再び、シスター
陽が、落ちる。
薄暗い部屋の中で、シスターは一人窓から『塔』を見つめていた。
ベールを外し、肩より長い艶やかな黒髪が揺れている。その顔は、エスと酷似していた。否、全く同じであると言っても過言ではない。ただ、右頬にある
今日は二度もあの話をしたからだろうか。どうにも、気が重い。
「お勤めご苦労様。それにしても、よくあれだけの嘘を淡々と話せるものだよね」
くるりと、青い光が旋回しながら言う。その台詞に込められているのは、あからさまな嘲りだった。
「……ピコ」
「ああ、まだその名前で呼んでくれるんだ」
青い光は旋回を止め、静かにシスターの肩へ止まる。ぴんと立った飾り羽が印象的な青い鳥。小さな青い鳥はあの『塔』の上に居た時と何ら変わりの無い姿でそこにいた。違うのは、人の言葉を話す、という事だけ。
「英雄だって? まぁ確かに、戦争を止めたのは彼だ。その代わり、彼が上の世界を崩壊に導いたんだけど」
『塔』は、最初からそこにあった。
上の世界も、初めはここにあったのだ。
あの世界は。
滅びをもたらす、始祖の悪魔を封じ込める為に作られた、ファウストを満足させる為に切り離された、生贄の世界。
それと知らずに繁栄し、皮肉にも下の世界より早く進んだ文明が引き起こした故の悲劇。
「上の世界が滅んだ事で、ボクは下に降りられるようになった。ボクを呪縛から解き放ってくれたのは、エルレィンだよ? それだけじゃない、まだこうやって、ボクを楽しませてくれている。ねぇ? 下の世界は、一人ぼっちって、どんな気持ち?」
青い鳥が嗤う。歌うように、綺麗な声で。
囚われているって。
解き放たれないって。
ねぇ?
――一体、どんな気持ち?
『塔』は確かに墓標なのだろう。何も知らずに上の世界で滅んだ人間達の墓標。生き物達の墓標。そして、沢山の、『エス』達の墓標。
――
あの『塔』の上の世界で。
彼はまだ、捜し続けているのだろうか。
居るはずのない、『彼女』を。
『塔』の下の世界を、本当の世界を知らないままで。
からからと嗤いながら、青い鳥は宙を舞う。
――赦せなかった。
一つだけ。
上の世界から、持って来たものがある。
『塔』の上の、隔離されて進んだ文明が作り出したもの。滅びた世界で、果てた仲間を弔っている時に見つけた、黒光りする小さな、機械。
エステルの命を奪った、エルレィンが上の世界を急激な崩壊へと向かわせる切欠になった、凶器。
ずっと隠し持っていたそれを静かに構え、青い鳥を見据える。
そんな彼女を見て、鳥は嘲るように嗤った。
「あーあ、そんな物騒なモノを上から持ち出してたなんて。下の世界に広まったら大変だよ」
「広まる事はありません。弾は、あなたを殺すのに必要な分しか入っていませんから」
撃ち尽くせば、ただのガラクタです。
鳥はまた、小さな嘴を歪めて嗤った。
「じゃあ、撃ってみなよ? そんなモノがきくかどうか、試させてあげるよ」
言葉通り、青い鳥は飛ぶのを止め、椅子の背もたれに舞い降りる。狭い部屋の中で、動くのを止めた標的に向かい、彼女は躊躇わずに狙いを定めた。
かちり、と小さな音。
ずしりと冷たい、金属の感触。
程なく、大きな破裂音が部屋に響く。
余裕の笑みを浮かべていた青い鳥は、ひとたまりも無く弾き飛ばされた。ぽと、と微かな音を立てて鳥が床に落ちる。ひしゃげた嘴から、苦悶の声が漏れた。
「……あ、はッ……。な、んで……」
風穴が開いた胸から血が噴出した。床に落ちた鳥を無慈悲に見下ろし、彼女は言う。
「何故、自分が滅びるのか分からないのですか? 上の世界が丸ごと、あなたを封じる為の生贄だったのなら。いいえ、あなたをあの場所に縛り付ける餌だったのなら」
静かに理由が紡がれる。ファウストの、気が付かなければならなかった理由が。
「確かに、エルレィンの絶望も、あなたの贄である事には変わりないでしょう。だけど、あなたはそれ以上の大きな贄――国同士の争いが引き起こす、上の世界全体の絶望、を喰らって生きていたのです。否、生かされていたのかもしれない」
むしろ。
エルレィンの絶望なんて、小さなものにしがみ付いたから。
――だから。
鳥が、丸い瞳で見上げた。
「……面白いオモチャには飛び付かない方がいいね」
ひゅうひゅうと、掠れた息が漏れた。小さな胸は、大きく上下し、赤い血は身体半分を真っ赤に染め上げる程流れ出している。
「いがみ合う世界。災厄を引き取った世界。結局あなたが、全てのシステムを壊したのです。『塔』のバランスを破壊し、結果あなたは自由を得たけれど、大きな力を失った事に気付けなかった。自身を過大評価して、目先の餌に飛びついたあなたには」
結局あなたも、籠の中の小さな鳥。
そんな事にすら、気が付けなかった。
それが――。
――赦せない。
「だから――滅びるの」
鋭く呟いた言葉と同時に。
青い鳥の身体は、さぁっと一握りの灰へと変化していった。
ことんと。
黒い塊が、床に落ちる。
役目を終えてガラクタとなったそれからは、細い煙が立ち上っていた。
ゆるりと、時が動く。
シスター――エスは、動くはずの無い時計が時を刻み始めた事を知っている。
それは、彼女の命の時間。
造られた命であるエスには、本来寿命は存在しない。止まる時は、壊れる時だけ。
だが。
あの日。
あの、隔離された世界から飛び降りた時。
この、下の世界に――本当の世界に降り立った時。
右頬の、識別紋章が消えてからというもの、彼女ははっきりと時の刻む音を聞いていた。それは、彼女の時間が限りあるものになった事を示している。
人よりもずっとゆっくりとではあるが、確実に、残酷に。
刻み続ける。
命の鼓動が途切れる前に。
彼はもう一度、現れるだろうか。
彼女の、名前を呼んでくれるだろうか。
――エステル、と。
一度も呼んだ事のない、本当の名前を。
カース†エピタフ 柊らみ子 @ram-h
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