第15話 正解・不正解
最近、マリアがハウスに帰ってくる機会が増えた気がする。
それは香水のにおいが廊下に残るからだ。
キツ目に香水をつけるのは、ハウスではマリアだけ。
今は相手がいないのかもしれない。
その事になんとなくそわそわしているのは、意外にもあずきだった。
あずきは感じている。
マリアが男性陣の中ではあっくんとの距離が最も近いということを。
あっくんは誰にでも等しく優しい。
それをあずきは好ましく思っている。
むしろ、それが一番好きな理由と言っても過言ではない。
マリアにも変わらない。
でも、マリアにはちょっと素っ気ない。
最初は苦手なのかなと思った。
でも、最近はそうじゃないことを知った。
同じ大学の違うキャンパスに通う二人。
接点はほとんど無いはずだ。
「そっちの音楽サークルに田町って人いる?」
「あー…うん。でも学部違うからよく分かんない。」
「なんか私の友達に合コンしようって言ってきたのがその人なんだけど、彼女いるっぽいって噂があってさ~。」
「チャラいって耳にするけど、俺ちゃんと見たことないなあ。」
「そっか。」
盛り上がらない話。
でも、そこに流れる空気は終始穏やかで、マリアがその先を促すようなことはほとんど無い。しかし、マリアはあっくんと言葉を交わしたくて盛り上がらないと分かりつつ口にしているような感じにも見えた。
それは、あずきだけの見え方なのか、あずきは怖くて他の人に聞けない。
嫉妬していると思われるのが嫌なのだ。
常に寛容な自分でいたい。あっくんに、心が狭い女と思われるのは避けたかった。
あずきはあっくんのことを好きな態度を隠さないが、好きと口にしたことはなかった。
他のハウスの女性陣と同様に、マリアもあずきの気持ちを明確に知っている。なんとなくではない。
それは以前、女だけで部屋に集まって恋バナをした時に、あっくんのどんなところが好きか阿藤に聞かれ、マリアもいる前でそれにあずきが答えたからだ。
マリアはその時どんな表情だったか、何か口にしたのか、あずきの記憶にはどちらも残っていないが、嫌な顔や反発はされなかったはず。
あっくんとあずきとの間で会話が盛り上がっている時は、無理矢理割り込んでくるようなこともないし、それはその時彼氏がいたからだとは思うが、あずきにとって今現在マリアは嫌な女ではないのは確かだ。あずきに気を使っていると感じる場面もそこそこある。
素っ気ないところもあるけど、根は優しいのがマリアだと思っている。
今時の女の子であるマリアはあずきにとっては羨ましい存在だが、『すごく羨ましい』わけではなく、『羨ましい部分もある』というレベル。あまりにも自分と違いすぎると、比べようという考えが浮かばない。
なのに、どうしてこんなにそわそわしてしまうのか。
正直、あずきから見てマリアとあっくんはちょっとバランスが悪い。知らない人が見た場合、ほとんどがあっくんはマリアのペットかパシリに見えるだろう。
しかし、それは見た目の問題だ。
マリアと静かに話している時のあっくんは、普段より大人っぽい。マリアも信頼しているような態度で、穏やかに話すのだ。
それは同い年だからなのか。
あっくんとしては普段通りで何も考えていないのかもしれない。
でも、モヤモヤしてしまう。二人の間に何かあったんじゃないかと考えてしまう。
そんなあずきの様子に目敏く反応したのは、瀬川だった。
晩ごはんを食べて部屋に戻る時、廊下で瀬川が声をかける。
「あずき、ちょっと私の部屋来てよ。」
「ん?いいけど、どうしたの?」
「まあいいからいいから。」
あずきは部屋に戻らずそのまま瀬川についていく。
やがて302号室につくと鍵が開けられ、前に立っていた瀬川に招かれる。部屋の中は相変わらずシンプルにまとめられ、掃除が行き届いている。
ローテーブルの前にクッションを置かれてそこに座ると、冷茶を出してくれた。
そして、
「あっくんと何かあった?」
「え…。」
「なんかあずきの様子が変かなって。」
「…みんなそう思ってるのかな…。」
「いや、そんなに分かんないと思うよ。特に男は。」
「そっか、じゃあ紫乃ちゃんだからばれちゃったのか。」
あずきは苦笑いを浮かべた。
瀬川は次の言葉を待つように、口許に笑みを浮かべながら静かにしている。
「最近……マリアちゃん、ハウスにいるなあって。」
「うん。」
「あっくんが…マリアちゃんと話してる時って、私とか他の人と話してる時と違う気がしてて。」
「あー………そこそこ長く付き合ってるカップルみたいな雰囲気たまにあるかもね。」
瀬川の言葉にもやもやがちょっと晴れた気がした。
そうだ。
そういう空気だ。
お互いのことをある程度知っている男女のような。
「付き合ってるのかな…。」
「……どうだろうね…。」
「告白してればよかったかなあ……。」
最後の一言は、瀬川に問うた訳ではない。
ただの独り言のつもり。
しかし、導きのような何かが欲しかった、というのが本音だった。
あずきは自分より大人の女性の瀬川なら、背中を押してくれるんじゃないかと思った。
「最近仲良いねってさりげなく聞いてみるのもいいかもね。…それで、どんな反応するか。あっくんなら嘘つけなさそうだし。」
そして瀬川は一口お茶を飲んだ。
瀬川の提案なら、確かに一歩踏み出せるだろう。
ただ、自分が上手に切り出せるかどうかがまずは心配で、そして付き合ってると言われた時、泣かずに祝福してあげられる自信がない。
マリアがハウスにいると、あっくんは心なしかダイニングでのごはんを早々に切り上げる。
食べた後ダラダラ話さずに部屋に戻り、その間マリアはそのままダイニングで他の人と話しす。やっぱり思い違いなんじゃないかと何度も思うのだが、そう思い込ませてくれない瞬間があるから困る。
どんどん沈んでいく自分。
あずきはどんな選択が正解なのか考えている。
「失敗したくないんでしょ?」
「え…。」
「でもあっくんより好きな人が今後出来るかもしれないし、その人と結婚するかもしれない。そう考えたら私たちはまだまだ当たって砕けてもいいんじゃないかな。」
「……。」
「ただ見ているだけで幸せならそれはそれでいいと思う。でも悩むだけより、何か行動してみたほうが後悔は少ないような気がする。私はね。」
これが殿ならなんと言っただろうか。
やっすーなら、他の男性陣なら。
でも、瀬川の言葉は、瀬川ならきっとそうするんだろうなと思えるものだ。
冷たく突き放しているようにも聞こえるその言葉は、他の人からは言われないものだろう。
それでも今のあずきは、その考えを受け入れることも切り替えることも難しかった。
また、無意識に正解が何かを考え出す。
それはつまり、どうすれば自分の傷付きが最小限に済むかを考えていることと同じだった。
そのことにあずきは気付かない。
瀬川はちらりとあずきを見て、そして視線を敷いてあるラグに落とした。
取り繕わないあっくん。
私の前でのあっくんは、私に気を使っているのかな。
マリアちゃんさえいなければそんなこと、考えもしなかった。
まだ夜は寒いが、湿度の高さが夏が近いことを感じさせる。
もやもやが晴れる気配はない。
こんな時は全て投げ出したい気持ちになるから嫌だ。
「はあ……。」
ため息が漏れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます