【僕のかんざし】

お題「青いかんざし」


 あれはいつの記憶だろうか。

 小学生にはまだなっていなかったと思う。

 どこかの土産物屋で青いかんざしを買ってくれと言ったら、母親は苦笑いをした。

 あれは女の人が身に付けるものなのだと聞かされた。


 別に女装趣味があるわけでも、それに興味があるわけでもない。

 ただ、あの日憧れて、でも手に入れることができなかったかんざしが心残りだった。

 あの時に母親が買ってくれていたら、きっと翌日にはその存在すらも忘れていたに違いない。

 何しろあの時、自分の髪は短くて、とてもかんざしが挿せる状態ではなかったのだから。


 あの日から心の何処かにこびりついていた「後悔」は、しかし何かに転化するわけでもなければ昇華するでもなく、其処に在り続けた。

 大学に入ってから髪を伸ばし始めたのも、それが原因だったのかもしれない。

 ただ、髪を丁寧に手入れして伸ばしているだなんて、他の友達に知られるのも怖かったから、金のないフリをしていた。


 どのぐらい伸ばせば、かんざしが挿せるのだろうと考えながら伸ばし続けていたら、あっという間に肩にまで届いた。

 調べてみると、この長さでもかんざしを挿すことは不可能ではないらしい。



 じゃあ、そろそろケリをつけよう。



 ある晴れた日の午後に、僕は決意した。

 ネット通販で、前から目星をつけていたかんざしを購入する。

 小さい時にねだったかんざしは、デザインはわからないが、青いとんぼ玉がついていた。

 その記憶になるべく沿うようなものを、ずっと探していた。


 ちなみに一度、あるショッピングモールでイメージそのもののかんざしを見つけたこともあるのだが、気恥ずかしくて店に入ることが出来なかった。

 僕が欲しいのはかんざしであって、リボンがついたゴムだとか、キラキラしたものが埋め込まれたシュシュではない。


 注文をした次の日には、かんざしが手元に来た。

 小さなダンボールを開くと、過剰に包装された奥に、僕が頼んだかんざしが入っていた。

 他に何か買えばよかったかもしれないが、こういう時に他の物は邪魔になる。と、思う。

 この「後悔」を断ち切るのに邪念は必要ない。


「……」


 緊張しながら、ダンボールの底にあった黒い箱を手に取る。

 丁寧に蓋を開いて、中のかんざしを抜き出す。

 一本かんざしと呼ばれる、箸のようなものであり、片方は尖っている。

 もう片方には青いとんぼ玉がついていた。


「あ、結構綺麗」


 青いとんぼ玉に金魚が描かれているもので、値段相応に安っぽくはあるが、色のイメージとしては最適だった。


「よし」


 テーブルに鏡を置き、その前にかんざしを置く。

 両手で髪を後ろに束ね、時計回りに捻っていく。強めに捻ったほうが良いとネットには書いてあったので、そのとおりに強く。

 世の女性は髪型に凝っているが、どうやってあの髪型を作っているのだろうと、思考が脱線する。

 何しろ、普段はせいぜい髪を束ねるぐらいだから、捻るという行為だけで結構なカロリーと精神力を消費していた。

 女性が器用なのか、器用な女性が髪型を凝るだけなのか。恐らく後者だろうが、自分の周りの女性はいつも髪を丁寧にセットしている。


「これで……」


 左手で髪を持ったまま、右手でかんざしを取る。

 そこに至って初めて、鏡が真正面では意味がないことに気がついたが、今更引き返せない。

 

 捻った根本を左上から右下にむけてかんざしを挿す。

 通ったら、その先を毛束に絡ませる。

 かんざしの先で毛先を縫い止めるようなイメージだと書かれていた。

 鏡で見れないので、ちゃんとそうなっているかはわからない。


 右手が震えるのを我慢しながら、髪をからませたかんざしの先を、下からすくい上げるように左上へ戻す。

 毛先を多く取り過ぎたのか、かんざしが一瞬抵抗をした。

 それを無視して、かんざしの先を髪に差し込む。


 このままかんざしを進めれば、僕は青いかんざしを本当の意味で手に入れたことになる。

 綺麗な綺麗な青いかんざし。

 ずっと欲しかったそれが、今右手の中にある。


 挿した後、どうしよう。

 僕は本当に今更ながら考えた。

 かんざしの先はどんどんと、僕の髪の中に入っていく。


 此処から先のことは僕にも想像がつかなかった。

 かんざしを手に入れて、僕は結局どうしたかったのだろう。

 そんなくだらない問いをあざ笑うかのように、かんざしは僕のものとなろうとしていた。


END

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