二度と来るな! そう心から願っている
朱里ちゃんと花蓮。二人を伴って、校門の正面に建つログハウス風の喫茶店へと続く木製の階段を上る。
この店の名は、『シャマイン』。
姉ちゃんが経営するお店で、こいつらのバイト先でもある。
扉が揺らす、軽くて優しいベルの音。
それを威勢のいいラーメン屋の掛け声が上書いた。
「へいらっしゃい! ……って、なんだよ、姫か」
「おお、もう動いて平気なのか?」
俺が浮かべているであろう心配顔をバカにするような、いやらしく歪んだ企み顔で返す女は
紫がかった黒髪をなびかせるモデル体型美女は、これっぽっちも似合わないフリフリなメイド服で奥のカウンター席へ俺を促した。
「なんだよ雫流ぅ、心配してんのか? だったらアイスコーヒーおごれ」
「意味が分からん」
「オーダー入ったぜ! アイスコーヒー二丁~」
「だから意味が分からん。いつからシャマインは大人のお店になったんだ?」
ドラマで見たときびっくりした。
お店の人が自分の飲みたいものを勝手に注文する仕組み。
どんだけ考えても意味が分からない。
そしてそういうお店に行きたがる男が一杯いるってことも理解できん。
「じゃあ、あたしはアイスティー!」
「しょうがないわね。私はレモネードでいいわ」
「……だから、大人になってからじゃねえとその良さが分かんねえっての」
バックヤードへ向かう二人を恨みを込めた視線で追いながら、カウンターの椅子に腰かける。
そんな隣の席には、いつも見慣れたゆるふわ茶髪。
俺の姉ちゃんが、難しい顔で携帯を眺めていた。
「姉ちゃん、眉根の小じわ増えるぜ? 俺、姉ちゃんには年寄りになっても綺麗でいて欲しいんだが」
「あら嬉しい。じゃあおばあちゃんになっても、皺が寄ってないか、いつもしー君にチェックしてもらわなきゃね」
「……そんなシスコン、奥さんに捨てられるわ」
「やだ、あたしはそんなことしないわよ?」
どうしよう。この人、目が本気だ。
「おい、沙那。親族が日本の法律を変えようとしてるんだ。止めてくれねえか?」
アイスコーヒーをカウンターに置きながら、隣の席に腰かけた黒髪の悪友。
こいつは俺の言葉を無視して、姉ちゃんへ向けて唇を尖らせた。
「サタン様、そりゃあねぇぜ。ウチに雫流を紹介してくれた人が冗談でもそんなこと言うなっての」
「なに言ってるのよしーちゃん。あたしは紹介しただけ。あげたなんて一言も言ってないわよ? 取られたくなければ頑張りなさいな」
「……ちきしょう、これはウチのだかんな」
いつものセリフなのに。
小学生の頃から聞き慣れている、いつもの軽口のはずなのに。
どこか寂しそうに聞こえるのは何でだろう。
「俺というおもちゃを取り上げられるのがそんなにいやか?」
「うるせえバカ」
「しー君、今のは無い。乙女心を汲めない罰として、姉ちゃんのと交換」
目の前に置かれたアイスコーヒーが没収されて、代わりに置かれたのはコーヒー風味の氷。
何を叱られたのか意味は分からないが、仕方が無いのでグラスを傾けて二粒ほど口に放り込む。
すると、バラとチェリーを混ぜたような、ちょっとセクシーな香りが隣から迫ってグラスを横取り、残りを全部食べてしまった。
ああ、そういえば久しぶりだな、この感じ。
昔はこうして三人でいるのが当たり前だったっけ。
こいつの家、結構遠いのにさ。
毎日のように遊びに来て。
中学だって学区外なのに俺のとこに入りやがって。
ちらりと隣を窺うと、その長いまつげが目に入る。
少し褐色の肌にすっとした顎のライン。切れ長の目に整った鼻梁。
ほんと美人だよ、お前。
黙ってたらな。そして、触らなけりゃな。
……ああ、そうだった。触った時に痺れるアレ。
こいつの罰。自分に被害が無いはずなのに。
一体、昨日のはどういうことなんだだだだだだっ!
「いてえぞこの電気ウナギ! 足をくっ付けんな!」
「なんだよ、ぼーっとウチのこと見て。惚れた?」
「ほれねえ! それに、とまり木で足をくっ付けるなと何度言ったら分かる」
「うはははは! 雫流の足、なんでそんなに高いとこでプラプラしてんだ?」
「うっせえよ、膝ですねを触るんじゃねえ。心が折れるわ」
ほんと、長いおみ足だこと。
こいつを見慣れてるせいで、グラビアアイドルとか見てもスタイルがいいとは思えないんだよな。
とは言え、スタイルなら朱里ちゃんだって負けてないけど。
細くて少し筋肉が浮かんだ綺麗な足。
間近で見る躍動感。あれはたまらんものがある。
🐦がんっ
「ウチで興奮したのか? タライ落としてんじゃねえぞこら~!」
「てめえじゃねだだだだだだだだっ! だからすねはやめろ!」
俺の叫び声が、静かな店内に響き渡る。
そんな騒ぎの元凶は、随分とご機嫌そうに微笑んでいた。
……いつもは混み合うシャマインだが、今日は珍しく客がいない。
まあ、これだけ土砂降りになったら、まっすぐ家に帰りたいのが人情。
あるいは悪魔情。
そんな中、扉のベルがカランと響くと、バックヤードから顔を出した朱里ちゃんがお迎えの声をかけた。
「いらっしゃいませ! シャマインへはうっ!?」
「なに固まってんだ? ……おお、美優ちゃんだ。いらっしゃい」
入って来たのは、癖っ毛ショートの金髪に、安全ピンがこれでもかとくっついたパンクなデニムジャケットを羽織った
ああ、そっか。
朱里ちゃん、美優ちゃんの事、苦手なんだよね。
しかし沙那といい朱里ちゃんといい、どうしてそうなんだ?
苦手、なんて言わないで欲しい。
こんなどうしようもないの、罵声を浴びせて無視すればいいのに。
下手に付き合おうとするから苦手なんて思っちゃうんだ。
「なんだこりゃ?
「無茶言うな、そんなの準備してねえよ。焼きたてパンでいいか?」
「パンでもいいや! 破裂させて出迎えろ! そしたら美優も飛び散るっ!」
そんなことを言いながら手に持ったスイッチON。
Tシャツの胸から、パーンと血のりが飛び散った。
「「「きゃーーーーーー!」」」
大参事っ! 女子の悲鳴で耳が痛いっ!
「バカ野郎! 店中血まみれだよ!」
「ぎゃはははは! うけるだろ、山田っ! これ、美優、寝ないで考えた! 寝ないで何してたって? エロいこと言ってんじゃねえぞこれっ! そんなの、ナニしてたに決まって、いてえええぇぇぇ…………」
「ちょおおおおっ!? 体張り過ぎっ! うずくまってんじゃねえよ!」
慌てて近寄ると、今度は背中がパーン。
「「「きゃーーーーーー!」」」
「いてててて! 飛び散る安全ピンが猛烈に危険!」
「背中の方が倍いてえとか、うけっ…………いてえよおおおおお」
「自業自得だ! ……うわあ、血のり、べっとり浴びちまった」
入り口の辺りでうずくまる美優ちゃんが入店してから、十秒と経ってない。
なのにめちゃくちゃ。一瞬でカオス空間。
この人のバカは会うたびにパワーアップして、俺は飽きないんだけど、
「……変態が増えた」
「まあ、世間の評価はそうだよね」
バックヤードの陰から片目だけ覗かせた花蓮からの冷静なご意見。
初見でこの姿だ、過不足なく美優ちゃんの事を理解できたことだろう。
こんな大惨事の中、朱里ちゃんが美優ちゃんへ駆け寄って介抱し始めた。
もうさ、とことんまでいい子だよね、君は。
「だ、大丈夫ですか、美優様?」
「お? お前、あれだ! 祥子だこれ! 山田のこれな! いてててて」
「俺のおかねってなんだよ。どっちかって言うと逆だから」
「ぎゃははは! 山田、真っ赤! 赤字か? 祥子に貢いで破産しちまったのか? ちきしょー! 美優にも貢げっ! 逆指名入りまーす! フルーツの盛り合わせ持ってこい! 段ボールのまま! 切れって! いてててて」
「パイナップルとかどーすんだよ。かじり付いたら口の方が切れるわ」
「それで血まみれなのか山田! 髪まで真っ赤! パンとキッシュでパンキッシュ! 炭水化物摂り過ぎだこれっ! いてててて」
「おお、外しとくか」
「ぶはははっ!!! なんだそのネタ!? ヅラ取ったらワカメ生えてきたっての! マーベラス! うひひひひっ! くっ、いててててて、えっくしょい!」
「あの、無理しないでくださいね……」
あー、やかましい。
朱里ちゃん、ほっといていいよ。
それの担当は俺だから。
「ねえ、変態。ちょっと聞いていいかしら?」
「お? 美優のこと呼んだ?」
「ちげえから、ちょっと静かにしてろ」
花蓮が岩戸から出て近付いてきた。
俺たちの踊り、そんなに楽しかった?
「……美優様? これが? ベルゼビュート?」
「気持ちは分かるが、姉ちゃんと比肩する悪魔王の一人。そして治人のマスターだ」
「そこまでの情報は信じられないけど、今日のドタバタ三人衆のマスターだってことは理解できるわ」
「チームロワイヤルか。美優ちゃんのチーム、めちゃくちゃだったな」
「たのしーだろあいつら! 美優、あいつらのためなら死ねるっ! かわいーんだこれ! それに最強! 勾玉だらけなんだこれ!」
そう、二日連続でBランクの勾玉を取った超新星。
絶大な人気と共に目の敵にされてきた、俺達チームヴィーナスの話題は今や昔。
今日だってEランクの学力テストこそ絵梨さんと花蓮が入手して互角だったけど、Dランクの農園仕事はキースに取られた。
あの筋力、半端ねえ。綴夢ちゃんを遠避けさえすれば化け物になる。
……まあ、カエルに足をつつかれただけで、もんどりうってたけどね。
ほんと防御力ゼロになっちまうんだ、あいつの罰。
「その新チームの件か? 姉ちゃんに話があって来たんだろ?」
「いんや? この店が血まみれになったらすっげー楽しいと思って」
「めいわくっ!」
「しかも! 大しておもしれくねーでやんのっ! うけるっ!」
「帰れ! って、おぶさるんじゃねえよ!」
床にしゃがんだままの俺に柔らか掛け布団。その布団が手を伸ばして、目の前に座り込んだ朱里ちゃんのスカートを捲りあげた。
「きゃーーーーーーーっ!」
「水色にピンクのガーターベルトとか、奇跡のコラボレーションっ!」
🐦ゴ・ガンッ!!!
「ぐおおおおおおおっ! 梅雨時だからいつかは来ると思ってたんだ……」
雨水一杯の金ダライ。
その破壊力たるや、何を見てドキドキしたのかすぽんと忘れちまった。
「ぎゃははははは! ワカメですっげー滑ったぞタライ! うけるっ!」
「美優ちゃん、俺にしょっちゅうおぶさってるのに、タライに当たった事一度も無いよね?」
「あったり前田の
「ねえ変態。さすがに頭が痛くなってきたから、ガムテープで口を閉じていい?」
花蓮が、手にしたガムテープの端っこを探してくるくる回しだす。
「こら、やめねえか。俺の名前書いてあんだろ。勝手に使うな」
「ほんと。でもあんた、こんなとこに名前書いてどうする気よ」
どうする気も何も、そんなもん一つ買うにも苦労するほど貧乏なんだからしょうがねえだろ。
「なんだ? それで美優の自由を奪ってエロいことすんのか? なら参考書だ! ほれ山田! お前の大好きなもん持ってきてやったっての!」
ようやく俺を解放した子泣き爺が、入り口のそばに置きっぱなしにしていた紙袋を持ってきた。
でも、雨の中で紙袋はねえよな。
俺の元にたどり着く前に、ビリビリに破けて、どう見ても不健全な本が血のりの海にぶちまけられた。
「何考えてんだど変態!」
「そんなに喜ぶなってこれ! 早くも鼻血でカピカピにしてんじゃねえ! エロ!」
「きゃーーーーーーーーーっ!」
「待て朱里ちゃん! 拳を向ける相手が違ごはっ!」
「こんなの見ちゃダメなんだからね! あたしが捨ててきます!」
朱里ちゃんが、花蓮からガムテープを奪い取って参考書とやらをぐるぐる巻きにしてる。
こら、そんな使い方するなら紐でいいだろ。
「そうだ思い出した! 美優、沙甜に用があって来たんだっての!」
「偶然ね、美優。あたしも請求書の宛先を聞いておこうと思っていたところなの」
「たっはーっ! まいったねこれ! さっきの参考書でチャラな! 本屋で買う時照れくさくって、赤本に挟んで買ったらサイズがちげえからバレバレとかうけるっ! それよりメッセージ見た?」
「ええ。迷惑だからことわ」
「それ聞きたかっただけだってのこれ! じゃ、美優かえっから! 塩まいとけ塩っ!」
「ちょっ……、こら! 待ちなさい!」
「んじゃ、明後日はよろしく! そるとー!」
バカな言葉を残して、傘もささずに出て行った美優ちゃんを全員が呆然と見送る。
相変わらずひでえ。
国は、早いとこあいつを災害に指定した方がいい。
そんな静寂を最初に破ったのは姉ちゃんだった。
頭を抱えたまま、血のりの付いた真っ白なワンピース姿でふらふらと裏口へ向かって行く。
ちょっとしたサスペンスドラマだ。
そんなドラマのヒロインは、キッチンを恨みがましく見つめながら低い声を絞り出した。
「一之瀬。美優が苦手だからといってキッチンに隠れていた罪は重い。この惨状、お前が一人で何とかしておけ。明朝までに血のりが綺麗になっていなかった時は、自分から流れる血を永遠に拭き続ける仕事をくれてやろう」
……ちょっとしてないサスペンスドラマだった。
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