第5話

 グラウンドに戻り、さっきまでサヤと一緒に腰掛けていたベンチに腰を降ろす。

 試合中のボールを目で追っていても、何も頭に入ってこなかった。グラウンド脇

の道路を、二台のバイクが轟音を立てて通りすぎたが、気にもならなかった。

 ぼくの目は何も見ていなかったし、ぼくの耳は何も聞いてはいなかった。

 ほんの少し前まで、サヤと楽しく過ごしていたのが嘘のように思えてきた。


 バットがボールを捕らえた金属音に続いて、目の前を白球が転がっていった。

 ぼくは正気を取り戻すと、そのボールを追いかけて拾い上げた。振り返ってみる

と白いユニフォームの二年生くらいの子がいた。ぼくがボールを投げてあげると。

ありがとうございました。といって頭を下げた。

 ぼくが先程の場所に戻りかけると、大飛球のファールが上がった。今度はぼくの

頭上も越えて植木のなかにボトリと落ちた。ボール拾いの男の子が植木の中を覗き

こんでいるが見つからないらしい。

 ぼくもその子の傍にいって、一緒にボールを探してやった。植木の奥のほうで枝

に挟まっている白球を見つけた。ぼくは腕を突っ込んでボールを取ろうとした。腕

に木の枝が当たって痛い。幾ら腕を伸ばしても指の先がボールに掠る程度だ。

 体重をかけて枝をたわませ、何とかボールを掴むことに成功した。気がつくと、

直ぐ傍にもう一個ボールが引っかかっている。ついでにそいつも取り出した。

 二つのボールを球拾いの子に渡そうとしたときだった。


「谷田部。大変だ」

 と叫びながら、コジが転がるように駈けて来た。

 ただ事ではない形相だ。

「どうした」

 と聞くと

「バイクの二人に絡まれたんだ。マサミとサヤが連れてかれちまう」

 コジの言葉が終る前に駆け出した。

「おい。俺たちだけじゃだめだよ」

 とコジが情けない声を出した。

「だれか大人の人を呼んできて」

 そういい残してグラウンドを飛び出した。

 さっきサヤたちが居たベンチの方に全力疾走すると、道に二台のバイクが置いて

あるのが見えた。さっき、ぼくの後ろを通りすぎていった奴らだ。

 そのバイクの向うに。

 いたっ。

 サヤとマサミが二人組みの男に絡まれていた。細身のジーンズにド派手な原色の

ランニングシャツ。軍隊で使っていそうな鉄のヘルメットを手に持っている。背は

そんなに高くない。高校生?もしかすると中学生かもしれない。

 その二人が、蛇が巻きつくようにしてサヤとマサミに何事か言っている。マサミ

は竦んだように身を縮め、サヤは目の前の男を睨みつけて何か言い返した。一人が

サヤの腕をつかんだ。


「サヤに、触るな!!」

 ぼくは思わず叫んでいた。

 バイクの男たちがぼくの方に首を回した。

 彼我の距離約十メートルで、ぼくと奴らは対峙した。

「なんだ。おめー」

 サヤの腕を掴んでいるニキビ顔の男が凄んでみせた。

 もう一人の出っ歯男はニヤニヤと絞まらない顔で笑っている。

「その子の友達だ。サヤの手を離せ」

「何を。ガキのくせに出しゃばるんじゃねぇ」

 ニキビ男がぼくの方に踏み出した。腕を握られたままなので、サヤが引きづられ

膝をついた。ぼくの頭に血が昇った。

 気がつくと、ぼくはさっき植木の中から拾い上げた軟式ボールを持っていた。

 ぼくはそのボールを力一杯ニキビ男に投げつけた。ボールが奴の左の脇腹に命中

した。グッと呻いてニキビ男が腹を押さえる。

「サヤ。逃げろ」

 ぼくが叫ぶと、サヤは機敏な動きでニキビの手を逃れ、マサミを伴いぼくと反対

の方に駆け出した。


「待て、コイツ」

 ニキビが二人を捕まえようとしたが、すんでのところで振り切った。

 直後にニキビの後頭部に二球目のボールが食い込んだ。片手で頭を押さえ、口を

奇妙な形に捻じ曲げながらニキビが吼えた。

「この野郎。ぶち殺してやる」

 ニキビが鬼のような形相で突進してきた。出っ歯も向かって来る。

 やった。これで女の子たちを逃がすことができる、そんなこと考えている余裕は

ない。ぼくは慌てて逃げ出した。何やら喚きながら二人の男が迫る。全力で走って

もドンドン距離が縮まっていく。五十メートルも走ると息が切れ始めた。助けを呼

びたくても声がでない。


 と、前から五六人の大人の集団がやってきた。先頭は…さっき野球の試合で審判

をやっていた人だ。その後ろは赤ゴリラとサングラスだ。二人とも手に金属バット

を持っている。大人たちに混じってコジの姿も見える。

「こらー。何をやっているか!」

 先頭の人が大音声で一喝した。

 ニキビと出っ歯は急ブレーキで止まり、顔を見合わせた。

「うるせえ。おめーらに関係ねえ。余計なことに首突っ込むと、イテーめこくぞ」

「なにを。俺は警察の者だ」

 また、大音声が響き渡った。

 警察官を名乗られてニキビと出っ歯は怯んだようだが

「だからなんだ、オマワリなんか怖くねえ」

 と凄んでみせた。

「お前らバイク乗ってんな。免許証見せろ。あのバイク本当にお前らのか」


 二人の顔に動揺の色が走る。出っ歯の方が

「おい。やベーよ。早く逃げっと」

 と情けない声をだしたのが聞こえた。

 ニキビの方は相棒の言うことを無視してぼくたちの顔を睨みまわした。

 赤ゴリラとサングラスがバットを握って一歩前に出た。

 それに合わせてニキビと出っ歯が後ずさりした。

 出っ歯がニキビに再び何事か囁いた。ニキビはチッと舌打ちして

「にしら、これで済む思うな。きっとゴクドがえしにキッかんな」

 と啖呵を切ると、中指を立てたサインをぼくたちに向け、一目散に逃げ出した。


「小林さん。なんだったんですかね。あいつ等」

 バイクのエンジン音が聞こえなくなってから、サングラスが警察官を名乗った男

に尋ねた。

「見たとこ中学生のようだな。喋り方がここら辺のものじゃないから、盗難バイク

で遠出して来たってとこじゃないか。ナンバーは見たんで通報しとくよ」

 と小林さんが答えた。

「ところでお前ら」

 とサングラスがぼくとコジの方に向き直った。

「あいつ等と何があったんだ。女の子が誘拐されるってんで慌てて来たんだけど」

 そう尋ねながらサングラスを上げると、右側の目の周りに青アザがある。

「なんだい。ゲンちゃん、その顔。奥さんと喧嘩でもしたのか」

 しまった。とサングラスを戻したが遅かった。

 そうか。サングラスはこれを隠すためのものだったんだ。

「違うんだよ。ベンチにいてイレギュラーしたファールボールが当たったんだよ」

 そこに赤ゴリラが割り込んだ。

「ベンチでスマホなんか見てるから、そうなるんだよ」

「違うって、ほんとにイレギュラーしたんだって」

 サングラスが慌てて抗弁する。この人たち見た目ほど怖くはなさそうだ。


「ところで君たち。一体何があったんだい」

 と小林さんが落ち着いた声で質問した。

「それは……」と言いかけたとき

「私たち。夏休みの自由研究で水道資料館にきたんです」

 いつの間にやって来たのだろう、サヤがぼくの話を引き取った。

「公園で昼食をとってこの辺りにいたら、今の人たちがバイクを乗り付けてきて、

私たちをどこかに連れて行こうしたんです。私が腕を掴まれて逃げられないでいる

と、谷田部君がボールをぶつけて助けてくれました。そしたら、今度は谷田部君が

追いかけられることになって。本当にみなさんのおかげで助かりました」

 サヤは上手い具合に話をまとめると、最後にペコリと頭を下げた。

 マサミの方は震えが止まらないらしく、両腕で自分の体を抱き、泣き出しそうな

顔をしている。

 サヤがこんなに気丈だとは知らなかった。さっきは、どうでも良いようなことで

泣いていたというのに。


「それは災難だったな」

 と小林さんが慰めるようにいった。

「あいつら、大丈夫ですかね。待ち伏せしたりしてないですかね。それに仕返しに

来るみたいなこと言ってたけど」

 コジが心配そうに小林さんの顔を伺った。

「無免許で盗難バイクに乗ってるようだから、警察関係者のいるところに、いつま

でもウロチョロしてないだろ。でも、不安なら送っていこうか」

 ぼくたちは四人で相談の結果、その申し出は断わった。


 自転車に乗って帰る間、四人は一言も口を利かなかった。

 その日、自由研究の続きは無しにして、とにかく家に帰って休むことにした。

 次の集まりは電話連絡で決めようということになった。不良たちとの立ち回りで

興奮したためか、資料館見学でどんな話しが出てきたのか、家に帰ると全部忘れて

いることに気がついた。

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