第4話

 運動公園に着くと、グラウンドでは同時進行で二試合が行われていた。ぼくたち

は通路から近い側の試合を見ることにした。幸い、木の影に棒状のベンチが空いて

いたので、そこに並んで腰を降ろした。

 スコアボードを見ると対戦しているのはサニーズとブリッツだ。

 どちらもチームとも何かの大会で当たったことがある。


 サニーズのユニフォームは白無地で、胸に黒に赤縁の刺繍で「Sunnies」

と描かれている。今日のメンバーはどうやら主力組では無いらしく、大きな子の姿

が見られない。中には一年生ではないかと思われる子も混じっている。監督は背が

高く痩せぎすで、頭は真っ白だ。まるで毛筆を逆さにしたようだ。見るからに大人

しそうなチームで、前に対戦したときも大差で勝った記憶がある。


 対戦相手のブリッツは迫力満点のチームだ。ユニフォームは黒に近い濃紺に白の

ストライプ。胸にオレンジ色で「Blidz」と描かれている。先発は全員六年生

らしく、対戦相手より頭一つ分位背が高い。

 ベンチの大人たちがまた凄い。監督は普通なのだが、コーチの一人がレスラーに

転向した方が良さそうな体の持ち主で、酒に酔ったような真っ赤な顔をしている。

まるで赤ゴリラだ。もう一人のコーチは剃り込みの入った五分刈りでサングラスを

架けてしている。サングラスと呼ぶことにしよう。とにかく、この二人が居るので

迫力あることこの上ない。


 見た目の凄さにビビッたか、それとも単なる実力差か、試合は3対0でブリッツ

が勝っていた。

「むこうのチームの人たち、何だか怖いね」

 ぼくとサヤが座った場所はサニーズのベンチに近い側だった。当然ながら、ぼく

たち二人はサニーズを応援することにした。


「谷田部くんは、投げる役なの打つ役なの」

 サヤがのっけから変な質問をぶつけてきた。

「大隅さんて、ほんとに野球こと何にも知らないの」

 と聞くと

「うん、そう。だから一番最初から教えて」

 と全然悪びれた様子もなく答えた。

「えーと…」

 と言ってから、どう説明したらいいか困ってしまった。細かい点は別にして野球

のルールなんて全部体で覚えてきた。それを言葉で説明するとなると、何処から始

めていいか分からなかった。

「えーと。先ず、野球は九人対九人でやるスポーツなんだ。一方が攻撃している間

はもう一方が守備をする。守備側が三つのアウトを取る間に、攻撃側は出来るだけ

多くの点を取るようにする。守備側は逆に攻撃側に出来るだけ点を取られないよう

にして三つのアウトを取る。守ってるほうが三つアウトを取ったら、攻撃と守備が

交代。これを決められた回数繰り返す。ここまで分かる」

「ふん。ふん」

「だから、守備の時は、ぼくは投げる役だけど、攻撃のときは打つ役になるわけ」

「ふーん」

「今は白いユニフォームの子が投げてるでしょ」とピッチャーマウンドを指差す。

「白い方が守備側、黒い方が攻撃側。野球は守備側のピッチャーがボールを投げる

事で始まるんだ。ほらっ、今投げた。あの子がピッチャー」

 投球は高めのボールだった。

「バットを持ってるのがバッター。ピッチャーはバッターが打ちやすい所にボール

を投げなくちゃいけない。そこをストライクゾーンっていうんだ。そこにボールが

入らなかったらピッチャーの負けで“ボール”になるんだ。この場合の“ボール”

は玉のことじゃなく外れの意味。ボールが四つになったらフォアボールでバッター

は一塁に行けるんだ。ほら、今フォアボールになった」

 バッターがファーストに歩くのを見て、サヤがうんうんと頷いた。

「今と逆で、ストライクゾーンに入ったらピッチャーの勝ちでストライク。その他

にピッチャーの投げたボールをバッターが空振りしたらストライク。ストライクが

三つになったらバッターはアウトで、次のバッターと交代」

 やっと、ワンアウトまで漕ぎ付けた。イニングが終るのにどれだけかかるのか。


 その後も四苦八苦しながららルールの説明を続けた。

 フォースプレイとタッチプレイの違いを解説していて舌が疲れてしまった。これ

でサヤが理解したのかどうか怪しいもんだ。プレイは簡単なのに、文章にするのは

難しい。でも、よく考えたらコーチからこんな丁寧な説明、受けなかったと思う。


 キーンと鋭い金属音がした。

 レフトオーバーの大飛球。 転々と転がる白球をレフトとセンターが追う。内野

に目を転じる。三塁ランナーに続き二塁ランナーもホームイン。外野が今ボールに

追いついたところだ。バッターランナーは既に三塁に達しようとしている。外野の

返球は山なり。こりゃ、ランニングホームランだな。

 スコアを見ると七対0。折角、白いチームを応援しているのに残念だ。


「ねえねえ」

 とサヤがぼくの肩を指でノックした。振り返ると、彼女はレフト方向を指差し

「あれ、マサミちゃんたちじゃない」

 と喜びの声を上げた。

 確かにグラウンドの向うの木立の中をコジとマサミが歩いているのが見える。

 いつ公園の方に来たのだろう。てっきり水車小屋の辺りにいると思ったのに。

「えっ。どこどこ見えないよ」

 と誤魔化す。

「いま、茂みの影になってるの。あっ。ほらっ。あれあれ。見えるでしょ」

 サヤが懸命に説明するのを、ぼくはとぼけて受け流す。

「似てるけど違うんじゃない。背格好が違うと思うけど」

「そんな事無いよ。服が同じだもの。谷田部くん。二人のとこに行きましょうよ。

これからの事なんにも決めてないんだから」

 サヤが立ち上がった。

「いや。違うと思うな。他人の空似だよ」

 とぼくはあからさまに嘘をついて抵抗した。

 さすがにサヤもぼくの態度を不審に思ったか

「どうしたの。谷田部くん何か変よ。マサミちゃんたちの所に行きたくないの?」

「いや……。そういうわけじゃ……」


 サヤの可愛い瞳がぼくを見つめ、真実が明かされるのを待っている。

 ああ、もう駄目だ。これ以上嘘を重ねたくない。

「大隅さん。ごめん。実はコジの奴がマサミと二人きりになりたいって言うから、

ぼくが大隅さんの相手をして、あの二人から引き離す役をやってたんだ」

 とサヤに真相を告げる。

 サヤの顔が難しい顔になる。

「ほんとにごめん。騙すつもりはなかったんだ。コジに頼まれて仕方なく大隅さん

と一緒に居たんだよ」

 ぼくの弁明にサヤの身体がピクリと動く。

「仕方なく…私と居たの?」

 サヤが悲しそうな顔で囁いた。

「そうなんだ。コジの奴が強引で、断わりきれなかったんだよ」

「ひどい」

 サヤが強い調子でいった。不意にサヤの目が涙で潤んできた。

 ぼくが驚いていると、あっという間に涙が溢れてサヤの頬を伝った。

 彼女はクルリと身を翻し、早足でマサミたちのいる方に歩き出した。


 何だよ。泣くほどのことじゃないだろ。

 と言おうとしたが、喉の手前で押し止めた。元々コジとぼくが悪いのだ。

 後悔で胸の中が黒くなる。涙を拭きながら歩くサヤの後をぼくは悲しい気持ちで

付き従った。

 向うから歩いてくるコジとマサミがぼく達に気がついた。

 コジが、何でここにいるんだよ、という顔をしている。

 マサミはサヤの異変に気がついたようで、慌ててこっちに走ってきた。

 サヤが泣いていることに気がつくと、彼女を抱きとめて慰めながら、凄い形相で

ぼくを睨み付けた。

 コジがぼくのそばにやってきて

「なんで。こっち来んだよ。ぼくら見つけたら違う方向に行かなきゃ駄目ジャン」

 と小声でいった。

「それどころじゃないって」

 とこれまた小声で言い返した。

 ぼくとコジの小競り合いの間にマサミは泣いているサヤをベンチに座らせ、ぼく

に向かって食ってかかった。

「谷田部くん!」

 鼓膜が破れそうな声だ。

「何でサヤのこと泣かせたりするの」

「いや。そういうわけじゃ……」

「何が、そういうわけじゃよ。現にサヤ泣いてるじゃないの。女の子泣かすなんて

最低。早く謝りなさい」

 台詞を挟む隙間さえない。

「まあ、まあ、まあ。いろいろ訳があるんだろうからさ」

 コジがとりなす様にわって入った。

「何。いったいどんなわけ。大体、さっきからあなた達変よ。もしかしてグルなん

じゃないの。一体何たくらんでんのよ」

 火に油だった。

 コジがマサミを宥めるのをぼくはゲンナリした気分で聞いていた。ぼくはベンチ

に腰掛けたサヤの傍にしゃがみ込んだ。

 サヤはまだ泣いていた。その涙の理由はよく分からないが。ぼくのせいなのには

間違いない。

「大隅さん。ごめん」

 そう声をかけたが、何の反応も見られなかった。ほくはため息を一つつくと三人

を残しその場を立ち去った。マサミが何やら悪態をついたがよく聞こえなかった。

 だから、女子と一緒に何かをするのは嫌なんだ。

 何もかもが面倒臭くなった。

 ぼくはトボトボと野球のグラウンドの方に向かって歩いていった。

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