第13章 真実へ向かう謎

 「こんにちは。二月二十三日、正午のニュースをお伝えします。まず初めに……」

 リビングのテレビに映る女性アナウンサーが、滑らかに原稿を読み上げる。

 あおいは寝室の隣の空き部屋にいた。大小五つある段ボール箱に貼られたガムテープを剥がしていく。その中身を全て出してしまうと、家具のない部屋の床の三分の一が埋まった。出し終えたあおいは額にうっすらと汗を浮かべ、息をついてぺたんと座り込む。

「こんなに入ってたんだ……」

 床に並べられた様々なものをひとしきり眺めた後、それらを手に取っては戻し、首を傾げては置き直したりを繰り返す。

「これ、全部あたしのものなのかしら」

 背後から近付いてきた向日葵が、あおいに甘えた鳴き声で擦り寄る。そして床にあるものに片っ端から鼻を近付けると大きく口を開けた。

「だめよ、向日葵。食べちゃだめ」

 無理やり抱き上げられた向日葵がじたばたと身をよじる。

「玩具になるものがあったらあげるから、今は邪魔しないでちょうだい。あっちで一緒に少し休みましょう」

 あおいは向日葵を抱いて立ち上がる。その時、爪先に何かが触れた。足下に目を落としたあおいは、右足の親指で踏んでいた本を拾い上げる。その隙に向日葵が腕からぴょんと飛び出し、今度は放置された段ボール箱で遊び始めた。あおいは肩を竦めて、手にした本に視線を戻す。

 濃いベージュのブックカバーがかかった本だ。四角く薄いそれには、禿げた黄色の付箋が二ヶ所に貼られている。あおいは床に座り、本の表紙をめくった。

「『四季めぐりあい 冬 東山魁夷』……」

 紙製のブックカバーを慎重に外し、現れた表紙の風景画にあおいは息を詰めて瞠目した。

 中央に印刷してあるそれは、雪化粧が施された湖の絵だった。対岸の大地に並び立つ深緑の木々を、凍てた湖面が鏡のように映し込んでいる。その岸辺には、色褪せた細草が何本も生えていた。

「これ、木瀬さんと行った場所に似てる……」

 あおいはぱらぱらとページを繰る。その最後のページをめくった時、中央に書かれた黒の文字を見てか細く引き攣った声を漏らした。

「我が愛しき娘、あおいへ。あなたの父母、武彦とかおりより……」

 震える人差し指でその字をなぞる。しかし数秒後には、ぱたんと音を立てて本を閉じていた。

 あおいは本を掻き抱き、喘ぎにも似た息遣いで天井を仰いだ。



 空を覆い尽くしていた宵闇が薄れ始め、微睡むように街の陰影が浮かび上がる。

 健人は夜勤明けの体で杉原調査事務所に車を走らせていた。星影が一つ一つ消えていく空は、もうじき太陽を連れて夜明けを叫ぶだろう。だがそんな様には目もくれず、恐ろしく空いた大通りを、捕まらないぎりぎりの速度で駆け抜ける。

 微睡みの中にいる街と似て、事務所が入るビルも雑音一つない静けさだった。靴音がやたらと大きく反響し、止まっていた空気が途端に色を持って動き出す。健人は無人の廊下を足早に歩き、エレベーターに乗って四階のボタンを押した。

 所長室の前に立つと、健人はドアを三回ノックした。中から応答は全くない。短くため息をついてから、錠の掛かっていないドアノブを躊躇なく回した。

 灯りのない室内が、夜明けに呼応して白んできている。一歩足を踏み入れた途端、紫煙と酒の匂いが鼻腔を刺した。健人は嘆息して苦く笑う。どうやら予想は大当たりだったらしい。

 ソファセットのガラステーブルに、酒瓶が二本と缶ビールが三本並んでいる。どれも栓が開いていて、焼酎の瓶は空だが、ブランデーの瓶は三分の一ほど残っている。缶ビールは二本が歪にひしゃげており、唯一原型を保っている缶の横にはショットグラス、その傍らには吸殻が山のように積み上げられた灰皿があった。

 惨状と言っても何ら差し支えないだろう。予想と寸分違わぬ光景に、健人は盛大に嘆息した。

「成れの果てと言うべきか。こんな光景を見られでもしたら、クライアントが逃げてくぞ」

 苦笑と同時に後悔の念がどっと胸を埋め尽くす。これはもう、手遅れという言葉だけでは表しきれない。

 健人は三人掛けソファの背から手を伸ばし、ブランケットにくるまって眠る佐知子の肩を揺さぶった。

「おい佐知子。起きろ。朝だぞ」

 目覚めたくないと抗うように、佐知子が眉間をしかめて寝返りを打つ。ウェーブのかかった豊かな茶髪は乱れに乱れ、うっすらと汗ばむ顔や首に幾筋も貼りついていた。巷では美人で有能と評判らしいが、これでは名折れにも程があるだろう。

「おい佐知子。起きろ」

「いーやーあー……」

「嫌じゃねえよ。さっさと起きろ。ほら、朝だぞ。ったく、何日も帰ってこないし連絡がないって聞いて来てみれば、案の定飲んだくれやがって。こら起きろ。聞こえてんだろ。無視するな」

 根気強く肩を揺さぶり続けると、佐知子の重い瞼がようやく動いた。僅かに開かれた瞳が宙を彷徨い、やがて健人の顔に焦点が定まっていく。その白い掌に僅かずつ色が戻り出すとともに、化粧崩れがひどい顔にゆっくりと表情が生まれていった。

「あー……」

「やっと起きたか、この世話焼かせめ」

「健人? 何で……」

「何でじゃねえよ。ほら、寝惚けずさっさと起きろ」

 健人は佐知子の肩を片手で掴み、ぐっとその上体を起こしてやる。佐知子は顔に貼りついた髪を払うと、額に手を当てて低く呻いた。

「あー……気持ち悪い」

「当たり前だ、こんなに飲んだくれたならな。いったいどれだけ飲んだ?」

「えー……覚えてない」

「机にあるの全部、一晩で飲んだのか?」

「ううん」

「じゃあ昨夜はどれだけ飲んだ?」

「えー、ビールとー……えーっと……」

「焼酎は?」

「それはうーんと……確か、えー……昨夜じゃないや、えー……その前」

「一昨夜か?」

「えー、そんな難しい言い方しないで。頭動かない……」

「無理やりにでもフル回転させろ。この吸殻の山は何だ? 一晩でこれだけ吸ったのか?」

「覚えてないー……」

「思い出せ。何日かかけてこれなのか、それとも」

「あーもうややこしい。知らないわよ。どれだけ吸おうがあたしの勝手でしょ」

 佐知子は鬱陶しげに言葉を荒げると、健人の手を乱暴に振り払う。まるで言い訳が通らなかった子供のようだ。彼女はブランケットをぐしゃぐしゃに丸めると、一人掛けソファに向かってぽいと投げた。

「何があたしの勝手だ。こんなに荒れて飲んだくれた奴の言う台詞か」

「うるさいな。飲もうが荒れようが、あたしの勝手でしょ」

 健人はソファの背に軽く腰掛け、佐知子を見下ろすように睨みつける。

「母さんが心配してたぞ。最近家に帰ってないんだって?」

「仕事が忙しかっただけよ」

「携帯に連絡しても出ないって言ってたぞ」

「忙しいの、こっちはいろいろと。自立した三十路の娘なんだから、あれこれ言わずにほっといてって伝えといて」

「こんなザマになりやがった奴が、自立した何とかって言えんのか?」

「うるさいな。もうほっといてよ」

 そうぞんざいに言い放つと、佐知子はソファの肘掛にべたりと縋りついた。

「気持ち悪いか? 吐きそうか?」

「優しい健人のほうがもっと気持ち悪い」

 気遣いをぴしゃりとはねつけられても、健人はまるで気にしない。

「お前がここまで荒れるのは久しぶりだな。今日、休めないのか?」

 佐知子は無言で、書類やファイルが高く積まれたデスクを指差す。訊くまでもないだろうと言いたいらしい。健人は悟られないよう少し息をつくと、少し姿勢を変えて佐知子を見下ろした。

「何があった?」

 佐知子は答えない。健人はもう一度問い重ねるべきか逡巡したが、彼女が口を開くのを待つことにした。長い長い沈黙の後、佐知子はぼそぼそと言葉を返す。

「……別に、大したことはないの。ただ少しむしゃくしゃして、飲んじゃっただけ。……あー気持ち悪い」

「水飲むか?」

 健人は鞄から水のペットボトルを出すと、蓋を緩めてから佐知子に渡す。彼女は気だるげな顔で受け取ると、ほんのりと果物の味がついたそれを少し飲んだ。ごくりごくりと嚥下する音が、静かな空間の中でやけに明瞭に響く。

 ガラステーブルにペットボトルを置き、佐知子はソファに背を預けて深呼吸を繰り返す。健人は幾分かほっとして、引き締めていた頬を僅かに緩めた。

「ようやく顔色が戻ってきたな。さっきはひどい色してた」

 その頭にぽんと手を置くと、佐知子は渋面を作って黙り込むが、振り払うことはしなかった。その様子に安堵すると同時に、健人は改めて深く後悔する。もう少し早く来ていれば、こんな顔をさせずに済んだかもしれない。

 健人は佐知子の頭に手を置いたまま、叱責を含まない口調で静かに問う。

「何があった?」

 佐知子の目が一瞬焦点を失い、俯いてはしばらくぐったりと押し黙る。

「気持ちのやり場を見失ったか?」

「……情けないと思ってる? 三十にもなって、飽きもせずに繰り返して」

「思ってたら、こんな時間にわざわざ来るかよ」

 健人はソファの背から腰を浮かすと、窓を覆うブラインドを開けた。夜明けを告げる白い光が、矢のように射し込んで室内をうっすらと染める。その眩しさに健人は目を細めるが、佐知子はちらりと一瞥しただけだった。

「本当に大したことないの。ただ少し、分からなくなった」

 そう言った佐知子は両手で顔を覆い、ひどく力のない響きでぽつりと吐き出す。

「淳平、何で死んじゃったんだろう……」

 思いがけない言葉を受けて、健人は内心で少し驚いた。窓から離れてソファの背に腰掛け、精気のない顔をした佐知子を見下ろす。

「分からなくなったの。だって、淳平はもういないのに。それなのにどうして、あたしは」

 ふいに途切れた言葉の先は、しばらく待っても続くことはなかった。ただ彼女の僅かな吐息が、空気に溶けるより早く消え入った名残だけが残る。

「死んだなんて、思いたくないの。本当は信じたくない。だって、あんなに傍にいたのに……。なのにどうして、あたしだけがここにいるの。どうして。淳平はいないのに」

 他の誰にも言ったことがないだろう悲痛な本音を、健人は何も言わずにただ受け止める。泣いているのかと思ったが、そうではないとすぐに分かった。しかし、その肩は普段の何倍も頼りなげで、健人は返すべき言葉を探しながら宙を仰ぐ。

 ずっと分かっていたことだ。佐知子の心には今も淳平が住んでいる。彼の死から三年が経とうとも、その面影は当時と変わらぬ姿で在り続けている。もらった指輪をネックレスにして、ずっと肌身離さず着けているのがその証だ。淳平を亡くした悲しみと、今も色褪せぬ強い恋慕に絡めとられ、佐知子の心はいつまでも過去から動けずにいる。

 だから時々、彼女は感情の出口を見失う。その度、未だ生々しいままの傷の疼きを紛らそうとして、酒に溺れたり煙草の数を異常に増やす。だが、それらはどれも傷口に塩を塗る結果にしかならない。そうして気丈と失望の間を何往復もした末に、最後は抜け殻みたく突っ伏して動かなくなる佐知子を、健人はこれまで何度も見てきた。

 その度に思う。泣けばいいのに。少しでも涙にして流してしまえば、胸を圧迫する感情が出口を見つけるだろうに。今日もそんな思いに駆られて、言葉が自然に零れ出た。

「なあ佐知子、あまり自分を追い詰めるな。少しは泣いたっていいんだぞ」

 顔を覆うのをやめた佐知子が、力なく僅かに頭を振る。

「……無理よ。泣ける気がしないし、泣きたいほど悲しいわけでもない」

「強がり? それとも本音?」

「どっちも。昔、人に言われたことがあるの。もう付き合いのない子だけど。泣いたら負けよって。泣いたら自分の弱さを認めたことになる。人に泣き顔を見せるのは、そんな自分に構ってほしいという甘えでしかなくて、すごく恥ずかしいことなのよって。そう言われて、ああなるほどって納得したの。確かにそうだ、そのとおりだなって。以来思うようになった。泣いちゃだめ。泣いたら負けよ。泣いたら強くなれない」

「強くなりたいのか?」

「強くありたいの。誰だって弱い自分は嫌でしょう? 少なくとも、あたしは嫌」

「家族にも友達にも涙は見せたくない? それじゃあ今みたいな時はどうする? じっと耐えて落ち着くのを待つのか? それはそれで格好いいかもしれんが、いつかお前の心が死ぬぞ」

「そうなったとしても泣きたくないの。……それに、泣き方なんてとっくに忘れちゃった」

 佐知子は一瞬だけ薄く笑う。その表情は確かに、歯を食い縛って涙に耐えるものではなかった。ひび割れのような微笑だが、瞳は濡れていないし揺れてもいない。

 それを見て、健人は何となく得心がいった。佐知子は本当に泣けないのだ。淳平を亡くした時、一生分の涙を流すように泣き暮れたからか。それとも、強くありたいという思いが心を縛り、涙を封じ込めてしまったからか。

 恐らくどちらも正解だろう。そしてその決意は、他人にはそう簡単に解けない。それこそが心の出口を塞ぐ要因となっていることに、果たして佐知子は気付いているだろうか。

 健人はしばらく沈黙していたが、

「なあ、佐知子。お前、《ヴィア》を追うのはもうやめろ」

「……どうして?」

「これ以上深入りするな。でないと、壊れちまうぞ」

 佐知子は僅かに目を見開くが、言葉では何も返さない。

「体に負った傷は医者が治してくれる。たとえ痕が残ったとしても、治療次第で痛みは格段に減らせるし、場合によっては痛みと縁なく生きていくことができる。だが、心の傷はそうはいかない。医者もそうだが、他人には簡単に治せないし、その疼きで一生苦しむことにもなりかねない。俺はお前に、そうなってほしくないんだ」

 健人は佐知子の肩に手を滑らせ、少しだけ力をこめて引き寄せた。

「俺はお前が抱える悲しみを知ってる。お前がどれだけの傷を負って、どれだけ《ヴィア》を憎んで、許せないと思って必死に追いかけてるかを知ってる。だからこそ思うんだ。お前が傷ついて、追い詰められる姿は見ていられない。心を削ってまでして《ヴィア》を追い続けて、それでお前が救われるとは到底思えないんだ。これ以上やればお前自身が壊れるぞ。何であっても、一度壊れたら取り返せない。たとえ形だけ直せたとしても、同じものには二度とならないんだ」

「……それでも」

 深く目を閉じた佐知子の呟きが、健人の耳にもはっきりと届いた。肩を抱く健人の手に、佐知子が己のそれを音もなく重ねる。健人は一度だけ強く握り締めると、

「近々、《ヴィア》の尻尾を掴めそうだ」

「え?」

「極秘の話だ。一課の中でも知ってるのは俺を含めてごく僅か。一課長や管理官にはまだ伝えてない」

「……どういうこと」

「タレコミがあったんだ。充分に信頼できる情報だった。近々俺たちは、《ヴィア》を潰すために動く」

「……本当に?」

 健人は軽く唸りながら背伸びをした後、

「俺が嘘を言うと思うか?」

 佐知子は呆気にとられて絶句している。心の底から驚いた、信じられないといった顔だ。彼女がこんなにも無防備で、隙だらけな姿を見せるのも珍しい。

「組織そのものを潰せるかは分からないが、何十本とある尻尾のうちの、どれか一つは確実に掴めるだろう。そしたら即、白日の下へ晒してやるよ。重ねて言うが、これは極秘だ。他の誰にも漏らすなよ」

 佐知子はしばらく言葉を失くしていたが、やがて何度も首を横に振った。

「……無謀だわ。とても、正気の沙汰とは思えない」

「お前がそれを言うか。今までさんざん無茶やって、なりふり構わず突っ走ってきたお前が」

「警察が太刀打ちできる相手じゃないわ。リスクが大きすぎる」

「そんなことは百も承知だ」

「《ヴィア》がそんな簡単に隙を見せるわけない。どんなタレコミだか知らないけど、安易に信用していいものなの? 三年前にあたしたちが動いたあの情報だって、淳平を殺すために組織が仕掛けた罠だったのよ。下手をすればまた犠牲者が出る」

「生憎だが、お前のそれは単なる杞憂だ。俺たちは、同じ轍は二度も踏まん」

 不敵にはっきりと言い放つ健人を、佐知子は鋭い眼光で睨みつける。健人はその視線を完全に無視した。

「お前がやろうとしてることを、代わりに俺たちがやり遂げる。だからお前は、もう傷つかなくていいんだ」

 息を詰めて見上げてくる佐知子に、健人は諭すような響きでその先を継ぐ。

「淳平の無念やお前の悲しみや憎しみに、俺が終止符を打ってやる。だからお前はこれ以上何もするな。《ヴィア》のことは全部俺に任せろ。これは刑事としてじゃなく、兄としての命令だ。……分かったか?」

 佐知子は一瞬視線を合わせるが、すぐにまた逸らして黙り込む。拒否も首肯も、得意の話術で言い返すこともしない。聞こえていないふりをするというより、返答すること自体を恐れているように見えた。

 言うべきことは全て言ったので、健人は鞄を持ってドアに向かう。

「今日はほどほどにして帰ってこい。晩はキムチ鍋だそうだ。みんなお前を心配してる。それから、しばらく煙草と酒は自粛しろ。いいな?」

 佐知子は表情を止めたまま、めぼしい反応を返してこない。

「俺は帰って寝る。部下が出勤してくる前に、シャワー浴びて服を替えろよ。そんな顔じゃ仕事もできんだろ」

「……余計なお世話」

「言い返す元気があれば問題ないな。じゃあ行くから」

 健人はひらりと手を振ると部屋を出ていった。

 薄暗かった廊下が朝陽に照らされ、無機質な壁の白が明るく際立っている。エレベーターへ向かっていた時、初めて長くて大きな欠伸が出た。ついでに肩を軽く回してみると、案の定ごりごりと軋む音が立つ。

「やんちゃで強情な弟妹を持つと、兄貴ってのは苦労するなあ」

 健人自身もここのところずっと忙しく、気を張り詰めっぱなしの日々だった。だが、気掛かりだった悩みの種がようやく一つ片付いたことで、抑え込んでいた睡魔が滲み出してきたようだ。しかし残念なことに、今ある悩みはこれ一つでは終わらない。

 そう思うとため息が出そうになるが、とりあえず今は脳裏の片隅に追いやっておくとしよう。そんなことを考えながら外へ出て、健人はもう一度大きな欠伸をした。



 二月も終わりが迫ってきた日曜日、尋人はあおいのマンションへ出向いた。午前中は曇天で寒さもひとしおだったが、午後になってようやく陽射しが出てきた。ぴんと張り詰めた空気が、日を経るごとに柔らかく温かになっている気がする。そういえば、冬ももう終わりに近付いてきているのだ。

 インターホンを押すと、すぐに玄関の扉が開いた。

「よっ」

 尋人が軽く手を挙げると、あおいはふわりと笑って迎えてくれる。

「ごめんなさい、いきなり連絡して」

「いいよ、今日は空いてたから」

 リビングに入ると、尋人の足元にとてとてと向日葵が寄ってきた。

「おお、向日葵。だいぶ大きくなったなあ」

 しゃがんでその背を数度撫でると、向日葵は甘えた声で纏わりついてくる。尋人はその体をひょいと抱き上げ、コートを脱いでソファに腰を下ろした。向日葵は尋人の膝にちょんと座り、顔をめがけてくいくいと手を伸ばしてくる。

「大きくなったな。もう一歳ぐらい?」

「ううん。多分まだ違うと思う」

 キッチンに立つあおいは二人分のマグカップを並べ、真新しいティーポットで紅茶を淹れようとしていた。

「最初は掌サイズだったのに、動物って成長早いよなあ。結構自我も出てきただろ?」

「うん。ずっと悪戯ばかりするの。ソファで爪研いだり、、テーブルやタンスによじ登ってものを倒したり、ティッシュ箱をぐちゃぐちゃにしたり。玩具だけじゃ満足できないみたいで」

 あおいは苦笑いしながら、水色とピンクのマグカップを手にやってくる。尋人は向日葵を床に下ろし、水色のほうを受け取った。あおいは尋人の隣に座って、湯気の立つ紅茶をゆっくりと啜る。尋人も倣って一口飲んでみた。ほんのりと花の香りがするそれは程よい甘さで、ストレートでも充分に美味しかった。この味はきっと、安物ではないだろうと何となく思う。

 久しぶりにあおいの自宅を訪ねたが、来る度に雰囲気が変わっているように感じる。初めて尋人が来た時のリビングは、年頃の女の子が暮らしているとは思えないほど殺風景だった。それが、少し前に深手を負って臥せったことをきっかけに、生活感のある部屋へ緩やかに変化していった。今ではものが増えて色味も加わり、それまでなかった華のようなものが出てきた気がする。

 その眼差しに気付いたのだろう。あおいが少し照れくさそうに、

「美弥さんがね、いろいろ教えてくれたの。部屋を全体的に、もう少し明るくしたほうがいいって。ものを増やして、少しでも可愛く飾ってみたほうが、部屋も映えるし気持ちも明るくなるからって。キッチンもね、いろいろ買い足してみたの。お料理のための道具とか調味料とか、食器なんかも新しくしたりして。美弥さん、お休みの日に、買物にも付き合ってくださったのよ」

 あおいの傷が癒えた後も、美弥が何かと世話を焼いてくれているのは知っていた。彼女から初めてその話を聞いた時、上司である佐知子に指示されたからではなく、自主的にやっているのだと言っていた。面倒見がよく情の深い美弥は、色合いに欠ける部屋で一人ぽつんと暮らすあおいを、人として放っておけなかったのだろう。

 それはとてもいい変化だと尋人は思う。あおいの生活が、ゆっくりと色のあるものに変わってきたこと。彼女が尋人以外の他人に心を許し始めたこと。そんな変化の一つ一つが、あおいを人間らしく育てていってくれている。

 二人はしばらく無言で、香り高い湯気の紅茶を味わっていた。その平穏な沈黙を破るのは惜しい気がしたが、尋人はマグカップを手にしたまま、さりげなく本題を切り出してみる。

「今日はどうした?」

 緩やかだったあおいの表情が、ほんの一瞬すっと止まる。そして、彼女はマグカップをテーブルに置くと、

「見てほしいものがあるの」

「何?」

「これなんだけど……」

 あおいはテーブルにあった本を尋人に渡す。その表紙を見て、尋人はつい顔を綻ばせた。

「へえ、東山魁夷か」

「知ってるの?」

「ああ。有名な日本画家だよ。もう亡くなってるけど、すごく綺麗な絵を描く人なんだ。ずっと前に長野へ家族旅行に行った時、美術館で見たことがある。画文集か。あおい、東山魁夷が好きなの?」

 あおいは困った顔で視線を泳がせる。その意味を尋人はすぐに察した。

「そっか、覚えてないのか……」

 あおいは小さく頷いた。尋人はぱらぱらと本をめくった。

 四角形の薄い本だ。四季をテーマにしたシリーズものであるらしい。この本のテーマは冬で、山や森、湖や川といった風景画を中心に構成されており、どの絵にも著者による短い詩が添えられていた。

「空き部屋にあった段ボールを片付けてたら出てきたの。箱の底に入っていて、紙のブックカバーがかけられてた」

「へえ。当時の趣味だったのかな。その段ボールの中身って、他はどんなの?」

「引越しの時に持ってきたものみたい。服とか小物とか、文房具とか。どれも新品じゃなかった」

「過去に使ってたものってことか。それらのどれにも見覚えはなかった?」

 あおいは頷く。

「段ボールがあることは前から知ってたけど、今までずっと放置していたの。でも、記憶を取り戻す手掛かりがあるかもしれないから、思い切って開けてみようと思って。五つあった箱を全部開けて、中身を床に並べてみたの。でも、何も思い出せなかった」

 尋人は本から付箋がはみ出ているのに気付いた。薄い黄色のそれは、位置をずらして二ヶ所に貼られている。尋人は手前に貼られた付箋のページをまず開いてみた。

 現れたのは、湖の絵が描かれたページだった。枯葉色の山に囲まれ、雪化粧を施された冬の湖。目にした瞬間、風の音さえ聞こえない静けさを体感したような錯覚に陥る。

「あたし、この景色を見たことがあるの」

「え?」

「正確には、これと似た景色、なんだけど……」

「どういうこと?」

 あおいは少し難しい顔をして、言葉を選びながらゆっくりと語り出す。

「去年の十一月に、昔のあたしをよく知っている人と出会ったの。その人はあたしにいろいろ教えてくれた。過去のあたし……自殺未遂をする前のあたしは、その人に湖を見たいって頼んだんだって」

「湖?」

「冬の湖。雪が降っていて、誰もいない静かな湖。あたしはその人に尋ねたんだって、冬の湖は本当に鏡なのかって」

「鏡……」

 尋人は本に再び目を落とす。『湖岸』というタイトルがついたその湖は、対岸に広がる雪景色を湖面にそのまま映し込んで、確かに鏡のようだと思った。

「この絵を見た過去の君は、この景色が見たいとその人に頼んだ……」

「その人は昔のあたしを、遠くの山奥にある湖に連れていってくれたんだって。この絵が描かれた場所ではないけど、似たような風景が見れる山奥へ。そこの湖を見たあたしは、まるで鏡だって言ったらしいの。心を見透かされているようだって」

「過去のあおいはどうして、この景色を見たがったんだろう。単純に綺麗だからとか、気に入ったからとか、そういう理由だったのかな」

「分からない……。けれど、怖いほど静かで、心を見透かされるようで、不安になってもいいからこの景色を見たかったって、その時のあたしは言ったらしいの」

 尋人は考える。記憶を失くす前のあおいは、この絵に何かしらのシンパシーを感じていたのだろうか。静謐すぎる冬の湖の絵が、過去の彼女に何を与えたのかが想像できず、尋人は膝に片肘を立てて考え込む。

「去年の十一月に、過去と同じようにもう一度連れていってもらった時、まだ雪は降ってなかった。だけど、この絵と同じような景色だったの。誰もいなくて何もない、とても静かな湖で……。だからこの本を見た時、すごく驚いた。その人が見せてくれた景色と、とてもよく似た絵だったから」

 相槌を打ちながら、尋人はぐるぐると思い巡らせる。もしかしたらこの絵の中に、彼女の記憶が戻るきっかけが隠れているかもしれない。過去のあおいに、何かしらの強い影響を与えた可能性が高いからだ。尤も今は、それがいったい何だったのかは全く想像できないが。

 尋人はもう一ヶ所の付箋のページを開いた。現れた絵は『白馬の森』というタイトルで、その名のとおり、一匹の白い馬が鬱蒼とした森に佇んでいる幻想的な一枚だ。

「この絵に何か見覚えは? 心当たりとか、感じることとか」

 あおいは首を横に振る。

「分からないの。付箋が貼ってあるから見たんだけど、何も分からなくて」

 一冊の中でこの二ヶ所にだけ付箋があるのは、あおいのお気に入りだったからと思うのが自然だろう。もしくは他の絵にはない、特別気を惹く何かがこの二枚にあったからか。尋人はそんなことを考えながら、『白馬の森』に添えられた短い詩に目を向けた。

「『心の奥にある森は 誰も窺い知ることはできない』……」

 尋人の低く小さな呟きで、その詩をもう一度口にしてみる。

「心の奥にある森……」

 そのフレーズに、心のどこかが僅かだけざわりと波立った気がした。その感触は一瞬で霧散してしまい、意味を掴み損ねた尋人はさらに難しい顔になる。

 あおいが気遣わしげに尋人を見ている。その視線に気付き、尋人は取り成すように笑ってみせた。

「それでね、最後のページを見てほしいの」

 尋人は言われたとおりに最後のページを開く。そして思わず目を瞠った。

「これは……」

 そこには直筆でメッセージが書かれていた。汚れすらない余白のページに、濃い黒の油性マジックが褪せずにくっきり残っている。

「『我が愛しき娘 あおいへ』……。って」

 尋人は驚愕の表情であおいを見た。

「……多分、あたしに宛てた、両親からのメッセージだと思う」

「あおい、君の両親の名前は?」

「父は水島総一朗。母は永利子といって、あたしが生まれてすぐに病気で亡くなったと教えてもらった」

 油性ペンで書かれた名前は武彦とかおり。彼女が答えたどちらにも当てはまらない。

「ということは」

 消え入るように途切れた言葉の先を、あおいが確かな響きで継いだ。

「あたしは水島総一朗の実の娘じゃない。他に、あたしを産んだ実の親がいるんだわ。この武彦とかおりって人が、きっとそうだと思うの」

 尋人はしばらく絶句した。確かにあおいの過去は謎めいていて、記憶がないために不明な点も未だ多い。だが、その出生まで疑ったことはなかった。信じていたというのとは少し違う。単にそこまで考えを巡らせたことがなかったのだ。

 尋人は呆然とメッセージを見ていたが、

「この、武彦とかおりって人に心当たりは? 親戚とか父親の知り合いとかで、この名前を耳にしたことはない?」

 あおいは無言で頭を振る。尋人はもう一度、余白に書かれたメッセージに目を落とした。

 この文字だけでは、武彦とかおりなる人物が誰なのかを突き止めることはまずできない。他のページにも目を通してみたが、書き込みがあるのは最後のページだけだった。

「きっとあたしか他の誰かが、誰にも気付かれたくなくて、段ボールに隠したんだわ。怪しまれないよう、ブックカバーまでつけて。この部屋に段ボールが運ばれた時、あたしはまだ眠っていたと思う。その間ずっと、これは誰にも触られることなく空き部屋に放置されていた。だから今まで、この本の存在に気付かなかったのよ」

 彼女が言わんとしていることを、尋人は正確に読み取った。

「このメッセージは君に、今の親とは別に、実の両親がいることを示している。それはきっと、おいそれと知られてはいけない秘密。隠すようなしまい方をしたのは、この本の存在を、誰にも気付かれたくなかったから……」

 そう口にしてみるが、尋人は内心ですぐに否定する。本の存在を知られたくないなら、気付かれる前に捨ててしまえばいい。あえてそれをせずに、ブックカバーだけかけて残したのは、見つかっても一向に構わないからではないか。しかも第三者の元に隠すのではなく、あおい本人の荷物に紛れ込ませるというのは、まるで彼女に、いつかこの本に気付いてほしいと言っているのと同じだ。

「引越しの荷造りをしたのは誰だ? 分かるか?」

「分からない。あたしかもしれないし、他の誰かかも……」

 その言葉を聞いて、尋人の脳裏に真っ先に浮かんだのは垣内亮太だった。あおいと同じ境遇で育ち、記憶を失くす前の彼女の最も近くにいた人物。彼がこの本の存在を既に知っていて、あおいが気付くようわざと荷物に忍ばせたのかもしれない。ありえない話ではないだろうが、そうする意味や狙いが尋人には皆目見当がつかない。

 渋面のまま黙り込む尋人を見ていたあおいは、やがて伏目がちにゆっくりと語り出す。

「あたしね、この本を見つけた時、本当に驚いた。すごく動揺した。でもね、悲しくはなかったの。むしろ、ほっとしたんだ」

「ほっとした……?」

 あおいはほんの少し自嘲的に笑うと、

「あたしは父の娘じゃなかった。本当の意味での《ヴィア》の娘じゃなかった。そう思えたことが、むしろ嬉しかったの。だって、今までどうしても、父が本当の親だとは思えなかったから。言われても実感が湧かなかったし、言葉を交わしても何も感じなかった。親だとか、父だとか……」

 あおいは小さく俯いた。尋人は少し戸惑ったが、よくよく考えてみるとそれは確かにそうかもしれない。親が実の子供に人殺しを強いるのは常識的に信じがたい。社会的にも到底許されないはずだ。非道を強いられる子供としても、そんな人間を親とは思いたくないだろう。それは人間として当然の感情だ。

 しかし、その血縁関係が覆されたのを踏まえて考えると、それは血の繋がりがないからこそできた所業だったのかもしれない。自身の子ではないから罪悪感もなく、良心を痛めず非情な教育を課すことができたのだろう。

 そう思い至った尋人の顔つきが、いつになく物騒で険しいものになる。

 水島総一朗が心底憎くなったのだ。あおいを取り巻く出来事の元凶が、全て彼にある気がしてならない。あおいの両親が他にいてもいなくても、尋人は水島総一朗を許せない。許せるわけがないと強く思った。

「なあ、あおい。水島総一朗は連絡してきたりしてるのか? 暗殺者の仕事をしろとか、実家に帰ってこいとか」

「ううん、何も」

 尋人はほっと息をつくが、すぐに顔を引き締め直して、

「何かあったらすぐ言えよ。帰ってこいって言われても帰っちゃだめだ。人を殺せって言われた時は、すぐ俺か姉さんに連絡するんだ。絶対に一人で抱え込んじゃだめだぞ。もし何かあった時は、俺が絶対にあおいを守るから」

 十二月の雪夜の出来事が脳裏に蘇る。銃弾を受けて血塗れになり、息も絶え絶えに生死の境を彷徨っていたあおいの姿を、尋人は一生忘れられない。

 もう二度と、彼女があんな傷を負わずに済むように。その心が、非情に追い詰められることのないように。

 守ると決めた。あおいがくれた思いに報いるためにも、今度こそ自分の力で彼女を守る。

 尋人の言葉に、あおいは真剣な眼差しでしっかり頷いた。尋人はほっと頬を緩めて、

「この本、ちょっと預かってもいい? 姉さんに頼んで調べてもらおう。俺たちには分からなくても、姉さんなら何か突き止めてくれるかもしれない」

「うん、お願い。ありがとう」

 あおいから受け取った本を、尋人は持ってきたバッグに丁寧にしまう。

「できるだけ早いほうがいいよな。今から姉さんの事務所に行ってくるよ。何かまた気付いたことがあったら連絡してくれ」

「分かった」

 あおいの過去に関わる重大な話だ。記憶を取り戻すきっかけになる可能性も高い。調べが早いに越したことはないだろう。

 尋人は温くなった紅茶をくいと飲み干す。何気なく壁に目を向けた時、リビングがオレンジ色に染まりつつあるのに気が付いた。時間の感覚を忘れていた尋人は、初めて腕時計に目を落とす。

「驚いた。もう夕方なんだな」

 窓の外を見ると、大きな夕陽が西の彼方へ沈みゆくところだった。混ざり気のない橙の濃さに、尋人は内心でやや圧倒される。まるで絵画かポートレートみたいだ。

 言葉を失くして魅入っていた尋人は、あおいがベランダへ出ていったことに一拍遅れて気が付いた。慌ててその後を追うと、手すりを握る彼女の隣に並ぶ。

 外に出ると、夕陽はさらなる眩しさで網膜に映った。さざ波のようにたなびく雲も、遥か遠くへ飛び去っていく烏の軌跡も全て、この鮮やかすぎる橙をより際立たせるための飾りにすぎない。そう思えてしまうほど、今日の夕暮れはいつにも増して美しかった。

 ベランダの手すりを握るあおいは、濃く鮮やかな夕陽に魅入ったままぽつりと呟く。

「すごい色……」

「そうだな、まさに夕焼けって感じ。ここまで濃いのも珍しいな。これだと明日も晴れるよ、きっと」

 尋人がそう笑いかけると、あおいは淡く微笑み返してくれた。だがすぐに、オレンジの陰影に象られたその表情が翳る。僅かに伏せられた睫毛に、冷気を孕んだ風が微かに触れるのを見て、尋人は理由もなく胸の中がざわついた。

 無意識に生まれた何かに突き動かされて、尋人は手すりに置かれたあおいの手をぎゅっと握る。あおいが少し驚いた顔で尋人を見た。

「……何か、不安そうにしてたから」

 尋人は照れくささに視線を逸らし、沈みゆく夕陽にもう一度目をやった。風がひゅるりと掠れた音で吹き抜ける。少しの沈黙が漂った後、あおいがふっと小さく笑った。

「見抜かれちゃった」

 悪戯っぽく呟かれた言葉を、尋人は危うく聞き逃してしまうところだった。

「夕陽を見るとね、少しだけ……ほんの少しだけ、不安になるの。あの時の気持ちを思い出してしまうから」

「あの時の気持ち……?」

 あおいは夕陽に視線を戻す。その瞳は鮮やかな楕円の中心に据えられ、しばらく揺らぎもしなかった。広大な空を染める橙の光は、刻一刻と確実にその色合いを変えていく。

「ずっと前にね、二年前に飛び下りた公園へ行ってきたの、一人で。町外れにある、寂れた場所だった。小高い丘の上にあって、人気もなくて、ひっそりとしていて」

 あおいは夕陽に魅入ったまま、瞬きもせずに言葉を紡ぐ。

「あの日も、今日みたいな夕焼けだった。息を呑むぐらい濃いオレンジが、町も空も何もかもを染めて、そのまま引き連れるように沈んでいく……。公園からは、町が遠くまで一望できたわ。まるで、夕陽が景色全部を呑んでいくようだった」

 太い絵筆で何度も重ね塗りしたような空の色が、遠くのほうから徐々に薄くなっていく。人知れず、蒼い夜が静かに忍び寄ってきているのだ。

「その景色を見て、思った。二年前のあたしもきっと、同じ景色を見たんだろうなって。何となくだけど、どうしてあの公園を死に場所にしたのか……分かった気がしたの」

「……どうして?」

 尋人が静かに問うてみると、あおいの眼差しが細く遠いものになった。

「多分あたしは……二年前のあたしは、そこに墜ちていきたかったんだと思う。まんまるの夕焼けがとても鮮やかで、泣きたくなるほど綺麗で……何もかも包み込んでくれるように、優しい色をしていたから。あたしはきっと、その色の中へ墜ちて、夕陽と一緒に消えてしまいたかったんだ」

 空を翔る二羽の烏が、高い声で何度か鳴く。尋人はその軌跡を目で追おうとしたが、点描より細かな黒は、既に黄昏の空のどこにもなかった。

「記憶として思い出したわけじゃないの。ただ、ずっと前にあの公園を訪れて、そこでものすごく綺麗な夕陽を見た時、ああなるほど、そうだったのかって、感じるものがあったんだ」

「オレンジの空に、墜ちて消えてしまいたかった……」

 あおいは僅かに頷き、やがて繕うように笑った。

「本当はね、分かってるの。そんなことしたって、どうにもならないって。死ぬことで罪が消えるとは思わない。死んだら許されるなんて思ってない。……だけど、二年前のあたしはきっと、そうでもしないとだめだったんじゃないかな。逃げだと頭で分かっていても、許されるわけないって知っていても、残された選択肢はきっと、それしかなかったんだ」

「それだけ追い詰められてたってことかな。死にたくなるくらい。墜ちてしまいたくなるくらい……」

 あおいは目を伏せて沈黙した。その横顔を見つめながら、尋人は思いを巡らせる。

 自分には想像もつかない苦しみを、過去のあおいはずっと抱えていたのかもしれない。この夕陽に匹敵するだけの質量を持った何か。息さえできないほどの圧迫感と、感覚すら麻痺してしまうような、全てを超越した苦しみ。それはきっと、彼女の小さな体では耐え切れない重さだったのだろう。そして、それに気付いてくれた人間は恐らく、周囲には誰一人としていなかった。

「……だから死のうとしたのかな。夕焼けに墜ちてもいいと思うくらい、苦しかったから」

「分からない。今となってはもう、当時の君の気持ちを知る人はいない。二年前の夏の夕暮れ、君はその公園から飛び下りて、生まれてからそれまでの記憶を全部失った。……きっと投げ捨てたんだ。夕陽の底に、二度と還ってこないように」

 その時のあおいの感情を、尋人は静かに想像してみる。彼女は全てを捨ててしまいたかったのだ。苦しみや悲しみ、痛みやあらゆる感情を何もかも捨て去って、解き放たれたいと願ったのだろう。

 だが、そうして実行された身投げは、果たしてあおいを救ったのだろうか。どれだけ考え込んでみても、尋人は結局それらしい答えを見出せなかった。

「でも、あたしは生き残った。記憶を全部手放してもただ一つ、命だけはこの体に残った。……何でなのかな」

 その悲しげな微笑を見て、尋人はどすりと胸を衝かれた気がした。何か言わなくてはならない。今すぐ持てる語彙力の全てを駆使して、彼女の心を満たすだけの言葉を紡がなければ。そう強く思って焦ったが、かける言葉は脳裏に一つも浮かんでこなかった。

 尋人は打ちのめされる。彼女の小さな手をただ握ることしかできない己がひどく不甲斐ない。そうして途方に暮れているうちに、夕刻の空を染めていた眩しい太陽は沈みきり、代わりに青い宵闇がすぐそこまで迫ってきていた。

「ねえ尋人」

 あてもなく空を見ていた尋人は、我に返ってあおいを見返す。

「もし記憶を取り戻すことができた時、あたしはあたしのままでいられるのかな」

 その言葉の真意を、尋人は一瞬量りかねた。

「どういう意味……?」

 あおいは橙が遠のく空に視線を投げたまま、

「何も思い出せないの。過去の出来事、昔の記憶……過去のあたしのこと全部。誰かにこうだったんだよって教えられても、まるで他人の人生話を聞かされているようで、記憶として、形として何も思い出せない。実感がないし、何も分からない。それが時々、すごく怖い。ここにいるのに、ここに立っていないようで、不安で不安でたまらなくなる」

 そう語るあおいの横顔は、日没後の空とは違う色で翳っていた。短く癖のない髪が、ほんの少しさらさらと風に遊ばれる。

「でもね、心の奥のどこかで実は、それにほっとしてるあたしもいるの。過去の痛みを覚えてないから、過去の苦しみを苦しみとして捉えられないから、心をずっと保っていられる。平衡なまま、揺れることも、崩れることもなく。……でもそれが、本当はすごくもどかしい」

 あおいの声音が徐々に小さくなっていく。尋人は彼女にかけるべき言葉を必死に探した。励ますべきか、笑い飛ばすべきか。ただ相槌を打ち続けて、一緒に悩むべきか。

 しかしどの選択肢も、彼女のためにと編み出されたように見えて、実は何の意味も持たないただの飾りだということに、尋人は既に気付いている。。あおいが求めているのはきっと、そんな見え透いた優しさではない。彼女は単に救ってほしいという思いだけで、尋人に打ち明けているわけではないのだ。

 それを分かっているからこそ、尋人はどうすべきか余計に迷う。

「あたしはいつまで、このままなんだろう。いつまで、何も見えない空っぽにいるんだろう。あたしがあたしを取り戻せる時は来るのかな。いつか全てが……否が応でも全てを思い出す時が来るのかな。だとしたら、それはいったいいつなんだろう」

 最後の言葉が、突然吹き抜けた風の音に掻き消された。二人の間に流れる空気を、色のない沈黙が満たしていく。尋人は茜と藍が混ざった空を、ただ何も言わずに見つめていた。風の冷たさが一秒ごとに変化していき、街の灯りが黒を背景とした点描画のように浮かび上がる。

 二人はただ言葉もなく、刻一刻と移り変わる空を眺めていた。

「……でも、あおいはここにいるよ」

 伏せられていた睫毛が僅かに上向き、あおいの瞳が尋人を映した。

「ちゃんと俺の隣にいて、今こうして一緒に街を眺めてる。手を伸ばせばすぐ届くところにあおいはいるよ」

 いくら思い巡らせてみても、尋人が現実でできることは圧倒的に少ない。痛みや苦しみは本人だけが感じるもので、他人には計り知れない部分のほうが多い。触れ合うぐらい近くにいても、相手の全てを理解しているなんて絵空事だ。だから、言える言葉は結局一つしかなかった。

「あおいはあおいだ。たとえ過去に何があったとしても、これから先何が起こるとしても変わらない。あおいはちゃんとここにいて、俺はすぐ傍でそれを見ている」

 あおいは言葉も忘れて目を瞠る。尋人は彼女に笑いかけ、しっかりと強く頷いてみせた。

「そう、なのかな……」

「そうだよ。あおいはあおいだ」

 頷くことを迷うあおいに、尋人ははっきりと断言する。あおいはやがて、その言葉を噛み締めるように目を瞑り、薄桃色をした唇に淡い微笑を灯した。

「……前も、言ってくれたよね」

「え?」

「初めて会った時。あの時も、尋人は同じ言葉をくれた。あたしはあたしだって」

 きょとんとする尋人に、あおいは憂いの過ぎ去った頬で柔らかに笑う。

「あの時のこと、今でも覚えてるよ。あたし、尋人の言葉にものすごく救われたんだ。自分のことを覚えてなくて、自分も周りも分からなくて途方に暮れてた時、尋人は会ったばかりだったのに話を聞いてくれて、優しい言葉をくれたよね」

 その時のことを思い起こしているのか、あおいははにかみながら目を細め、

「嬉しかった、泣きたくなるくらい。それで、すごくほっとした。それまでずっと何もない空間に、ただ一人で浮かんでいたのに、掴まれるだけの寄る辺ができた気がして。……すごく嬉しかった。救われたんだ」

 そう言って、あおいはふわりと尋人を見つめる。

「ありがとう」

 たった五文字のありふれた言葉が、尋人の胸にじわりと熱く沁みてくる。初めて味わう感覚に戸惑って、すぐに言葉が返せなかった。

「尋人がいてくれて、よかった。傍にいてくれて、ほんと……」

 あおいは瞳を潤ませて言葉を止めた。尋人はその身をぐいと引き寄せ、ありったけの力で抱き締める。

「……それは俺の台詞だ」

 あおいが尋人の背中に手を回し、その胸に深く顔を埋めた。互いの温もりが伝わり合うのを感じながら、言葉にならない気持ちで息が詰まりそうになる。

 あおいを離したくない。ずっと、傍で守り続けたい。尋人はそう強く思った。

 夜が濃くなっていく様には目もくれず、二人はしばらく風の中で一つの影を描いていた。胸を熱く静かに満たした気持ちは、どうしたって最後まで声には乗らなかった。



 古川美弥から私用の携帯に連絡が入ったのは、デスクで報告書作りに追われている時だった。メールの内容は、尋人が夕方六時半過ぎにあおいのマンションを出たというものだった。

 健人は「了解」と打ち込んで返信すると、完成した報告書を上司の机にばさりと置き、当直や残業やで残っている同僚たちに声をかけてさっさと職場を後にした。

 煙草を吹かしながら車に乗り込み、直帰はせずにF野町へ向かう。腕時計は夜八時前を指していた。健人はカーナビを使わず土地勘と記憶を頼りに、水島あおいが住むマンションへ車を走らせた。

 今夜彼女を訪ねることは、あらかじめ佐知子には伝えてある。そして同時に、顔馴染みである古川美弥に、今日の水島あおいの動きを教えてほしいと頼んでいた。そうやって念には念を入れたのは、尋人に勘付かれないためである。健人は尋人抜きであおいと会ってみたかった。

 駅前のコインパーキングに車を止め、健人はあおいが暮らすマンションに足を踏み入れた。程よく洒落た外観をした、それなりの規模の建物だ。一介のサラリーマンが何かしらの契機にローンを組んで買う類のマンションで、十代の少女が一人で暮らすには不釣合いな印象を自然を抱く。これも偏に、彼女の育ちのよさから来るのだろう。水島あおいは水島コーポレーションの令嬢だ。有名企業を経営する親が金を払っていると思えば、高校生の一人住まいがやたらと豪華そうなマンションでも何ら不思議はない。

 健人はエレベーターで六階まで上がり、あおいの部屋のインターホンを押した。数十秒の間を置いて、スピーカー越しに応答が聞こえた。

〈……どちら様ですか〉

 か細く澄んだ少女の声だった。突然の来訪者を訝しむというより、純粋な疑問として尋ねている響きに受け取れた。

「夜分に失礼。水島あおいさんの部屋で間違いないかな?」

〈……どちら様ですか〉

 先程と変わらない声音に、僅かに怪訝の色が混ざる。

「杉原健人といいます。君がよく知る杉原尋人の兄と言えば分かるかな」

〈尋人の、お兄さん……ですか〉

 思いもかけないことだったのか、か細い声は驚愕そのものだった。健人は僅かに苦笑する。感情の機微が意外に分かりやすい。口数が少なく、表情も変化に乏しいと聞いていたから、何かと扱いづらそうなタイプを想像していたのだが。

「一度、君とちゃんと話がしたいと思ってね。アポなしで恐縮だが、こちらから訪ねさせてもらった。俺の素性を怪しんでいると言うなら、身分証明を提示してもいい。このインターホン、カメラはついてるだろう?」

 健人は努めて穏やかに告げる。暗に警察手帳を見せようかと含ませたのだ。彼女はそれをきちんと察したらしく、

〈いえ、大丈夫です。今開けます。ちょっと待ってください〉

 かちゃりと受話器を直す音が聞こえ、インターホンが沈黙したかと思うと、すぐに玄関の扉ががちゃりと開いた。小柄で髪の短い少女が顔を出し、ぺこりと頭を下げて健人を迎え入れる。

 水島あおい。事前に写真を見てはいたが、随分と華奢な娘だ。

「どうぞ。散らかってますけど、すみません」

 健人は短く礼を言って中に入る。靴を脱いで上がると、あおいがリビングまで導いてくれた。

「そこのソファにどうぞ。今、何か淹れます」

「ああ、お構いなく」

 決まり文句のように返すと、彼女はぶるぶると首を振ってキッチンに飛んでいく。健人は脱いだコートをソファの背凭れに掛けて腰を下ろした。すると、横で小さな鳴き声が聞こえた気がしてそちらを見る。ソファの端にいた仔猫が、健人をじっと見つめていた。彼女以外にも住人がいたとは。健人は少し意表を突かれた気持ちで仔猫を見返した。

「猫を飼っているのか」

「はい。すみません。猫、嫌いですか?」

「いや、動物には慣れている。家でも犬を飼ってるんでね。この猫はペットショップで?」

「いえ、捨て猫だったんです。雨の中、段ボールに入れられてるのを見つけて」

 仔猫は健人に興味を抱いたのか、てとてとと擦り寄ってきて、伸ばした指にくんくんと鼻を近付ける。そして、それだけで気を許したのか、すぐに手にじゃれついてきた。驚くほど人懐っこい仔猫だ。今日初めてこの部屋を訪れた健人を全く警戒していない。

 仔猫に指を差し出したまま、健人は周囲をさりげなく見渡す。あおいの人柄を表すような、質素で落ち着きある印象のリビングだ。装飾は控えめで、ぬいぐるみが山ほどある妹の雪花の部屋と違って、最低限の家具しか置かれていない。

「随分と広い部屋に住んでいるんだな。見たところ、このマンションは賃貸ではなく分譲だろう。資金は誰が?」

「父が払ってくれている、と聞いています」

「聞いている? 誰に」

「執事の人です」

「いくらぐらいなんだろうなあ。君みたいな十代の女の子が一人で使うにしては豪華すぎるきらいがある。この部屋を希望したのは君か?」

 あおいはしばし沈黙した。そして、二つのマグカップを手にこちらへ来ながら、

「……分かりません。覚えて、いないもので」

「こんなに広いと、君一人と猫一匹じゃ持て余すだろう」

「はい。でも、だいぶ慣れました」

 あおいは伏目がちに呟くと、マグカップをガラステーブルにそっと置いた。

「これ、どうぞ」

 健人は礼を言って、一口だけ飲んでみる。ストレートの紅茶だった。フレーバーティーだと思うが、ブラックコーヒー派の健人にはよく分からない。仔猫は健人から離れて一度伸びをすると、ソファの端のブランケットへ戻っていく。そこが寝床であり、お気に入りの定位置でもあるのだろう。もごもごとブランケットに潜り込むと、くるんと丸まって動かなくなる。

 健人はマグカップを置くと、本題に入ることにした。

「こうして会うのは初めてだな。俺について、尋人からどれぐらい聞いている?」

 一人掛けソファに腰掛けたあおいは、マグカップを両手で包むように持ちながら、

「……十歳上の、刑事さんをしているお兄さんだと」

「そうか。なら話は早い。自己紹介の手間は省けるな」

 あおいは翳のある表情で目を伏せている。健人を拒絶しているわけではないが、恐れているのは見てすぐに分かった。健人は足を組んで胸を反らし、あえて威圧的に見える態度であおいを見据える。

「話は佐知子に聞かせてもらった。君が《ヴィア》の娘であることも、暗殺者として過去に何人も手にかけてきたことも」

「……《ヴィア》を知っているんですか?」

 あおいはつぶらな瞳をぱちくりさせる。

「ああ。仕事柄、よく知っている」

「《ヴィア》を追っているんですか?」

「悪いが仕事に関する話はできない。守秘義務というやつでね、仕事内容や捜査状況を第三者に話してはいけない決まりがあるんだ」

 穏やかな口調に突き放す響きを含めて告げる。それ以上の質問には答えられないという意思表示だったが、あおいはちゃんと察してくれたらしく、納得したように小さく頷いた。

 何気ない言葉に隠された意図を、きちんと汲み取ることができる。想像していた以上に物分かりのいい娘だ。言葉の裏の裏をかく駆け引きに慣れているのか、それとも生来の賢さゆえか。いずれにしろ、十七歳でそれを身に着けているのは感心だ。世の中には会話術も含め、物分かりの悪い大人が意外に多いというのに。

「記憶喪失の話も聞いた。無粋なことを訊くが、どこまで忘れているんだ?」

「……生まれた時から目覚めるまでの間、です。目覚めたのは去年の夏で、気が付いたらこの部屋にいました。それ以外、何も分かりません。目が覚めた時は、その日の日付はおろか、自分の名前すら分からなかったぐらいでした」

「以来、過去の記憶は思い出していない?」

「はい。……何一つ」

「どんな些細なことでもいいんだが」

 あおいは力なく頭を振った。

「覚えていないんです。本当に、何も……」

 短い沈黙が下りる。彼女は今にも泣き出しそうなほど沈鬱な表情をしていたが、健人はあえて口調を緩めることはしなかった。

「では、過去に暗殺者として《ヴィア》に従事していた記憶も欠落しているんだな。罪の意識そのものが無に近いわけだ。じゃあ質問を変えよう。記憶が戻ってから、いったい何人の人間を殺した?」

 あおいが息を呑んで凍りつく。健人は容赦のなく畳み掛けた。

「分からないなら、大体の数でもいい。それとも、数えるのも忘れるくらい殺したか?」

 あおいは黙り込んでしまう。健人は彼女が口を開くのを待つことにした。実に長い沈黙が流れた後、

「……健人さんが、今日ここに来たのは」

 マグカップをテーブルに置いたあおいが、わななく唇で問うてきた。

「あたしを、捕まえるためですか?」

 まっすぐ向けられた瞳は激しく揺れ、潤んでいるようにも見えた。しかし、決して涙は零れない。健人はあえて上から見るような笑みを浮かべ、

「だとしたら?」

 あおいはたちまち押し黙る。

「確かに俺は県警捜査一課に勤める刑事だ。何の令状もないとはいえ、たとえばこの部屋のどこかを、君の許可を得た後に探すとしよう。それで拳銃でも出てきたら、俺は君を銃刀法違反で現行犯逮捕することができる。殺人にしても同義だ。家宅捜索令状や逮捕状がなくとも、君がこの場で数々の犯行を認めた場合、その両手に手錠を掛けて連行することも可能だ」

「……それは、だめです」

 表情を強張らせたあおいは、消え入りそうな声で確かにそう呟いた。

「なぜ?」

 あおいは僅かに視線を泳がせるが、

「……やらなきゃいけないことがあるから、です。それが終わるまであたしは、捕まるわけにはいきません」

「ほう」

 あおいは小さな肩をびくりと震わせるが、まっすぐに健人を見つめて言葉を紡ぐ。

「あたしの罪は認めます。あたしは今まで、たくさんの人を殺してきました。それが悪いことだっていうのも分かっています。記憶がないから、強制されたから……《ヴィア》の娘だからって言い訳する気はありません。時が来たら、然るべき形で罰を受けます。一生かけて償えるかどうか分からないけど、一生向き合っていかなきゃと思っています。……だけど、それは今じゃありません」

 健人は刃の眼差しであおいを見据える。

「あたしは《ヴィア》を潰します。暗殺者じゃなく、一人の人間として生きるために、《ヴィア》を潰して父と決別します。そのために、やらなきゃいけないことがあります。いろんな人と、決着をつけなくちゃいけない。あたしはあたしを、取り戻さなきゃいけない。……それが終わるまで、捕まるわけにはいきません」

 自分の言葉で一生懸命語ろうとするあおいに、先程までの沈鬱な翳はなかった。健人の反応を窺うように怯えながらも、目を逸らすことはせずにはっきりと続ける。

「生意気だって分かってます。自分に都合のいいことばかり言ってると言われても、否定はしません。……でも、今はどうしてもだめなんです」

 何も言わずに耳を傾けていた健人は、静かな響きで問い返す。

「《ヴィア》を潰す。簡単に口にはするが、果たして君一人でできることかな?」

 健人の言葉を、あおいは何も言わずに受け止める。

「君も知っているだろう。《ヴィア》には警察も手を焼いている。過去に《ヴィア》に関わって死んだ者がいるくらいだ。県民の安全を守ると謳う警察ですら、好き好んで手出ししようとしない。君みたいな少女が一人で立ち向かって、どうにかなる相手だと本気で思っているのか?」

 あおいは何か言おうと口を開きかけるが、健人はそれを眼光で制して畳み掛けた。

「大方、佐知子が手を貸すと言ってきているんだろう。だが、それで何がどうなる。《ヴィア》を潰したい。その決意は見上げたものかもしれないが、巻き込まれる人間のことも考えるべきじゃないのか? 君個人の事情や何やらが、尋人だけでなく俺たちにまで及んできている。先日うちの雪花が暴漢に襲われたが、それもよく聞くと《ヴィア》の差し金だったそうじゃないか」

「すみません……」

 あおいは苦しげに深々と頭を下げる。しかし健人はそれをあえて突き放して、

「それらを全て承知した上で、君は《ヴィア》を潰すと言うのか?」

「……はい」

「たとえ犠牲が出ることになっても?」

「《ヴィア》には誰も殺させません。誰も死なせない。あたしが絶対に、守ります」

 あおいはきっぱりと言い切った。その迷いのなさに、健人は彼女の誠意と本気を感じ取った。その場凌ぎの方便とは、緊迫感や重みが明らかに違う。

 健人は一つ息を吐いて相好を崩した。態度が急に軟化したことに、あおいは目をぱちぱちさせて驚いている。

「君の言いたいことはよく分かった。君の意志も、その覚悟も」

 そう言って、健人は紅茶を一口啜る。

「言っただろう、全て佐知子から聞いていると。だから一度ちゃんと会って、確かめておきたかったんだ。君の決意がいかほどのものなのか。そして、自らの罪を今後どう背負っていくつもりなのか」

「あたしの言葉を、信じてくれるんですか……?」

「信じる信じないは立場上即答できないが、少なくとも嘘はついていないと分かった。十分な収穫だ。俺は仕事柄、言葉の真偽くらいは目を瞑っていても見抜ける自負がある。君が俺の物差しをすり抜けて嘘をつき通していたら、それはそれである意味素晴らしいが」

「あたしを逮捕しに来たんじゃなかったんですか……?」

「初めからそのつもりなら、何が何でも令状をぶん取ってからここへ来るさ。今日俺は君に手帳を見せなかったし、インターホンで警察の者だとも名乗らなかった。俺がここに来たのは、あくまで個人の事情からだ」

「警察はあたしのことを……」

「残念ながら、まだ把握していない。俺が君のことを知ったきっかけは二つ。一つは雪花が襲われた一件だ。あの時に佐知子から無理やり名前を聞き出し、君に関する調査資料を全部見せろと命じた。二つは八月末の雨の夜の事件だ。覚えているか?」

 あおいは少し黙り込んでから無言で小さく頷く。

「俺はあの事件に疑問を感じ、佐知子に極秘で調査を依頼した。あいつは請け負ってくれたはいいが、何かにつけて報告をはぐらかし続けたんで、今の今まではっきりしなかったんだ。まさかこんな形で一本の線に繋がるとは思っていなかったが」

「すみません……」

「何がだ」

 あおいはまた黙り込む。健人は軽く笑い飛ばすと、

「まあ、それだけ反省の色があればいい。君は責められずとも、もう充分に罪の意識を自覚している。それさえ忘れなければ、俺はこれ以上何も言わない。ただ、一つ訊いてもいいか?」

 あおいが健人に眼差しを向ける。

「君にそこまで言わせるものというのは、やっぱり尋人か?」

 尋人の名前を出されて、あおいの表情がぴくりと動く。だが、やがてこくりと頷いた。

「尋人は……あたしの心の支え、です。尋人がいてくれなかったらきっと、今のあたしはいません。尋人はあたしを信じてくれる。あたしを守ってくれる。だからあたしは、その気持ちに応えたいんです」

 あおいは恥じらいや照れを全く見せずにそう語った。言葉の一つ一つを大事そうにしながら、あまりに素面で淀みなく言うものだから、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいだ。健人はそんな心の内をおくびにも出さずに、

「先程はああ言ったが、最後にもう一つだけ訊いておこう」

 あおいの表情が引き締まる。

「全てが終わった後、俺に手錠を掛けられる覚悟はあるか?」

 あおいは一瞬息を止めて目を瞠るが、やがてこくりと明確に頷いた。

「はい」

「ならいい。その言葉を忘れるなよ」

 健人は仕事用の名刺を懐から一枚取り出して、

「俺の連絡先だ。何かあったらいつでもかけてくるといい」

 あおいはぺこりと頭を下げて受け取ると、立ち上がってチェストにそっとしまう。健人はマグカップの紅茶を飲み干すと、

「さて、そろそろお暇しようか。こんな時間に長居してすまなかったな」

 コートと鞄を手に玄関へ向かうと、あおいが慌てて追いかけてくる。健人は靴を履きながら、

「今日のことは、悪いが尋人には内密にしておいてくれるか。時機を見て俺から話すから」

「はい」

「君の口ぶりからすると、恐らく尋人は《ヴィア》云々のことを、詳しくは知らないんだろう?」

 そう訊くと、あおいの表情が翳った。

「あたしからは、あまり言ってないです。隠し事はしたくないけど、どうしても言えなくて……」

「それでいい。わざわざ明かす必要はない。世の中には、言わないほうがうまくいくこともあるんだ」

 健人がにやりと笑ってみせると、あおいは一瞬驚いた顔になる。そして気まずそうに視線を落として、

「あの……雪花は、元気にしていますか?」

「ああ。相も変わらず、元気すぎるぐらいだ」

「あの時は本当に、すみませんでした。巻き込んでしまって、謝りにも行けなくて……」

 あおいは深々と頭を下げる。健人は若干面食らったが、

「いいんだ。あいつは無事だった。怪我ももう治ったし、君が気に病むことはない」

 二度目があったら承知しないぞとは、理性が働いたので口からは出さなかった。健人は今にも泣き出しそうなあおいの肩をぽんと叩き、

「君の気持ちは伝わった。俺はもう、君についてとやかく言う気はない。だが、今日俺に言った言葉を決して忘れるなよ」

「はい。ありがとうございます」

 あおいはもう一度深々と頭を下げた。健人は玄関のドアノブを回そうとするが、その手を一瞬止めてあおいを振り返る。

「自分、取り戻せるといいな」

「え……?」

 きょとんとしたあおいに、健人は穏やかに語りかける。

「失くしたもの。記憶。自分。……いつか取り戻せることを、願っているよ」

 その言葉に、あおいは堪えきれずに涙を零した後、柔らかな微笑で頷いた。健人は頷き返すと、今度こそドアノブを回して扉を開けた。

「じゃあ」

 閉まるドアの隙間から、あおいが頭を下げている姿が見える。かちゃんとドアが閉まったのを見ると、健人はエレベーターに向かって歩き出した。

 彼女の態度や話の展開次第では、刑事としての強硬手段に出ることも辞さないつもりでいた。人殺しは許さない。どんな罪も罪として平等に法の下で裁かれ、然るべき罰を受けるべきだというのが健人の持論だ。たとえ佐知子が後で何を言ってこようと、健人は刑事としてのプライドを貫き通す決意でいた。

 しかし、実際にあおいと会って言葉を交わし、その心をじかに見た時、そうする必要はないらしいと自然に分かった。もしあの場に同僚がいたなら、その判断は甘すぎると責めてくるだろう。だが健人ははっきりと、今はその時ではないのだと感じた。

 これから先、あおいはどんな形であれ《ヴィア》を潰すだろう。そして、全てが終われば出頭してくる。彼女には罪を背負う覚悟も、償っていく決意もある。ついでに言えば、罪とともに生きていく自分をしっかりと持っている。それだけ分かれば充分だった。刑事としては手緩いことこの上ないが、三人の兄妹を持つ兄としてはそれで満足している。

「あとはあの子がどう出るかだな」

 健人はエレベーターの中でひとりごちる。

「いや、その時に俺がどうするか……でもあるな」

 その時までに自分が成すべきことは山ほどある。難題の一つをクリアした今、明日からは何の迷いもなくそちらに全神経を向けられる。

 マンションの外に出た健人は、あおいと会っている間は控えていた煙草に火を点け、深々とうまそうに吸い込んだ。



 果てしなく深い宵闇の中で、竹田は携帯電話に主からの着信を受けた。

〈いったいいつまで待たせる気だ、竹田〉

 地を這うような声で凄む水島総一朗に、竹田は怯むことなく応じてみせる。

「といいますと」

〈森上の件だ。いつまで待たせる気だ。このままうやむやにして終わらせるつもりか〉

「旦那様が申される期日までには遂行いたしましょう」

〈今すぐではないのか〉

「お気持ちは尤もですが、あおいお嬢様の胸中をお察しするに──」

〈あおいなど構わん。四日だ。四日の猶予をやる。その間に全て済ませろ。やりようは任せる。いいな、必ずあおいに森上を殺させろ〉

 そう言うなり、通話は音を立てて切れた。竹田は携帯電話を閉じ、月も星もない夜空を仰ぐ。

「動き出す、か」

 低すぎる独り言は、沈黙に満ちた闇に溶けて消えた。



 近所で一番大きな書店とはいえ、平日の昼間はやはりそれほど混んでいなかった。

 尋人は文芸書コーナーを、かれこれ三十分は行ったり来たりしていた。アルバイトの給料で本を買おうと思ったのはいいが、いざ店に来たらどれを買おうか迷ってしまう。目についた新刊を取っては戻し、ぱらぱらとめくってはまた戻すのを繰り返し、徒に時間だけを浪費し続けていた。

 悩みに悩んだ末、尋人は最近よく読む作家の新作小説に手を伸ばした。平積みされたうちの三冊目を取って、表紙や帯に傷がないかをざっと確認する。

 その時、背後からぽんと肩を叩かれた。何気なしに振り返ると、自分より少し背の高い少年が立っている。

「よっ、久しぶり」

 すぐに顔を思い出せず、尋人は面食らう。

「おいおい、もう俺のこと忘れちゃったのかよ。ひでえなあ」

 人違いではと言いかけた時、少年は人差し指を尋人の左胸に当て、拳銃を撃つような仕草をしてからにやりと笑う。尋人はしばらくぽかんとした後、彼が誰かを思い出してぎょっと顔を強張らせた。

 垣内亮太だ。あおいの従兄で、彼女と同じ組織に属する暗殺者。

「おま……っ」

 思わず尋人が声を上げかけると、亮太はすかさずその口を塞ぐ。

「しーっ。声上げるなよ。周りがびっくりするだろ」

 尋人はその手を乱暴に振り払った。

「それはこっちの台詞だ。何なんだ、お前。いきなり背後から現れやがって」

「だってお前、さっきからじーっと動かねえんだもん。俺に気付きもしないで、ずーっと本ばっか見てるし。だったら俺から声かけるしかないだろ」

「何だ、その理屈は。大体、何でお前がここにいるんだよ。まさかつけてきたのか?」

 亮太は面倒臭そうな顔で両手を挙げる。

「あーあー、分かったからさ、とりあえず買ってきなよ。話はそれからってことでどう? 今ちょうどレジ空いてるし、せっかく手にしてるなら、さっさと自分のものにしたほうがよくね?」

 そう言って亮太は尋人の背中をぐいぐいと押す。喉元までこみ上げてきた一万語を呑み込んで、尋人は足早にレジへ向かった。不機嫌な態度で会計を済ませると、出入口の自動ドア越しに亮太が手を振っているのを見て、さらに険しく顔をしかめる。

 亮太は尋人が書店から出てきた瞬間、待ってましたと言わんばかりに話しかけてきた。 

「なあ、何買ったの?」

「何でもいいだろ」

「足は車? 自転車?」

「自転車。車はまだ仮免だから無理」

「へえ、教習所通ってんの?」

「ああ、もう高校卒業したから。……って、何でついてくるんだ!」

 尋人が自転車を押しながら怒鳴りつけると、亮太はあからさまに嫌そうな顔をした。

「声でけえなあ。お前、家やあおいの前じゃそんな荒々しい顔しないだろ? 何で俺だけそんな態度?」

「うるさい。訊いてるのは俺だ。何で俺についてくる!」

「ひでえなあ。俺、嫌われてるんだ。何かショック……」

「欠片も傷ついてない顔でぬけぬけと」

「あ、ばれた?」

「うるさいんだよ、お前は! つーか寄るな。こっちに来るな!」

「仕方ないだろ。歩道狭いんだし、他の歩行者のこと考えたらこっちが遠慮しないと。公共の場ではお互いのマナーが大事って言うだろ?」

「お前が俺に遠慮しろ。何なんだよ、いったい。今更現れやがって」

 忌々しげに吐き捨てても、亮太はからりとした顔で笑い飛ばす。

「あはは。んでさ、今日暇?」

「忙しい」

「嘘つけ。本屋で一時間半以上、時間潰す余裕があるくせに。なあ、ちょっと話さないか? そうだなあ、ここからだと中央公園がいいな。あそこ広いし落ち着くし、んでもって街中にしちゃあ空気が綺麗だ」

「勝手に主導権を握るな。第一、話って何だ。俺はお前と話すことなんか何もないぞ」

「そりゃあ勿論あおいの話さ。あんたとはちゃんと、話しとかないといけないなと思って」

 その声音がやけに真剣だったので、尋人は勢いが削がれて何も言い返せなくなる。

 結局、亮太に言われるまま、尋人は中央公園に足を向けた。二人は大きな噴水をぐるりと囲むベンチの一つに腰掛け、それぞれが途中で買った缶コーヒーを口にする。規則的に現れる水柱は、決まった動きで立ち昇っては消えることを繰り返す。

 尋人は自分から口火を切る気になれず、黙ってこの公園のシンボルである噴水を睨んでいた。

「そんなに怒らなくていいだろ。今日は真面目な話で来たんだ」

「悪いが、用件だけ話してさっさと帰ってくれないか」

「つれない奴め」

 亮太はつまらなそうに呟き、缶コーヒーを傍らに置いて背伸びをする。

「じゃあリクエストにお答えして、用件だけを簡潔に述べるといたしましょう」

 言い回しがいちいち癇に障る。尋人は表情の険を深くしながらも、決して必要以上に語ろうとしなかった。

「ありがとな」

 亮太が空を仰ぎながらさらりと言う。尋人は一瞬聞き間違いかと思った。

「……今、何て」

「だから、ありがとなって言ったの」

「何でお前が、俺に礼を言うんだ」

 思ってもみなかった言葉に、尋人は心の底から驚いていた。どう考えたって、彼が他人に素直に礼を言うような男には見えなかったからだ。その思考を表情から読んだのだろう、亮太は少し不機嫌そうに、

「何だよ、本気で驚くなんて失礼だぞ。こう見えても俺は、お前に心から礼を言ってるの」

「……だから、何で」

 亮太は尋人をちらりと見やって、もったいぶった顔で笑う。尋人はフリーズした思考を無理やり動かすが、彼に礼を言われるような出来事は皆目見当がつかない。

 亮太はベンチで胡坐をかくと、缶コーヒーを握って両手を温める。

「お前、あおいから離れていかなかっただろ」

「え……」

「俺がお前にあおいの正体がばれるよう仕組んでも、あおいの本性を目の当たりにして、あまつさえ、ほっぺた掠めただけとはいえ撃たれても、あおいから離れていかなかった。生ける屍だったあおいを、お前が人間らしく変えてくれたんだ。俺はそれに対して礼を言ってるの。分かる?」

 そう言われて、尋人はようやく気が付いた。

「お前、俺を試したのか」

 亮太は僅かに苦笑し、無言で肩を竦めてみせた。

 あおいと付き合い始めた頃、亮太は尋人の前にいきなり現れて、彼女がひた隠しにしていた秘密を暴露した。そして、あおいが殺人を犯す現場に尋人が遭遇するよう仕組んだ。その行動を憎らしく思ったことはあったが、裏に潜んでいた真意を考えたことは今までなかった。

 愕然と言葉を失う尋人に、亮太は無邪気に笑いかける。そして噴水を眺めながら、

「俺さあ、悔しかったんだ。今まで、あおいの一番近くにいるのは俺だと信じて疑わなかったから。なのにいきなりお前が現れて、あおいはお前しか見なくなっていた。だから嫉妬したの。そりゃあもう憎らしくて憎らしくて、何度殺してやろうかと思ったか分からないくらい」

 ここまであっけらかんと告白されたら、逆にどんな反応を返せばいいのか分からない。尋人は神妙に黙り込んだ。

「ガキの時からずっと、あおいと一緒だったんだ。いつからだとか、正確な時期はもはやどうでもいいけどさ。世間的には従兄ってことで、でも仕事上は同業者であり、時にはパートナー」

「世間的?」

「そう、世間的。だって俺らは血縁関係ないから」

「そうなのか……」

「体裁ってもんがあるんだよ、いろいろと。立場的にもそのほうが都合よかった。でないと俺みたいな根無し草が、今の今まで組織にいられたわけなかったから」

 亮太はあくまでさらりと話す。尋人はその言葉から、彼の生い立ちや取り巻く事情は、実はかなり複雑であるらしいと察した。

「俺とあおいはずっとペアだった。だから、自然とお互いのことをよく知っていたんだ。一緒に仕事する時は、まさに一蓮托生。冗談じゃなく、死ぬ時は一緒だぜって感じ」

「……それはつまり、好きだったってこと?」

「好きっていうのが何なのかはよく分かんないけど、言うなれば一つのパーツだな。俺というものを形成するパーツの一つ。あおいというパーツがなければ、俺の中のある一部分がうまく動かない。簡単に言えばそういうこと。まあ、そんな環境の中で育ったからかな、あおいにとって俺もそういう存在なんだって、勝手に思っちゃってたんだ」

 尋人は少し難しい顔になる。彼が語る言葉の意味は分かるが、その内容を実感として掴む境地にまでは至れそうになかった。だが、それが世間一般で言う恋愛感情や人間関係に当てはまりそうにないものらしいことは、何となくではあるが理解できた気がする。

 鈍色の空が纏う風の冷たさが増してきた。枯葉色の木々の下では、落ち葉がかさかさと音を立てている。亮太は頬に触れる冷えた空気には反応せず、

「俺はあおいが苦しんでることを知ってた。実際に相談されたことはないよ。ほら、あおいって自分から他人に相談事とか、あんまりしないタイプだろ?」

 それは確かにと思って尋人は頷く。亮太は我が意を得たりとばかりに笑い、

「でもさ、見てて危ういなってのは何となく分かるんだ。だって、ずっと傍にいたから。たとえ本人から打ち明けられなくても、俺には分かったんだ」

 そう語る亮太の眼差しはどこか遠い。尋人はその視線の先を追うことはせず、彼の言葉にただじっと耳を傾け続けた。

「あおいが自殺未遂をした日、正直なこと言わせてもらうと、ついに来たなって思った。勿論驚いたよ。生死や怪我の度合いの心配もしたさ。でも心のどっかで、やっぱりこうなったか、やっぱりこの日が来ちまったかって思う自分がいたんだ。止めてやればよかったって思いは、後々から感じたことだけど」

 亮太は缶コーヒーを一口啜ると、

「ぶっちゃけ俺は、あおい死んだなって思った。でも、意外にもあおいはっつーか、あおいの脳はなぜか機能し続けてて。俺に言わせれば、それは執着以外の何物でもなかった。この世へのっていうか、過去への執着って感じ。過去を全部捨ててあの世へ逝くことへの未練や後悔に、崖っぷちで縋ってるイメージ。見てて歯痒かったね。さっさと楽になっちまえばいいのに、何やってんだよってさ。でも、あおいが必死にしがみついてる崖っぷちに立って、その指を踏んづけて三途の川に落とすだけの勇気が俺にはなかった。そうすれば楽にしてやれるって分かっていたのに」

 コーヒーを啜るふりをしながら聞いていた尋人は、その裏にある意図に気付いて思わず亮太を見た。亮太は口端に乾いた笑みを作り、

「殺してやろうと思ったよ、何度も。だって、あおいは死ぬつもりで飛び下りたんだ。このまま逝ったほうが救われるんだ。そう思って、病室で眠ってるあおいに銃口を突きつけたこと、何度もあった。でも、俺にはできなかった。どうしたって殺せなかった」

 そう言って亮太は自嘲する。

「……それはお前の慈悲だったのか?」

「さあ、どうだろ。そう言えば聞こえはいいけどね」

 どこまでも冷めた亮太の言葉を、尋人はただ黙って受け止めた。亮太は空を少し仰いで、さらに遠い眼差しになった。

「目覚めたあおいは、全てを忘れていた。組織や水島の家のこと、自分や周りのことだけじゃなく、俺のことも全部。俺はその時初めて、あおいが命と一緒に捨てたがってたものの重さを思い知ったんだ」

 明るい響きの中にはっきりと滲んだ絶望に、尋人はただただ言葉を失くした。

「目覚めたあおいの中には、俺の存在なんて欠片も残っていなかった。あんなに一緒にいたのに、あおいにとって俺は、名も知らぬ他人Aでしかなくなっていた。あおいの中に俺はいない。もう二度と、俺はあおいの中に戻れない。なあ、杉原。忘れられた人間の気持ちって考えたことあるか?」

 尋人は「え」と小さな声を上げる。

「忘れた側はいいよ。忘れちゃいました、ごめんなさい、悪いけどもう一回教えてくれますか……遠慮がちにでも、ふてぶてしくでもそう言えばいいんだ。でも、忘れられた側の気持ちはどうなる? 今まで確かにいたはずなのに、知らないうちにいなかったことにされてるんだ。それがもう二度と戻らないと分かった時、忘れられた側の気持ちはどこへ行けばいい?」

 どこまでも明るく問われた言葉に、尋人は答えを返せなかった。そんなことに思いを馳せた経験が、一度たりともなかったからだ。

 投身自殺を試みたあおいは、命こそ助かったが全ての記憶を失った。その喪失の衝撃で生まれた心の空洞を嘆き、苦しんでいる姿を幾度となく見たことはある。可哀想だと同情したし、傍にいることでそれを埋められたらいいとも思った。しかしその裏で、あおいに忘れられた存在がいたことを思いついたり、考えた瞬間は少しもなかった。

 言葉だけでなく表情も失う尋人を、亮太は軽く笑い飛ばす。

「おいおい、そんなマジになるなよ。別に俺は、お前を責めてるわけじゃない」

 明るさに覆われて翳が見えにくい言葉に、尋人は素直に頷けなかった。亮太は尋人の肩をぽんぽんと叩き、

「そんな感じでな、俺は俺で複雑だったわけですよ。それでお前に八つ当たりしたの。だって、八つ当たりできる奴なんてお前しかいなかったからさ」

 尋人は、亮太にとって自分がどんな存在だったかをようやく思い知った。なぜ今まで思い至らなかったのか、恥ずかしさと後悔が湧き上がってくる。亮太は尋人の肩をぽんぽんと叩き続けながら、

「でもさ、俺はお前に感謝してるんだ、本当に。だって、俺ができなかったことをお前はやってくれた。最初はそりゃあ腹が立ったけど、でもお前がいてくれなきゃ、今のあおいはいなかったんだから。だから謝るのは禁止」

 喉元まで上ってきた言葉を読まれて、尋人はうっと黙り込む。本当にもう何も言えなくなってしまった。亮太はどこか晴れ晴れとした顔で、

「お前はあおいから離れていかなかった。暗殺者だと知っても、一度殺されかけても、あおいを警察に売らず、傍にいる道を選んでくれた。お前があおいを人間にしてくれたんだ。だから俺は、お前にならあおいを任せても大丈夫だなって思った。お前ならきっと、真相を知ってもあおいを受け止めてくれる」

「真相……?」

 亮太は大きく一度頷いた。

「そう、文字どおり真相だよ。二年前、何があおいをあそこまで追い詰めたのか。あおいが身を投げてまで捨てようとした過去。あおいの気持ちまではさすがに分からないけど、事実だけなら俺は全部知ってる」

 亮太は缶コーヒーを地面に置いて、尋人にじっと向き直る。その眼差しがいつになく鋭く硬いものだったので、尋人の心は訳もなく冷えた。

「これから言うことは、お前にしか言わない話だ。あおいは知らないし、あの様子じゃ多分、思い出してもいないだろう。これを聞いた後どうするかは、全部お前に任せる」

 そう言うと、亮太は一度空を仰いでから長い昔話を語り始めた。鈍色の冷たい空が、凍りついた水面のように冴え渡る。

 立ち昇る噴水が形を崩すぐらいの強い風が、前触れなく音を立てて吹き抜ける。

 悲鳴にも似た木々と枯葉のざわめきが、耳障りな不協和音を奏でる。

 鳥たちは素早く梢を蹴って、一斉に空へと羽ばたいていく。

 ごおっと不気味な音を伴って、凍てた強風がベンチに座る二人を叩いた。

 しばらくして、亮太は言葉を止める。尋人は呆然とした表情で、視線を忙しなく泳がせた。長く長い沈黙の後、尋人が口にできた言葉は一つだけだった。

「それ、本当なのか……?」

「今更嘘ついてどうするよ。全部本当さ。知ってるのは俺と、俺たちの世話をしてくれてる人、そしてあおいの父親の水島総一朗だけ」

 亮太は淡々と言ってのける。その言葉を受け止めても、尋人は胸の内で激しく荒ぶ感情を抑え切れなかった。

「だからあおいは二年前、自ら命を絶とうとしたんだ。その重みに耐えられなくなって、さんざん足掻いて苦しんだ末に死のうとした。辛くも生き長らえたのは何でだろうな……。神様とやらの逆鱗に触れて、地獄の門前で追い返されでもしたのかな」

 軽い響きで紡がれた言葉だったが、亮太の目は声ほどに笑っていない。

「正直なところ、それがあおいにとってどれだけの重みだったのか、俺にはいまいち分からない。でも、お前なら分かるだろ? 何となくでもさ」

 尋人は愕然としたまま、一度だけ小さく頷いた。見落としかねないほど微かすぎる微かな首肯だった。

「今すぐ受け止めろってのは無茶だと思う。でも、本当にあおいのことを思ってるなら、悪いけど逃げないで受け止めてくれ。んでもって、あおいを支えてやって。もしも同じ壁に出くわした時、また壊れてしまわないように。あおいを支えられるのはもう、お前しかいない」

 亮太はそう言うと、足元に置いた缶コーヒーを手にして立ち上がる。

「……行くのか?」

「ああ」

「お前はどこへ行くんだ」

 亮太の動きが止まる。だが、それはほんの一瞬のことで、彼を凝視していないと分からないほど微細な反応だった。

「俺は別の道を行くよ」

「別の道……?」

「そう、別の道。過去に決着をつけるために、俺は俺にしかできないことをやる。それにもう、俺とあおいの人生は二度と交わらない。二年前にあおいが目覚めた時からずっと、俺の中では分かってたことだ」

「……お前はそれでいいのか」

「いいよ。これは俺が自分で選んだ道。お前が気に病む理由なんて一つもない。それにさ、人を殺すしか能がない俺だけど、もう一人じゃないんだ」

 その言葉の意味を、尋人はすぐには量りかねた。しかし尋人が思うよりも、亮太の表情は晴れ晴れとしている。

 尋人は焦りを覚えた。このまま見送っていいのかと、心のどこかが叫んでいる。重要な話は全部聞いた。しかし、肝心なところはまだ少しも聞けていない気がしてならない。

「んじゃ、話すことは話したし、俺もう行くわ。頼んだぞ、あおいのこと。何があっても守ってやってくれよな」

 去っていこうとする亮太を見て、尋人は慌てて立ち上がる。

「待てよ、垣内。本当にお前はそれでいいのか!」

 亮太の足が止まった。尋人は叫ぶように問うた。

「それでお前は本当に、お前の気持ちは……」

 亮太は僅かだけ振り返ると、片手を挙げて尋人を制する。そしてにっと笑った。

「言ったろ? 俺、もう一人じゃないんだ。お前が気に病むようなことなんてさらさらないの。お前の杞憂は、ぶっちゃけ言えば余計なお世話。どぅーゆーあんだーすたん?」

 亮太はわざとらしい英語でそう笑うと、

「あんた、意外に面白い奴だったよ、杉原尋人。もし状況が一八〇度ぐらい違ってたなら、友達になれたかもしれないな」

 ひらひらと片手を振りながら、亮太は身を翻して去っていく。尋人はそれ以上、その背に言葉をかけられなかった。亮太の後ろ姿がみるみるうちに遠ざかり、中央公園を出て周囲の物陰へと消えていく。そうして完全に見えなくなるまで、尋人はずっと立ち尽くしていた。

 ひゅるりと音を立てて風が吹き抜け、立ち昇る噴水の飛沫がざわつく音がする。体中をすり抜けた風に身震いしながら、尋人は亮太が告げた多くの言葉を脳裏の深くで反芻した。



 ブラインドを下ろした室内に、夕陽の濃い色が矢のように射す。デスクライトの無機質な白の光は、壁を染める濃い橙には圧倒的に負けていた。

 佐知子はデスクに両肘を突いて、深く重い熟考に耽っていた。目の前には、東山魁夷の画文集が置かれている。尋人が調べてほしいと持ってきたものだ。書き込みのあるページが開かれ、その両端に携帯電話と手帳を置いて文鎮代わりにしている。

 その本はあおいの私物で、引越しで持ってきた段ボール箱の奥底にしまわれていたらしい。私物といっても彼女にその記憶はなく、今の今まで放置されていたという話だ。しかし、二ヶ所に付箋が貼られていたり、何度も読み返した跡が残っていることから、手に入れてからずっと放置されていたわけではないようだ。

 極めつけは、最後のページに書き込まれたメッセージだ。二日前の夜に社長室を訪れた尋人は、実に神妙な面持ちでこの本を佐知子に手渡した。

 ──あおいの記憶が戻るきっかけになるかもしれないんだ。 

 その言葉は彼らしくない深刻さを帯びており、尋常ではない何かを感じさせた。

 佐知子はこの画文集について調べてみたが、これそのものについて有益な情報は特に得られなかった。そのため、この本の執筆や出版に関した情報ではなく、あおいが持っていたという事実に意味があるのではないかと考えた。

 最後のページに書かれたメッセージ。これは、あおいと水島総一朗の血縁関係を否定し、彼女が《ヴィア》の娘である事実を覆すものだ。

 佐知子はあおいの出生について、一から調べ直すことにした。そして、十七年前の《ヴィア》や水島総一朗についても調査し、武彦もしくはかおりという名の人物が周辺にいなかったかを探っている。起点が違う二つの謎が一つに繋がれば、霧に隠されたあおいの過去が姿を現すかもしれない。そう考えて調査を始めるのは簡単だが、すぐに進展へと結びつくかといえば現実は違う。思ったよりも骨が折れる作業だった。

 それと同時に、佐知子は森上智彦についても思いを巡らせていた。彼が執拗なまでにあおいにこだわる理由に、佐知子はまだ辿り着けていなかった。森上の過去とあおいの過去がどこかで繋がっている確信はあるが、それが何かはまだ見えてこない。その現実が佐知子をさらに焦らせていた。

 あおいの過去。その出生の秘密。森上の過去と、彼があおいにこだわる理由。それらは必ず一本の糸で繋がっている。そして、全ての謎が明らかになった時、何かが大きく動き出す予感があった。それはとても不穏な直感だが、杞憂だとは思えない。刑事であった過去も、調査員である今も、佐知子の直感は百発百中と言ってもいいぐらい、外れたことがないのだ。

 森上智彦を思うと、今も胸の奥がきりきりと痛む。無視しようにも目を逸らせない感情が、現状への焦りに追い討ちをかけてくる。佐知子は彼に関してずっと、息が詰まるような思いを抱え続けていた。

 こんこんと控えめな唐突にノックが響く。

「どうぞ」

 佐知子は物思いを断ち切り、姿勢を正して椅子に座り直した。扉が開き、調査員の平川が入ってくる。彼はデスクの前に立つと、佐知子に一冊のファイルを差し出した。

「言われていたもの、調べがつきました」

「そう。ありがとう」

 佐知子は受け取り、ファイルをぱらぱらとめくる。平川は頭を少し掻きながら、

「いやあ、時間かかりましたよ。何せ十七年も前のことですからね。でも、所長の言っていたつてを辿れば、それほど難しくはありませんでした。裏を取るのには多少苦労しましたけど」

 その言葉を右から左へ流しながらファイルに目を通していた佐知子は、とあるページをめくって思わず息を止めた。

「……これ、本当なの」

 色を失った佐知子の言葉に、平川がいやに真剣な表情で頷く。

「ええ、残念ながら。でも、それなら全ての辻褄が合います。裏もしっかり取れましたし」

「そんな……」

 佐知子はそれ以上の言葉が出てこなかった。たちまち顔面蒼白になった上司を見て、平川が不審げに問いかける。

「あの、所長。どうしました?」

「ありがとう、平川。悪いけど後は任せてくれない? 全部あたしが片をつけるから」

 言外に退室してくれというニュアンスを含ませて告げると、平川は腑に落ちない顔をしながらも一礼して出ていく。

 夕闇に染め上げられた窓の側で、佐知子はファイルを抱えて内心の衝撃に耐えた。いつになく動揺しているせいで、息継ぎも忘れた唇が壊れかけた機械のように震える。これ以上ないほど見開かれたその瞳は、今にも涙が溢れそうに潤んで激しく揺れていた。



 ビロードのような闇が垂れ込める。灯り一つない部屋の床には、開かれたカーテンによって薄い影が描かれていた。しかし、僅かすぎる外の光はテーブルまで届かず、その上に並べられた三つのシャンパングラスは夜に溶け、本来の繊細な輝きを失っていた。

 森上はシャンパンを開けると、それぞれのグラスに均等に注いだ。炭酸の弾ける音が、不気味なほどの静寂にやけに鮮明に響く。三分の一ほど残ったボトルをそっと置いて、森上はグラスの一つを取ると、残り二つのグラスに小さく合わせて飲み干した。

 喉をすり抜けて瞬時に脳へ達したアルコールが、澱んだ思考をたちまち色彩豊かなものに変える。それはまるで、目覚めのスイッチを押したかのような爽快感だった。その心地よさは、ある意味では恍惚によく似ている気がするが、酔狂というほど下品なものでは決してない。実に華やいだ愉悦という比喩が一番近いだろう。

 それは、これから迎える終焉に何よりも相応しい祝杯だった。

「ようやくここまで来た」

 森上はグラスをそっと置き、二つのグラスの奥にあるものに語りかけた。

「実に長かったが、ようやく時がやってきた」

 光が届かない闇の中では、それは森上の網膜にはっきりとは映らない。しかし、脳裏には鮮やかな形できちんと見えていた。

「明日で全てが終わる。……俺がこの手で終わらせる」

 その声はどこまでも静穏で、目には見えない喜びに満ち満ちていた。言葉を返す者など誰もいない空間で、森上の口元は実に愉しく吊り上っていた。

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