第11話 殿
あだ名は唐突に降りて来る。
声に出されることで認められ、その名が呼ばれる度にじわじわと浸透していく。
「殿ー。皿どこ置いた?」
「殿ちゃん、この後お部屋遊びに行ってもいい?」
「殿ご飯よそってー。」
「姫路ちゃん、いつもありがとね。」
そう、彼女は姫路である。
名前のどこにも「トノ」なんて文字は含まれていないのである。
「そういや、なんで私殿なんです?」
「いや、知らなくていいっしょ。」
「もう殿様のように偉い方なんだよ、我々にとって。」
「…?」
「知らなくてもいいことがあんだよ。世の中には。」
佐々木さんにいつもどおりちょっと冷たく返されて、もうそれ以上言えない空気になってしまった。
あずきには、悪く言って付けられたあだ名じゃないから、気にしないでと裏表のない笑顔で言われ、みんなの態度もあだ名が付く前と後で特別変わりはないので、その言葉を信じている。
だから深く気にはしていないのだが、何故ここまで話してくれないんだろうか。
正直なところ、ハウスの住人達は本人に隠しておく必要なんて、全くない、と思っている。
ただなんとなく面白いからはぐらかすだけ。
あだ名のきっかけはウーノが出張から帰ってきた日だ。
「ヨシばあただいま~!」
「お帰り。」
「お腹空いたなあ。」
「もうちょっとで出来るよ!」
「あ、ウーノだ!お帰りー。」
「ただいま。お土産あるよ~。」
「やったー!」
ウーノは出張で世界を巡る度にお土産を買ってきてくれる。
いつも変わったものや、珍しいものだったりするので、ハウスのみんなはちょっと楽しみにしており、前回のは食べ物で、不味かったのは記憶に新しい。
「今回はお酒にしたよ。」
「どこいったんだい?」
「ロシア。」
「……そりゃ度数が高そうだ。」
あの寒い土地にしか生息しない動物がいっぱいいたんだよ、と楽しそうにしている。
ウーノは基本喋りたがり屋だ。
しかし、彼の興味あるものに対応できる人間が、残念ながらハウスにはいない。
全然違う話をしていても、絶妙なタイミングでそっちの話を切り出してくるのだ。
彼に悪気はなく、自分の好きな話をもっと聞いてほしい、という考えもないらしいので、とても厄介。だが、いい加減気付けよ、と本人に言うような人間もいないので、結局いつまでもウーノはウーノのままなのであった。
「あ、初めまして、最近入居しました姫路です。」
「やあ、こんばんは。宇野と申します。」
「ウーノはね、虫とか動物とかを研究してる教授なんだよ。」
ダイニングにいたみんなはここで姫路とウーノが初めましてだということに気付く。
「そうなんですか。」
「今回はね、動物がメインだったんだ。」
「ロシアって言ったらアムールトラとか、あと有名なアザラシとかいますよね。」
「そうそう、バイカルアザラシとかねー!あとは日本の動物園で見られるのだと、エトピリカって鳥とかね。」
「くちばし綺麗ですよね。」
「そうそう!」
「北海道の一部でも見られるみたいですよね。」
「詳しいねーー!!!動物好きなの?」
「好きです好きです。●●動物園の年間パス持ってるくらいには。」
「そこちょっと遠いのに!でもあそこはマニアにはたまらない生き物が多いもんね!」
「そうなんですよね~。」
みんな静かに2人の会話を聞いていた。
目は点である。
ヨシばあだけ、ちょっとにやにやしている。
「もしかして、神降臨?」
「…姫路様サマじゃないか。」
「姫なんて可愛いもんじゃない。殿だ!!」
……そう、ここから。
ここから姫路は殿様なのだ。
ウーノの及ぼす力に、唯一対抗できる神のような人間としての敬意を払い名付けられたのだ。
殿はさっぱりとした性格で、深く追求しない。適度に引くことのできる女性なので、ウーノの話に淡々と受け答えし、深入りすることなく、良い加減で話を終わらせることが出来た。
ウーノはウーノで、毎回好きな話を共有できて満足、といった様子だ。
殿は今年の4月から新社会人。
実は動物病院で働いているということはウーノには内緒だ。
殿は顔には出さないが、ウーノの経験談はきちんと聞いており、自分の世界が広がるような気分になるので、話の内容はとても魅力的だと感じている。
しかし、ウーノという人間に興味があるかと問われると、それはわからない。
とにかく、こうして姫路は殿様になったのであった。
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