見たことの無いモノ
@bdm
最終回の前
電灯の壊れた階段を下るのは、さながら地獄か、あるいは魔界へと降りていくような感覚でした。手すりはあったので転ぶことはありませんでしたが、その手すりというのもさび付いてしまっていて、元はどのような色をしていたのかさえ分からないほどでした。一歩、また一歩と、一段を二歩で行く勘定で歩を進めます。したがって、次の段へ先に到達する足は決まって右の足となってしまうのでした。
どれほどの間進みましたでしょうか。一分と言われれば一分とも思いますし、丸一日と言われればそうかと納得しそうな、普段の生活で進む時間の速度と別な時間が、ここでは流れているようでした。例えるなら、普段の時間を「流れる」とするなら、私の体感した時間は「迫りくる」や、「ぶち当たる」といった、質量を感じさせるような感覚です。
私は、その電灯の壊れた階段を、無心で手すりに半身を委ね進んでいたのですが。ある時、ふと「あぁ、これは夢だな」と思いました。考えてもみれば、こんなさび付いた手すりの付いた階段を下り続けるなんて何か目的でも無ければしないわけですし、また何よりも私にはこの階段を下り始めた時の記憶が無いのです。気付いたら、この真っ暗な階段を無心で下っていた、これは平常時であればまずありえないことではありませんでしょうか。
さて、夢だと気付けばなんてことはありません。不思議と最初から恐怖は感じておりませんでしたが、ここで恐怖以上の好奇心に襲われました。というのも、夢というのは己の深層心理に関係しているとか、最も自分が望んでいる物を夢がうつし出すとか、そういうことを聞いたことがあったので、私はここはひとつ私の欲するモノ、もしくは私自身の本質を見出してやろうと企んだのです。
私が気付いていない、もう一つの私の姿には、この夢の中の私自身にひどく惹きつけられる部分がありました。思えば、私はこと私自身のことには今までそれほど深く考えたことの無かった気がします。人間、ひとのことはよく見えるけれど、自分自身のことは存外赤の他人以上に知らないものなのかもしれません。そんなことを私は思いました。
私の深層心理、私の知らない私を知ってしまう前に、現在の私はどれほど己のことを理解しているのか、ふと気になり始めました。気になり出すと止まりません。これも夢の作用なのでしょうか、私の中に私の知り得る全ての私自身の情報が頭の中へと流れ込んでくる感じがしました。夢ですので、全ての事柄が私の脳内で完結しているというのは、理解こそすれ肉体を持った行動に慣れ切ってしまっている私の感覚は、夢の中でも肉体のあることを前提に情報を読み込むようで、どうにも窮屈に感じます。このまま肉体が溶け、情報や幻想、夢と現の境さえない海に溶解されてしまいたいという欲求に生まれて初めて襲われました。
逆にその欲求だけが真新しく、また奇妙なほど心地よく、逆に私自身の情報、というのはここで取り立てて書くようなこともないような、平凡でつまらないものでありました。例えば、自身の名前、好物、趣味、趣向など、日常に埋もれている、少しも目新しさの無い、情報でした。
この間にも私は暗い階段を一段いちだん、錆びた手すりに手をかけながら降りていたのですが、記憶の情報が頭の中に流れてきたことで、幾分か視界が開けたような気になりました。もっとも実際に視界が開け、意識内の私が広い荒野に出た、というわけではありません。言うなれば、夢の中で更に夢を見始めたようなことだと私は解釈しました。この世界、つまり私の意識が入り込んでいるこの夢は、私自身の内側にあるであろうと想像していますので、おそらく私の解釈が事実になっているのではないでしょうか。
少しすると、私の知っている私の情報の投影、とでも言いましょうかそれは終わりを告げ、私の目の前は再度暗闇に包まれました。足は止まらず、階段の終わりも分かりません。この夢の中の私の肉体は私の意識と関係なく動き続けるようです。試しにぎゅっと右手に力を込めて手すりにつかまって止まってやろうとしましたが、全く力が入らないどころか、神経さえ繋がっていないように思えました。
あぁ、夢の中ですら私は自由に動くことが出来ないのかと残念に思いました。現実の私も運動が苦手だったなと思い、いっそう、この私自身の肉体が憎らしく感じるのでした。今、私はどんな格好で階段を下りているのか、どんな表情か、暗闇のせいでそれもわかりませんでした。一歩ごとに響く足音と、衣擦れの音だけが私が私の肉体を感じる手がかりでした。どうせなら、この音もない夢だったら夢と気付かなかったかもしれないのに。そうすればこの憂鬱を感じず、馬鹿のように目を覚まし、同じように一日を過ごせただろうに、そんなことを考えずにはいられませんでした。先ほどまでの未知なる私に対する興味以上に、この肉体、己を縛る闇と自分に苛立ちをぶつけたい気分が高まっていきます。
目を覚ませば、全てうまくいくような気もするが、逆に肉体やありとあらゆる束縛の中へ身を投じてしまうかもしれない、八方塞がりに思えて、目の前が真っ暗、否、真っ白になりました。
目を覚ますと布団の中。当然。昨日布団に入って眠ったのだから。何か夢を見ていた気もするが、詳しくは思い出せない。瞼の上を刺す朝日を鬱陶しく思いながら布団を出て起き上がった。今日は日曜日、何をしようか・・・・・・。
結局、夢で見た長く真っ暗な階段をひたすらに下ってゆくということにこそ私の深層心理が現れたことに気づけたのは、夢の中の意識だけでした。現の私は、今も大方あの暗闇のごとく深く自分を押し殺して多数決の結果を見てから多数派に属するような生き方をしているのではないか、それだけが心配で、同時に誇ってもいる自分自身もいるようで、私の中にも随分と様々な私が出来てしまったようです。
私は、この様々な「私」を、飼いならすべきなのか、はたまた肥え太らせるべきなのか、それとも・・・・・・。
見たことの無いモノ @bdm
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます