翡翠の歯車

空美々猫

翡翠の歯車

 その少年の身体は機械でできていた。歯車がカタカタと音を立て、彼の歩く姿はどことなくぎこちなかった。その動きは彼から生き物らしさを綺麗に拭い去ってしまっていた。だけど彼は人形ではない。ちゃんと魂のある人間なのだ。











 カタカタ、カタカタ……、カタカタ、カタカタ……。











 彼の機械の身体には歪な形の翡翠の歯車がひとつだけ埋め込まれていた。それは元々彼の体にあったものではない。彼がまだ幼かった頃、彼の身体にはそんなものは付いていなかった。彼が成長するどこかの段階で、それは彼の身体の中に追加されたのだ。


 それはひとつの残り香と言ってもよかった。彼が出会った大切なものが、その翡翠の歯車を彼の身体の中に残していったのだ。生きとし生ける全てのものは誕生と共に消滅へと歩み始める。得たものは朽ちていくし、出会った人々はいつか去っていく。全てのものは必ず失われてしまうのである。

 しかしそれでも、いくつかのものは彼の中の特定の場所を占め続けた。もしそれ自体が失われた後でも、それらの為の場所は彼の中に残り続けた。そして彼にとって、その不在の空間は特別な意味を持った。それらが彼の中で結晶となり、彼の身体の歯車へと変わっていくのだった。






 





 カタカタ、カタカタ……、カタカタ、カタカタ……。











 翡翠の歯車もそのような経緯で彼の中にいつの間にか追加され、それは彼にとって特別に大切な何かとなった。

その歯車によって、彼が変わったのかはわからない。変わったところもあるだろうし、変わらなかったところもあるだろう。だけど、それを特定することに何の意味があるというのだろう。全てのものはただ変化の中にある。

しかし彼にとってその歯車は、最早普遍とも呼べるものになっていた。彼の翡翠の歯車は、もうそれなしでは彼と呼べないような意味を持ってしまっていた。彼はもうその歯車なしには、彼として生きていけないようになってしまっていたのだから。











カタカタ、カタカタ……、カタカタ、カタカタ……。











 彼は相変わらずカタカタと歯車の音を立てて歩いていく。いくつもの歯車が彼の中で複雑に噛み合い動いている。その中にはあの翡翠の歯車も含まれている。

彼が翡翠の歯車のことをずっと覚えているかどうかはわからない。長い人生の中で、彼はその歯車のことを忘れてしまうかもしれない。けれども、彼という存在がいつか朽ち果ててしまうその時まで、彼の中ではその歯車は存在し続けるだろう。

もしかすると、彼が消滅したその後も、彼の魂の中でその歯車は彼の魂と溶け合って、一緒に何処かへ運ばれていくのかもしれない。

しかしそんなことは今の彼にはわからない。ただ一つだけわかっているのは、今の彼にとって、その翡翠の歯車はとても大切で掛け替えの無いものだということだ。そして今の彼にとっては、それだけで十分だった。











カタカタ、カタカタ……、カタカタ、カタカタ……、カタカタ、カタカタ……、カタカタ、カタカタ……、カタン……。 

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翡翠の歯車 空美々猫 @yumesumudou

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