第6話 トーモリ
青系のストライプのネクタイを手に取り、首にかけて、さっき選んだ黒いスーツに足を通す。
今日は燃えるごみの日。天気は雨だから、いつもより1本早い7:42発のバスに乗っていこう。今夜はヨシばあがいないから、ご飯はどうしようか…。あ、でも昨日の様子だと残業になりそうだな…。よし、ごみを集めなくては。
トーモリはサラリーマンである。
かっちりとした、真面目なサラリーマン。
朝はリビングを使わない。
夜も残業が長引く日は18時までにヨシばあに連絡をいれて、晩ご飯をキャンセルする。
故に毎月ハウスに納めるご飯代は安めだ。
会社でパンとコーヒーを口にする。
就業時間は9:00~18:00で、高層ビルの20階にオフィスを構える会社に勤めている。
「おはようございまーす。」
「おはようございます。」
「はよー。」
どんどん社員が出勤してくる中、パンを片手にメールをチェックする。
9時までにチェックを終わらせるのは、トーモリにとっていつも通り。
「東森(とうもり)、昼メシどこいく?」
「まだ朝だぞ。」
「俺、朝メシ食べない派だから。」
「…知ってる。まかせる。うどん以外で。」
「え、なに、今夜うどんなの?」
「らしい。」
ちょっとへらへらした、軽いノリの、見た目もちょっとひょろっとした隣の席の男は、トーモリの同期。芦谷(あしや)はご飯提供サービス付きのシェアハウスに住んでいることを知っている。
トーモリや芦谷は内勤営業なので、アポがないうちはお昼を共にすることもあり、お互いの内情を話すことも多かった。
「じゃああそこの洋食屋いこう。俺14時にアポあるから、12時になったら出よう。」
「おーけー。」
電話とパソコンという武器を駆使して午前中に猛烈に仕事を進める。午後は満腹で眠くなり、作業スピードが落ちるので、それを見越しての判断。これもいつも通り。
芦谷も今日は電話デーのようだ。
ずっと誰かしらと話をしている。
昼ご飯は好きなタイミングで1時間取っていいことになっている。
慌ただしい午前中はあっという間にすぎ、芦谷がのびをしたところで、立ち上がる。
「行くか。」
「おー。」
オフィス街に職場があるということもあり、近くの飲食店は混雑する。
ビルのエントランスを抜けて、10分程歩いたところに、今日の目的の洋食屋はあった。
「2名で。」
「ラッキーだったな。並ばなくて済みそうだ。」
「そうだな。」
10席のカウンターと、4人掛けのテーブル2席というこじんまりとしたお店は、オフィス街から少し離れたところにはあったが、なかなか繁盛していそうなお店だった。
「この間、篠池が美味しかったって言ってた。」
「おー。あのグルメマンが言うなら間違い無さそうだ。」
「すいませーん。」
篠池はトーモリの後輩にあたり、お昼はほぼ外食しているようで、店もあちこち回っているとの噂だった。
確かに本人は、どこどこの店はしょっぱいだの、あっちのチェーン店は汚いだの、聞けば何かしら答えてくれる。それゆえに同じ課の間ではグルメマンと呼ばれていた。
トーモリは夜がうどんとの情報を得ていたので、お昼は麺以外、なんとなく美味しそうなオムライスにした。
芦谷と雑談しているうちに、奥のカウンターが2席空いた。
ごちそうさま、の声に続いて、入り口の引き戸をガラガラガラと引く音。それと同時に雨音が強くなった。
「雨降ってなかったらもっと並んでるんだろうなー」
「だな。濡れたけど今日でよかったな。」
「んー。」
また引き戸を開く音がする。先頭で待っていた次の客が入ってきた。
「濡れちゃったねー。はあーお腹すいた。」
若い女性の声を聞きながら、カウンターに置かれた皿の上のオムライスに釘付けになる。
思っていたより大きくてずっしりしてそうだ。
隣に置かれたナポリタンも色鮮やかでケチャップのいいにおいがする。
「俺次オムライスにしよー。」
「俺も夜がまたうどんじゃなかったらナポリタンにするわ。」
いいにおいが充満する。
一口食べて、また一口と口に含み、もぐもぐさせながら顔をあげると思わず声が漏れた。
「「あ。」」
どーしたのおという間延びした、さっきの若い女性の声が向けられた先にある見知った顔から、3秒間、目がはなせなかった。
「それ、美味しい?」
口にはいっぱのオムライスが詰め込まれているので、首を縦にだけ振った。
「そか。じゃあ私も同じやつにしよー。」
「…東森、知り合い?」
向こうは丸い席に腰かけて、お店の人にオムライスひとつ、と声をかけた。
芦谷からの質問にも首を縦に振って答えた。
ちょっとくいぎみに聞いてきたのは気のせいと思いたいが。
「紫乃、知り合いー?」
「あ、うん、同じ建物に住んでる人」
「そっかー。じゃあ今夜2人はうどんなんだあ。」
間延びした声は、声のボリュームを抑えてはいたが、芦谷を挟んで隣に座っているだけなので、トーモリ的にはよく聞こえた。その奥に座った彼女の、同じハウスに住む瀬川の、くすくす笑う声も。
顔を直接見るまで気がつかなかった。
OLで、職場が近いらしいというのは知っていたが、今目の前にいるような、タイトなスカートに、白いブラウスと黒いカーディガンという、ザ・事務という格好を見たことがなく、いわゆるオフィスカジュアルな格好の彼女をよく目にしていた。
また、彼女の方が家を出る時間が遅いので、朝はバスなのか、駅まで歩いて電車を使っているのかすらよくわからない。
ザ・事務の格好からは、夜のベランダタバコが日課の、あのちょっと男っぽい瀬川には見えなかった。
なんとなくいつもより早いペースで食べ終わり、水を飲んでいると、芦谷越しに間延びした声の女性と目があった。
何気なくそらして、あの2人は同期なんだろうかと、どうでもいいことを考えていると、隣からフォークを置く音がした。
「よし、行くか。」
「ん。」
「このあとのアポ緊張するな~。」
「いつものことだろ。」
オムライスはとても美味しかった。
ちらりと見ると瀬川も嬉しそうな顔をして食べている。女性2人はどちらもオムライスにしたようだ。
ごちそうさまでしたーと声をかけて、引き戸を引く。すぐに手持ちのビニール傘を広げて、また人の密集したオフィス街へ戻る。
雨は止む気配がなく、足早に帰り道を進んだ。
その途中の信号機待ち。
「なー。奥のストレートロングの子、同じ家の子なんだろ?」
「ん?ああ。」
「…連絡先知りたいなー。」
「…」
信号が青に変わる。
雨の音が煩いせいで、一瞬聞き間違えたのかと思った。
でも、心の中で復唱する。れんらくさき、しりたいな。
確かに知ってはいる。
使ったことは多分1回もない。
なんとなく、教えるのが躊躇われた。
アポ成功したらな、と適当に返す。
なんだか雨のせいで心までもやもやしているようだ。
そう、トーモリは結論付けた。
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