第14話 晴れない心
曇った空が重く立ち込め、強まる雨が鬱陶しい。
「ごめん、紫乃ちゃん待った?」
「ううん、さっきついたから。」
雨は好きじゃない。
じめじめして髪は決まらないし、服は濡れるし、傘は邪魔だ。
それでも、今日は約束を取り止めるほどではなかった。
「映画が13:35だから、ご飯食べた?」
「まだだよ。どこか入ろっか。」
「そうだね。何食べたい?」
「昨日はしょうが焼きだったから、それ以外で。」
「あはは、じゃあ洋食で探してみよう。」
芦谷良祐(りょうすけ)という男は、思いの外さっぱりした人、というのが第一印象だった。
初めては居酒屋で。
今日会うのは2回目だ。
きっかけはハウスのトーモリ。
『オムライスを食べた店で一緒だった男が瀬川の連絡先知りたいって。』
トーモリのセリフは今でも思い出せる。
『俺と同い年で、チャラく見えるけどいいやつだよ。』
いいよ。そう、答えた。
これが、新しいきっかけになるかもしれない。それが理由だった。
瀬川には結婚指輪をはめた男以外に、のめり込めるものが必要だった。
このままではいけないと、なんとなくだが思っていて、けれど、何も続かない。タバコだけが何年も続く息抜きだった。
タバコを吸う女性を良く思わない男性は意外と多い。最初の居酒屋ではまず、芦谷へ灰皿を使うかどうか訊ね、使わないと返事が来れば、自分の方へ引き寄せた。
芦谷は灰皿を引き寄せた時も吸い出した時も何も言わず、まるでそれがごくごく当たり前かのようにスルーして話を切り出してきた。
営業だけあって話を繋ぐのが上手い。それに切り出しのタイミングに図った感がないのにするりと違和感なくこちらが返せる。
「昨日さ、取った電話の社名が俺の取引先だと思って今度打合せする予定を立てたんだけど、電話の最後に東森さんは担当変わっちゃったんですかね、って言われてさ。え、ってなったから、電話番号からデータ検索したら最近受注した一文字違いの東森の顧客だったんだよ~。」
「あーあるある。新規だと分かんないよね。」
「それだけならよかったんだけど、約束した日に東森がアポつまってたみたいで。悪いことしたなあ。」
「それで昨日遅かったのかな。遅くに帰ってきて一人で食べてるの見たから。」
「あーまじか。昨日先に上がったからな…。あいつ仕事できるしきっちりしてるしなんか凄いヤツなんだけど、家でどんな感じなの?」
「多分家でもそんな感じだよ。私は堅すぎなくて丁度いいと思うけど。でも学生も多いから多少は砕けてるのかなあ。」
「丁度いいって表現分かる~。」
「なんか気を張らないというか、適度な距離感。」
「俺としてはもうちょっと近寄ってきてほしいなー。」
同期で同じ部署ということもあり、話にはちょこちょこトーモリが出てくる。
芦谷は仕事の、瀬川はハウスでのトーモリを話し、その話の中のキーワードをきっかけに、互いのことを知っていく。
まだ探り合いの2人だ。
「ハウスでは頼れるお兄さんってポジションだよ。」
「うわー見てみたいー。住んでる人同士仲良いよね。」
「そうだね。やっぱ管理人さんの目がいいんじゃない?芦谷くんは一人暮らし?」
「あはは。うん、そうだよ。俺は一人の時間大事にしたいから向いてないなあ。紫乃ちゃんは他にも住んだことある?」
「あるよ。普通にアパートに住んだけど、今の職場に合わせて引っ越したんだ。」
「シェアの方がいい感じ?」
「今は楽しいし人も良いからシェアでよかったと思う。でも確かに1人でいたい時とかは時間によってはちょっとうるさいかも。」
「まあ寝る部屋は個室だもんね。ちょっといいなー。ごはん美味しいんでしょ?」
「ふふっ、うん、美味しい。」
洋食がメインのレストランに入り、窓際の席に案内されてから、メニュー表と暫しにらめっこをして、お互いパスタを注文した。
麺がもちもちしているのが特徴のようだ。
運ばれてくるまでの間、取り留めのない会話をし、窓ガラスを伝い流れる雨をちらりと横目に、また視線を芦谷に戻す。
皺のないシャツは彼がアイロンをかけているのだろうか。
それとも女が泊まりに来ていたのか。
「どうかした?」
ぼーっと見ていたのがばれたらしい。
咄嗟になんでもないと答えてもよかったのだが、思っていたことは口に出た。
「シャツアイロンかける派?」
ちょっと間があって、形状記憶派、と返ってきた。
その時の考えがフリーズしているような顔が可愛くて、笑った。
その手があったか。
「私もシャツは形状記憶を買ってみようかな。」
「うん、おすすめ。朝のバタバタした時間にアイロンかけられるほど俺優雅じゃないし。」
「あはは、私も。」
その後運ばれてきたパスタは、確かにもちもちしていて美味しかった。
デザートは映画の後まで取っておくことにして、お会計はスマートに芦谷が払ってくれた。
黒の長財布は無駄がなくシンプルで、財布の中も瀬川の財布の中のようにレシートが詰まっているということはなかった。
この商業施設には気になっているジェラートのお店が入っている。その話をしたら芦谷は、俺甘いものに目がないんだ、とはにかんだ。
彼はプレイボーイだ。
瀬川は改めて納得する。
雨は一日中降るらしい。
でも、来てよかったと思った。
たとえこの後の映画が微妙でも、ジェラートがそんなに美味しくなくても、それも思い出になる、と、なんとなく思った。
楽しいことだけが、続けばいいのに。
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