エイジドボーイ・シンコペーション(Disc1)

「流星雨の夜に」(作詞・作曲:山中ジロウ 編曲:TSUKIKO)

流星雨の夜に 1


 生まれ落ちたのは二拍三連

 輝いた星の欠片を掴むこの手は

 絶対零度に縮む


 アコースティックギターを片手に、山中はツインリングノートに殴り書きした言葉の屑をつなぎ止めようと必死に口ずさむ。ダサい。世に初めて出す曲のサビとは思えないほどのダサさだった。殴り書きしていた頃は神が降りてきたと小躍りしたものの、実際にそれらしいフレーズをつけるとまず意味がわからないし降りてきたのは髪の毛くらいなものだ。

 帝都大学の二回生である山中は、しかし既に二十二の誕生日を迎えていた。浪人と留年で他の学生より最低でも二年、余計に準備をしなくてはならないことに対して彼は特に後ろめたさを感じているわけではなかったが、後ろめたくしていろという社会の圧力は感じていたし、後ろめたい振りをしていた方が人生が楽だということも既に知っていた。


 首はいずれ落ちる

 世界は常に消える

 手にした星は棘だらけで

 凍傷だらけの腕を

 全天に伸ばす


 なんとなくバズマザーズみたいだな、と思って激しく切るような節回しで歌ってみたがそれもどこか違うらしい。よくよく考えたらそんな激しいドラムを先輩が叩けるとは思えない。彼自身はthe pillowsが大好きであったが、バンドはそうでもないし、自分の声がどちらかといえば椿屋四重奏のそれに近いのもわかるようになった今、バスターズだけを震え上がらせても仕方がない。

 不本意だ。不本意極まりない。

 山中は根拠のない怒りを覚えた。けれどそれをぶつける相手はいない。

「畜生」

 低く吐き捨てるようにそうつぶやくと、ギターをケースにしまってスプリングのすっかりくたびれたソファにだらしなく座り込んだ。

 時計を見ると、午後九時になろうとしている。六時間も部室に籠もって、結局ワンフレーズを捻り出すのが精一杯だった。

 まあ、こんなもんか。

 自らにさほどの音楽的才能を見いだしていない彼の意識としてはこの程度だが、それをメンバーが許してくれるとは思えない。


 明日世界が身ごもって

 灯火が消えたとしても

 目を覚ましたら

 君が星になる夢を見る


 きい、とドアがきしむ音がして、オンボロの部室に女性が入ってきた。山中の背筋が自然と伸ばされる。軽音楽部には珍しい、真っ黒な髪をストレートに伸ばした清楚そうな彼女は、四回生の平端かおるだ。

「まだいたんだ」

 柔らかな声と柔和な一重まぶたが山中の瞳を貫く。残念ながらこの時はまだ童貞だった山中二朗は、その柔らかさが極端に苦手でいつもざっくりと心を削られてしまうのだ。

「あ、ああ、まあ」

 いつも通り、山中は息が漏れるような曖昧な返事しかできない。頭の中が羞恥と根拠のない期待で圧縮され、自然と体感温度が上昇していく。

 彼は純粋なふがいなさを感じながら、しかしそれでも精一杯のプライドで別にかおるのことを気にしていないかのように、ダブルリングノートを凝視して歌詞に没頭している振りをした。

 しかし、平端かおるはそう簡単な女ではない。

「どう、進んでる?」

 と、にこやかに語りかけて、山中の隣に座り、ノートをのぞき込んだ。

 ふざけんなよ。

 山中は心の中で小さく毒づくが、その言葉そのものとそれとは相反する感情の両方を若さだけの力ではねのけ、きわめて冷静な風を取り繕いながら、

「全然だめっすよ」

 とノートをぽんと放った。

「無理して造る必要はないと思うけどね私は。ジロウくんの声なら椿屋とピロウズのコピーだけで十分じゃない?」

 ふわっと、彼女が立ち上がったところにほのかな、いつもの香りが漂った。きっと使っているシャンプーか何かの香りなのだが、山中にはそれを特定するほどの無神経さはなかったので未だにそれが「平端さんの匂い」としか記憶できない。

 俺もそう思うんすよ。でもね、ツキコがうるさくて。

 といった本音を適当に追っ払い、山中は、

「せっかくバンドやるなら、このバンドでしかできないことをやりたいんです。俺は、俺の作った曲を、このバンドで歌いたい」

 もちろんそんなことは露ほども思っていない。いや、微粒子レベルには思っているのだろうけれど、少なくとも山中自身は思っていないことにしたかった。

「まあ、確かに自分たちで作った曲を演奏したい気持ちはあるかなあ。頑張ってね。できたら、私も叩きながら作っていくからさ」

 そう言いながら、かおるはゆっくりと立ち上がり、ふわっとした、少し気の抜けたような笑みを見せた。

「そういえばね、うちのゼミの新入生、ジロウくん推しといたから」

 かおるの言葉に、山中の心臓が変な音を立てた。

「え、なんでですか?」

 山中は留年している。当然成績は下の下、といえる代物だ。そんな学生を推薦するなんて、やっぱりこの人、どこか頭おかしいな。

 などと山中は率直にそう思った。

「だって留年してるでしょ。これ以上留年しちゃったら、本当に社会で生きていけなくなっちゃうよ?」

 どうやら親切心、というかおせっかいというやつだったらしい。山中はどこか、胸をなでおろす自分がいたことになぜかぎょっとした。

 かおるは不思議そうに首をかしげると、

「じゃあ、私終電近いから帰るね」

 とそそくさと部屋を出ていった。


 深呼吸した山中の鼻の奥に、名も知らぬ、花のものかどうかすらわからないけれど、嗅ぎなれたいい匂いが充満した。

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