小悪魔に翻弄されている


「くそっ! 鬱陶しい!」


 北東の庭園に作られた道を、トラックがひっきりなしに通り抜けていく。

 狭い通路をスピードも殺さずに。

 激しく水しぶきを巻き上げて。


 昨日から、何の施設やら堤防みたいものが学校の北側に作られている。

 直径一メートルほどの大きな岩。

 それがゴロゴロと積み上げられているのだ。


 まあ、たった一回のアエスティマティオの為に四階建てのビルを一つ作っちゃうようなこの学校のやることだ。

 きっと今回も似たような理由なんだろう。


 今問題なのは、その岩を運ぶトラックが通るこの道を渡れないということだ。

 驚くことに、かれこれ数分は足止めされている。


 どんだけ運んでるんだよ、岩。


「ああもう、ほんと鬱陶しい!」



 ……教室での足止めは、朱里ちゃんの悔し涙と共に辛くも突破できた。

 そしていつものように引きずられた俺が、携帯全部が真っ赤に見えたと話しただけで、名探偵は瞬時に暗号を解読してしまったのだ。


 627、8、72゛476、409。


 携帯の文字入力。

 かな入力と数字入力の画面を交互に見れば、答えが見えてくる。


 つまり、数字の位置通りにかなを読んでいけば、


 はかま、や、まがたまは、たわら。


 となるわけだ。


 弓道場の巻藁まきわら。これが勾玉の隠し場所なんだろう。


 しかし弓道場へまっすぐ向かう道はこうして塞がれて、周りには同じ目に遭う連中が集まり始めた。


 暗号を解読できた者、そいつらを単純に追って来た者、それぞれどれくらいいるのだろう。

 その全員が傘も差さず雨に濡れ、俺を指差して腹を抱えて笑ってる。


 ……鬱陶しい。


「こら金髪バカ! どうするんだよこの頭っ!」

「後で綺麗に切りそろえてあげるわよ」


 ワカメって、水を吸うと驚くほど膨らむよね。


「ああ、くそっ! ぬるぬるして鬱陶しい!」

「こら、アルギン酸に謝りなさい。体にいいのよ?」


 両腕を胸の前に組んで、トラックの列にゆっくり近付く天才美少女。

 こいつ、珍しくドジじゃなく、狙った形でおれにダメージをくれやがった。


「たまにはやらかさない日もあるんだな」

「やらかす? なんの事かさっぱり分からなこけっ」


 ……良かったよ。君がいつまでも変わらない君でいてくれて。

 丸見えの高級そうなレモン色パンツも、相変わらずのクオリティーだ。


🐦ぬるっ


 頭を通過して、足元にくわんと転がる金ダライ。

 え? 今これ、頭の上に落ちたの?


「痛くない! おい花蓮! 痛くねえぞ! 俺は将来アルギン酸になる!」


 興奮する俺に半目を向けるレモンパンツが、少し離れた辺りを指差した。


「バカなこと言ってないで、あれを助けに行きなさいよ、アルギンさん」

「いやいやいや、無茶言うな。このアルギン、戦闘はからきしでござる」


 俺達が見つめる先には、二つの人影。

 金髪細身の猛獣と赤髪ポニテの猛獣使いが、じりじりと間合いをはかる。


 そして雨に煙る視界の中、俺たちと同じように二人を見つめる者がいた。

 絵梨さんと綴夢ちゃん。

 彼女たちもまた、この戦いに手を出すことが出来ないでいるようだ。

 

「ははっ! メス! 子供ガキ! そんなのを殴るのはもともと趣味じゃねぇ。でもな、オレ様に歯向かうようないい女が相手の場合は例外だ!」


 開いた右手がボキボキと歪な音を鳴らしながら、ワシの爪に形作られていく。

 そんなキースは、雨に濡れた金髪を左の手串でオールバックに撫でつけると、獣じみた犬歯を剥き出しにした。


「このオレ様がてめえを調教してやるっての!」

「やれるもんならやってみてよね!」


 言うが早いか、朱里ちゃんは横薙ぎに鞭を振るう。

 だがそれを、キースは一瞬の四つ這いでかわした。

 瞬発力強化は伊達じゃない。


「速いっ!」


 思わず叫んじまったけど、これ、まずい!

 鞭を避けた姿勢は、そのまま反撃への溜めだ。

 キースは、四肢に蓄えた力を一気に解放して獲物へ飛びかかり、渾身の拳を叩き付けた。


 残像すら浮かぶ挙動から、目に追えないほどの拳。

 これを食らった哀れな獲物は、なす術もなく地面を転がり、それでも震える膝に手を突いて立ち上がる。


「い、いだぐない!」

「うおぉぉい! どうしてそうなるんだよお前!? てぃむちゃーーーーん!」


 膝をガクガクさせている小動物に、俺と朱里ちゃんは慌てて駆け寄った。

 二人が寄り添うその間で、綴夢ちゃんは大きな真ん丸目に涙をタプタプに溜めながら、方向音痴な猛獣に文句を付ける。


「うう、バカキース……」

「なんだ? 泣いちまうのかチビすけ! 泣かねえよなあ。高一にもなって、泣かねえよなあおい!」

「ぐじゅ……、な、がないっ、もんっ!」

「俺の心が号泣だわ! 何やってんだてめえ!」


 ああもう、俺のワイシャツ、ぐしゃーってなるほど掴んだ手がプルプルしとる。

 足止め作戦だからって、もうちょっとやりようがあるだろ。


「ワザとじゃねーって。今のはガチでそっちのイカす女ぁ狙ってたんだ」

「それはそれで文句があるんだけど、じゃあなんでこうなったんだよ」

「しょうがねえだろ。昨日まではあの距離でチビすけの射程外だったんだ」

「……ん? 射程距離が広がってるってか? ……まさか!」

「そうね。私がさっき罰の話をしたからかもね」


 そう言いながら近付く絵梨さんの瞳。

 髪と同じ、薄氷を思わせる淡い水色が怪しく輝く。

 ……まさか、これも作戦の一つなのか?


「罰を悪化させることに何の意味があるんだ? お前の罰、綴夢ちゃんを守ることなんじゃなかった?」

「…………あ」


 そして今更かざされる手の平。

 青く輝く綴夢ちゃん。


「毎度毎度! 手遅れてるんだよ!」

「やれやれ、ちょっと遅れただけじゃない。うるさい男ね。これ、疲れるのよ?」

「だからってもうやめちゃうの!? やる気だせ!」


 だめだこの女。ただのめんどくさがり屋だ。

 いつキースに殴られるか分からねえんだから、せめて今だけずっとかけとけよ。


 そんなやり取りの中、悲しそうな顔で綴夢ちゃんを見つめる朱里ちゃん。

 そうだな、悲しいよな、こんなの。

 雨に濡れた朱里ちゃんがちょっとセクシーだけど、そんなの目に入らないくらい俺も悲しいぜ。


 片膝立ちになった朱里ちゃんの足に雨で張り付いたスカート。

 俺は太ももの間にちらりと覗く爽やかな水色なんかまったく気にせず、今にも泣きそうな綴夢ちゃんに


🐦がんっ


 ……タライを落とした。


「いだくない!」

「うわあぁぁぁ! ゴメン! ほんっとにゴメン!」


 マッハ土下座。

 地にこすりつけられるワカメ。


「ちょっと何やってんのよ雫流! 痛かったよね、ごめんね?」

「いだくな……、ぐす……」

「ああ、これは楽。チビちゃん、そのまま二人を足止めなさい」

「最悪だなあんた!」

「最悪なのは雫流でしょ! 謝りなさい!」

「立膝でこっちを向いたら水色がこんにちは!」


🐦がんっ


「ながないっ!」

「申し訳ございません! 俺の思春期が本当に申し訳ございません!」

「……あ、忘れてた」


 いまさら祝福ブレス


「ほんとあんたバカなの!? ちゃんとして!」

「ははっ! このオレ様の仲間をバカにしやがるとはいい度胸じゃねえか!」

「仲間を平気で殴る奴が何言っていちちちち!」


 キースに顎を掴まれて、顔を寄せられる。

 うわあ、怖え!

 虎にかじられるワカメの気持ち、すっげえ分かる!


「そんなんでビビるか! 離せよ! 怖えんだよ!」

「どっちなんだよ? まあいいか、ヒイヒイ言わせてやる!」

「てめっ! やめろっての!」

「アルギン! いいから黙って! 抵抗しないで!」


 この頼れる凛とした声。

 そうか、また何か閃いたんだな?

 そっちのバカな指揮官と違って、俺たちの指揮官は頼りになるんだぜ!

 

「わかった、作戦だな! 俺はどうすればいい?」

「作戦? バカ言わないの! ほら、あんたは床に寝ころびなさいよ! キースはそのまま押し倒す!」

「……お前、何言ってんの?」


 凄く真剣な目ではあはあ言ってるけど。

 それでここから脱出できるの? ほんと?


『……告知』


「あーーーーっ!」


 間に合わなかったか! すまん、花蓮!

 お前の指示を疑って、俺がぐずぐずしていたばっかりに……、ん?


『全学傾注。アエスティマティオ、ランクB。発見者一名確定。チームロワイヤル・白銀しろがね治人はるひと。以上』


 なんで俺が叫び声上げた時、幸せそうな顔になったんだ、お前。


 首を捻る俺の隣に、三人組が並ぶ。

 綴夢ちゃんを挟んで立ったキースと絵梨さんが顔を見合わせて、手の平を上げて。

 勢いよくハイタッチ……からの軌道修正。

 両側から綴夢ちゃんのほっぺをひっぱたいた。


「いだぐない!」

「厄介だなお前の罰!」

「ははっ! なんだぁそらはし、負け惜しみかぁ? そういやてめえ、今まで校内放送で名前呼ばれたことねえもんな!」

「くそうっ! 確かにそうだけど、俺だって多大な貢献を……、いや、待てよ? 確か一度、名前を呼ばれたことある」

「はあ!? 嘘ついてんじゃねえよ!」


 いつだっけ?

 記憶を辿る俺の耳に、再び校内放送が届いた。


『伝達。一年B組、七色雫流。排水溝にお前の頭部が詰まり、昇降口が水浸しになっている。至急取り除くこと。以上』


 ……思い出した。

 たしか前回も、俺の頭が廊下に転がってるって放送だったっけ。


「……なめんな。これで二度目だ」


 まあ、そうだよな。

 分かったから、みんなして呆れ顔するのやめね?



 きっと今頃学校中で悲鳴が上がってることだろう。

 俺の伝説は、こうしてまた一つ積み上げられた。



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