届くわけない。
近付いてくるものと言えば一つだけ。
っていうか、腹立つなおまえ!
「ちきしょうてめえ! ぼっーっと見てるんじゃねえ! 唐揚げにしちまうぞ!」
このタライ運搬機め!
しかも、必死に飛んでいながら俺たちに追いつけないとかどんな低スペック!?
……いや? そんなわけないじゃん。
お前ら、本気出したら結構速いはずだよね?
ってことは…………。
ひょっとすると…………。
お前、俺がドキドキするまでは距離を置いてスタンバってるだけ?
……もし俺の仮説が合っているなら、一個だけ、手がある。
でも、そんなことしたら俺の尊厳が崩壊するかも。
こう見えても俺はみんなから信頼されているはずだ。
それを裏切ることになる。
ここは先に確認しておかないと。
「…………朱里ちゃん。こんな素敵な俺が、急に変態な事言い出したら軽蔑する?」
「あっぷ! こんな時に何言ってるのよ! 雫流の変態なんて今更驚かないわよ!」
「どちくしょう! 俺には守るものなんて無いってことがはっきりわかったよ! もう覚悟は決まった!」
俺はあふれる涙を一度濁流で洗い流す。
そして勢いをつけて川から顔を出して、大声を上げた。
「朱里ちゃん! 今から、あのタライが近付いてくる! いつもみたいに鞭で巻き付けて!」
「え!? タライに? ……分かった!」
朱里ちゃんは仰向けのお腹の上に鞭を手繰り寄せて、振るいやすくする準備をし始めたようだ。
さて、後はお前の本気を見せてもらおうか。
……俺は、ハトを頭上に召喚するために、心を鬼にした!
「俺は今! びしょ濡れ制服の朱里ちゃんを抱きしめてるぞいーやっほーーーっ!」
「こ! ん! のっ!!! ど変態バカーーーーっ!!」
やっぱり来た!
ハトはドキドキMAXになった俺の頭上へタライを投下すべく、徐々に距離を詰めて来る。
「痛い痛い! 朱里ちゃん! 俺をグーパンしてないで、上! ハト!」
「なにがハトよ! 雫流のバカ!」
「バカはお前だ! ほら、急いで鞭を!」
ようやく事態を理解してくれた朱里ちゃんは、ふくれっ面のままで上空へ向けて鞭を振るう。
だいたい仰角四十五度、真っ赤な鞭は、見事にタライに巻き付いた。
よし!
後は、ハトがあのタライを落とされなければいい!
「朱里ちゃん! 沙那を頼む!」
「え!? ちょっと雫流!」
俺は朱里ちゃんに無理やり沙那を抱えさせると、下流に向けて必死に泳ぎだした。
タライを落とされたら終わりだからな。
なにがなんでも逃げ切ってみせる!
水の流れプラス泳ぐ速度。
でも、息継ぎの度に確認するハトとの距離がどんどん詰まっている。
それもそのはず、川の流れはまっすぐじゃない。
少し曲がってるから、追いかけるハトの方がショートカットできる。
……だがな、ハトよ。
それが狙いだ!
「やった! 足がついた! 雫流! こっちは助かったよーーーーっ!」
朱里ちゃんのバカでかい声が響き渡る。
そう、ショートカットするつもりなら、ハトは岸に寄る。
ハトに引っ張られた朱里ちゃんと沙那は、流れが速くて深い川の中央から、浅い岸へとたどり着いたんだ。
どうだ、治人。
俺は二人を助けたぜ?
でも、お前の問いは、三角関係にどんな答えを出すかってことだったよな。
……これが、俺が辿り付いた答えみてえだ。
勢いを増す川の流れの中から顔を出す。
するとさっきまで、ずっと遠くまで見通せた濁流が、意外とすぐ傍で消えて無くなっていることに気が付いた。
……間に合わなかったんだ。
でも、バカな俺でも、あんな状況から二人を助けるアイデアを思い付けたんだ。
だったらさ、もひとつくらい奇跡が起きてもおかしくねえよな?
「なむさん!」
息を大きく吸って体を丸くする。
その後は、上も下も、右も左も分からない。
ただ、コンクリ製のおろし金に突っ込んだことだけは理解できていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます